疾れイグニース!

阿弥陀乃トンマージ

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第一章

第6レース(4)アラクレノブシ&グレンノイグニース

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「アラクレノブシが先頭に!」

「いきなり予想外の形ですね……」

 スタンドで観戦するレオンが声を上げる。その横で海が冷静に呟く。

「こ、これは……草薙さんはどうすれば?」

「こうなったらこのまま行くしかありませんわね」

「慣れないことをするべきじゃない、ポジションを下げるべきだ」

 真帆の問いに飛鳥と翔が真逆の意見を述べる。

「お前らが言うなら、多分どっちも正解なんだろうけどな、旦那に器用なレース運びが出来るわけがねえ……アタシが言えたことじゃねえが」

 青空が自嘲気味にこぼす。翔が頷く。

「まあ、それはそうだね……ハナを切って行くしかないか……ただ、逃げって言うのも楽なわけじゃない」

「そうだよ、しかも彼はいつも後方からの競竜をやっていた。追われる状態というのは慣れていないはずだ」

 翔の言葉にレオンが同調する。海が眼鏡を直しながら口を開く。

「……こうなれば、このレースの鍵を握るのは案外……炎仁さんとグレンノイグニースかもしれませんね」

「え、炎ちゃんが⁉」

 真帆が炎仁とグレンノイグニースに目をやる。四頭の最後方に位置している。

「微妙に出遅れてしまいましたわ。実質初のダートで厳しい立ち上がりですわね」

「え、炎ちゃん……」

 飛鳥は片手で軽く頭を抑え、真帆は両手を胸の前で握る。

「くそが!」

 予想外の展開に嵐一は叫ぶ。しかし、すぐさま冷静さを取り戻して、後方にチラッと視線を向ける。

「……」

「……」

 約二、三竜身後方には太井騎乗のスリムアンドスリム、右斜め後方には薄井騎乗のハズアプレゼンスが並んで走っている。それからさらに三竜身ほど離れて、グレンノイグニースの紅い竜体が見える。嵐一が舌打ちして視線を前方に戻す。

(俺も紅蓮もレース中盤あたりまでは後方でじっくり脚を溜めて直線勝負って腹積もりだった……脚を使わされる展開は予想していねえ! どうする? ポジションを下げて、奴らと並ぶか? いいや、わざわざ密集することはねえ……となると、このまま先頭で行くか……今の俺にやれんのか? 巧みにペース配分をしながら、脚を持たせるなんて器用な騎乗が……いや、やるしかねえ!)

 嵐一がアラクレノブシを前に進ませる。

「ふっ……」

「ふふっ……」

 太井と薄井がそれを見てほくそ笑む。

「アラクレノブシ、更に前に行った!」

「いいんじゃねえか、余計な駆け引きなんざいらねえよ!」

 声を上げるレオンに青空が反応する。海が呆れ気味に呟く。

「駆け引きなしで押し切れる相手ならいいのですが……」

「問題は他にもあるね……」

「他にも?」

 翔の言葉を聞いて真帆が首を傾げる。

「……なるほど、そういう事態もありえますわね……」

 翔の発した言葉の意味を悟った飛鳥は深々と頷く。真帆が尋ねる。

「どういうことですか?」

「まあ、もう少し様子を見てみましょう……」

 レースは最初のコーナーを周り、次のコーナーへと差し掛かろうとしている。アラクレノブシが尚も先頭を走っている。二番手との差は五、六竜身ほど開いている。後ろを振り返ってそれを確認した嵐一は頷く。

(折り合いも悪くねえ、この差を保っていけばいける!)

 嵐一は再び後ろを振り返る。

「ふふっ……」

「ふふふっ……」

 嵐一の目に――ヘルメットとゴーグルで顔の半分は隠れているが――不敵な笑みを浮かべる太井と薄井の顔が映る。

(なっ⁉ 笑ってやがる! そこから届く脚があるのか? いや、本来は二頭とも脚質は先行タイプのはずだ、ここから伸びてくるとは思えねえ! ……⁉)

 嵐一が驚く。アラクレノブシの脚色が急に悪くなってきたからである。

「ペースが落ちた⁉」

「故障か⁉」

「いえ、違います。これは……」

 驚くレオンと青空に対し、海が冷静に反応する。

「来てしまいましたわね……」

 顎に手を当てて飛鳥が呟く。真帆が声を上げる。

「な、なにが起こったんですか⁉ ペース配分は悪くなかったはずです!」

「……初めての距離にほぼ未体験のダートコース、そして……」

「昨日一昨日の大雨を含んだ砂はかなり重くなっている。ドラゴンの脚に想像以上に負担がかかっている……」

 飛鳥の説明を翔が淡々と補足する。

「くっ!」

「ここだ!」

 太井がスリムアンドスリムを押し上げ、最終コーナーの手前でアラクレノブシをかわし、前に出る。

「ちっ!」

「おっと!」

「くっ⁉」

 前を塞がれた為、外に持ち出そうとしたアラクレノブシの斜め前辺りに薄井がハズアプレゼンスをピタリと付ける。アラクレノブシは完全に内ラチ沿いに閉じ込められた恰好となった。右斜め前――スリムアンドスリムとハズアプレゼンスの竜体の間――にはほとんど隙間がない。

