疾れイグニース!

阿弥陀乃トンマージ

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第二章

第1レース(4)飲んだくれトレーナー

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「お、お疲れ様です!」

 真帆が立ち上がって頭を下げる。瑞穂が苦笑する。

「同じ厩舎でもないのだし、そんなに畏まらなくても……」

「い、いえ、トップジョッキーに対して失礼ですから!」

「あら、お上手ね」

「ほ、本当のことです!」

「まあ、それはいいわ、彼氏君、借りてもいい?」

「は、はい! ど、どうぞ! って、か、彼氏ではありません、まだ!」

「まだ?」

「あ、い、いや、あの……」

 真帆の顔が真っ赤になる。瑞穂が微笑む。

「ふふっ、まあいいわ。それじゃあ、紅蓮君?」

「は、はい!」

「この後は厩舎に戻るのでしょう?」

「え、ええ……」

「わたくしもご一緒します。参りましょう」

「は、はい……」

 炎仁は急いで食事を片付け、真帆と別れて、食堂を出る。

「そういえば言ってなかったわね……」

「え?」

 先を歩いていた瑞穂が炎仁の方に向き直り、笑顔で告げる。

「騎手課程合格おめでとう」

「あ、ありがとうございます!」

「わたくしも推薦人として鼻が高いわ」

「い、いえ、まだまだこれからですから……」

「これから?」

「え、ええ、まだジョッキーとしてスタートラインに立っただけです」

「ほう……それが分かっているのなら結構よ」

 瑞穂は頷いて、前を向き、再び歩き出す。

「俺はイグニースとともに、勝って、勝って、勝ちまくります!」

「その意気よ、じゃんじゃん賞金を獲得して頂戴……」

「はい! 祖父ちゃんの遺した『紅蓮牧場』を守るために!」

「正確には、貴方のお祖父さんが遺した、莫大な借金を返すためにね……」

「うぐっ!」

「我が撫子グループが肩代わりしている分をきっちり稼いでね」

 瑞穂が微笑を浮かべながら、振り返る。炎仁が頭を軽く抑える。

「げ、現実を思い出させないで下さいよ……」

「ダメよ、現実とはしっかり向き合わないと」

「はあ……」

「着いたわね」

 トレセンの中にある各厩舎の事務所が並んでいるエリアまでやってきた。瑞穂は迷いなく、炎仁が所属する黒駆厩舎の事務所に向かう。

「あれ? 場所、ご存知なんですか?」

「それはそうよ、新人の頃はよく乗せてもらったから」

「ああ……」

「最近はとんとご無沙汰だけど……ここね」

 瑞穂が立ち止まる。『黒駆厩舎』とボロい看板がかかっている。炎仁が慌てて前に出る。

「あ、ドア開けます……お、お疲れ様です!」

「ばっきゃろう!」

「うえっ⁉」

「学生の部活動じゃねえんだ! いちいち大声出さなくても良いつっただろう!」

 薄くなった頭に、顔には無精ひげを生やし、だらしのない体つきで眼鏡をかけた初老の男性が炎仁に対して怒鳴る。炎仁は一瞬怯むが、言い返す。

「と、とはいっても挨拶は基本ですし……」

「大声出されると頭にガンガン響くんだよ! うっ……」

「大声出しているのは先生の方じゃないですか……って、いつにもまして一段と酒臭っ⁉」

 炎仁が部屋の中に立ち込める酒の匂いに顔をしかめる。

「ふん、そりゃあ酒飲んでいるからな……」

「真っ昼間から酒なんてやめて下さいよ!」

「仕事はほとんど終わったから良いだろうが!」

「まだ、全部終わってないでしょう⁉」

「俺は調教は乗らないからよ……」

「事務作業とかもあるでしょう⁉」

「その辺もアイツが戻って来たから大丈夫なんだよ」

「アイツ? あ、そうだ、お孫さんがいるなら、ちゃんと紹介して下さいよ!」

「あん? 環と会ったのか?」

「ええ、先ほど……」

「じゃあそれでいいじゃねえか……」

「いや、良くないですよ!」

「うるせえなあ……孫の環が正式に調教助手として入った! 分からねえことがあったら、アイツに聞け! 面倒くせえから……」

「め、面倒くせえって言った⁉」

「だから、大声出すな! 頭に響くんだよ……」

「だから、大声を出しているのはむしろ先生の方です!」

「……コホン」

「あっ……」

 瑞穂が咳払いをする。男性がズレた眼鏡を直し、瑞穂の方を見る。

「ん~? これはこれは、珍しい来客だな」

「かつての名伯楽として鳴らした黒駆環太郎先生も、今ではただの飲んだくれですね……年は取りたくないものです……」

「年は関係ねえ! ちょっとスランプなだけだ……」

「七年も重賞勝ちがないとは、流石は名トレーナー、随分と長いスランプですね」

「なんだ、わざわざ嫌みを言いに来やがったのか⁉」

「いえいえ、竜主として、今後の方針を伺いに来ました」

「あん? 方針だあ?」

「ええ、『グレンノイグニース』号の」

「ああ、あれはなかなか良いドラゴンだぜ……」

 環太郎が酒瓶をテーブルに置き、真面目な顔つきになって呟く。瑞穂が笑顔で頷く。

「そうでしょうとも」

「しかし、解せねえ……なんだって、撫子厩舎じゃなく、俺んとこに預ける?」

「……あのドラゴンのポテンシャルを引き出せる可能性がもっとも高いのは黒駆先生だと判断したからです」

「見ての通りの飲んだくれだぜ?」

 環太郎が自嘲気味に首をすくめる。瑞穂は小さくため息をつく。

「……もうお忘れですか? あのドラゴンは紅蓮牧場の生産竜です」

「!」

「先に亡くなった牧場主とは、良き友人だったと伺っていますが?」

「え⁉ そ、そうだったんですか⁉」

 炎仁が驚いて、瑞穂と環太郎の顔を交互に見る。環太郎が鼻の頭を擦りながら笑う。

「へっ、そういやそうだったな……」

「本当に忘れていましたね……」

「今、思い出したから良いだろう」

「はあ……わたくし、そういう縁も重視するものなので」

「だから俺に預けたってわけだな。合点がいったぜ……」

「それで、今後はどうされますか?」

「んなもんは決まっている、次の未勝利戦行くぞ! 来週だ!」

「ええっ⁉」

 初耳のことで炎仁は驚く。
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