疾れイグニース!

阿弥陀乃トンマージ

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第一章

第1レース(2)一難去ってサプライズ

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「ちっ……」

「お疲れ様で~す♪」

 牧場を差し押さえに来た連中が苦々しい表情で車に乗って去って行くのを瑞穂はにこやかな笑みを浮かべて、手を振りながら見送った。

「……ふぅ~」

 数台の車が見えなくなったことを確認し、炎仁はようやっと大きく息を吐いてその場に座り込んだ。緊張状態がほぐれたのだろう。

「ふふっ、君もお疲れ様♪」

 瑞穂がそんな炎仁を見て微笑みながら声をかける。

「あ、は、はい!」

「?」

 炎仁が瑞穂に応えた後、すぐに目を逸らした。瑞穂はそんな炎仁の様子に首を傾げる。しかし、それも無理はない。黒のパンツスーツをピシッと着こなし、メイクもバッチリ決まった瑞穂はまさしく『大人の女性』という雰囲気をこれでもかと醸し出していたからである。なによりも目鼻立ち整った美人だ。炎仁はどのように対応するべきか迷いながら、おもむろに立ち上がり、自分よりも小柄な女性に勢いよく頭を下げる。

「じいちゃんの宝物、この『紅蓮牧場』を守って下さり、ありがとうございます!」

「え、ええ……」

 瑞穂は炎仁の大声に驚いた様子を見せる。炎仁は構わず話を続ける。

「牧場がキャンプ場になったら、あの世でじいちゃんに顔向け出来ませんでしたから!」

 炎仁は牧場を見回しながら、笑って話す。その笑顔を見て瑞穂が尋ねる。

「もしかしてだけど……この牧場は君にとっても『宝物』なのかしら?」

「! へへっ、そうですね、じいちゃんとばあちゃんとの思い出が詰まった場所ですから」

 瑞穂の言葉に炎仁は少し照れ臭そうに鼻をこすりながら答える。

「ふ~ん、そう、宝物か……ねえ、その宝物、わたくしたちも案内してくれないかしら?」

「あ、は、はい」

「浅田君、わたくしたち歩いて回るから、事務所の前まで先に行っておいて」

「……はい」

 瑞穂の言葉に運転席から顔を覗かせた茶髪の若い男性が頷いて車を動かす。

「それじゃあ、案内よろしくね♪」

「は、はい、こちらへどうぞ……」

 炎仁は瑞穂を案内する。

「へえ、『角竜場』が芝と砂、2種類あるのね。少し小さいけど」

「は、はい、そこでドラゴンが『追い運動』、いわゆる準備運動をします……」

「ええ、それは知っているわ」

「あ、そうですか、そうですよね……」

 さっきは混乱してよく分からなかったが、この瑞穂という女性は『撫子ファーム』と言っていたはずだ。牧場のことなんか知っていて当然のはずである。自分がわざわざ案内する必要があるのかと炎仁が思った次の瞬間、瑞穂が芝の角竜場の先の草地を指差す。

「あれが『採草放牧地』ね。なかなか広いわね」

「ドラゴンは基本肉食です。じいちゃん……社長兼牧場長は『バランスの良い食事が良い竜体を作り上げるんだ』という考えで、牧草も食べさせるようにしていました」

「ぱっと見た限りだけど、結構良い牧草使っているようじゃないの」

「あ、そ、そうなんですか? すいません、草の種類に関してはノータッチで……」

「ふ~ん……君はよく来てたの?」

「ええ、小学生の頃はほぼ毎週、夏休みなんかお盆以外はずっと顔を出したり……」

「エサを与える手伝いなんかをしていたわけね」

「中学に上がってからは『騎乗馴致(じゅんち)』もたまに任されていました」

「ええ⁉ ドラゴンの乗りならしも君が⁉」

 驚く瑞穂に炎仁が答える。

「はい。もちろん、牧場長や職員の方と組んで行っていましたが」

「そ、そう、それでも危なくない? 落竜とかしなかった?」

「十頭ほど乗りましたが、ほぼ無かったです。皆気性の良い子ばかりだったので……」

「へ、へえ……あ、あちらが厩舎ね」

「はい、そうです」

 瑞穂が厩舎を指差す。炎仁が頷く。二人は白い三角屋根の建物に向かう。

「……なかなか綺麗にしてあるわね」

「掃除だけは牧場長が毎日欠かさず、倒れた日も……」

「ふむ……あら?」

 瑞穂が厩舎の端っこの竜房からひょこっと顔を覗かせるドラゴンを見つけて歩み寄る。

「これが牧場に残っている一頭です……名前は『イグニース』」

「イグニース、ラテン語で『炎』、竜体通りね」

「『炎竜』ですから、シンプルに名づけました」

 炎仁が手を伸ばし、竜房でおとなしく座っているイグニースの紅色の体を撫でながら言う。競争竜はその体色で『炎竜』や『水竜』などとカテゴライズされる。このイグニースは赤色系統の体色をしているため、炎竜である。

