上 下
10 / 50
第一章

第3話(1)欲について

しおりを挟む
                  参

「ふむ、なかなか美味しかったですね……」

「……」

「これは当たりのお蕎麦屋さんです」

「………」

「こういうのを探し求めるのも旅の醍醐味というものです」

「…………」

「そうは思いませんか、楽土さん?」

「……………」

「食後のお茶を飲みましょう……」

「のんびりし過ぎでは⁉」

 楽土が机をドンと叩いて声を上げる。周囲の注目が集まる。

「ちょっと、楽土さん……」

 お茶碗を持った藤花が顔をしかめる。

「す、すみません……どうもお騒がせをしました……」

 楽土が大きな体を折り曲げて、周囲の客に謝る。

「……落ち着いて下さいよ」

 藤花がお茶をすすりながら呟く。

「し、しかしですね……いさかかのんびりとし過ぎなのでは?」

 楽土が声を抑えて尋ねる。

「しっかりと北に向かっておりますよ」

「何度か北西に行きかけましたが……」

「……似たようなものでしょう」

「似ていませんよ」

「なんとなくこう……肌寒いところに行けばよろしいのでしょう?」

 藤花が片手で肩を抑えつつ、もう片方の手に持った湯呑みで天井を指し示す。

「ざっくりとした認識!」

「みちのくは寒いではありませんか」

「それは冬のことでしょう。この季節ならば関東とさして変わりません」

「そうですか」

「そうですよ」

「まあ、あまり季節の変化など関係ない体ですがね……」

 藤花が自嘲気味に笑う。

「そ、それは……」

「笑えませんか? 『からくり戯言』」

「笑えませんよ……なんですかそれ……」

「ふむ……」

「とにかくもうちょっと先を急ぎましょう」

「のんびり行くのも悪くはありません」

「そうも言ってはいられないでしょう」

「まあまあ……」

「まあまあって」

「まだ食べ終わったばかりです。少しお話をしましょう」

 藤花が湯呑みを机に置く。

「お話?」

 楽土が首を傾げる。

「私たちには心があります……」

 藤花が自らの胸に手を当てる。

「は、はい……」

「そして、笑うことが出来ます……」

「はい……」

「そこで! 楽しいことに思いを馳せてみませんか?」

「楽しいこと……ですか?」

「そうです」

「う~ん、よく分かりませんね……」

 楽土が腕を組んで首を捻る。

「そんなに難しいことですか?」

「いざこうして聞かれてみると……」

「それではもっと根本に迫りましょうか」

「根本に?」

「ええ、そうです」

「どういうことでしょうか?」

「欲です」

「欲?」

「ええ、そうです」

「欲と言っても様々だと思いますが……例えば?」

「そうですね……『他の方よりも優れていたい』、もしくは『周囲から尊敬されたい』とは思いませんか?」

「いいえ、特には……」

「……この任務を無事に達成した暁には、命令を下さった方からお褒めの言葉を頂きたくはありませんか?」

「そういうことはまったく考えておりません。一応秘密裏の任務ですから……」

「あら、そうですか……」

「はい、そうです」

「では、『他の方を排除したい』、もしくは『他の方を攻撃したい』ということも?」

「そ、そんなことを思う訳がないでしょう!」

「ふむ……」

「どんな欲ですか、それは……」

「それでは、『批判の声から逃れたい』、もしくは『自らの失敗を犯して、他の方から笑われたくない』ということもありませんか?」

「ありませんよ」

「……本当に?」

 藤花が首を傾げる。

「……それは批判を受けるのは嫌ですよ」

「そうでしょう」

「失敗も出来る限りは避けたいです」

「それもそうでしょう」

 藤花が楽土の発言にうんうんと頷く。

「ただ、笑われたくないというのは少し違う気がします。何事においても失敗をしないように取り組みます。その上で失敗を犯して、批判を食らうならそれは甘んじて受け入れます」

「ほう……」

 藤花が腕を組む。楽土は苦笑する。

「繰り返しになりますが、失敗は避けたいですけどね」

「それでは『だらしなく過ごしたい』ということは?」

「常に緊張感は持っていたいです」

「『睡眠の欲』はないのですか?」

「多少寝なくても平気です。それはよくご存知でしょう? もっとも体はその都度休めたいところではありますが……」

「で、では、『食べることの欲』は?」

「藤花さんほどではありません」

「む……では、『金銭が欲しい』というのは?」

「あるに越したことは無いですが、それも藤花さんほどではありません」

「むう……」

 笑う楽土に藤花はややムッとして黙る。

「あれ? 怒りました?」

「怒ってはいませんが、納得はしておりません」

 藤花は頬杖をつく。

「納得はしていない?」

「はい」

「どういうことですか?」

「だって、今挙げたものにほとんど当てはまらないではありませんか!」

「まあ、そうですね……」

「そんなことはおかしいですよ」

「おかしいですかね?」

 楽土が首をすくめる。

「そうですよ」

「それよりもですね……」

「それよりも?」

「藤花さんの聞いてくる欲の種類にちょっと偏りがある気がしますよ」

「そんなはずはありません」

「ありませんと言われても……」

「以前、バテレンから聞いたのです」

「バテレンに?」

「ええ、人間には、人間自らを地獄に導く七つの欲というものがあると……」

「地獄って、そんな罪深い欲は持ち合わせておりませんよ」

「持っていないはずがない、例え人形といえども、本を正せば……」

「まあ、その話はもういいじゃないですか」

 楽土が藤花の話を遮る。藤花が頬杖をやめる。

「失礼……」

「いえ……もうよろしいですか?」

「ええ……」

 勘定を済ませ、藤花たちは店を出る。

「ありがとうございました! またお越し下さいませ!」

 店の娘が深々と頭を下げる。

「はい、機会があれば……はっ⁉」

「? お客さん、どうかされましたか?」

「い、いえ、なんでもありません……」

 店の娘の美しい顔を見て、楽土は左胸を抑えながら店を出る。

「ふふっ……」

「な、なんですか? 藤花さん……」

「一つ大事なものを忘れておりました……『性への欲』ですね」

「そ、それは……!」

「いやあ、楽土さんも殿方ですねえ~!」

 藤花は嬉しそうに声を上げる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Live or Die?