「ここを割って入ってくるのは流石に妨害行為になるぜ!」

「くそ……」

 嵐一はアラクレノブシのポジションを下げようとも考えたが躊躇した。ここからさらに外を回るのは距離のロスであるし、なによりアラクレノブシのスタミナが持たないと思ったからである。

「万事休すだな!」

「ちっ……」

「まだだ!」

「何⁉」

 そこにグレンノイグニースが外側を強襲するように上がってくる。太井が叫ぶ。

「まだ脚を残していやがったか! 薄井! 外を警戒しろ!」

「ああ!」

 薄井がハズアプレゼンスの竜体をやや外側に向ける。グレンノイグニースが上がってきたら竜体を寄せ、末脚を鈍らせる為だ。勿論、妨害にはあたらない程度に。

「かかったな!」

「なんだと⁉」

 薄井が驚く。炎仁がグレンノイグニースをはばたかせ、内ラチギリギリ、アラクレノブシの左斜め後方に着地したからである。これには嵐一も驚く。

「なっ⁉」

「そ、そんなところに入ってどうする気だ⁉」

「こうするんだよ!」

「のあ⁉」

 炎仁はグレンノイグニースの右肩あたりを、アラクレノブシの左脚の付け根あたりにぶつける。それにより、アラクレノブシは右斜め前に押し出され、スリムアンドスリムとハズアプレゼンスの間に広がった隙間を抜けて、前方を誰にも塞がれていない状態で直線に入る。薄井と嵐一がそれぞれ信じられないといった様子で叫ぶ。

「くっ! 外からきたのは俺を釣り出すためか! 初めからそれを狙って!」

「み、味方とはいえ、押し出してくるとはな!」

「これくらいの接触は競竜ならよくある! いっけえ! 嵐一さん!」

「言われなくても!」

 嵐一が鞭を入れる。アラクレノブシもそれに応え、脚色を取り戻し、外からスリムアンドスリムをかわし、先頭に出る。太井が焦る。

「そ、そんな馬鹿な⁉ もう脚は残っていないはず!」

「最後は根性だ!」

 激しい叩き合いとなったが、最後はわずかに半竜身ほど、アラクレノブシがスリムアンドスリムに先着する。

「か、勝った!」

「うおっしゃあ!」

「やったあ!」

 レオンと青空とさらに真帆が歓声を上げる。飛鳥が苦笑する。

「紺碧さんまで一緒になってそんなに興奮されるなんて……」

「い、いや、でも凄いレースでしたよ、ねえ、海ちゃん?」

「ええ、そうですね、手に汗握りました」

「三日月さんのおっしゃったように、紅蓮君が鍵を握っていましたわね」

「ええ、ただ、まさかあのようなことをするとは……驚きました」

「確かに驚いた……思った以上に面白いね~彼」

 翔が感心した様に頷く。

「ぐっ……」

「ま、負けた……」

「……」

 太井と薄井に嵐一が無言で近づく。太井が悔しそうに吐き捨てる。

「な、なんだよ、分かっているよ、賭けは俺たちの負けだ、俺たちをCクラスに降級してもらうよう教官たちに申し出る。それで文句はないだろう?」

「……いらねえよ」

「え?」

「この期に及んでまだ降級だとかなんとかぬかすお前らなんざ、うちのクラスにはいらねえんだよ。精々ご自慢のBクラスで頑張ってくれや。もう二度とつまらねえことで絡んでくるなよ」

「ぐっ……」

 言うべきことを言った嵐一は踵を返す。そこに炎仁が駆け寄ってくる。

「嵐一さん!」

「ふっ、お前が出遅れたときは正直焦ったぜ」

「ご、ごめん……」

「まあ、ある程度は折り込み済みだったけどな」

「そ、それはちょっと酷くないか?」

「冗談だよ」

 嵐一は笑う。炎仁は唇を尖らせる。

「ちぇっ……」

「しかし、あれだな、随分と思い切ったことをしたな」

「イグニースも重い砂に脚を取られて結構消耗していたから……アラクレノブシの粘り強さに懸けようと思って……」

「って、あれは咄嗟の判断かよ?」

「まあ、そうなるね……」

「はははっ!」

 嵐一は炎仁と肩を組んでグイッと引き寄せる。

「どわっ⁉ な、なんだよ嵐一さん?」

「嵐一でいいぜ、同期だからな……この借りはいつか返すぜ、炎仁」

「あ、ああ……」

「Cクラス……思った以上に面白いかもしれんな」

 スタンドでレースを見つめていた鬼ヶ島が笑みを浮かべながら呟く。
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