「……ほお、なかなか立派な血統ね。お父さんがあの大種牡竜(しゅぼりゅう)、お母さんは『グレンノメガミ』、GⅠこそ勝てなかったけど、優秀な競争成績を収めた名牝(めいひん)だったわね」

 瑞穂が竜房に掛けられているプレートを眺めて呟く。

「お詳しいんですね……」

「それはまあ……それが仕事ですもの……浅田君」

「はい……」

「うおっ!」

 いつの間にか茶髪の男が自分の背後に立っていたため、炎仁は驚く。それよりもさらに驚くことを瑞穂は話し始める。

「新たな生産・育成牧場を関東に増やしたかったから、やっぱりここはちょうど良いわ。ただ、施設が全体的に古いわね。一度全て取り壊してしまいましょう。その方向で進めて頂戴」

「分かりました」

「ええっ⁉ ちょ、ちょっと待って下さい!」

 炎仁が声を上げる。瑞穂と浅田が視線を向ける。

「どうしたの?」

「牧場を取り壊す? 差し押さえではなくてですか?」

「そうよ、差し押さえた上で取り壊すの」

「何の権限で⁉」

「聞いていなかった? この牧場の債務は全て撫子ファームが引き受けたの。お分かり?」

「そ、それは分かります……」

「つまり借金は私たちが肩代わりしたの。さらにしかるべき金額はそちらに支払うから、この『紅蓮牧場』の土地と権利を譲ってもらうわ」

「そ、そんな⁉」

 突然のことに炎仁が戸惑う。瑞穂が首を傾げて尋ねる。

「認められないかしら?」

「そ、そりゃあ……」

「じゃあ、貴方が支払えるの? おじいさんの遺した莫大な借金」

「ば、莫大な?」

「そう、莫大な」

「ぐっ……」

 炎仁は俯く。瑞穂は浅田に目配せする。浅田が尋ねる。

「瑞穂お嬢様、このドラゴンはどうしましょう?」

「そうね……当歳竜にしては体付きがしっかりしているわね。小柄ではあるけど……ひとまず茨城の方に移しましょうか」

「分かりました」

「ちょっと待った!」

 炎仁が叫ぶ。瑞穂がややウンザリした目で見つめる。

「今度は何?」

「そのドラゴンだけは……イグニースだけは渡せない! この牧場の希望だから!」

「お宝の次は希望ときたわね……そんなに思い入れあるの?」

「産卵から立ち会い、孵化の瞬間を見届け、馴致まで担当したドラゴンはそいつが初めてなんだ、思い入れがあるどころじゃない!」

「え? ちょっと待って! 当歳、0歳竜に馴致を行ったの⁉ 普通は一歳からよ⁉」

「早い生まれだからか、体付きがしっかりしてくるのが早かった。試しにやってみろってじいちゃんに言われて……やってみたら飲み込みが早く、すぐに慣れてくれた……俺のことを信頼してくれているのもあるんじゃないかともじいちゃんは言っていた……」

「……あれは?」

 瑞穂が厩舎の窓の外を指差す。炎仁が答える。

「一周1000mの調教用竜場です……」

「君、調教は?」

「え? 軽く歩かせてみたりは……走らせたのはちょっとだけです」

「レースの経験は?」

「あ、あるわけないですよ」

「スポーツ経験は?」

「サッカーでさいたま市の選抜に入ったことはあります……」

「ふむ……」

 瑞穂が腕を組んで考え込む。炎仁が尋ねる。

「あの……」

「これも何かの縁、レースで決めましょう。勝ったら牧場は貴方のもので良いわ」

「ええっ⁉ レース⁉」

「どうかしら?」

「……わ、分かりました! そのレース、受けて立ちます!」

「浅田君、ドラゴンの準備を」

「し、しかし、瑞穂お嬢様……」

「早くなさい」

「……分かりました」

 浅田が車の方へ向かう。炎仁が首を捻る。

「うん?」

「事務所を更衣室にさせてもらうわよ、OK?」

「もしかして貴女がレースに? あの男の人じゃなくて?」

「ふふっ、わたくしもまだまだのようね。これなら分かるかしら?」

 瑞穂が厩舎の壁にぶら下がっていたヘルメットを被って炎仁を見る。それを見た炎仁がハッとする。

「ああ⁉ じょ、女性トップジョッキーの一人、撫子瑞穂騎手⁉」

 炎仁はこの日一番の驚きを見せる。
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