阿弥陀乃トンマージ
SF
 人類が本格的に地球から宇宙に進出するようになってから、すっかり星間飛行も宇宙旅行も当たり前になった時代……。地球に住む1人の青年、タスマ=ドラキンが大きな夢を抱いて、宇宙に飛び出そうとしていた!……密航で。  タスマが潜り込んだ船には何故か三人組の女の子たちの姿が……可愛らしい女の子たちかと思えば、この女の子たち、どうやら一癖も二癖もあるようで……?  銀河をまたにかけた新感覚一大スペクタクル、ここに開演!

小童、宮本武蔵

雨川 海(旧 つくね)
歴史・時代
兵法家の子供として生まれた弁助は、野山を活発に走る小童だった。ある日、庄屋の家へ客人として旅の武芸者、有馬喜兵衛が逗留している事を知り、見学に行く。庄屋の娘のお通と共に神社へ出向いた弁助は、境内で村人に稽古をつける喜兵衛に反感を覚える。実は、弁助の父の新免無二も武芸者なのだが、人気はさっぱりだった。つまり、弁助は喜兵衛に無意識の内に嫉妬していた。弁助が初仕合する顚末。 備考 井上雄彦氏の「バガボンド」や司馬遼太郎氏の「真説 宮本武蔵」では、武蔵の父を無二斎としていますが、無二の説もあるため、本作では無二としています。また、通説では、武蔵の父は幼少時に他界している事になっていますが、関ヶ原の合戦の時、黒田如水の元で九州での戦に親子で参戦した。との説もあります。また、佐々木小次郎との決闘の時にも記述があるそうです。 その他、諸説あり、作品をフィクションとして楽しんでいただけたら幸いです。物語を鵜呑みにしてはいけません。 宮本武蔵が弁助と呼ばれ、野山を駆け回る小僧だった頃、有馬喜兵衛と言う旅の武芸者を見物する。新当流の達人である喜兵衛は、派手な格好で神社の境内に現れ、門弟や村人に稽古をつけていた。弁助の父、新免無二も武芸者だった為、その盛況ぶりを比較し、弁助は嫉妬していた。とは言え、まだ子供の身、大人の武芸者に太刀打ちできる筈もなく、お通との掛け合いで憂さを晴らす。 だが、運命は弁助を有馬喜兵衛との対決へ導く。とある事情から仕合を受ける事になり、弁助は有馬喜兵衛を観察する。当然だが、心技体、全てに於いて喜兵衛が優っている。圧倒的に不利な中、弁助は幼馴染みのお通や又八に励まされながら仕合の準備を進めていた。果たして、弁助は勝利する事ができるのか? 宮本武蔵の初死闘を描く! 備考 宮本武蔵(幼名 弁助、弁之助) 父 新免無二(斎)、武蔵が幼い頃に他界説、親子で関ヶ原に参戦した説、巌流島の決闘まで存命説、など、諸説あり。 本作は歴史の検証を目的としたものではなく、脚色されたフィクションです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

科学的考察の及ばぬ秘密ノ誘惑

月見里清流
歴史・時代
 雨宿りで出会った女には秘密があった――。 まだ戦争が対岸の火事と思っている昭和前期の日本。 本屋で出会った美女に一目惚れした主人公は、仕事帰りに足繁く通う中、彼女の持つ秘密に触れてしまう。 ――未亡人、聞きたくもない噂、彼女の過去、消えた男、身体に浮かび上がる荒唐無稽な情報。 過去に苦しめられる彼女を救おうと、主人公は謎に挑もうとするが、その先には軍部の影がちらつく――。 ※この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません

令和ちゃんと平成くん~新たな時代、創りあげます~

阿弥陀乃トンマージ
歴史・時代
 どこかにあるという、摩訶不思議な場所『時代管理局』。公的機関なのか私的組織なのかは全く不明なのだが、その場所ではその名の通り、時代の管理に関する様々な業務を行っている。  そんな管理局に新顔が現れる。ほどよい緊張と確かな自信をみなぎらせ、『管理局現代課』の部屋のドアをノックする……。  これは時代管理局に務める責任感の強い後輩『令和』とどこか間の抜けた先輩『平成』がバディを組み、様々な時代を巡ることによって、時代というものを見つめ直し、新たな時代を創りあげていくストーリーである。

トノサマニンジャ

原口源太郎
歴史・時代
外様大名でありながら名門といわれる美濃赤吹二万石の三代目藩主、永野兼成は一部の家来からうつけの殿様とか寝ぼけ殿と呼ばれていた。江戸家老はじめ江戸屋敷の家臣たちは、江戸城で殿様が何か粗相をしでかしはしないかと気をもむ毎日であった。しかしその殿様にはごく少数の者しか知らない別の顔があった。

鵺の哭く城

崎谷 和泉
歴史・時代
鵺に取り憑かれる竹田城主 赤松広秀は太刀 獅子王を継承し戦国の世に仁政を志していた。しかし時代は冷酷にその運命を翻弄していく。本作は竹田城下400年越しの悲願である赤松広秀公の名誉回復を目的に、その無二の友 儒学者 藤原惺窩の目を通して描く短編小説です。

処理中です...