オレと君以外

泉花凜 いずみ かりん

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第五章 「笑門来福」

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 その日、俺は史上最大級にたっぷりと時間をかけて身だしなみを整えた。自分で言うことではないが、背が高くてガタイのいい俺は、若者風のプリントがされたジャケットを一枚羽織るだけでかなり様になるのだが、そこで満足してはいけない。好きな人にはいつでもイケメン彼氏でいたい。カッコイイ演出に手を抜いてはいけないのだ。

 考えに考え抜いて選んだファッションを、千晃さんはどう評価するだろうか。彼のことだから絶対に優しい言葉をかけてくれるだろうけど、本音で「幸介くん、カッコイイよ」と言ってほしい。男心は繊細なのだ。

 待ち合わせ場所の『本道《ほんどう》駅』の中央口で千晃さんを待つ。恋人を待たせないのは男としてのマナーだぜ。

 地元の駅で遊ぶことにしたのは、千晃さんの体力に合わせてだ。無理して人混みの多い繁華街なんかにしたら、体の弱い千晃さんがいつ体調を崩すかわからない。彼の苦しむ姿はもう見たくない。ゆっくりくつろげる、ここが最高だ。二人で話し合って決めた。

 少しの間待っていると、ほどなくして千晃さんがやってきた。集合時間五分前。彼も律儀な人だな。

 と、思った矢先、俺は声を上げそうになるのを必死でこらえた。
 あまりに、可愛くて。綺麗で。天使みたいで。

 だって、見てくれよ。
 ちょっと聞いてよ奥さん。

 私服姿の千晃さん、一体何? どんな風に生まれついたらこんな品のいいファッションセンス身に着くの? 生まれながらの才能? じゃあ俺は生まれながらのボディガードにならなきゃな。

 千晃さんが着ている薄手のセーターは淡いクリーム色で、差し色に秋の季節にピッタリな濃い色のラインが入っている。下のスラックスは上の色にきちんと合わせていて、TPOも決まってる。俺の恋人ヤバくね? オシャレ過ぎじゃね? このさりげなさがいいんだよ、諸君。

「もう着いてたんだね。待たせちゃってごめんね」
「いやいや、今来たところだから!」

 大嘘をぶっこいて俺は余裕の決めた顔をひけらかした。骨抜きにされた心情がバレてないか心配である。
 千晃さんはにっこりと笑った。この人の笑顔が本当に好きだ。



 本日のデート内容は映画館にて映画鑑賞。何ともベタだけど、これなら千晃さんを歩き回らせなくて済むし、周りが暗いから誰かの視線を感じることもない。ストーリーは今流行ってるエンタメ路線ど真ん中の、青春スポ根物語。まったく怪しまれない作品をチョイスできる俺の采配を誰か褒めてくれ。

「幸介くん、何か飲む?」
「あ、ここは俺が」

 二人分の料金を支払い、俺はコーラ、千晃さんはアイスミルクティーを頼んだ。「払わせちゃって悪いね」と千晃さんは相変わらず通常運転なので、「俺に彼氏役させてくださいよ」と言ってやった。ポッと頬を赤らめた千晃さんは小さくうなずく。何この人、本当に天使なの?

 俺のキモい妄想を前に、連れ添って劇場内に入る。中は男友だち同士で来たグループや、女子グループ、推し活をしているらしきお姉さん方などが座っていて、俺たち二人は友人という風に映っているようだった。誰もこっちを見ず、仲間内で映画の始まりを待っている。居心地がよかった。

 隣り合って座り、予告上映を観ているうちに照明が落ちる。不思議と、この空間に俺と千晃さんしかいないような味わいを感じて、手を繋ぎたい衝動にかられた。

 でも、できなかった。真っ暗だから必要以上に構えることはないのに、俺は変わらず臆病だった。

 切ない気持ちを隠して、スクリーンに映し出される物語に集中力を向けた。



 上映時間は二時間以内に終了し、俺たちは近くのカフェで食事をとった。デートだからいつもの仲間とはファストフード店で済ますところを、がんばってランクアップしたのだ。「幸介くんにばかり無理させられないから、ランチは割り勘にしようか」と千晃さんが言うものだから、渋々従ったけど、本当は完璧な彼氏としてエスコートしたいのになあ。まあ、千晃さんだからしょうがないか。

 映画の感想を伝え合って、俺の言葉に柔らかく笑う千晃さんはすっごく可愛い。一緒にいるだけで、頬が緩むほどのまったりした愛しさが込み上げてくる。この人の魔法だな。

「あの主演俳優、何か千晃さんに似てね?」

 俺が言うと、

「えぇっ? あんなにカッコよくないよ!」

 千晃さんはあわてて否定した。でも、俺にとってああいうお顔のイケメン役者はみんな彼に当てはめて妄想しちゃうんだよなあ。だって俺、この人にベタ惚れだし。

 ストーリーの中心を務める主人公の性格は、大人しくて控えめで、あまり自己主張ができないながらも、夢中になっている趣味のためには勇気を奮い立たせる、意外と根性のあるやつだった。主人公はある日、スクールカースト上位の連中に自分の趣味を否定され、思わず教室の真ん中で彼らに怒鳴ってしまう。ハイカーストの連中は主人公に、「そんなに誇りに思うなら俺らの前で披露してみろ」と挑発を仕掛ける。

 主人公は逃げずに、言葉通り彼らの前で趣味を見せた。

 それは、黒板アートだった。

 今の学校ではホワイトボードが主流になりつつあって、黒板は教室の後ろに連絡事項の道具として飾ってあるだけか、それすらもなくなって完全に廃棄されるか、放置されているか、その程度の存在になっているのだが、主人公は、後ろの黒板でチョークを使った魔術のような絵画を描いてみせたのだった。

 スクリーン上に映し出される、主人公が描いた黒板アート。

 雷鳴がとどろきそうな暗雲の空から、天使が一人、降り立ってくる。その天使に向かって民衆が手を伸ばしていたり、地面に額づいていたり、ある者はうなだれるように泣いていたりとさまざまな反応を見せている。

 天使は、悪天候の空の中で真っ白に輝く翼を生やし、純白のドレスを着た、女神のようにも見える姿かたちだった。

 灰色に濁る空と、天使の神々しい色とのコントラスト。不協和音に思えながらも実は絶妙に合っているハーモニーのように、説得力を感じさせる威力。

 ファンタジックな絵柄なのに、どこかリアルに感じる、生身の十代の煮えたぎる生命力を全身で浴びるような、すごく不思議な絵だった。これを実際に描いた絵師の人はどんな人物なんだろうと、ちょっと興味を持った。

 ハイカースト連中はその日から露骨に主人公を侮ることはなくなり、代わりに頻繁に彼に話しかけるようになる。その中のリーダー格の男子が「あれってどうやって描くの?」と黒板アートの世界に興味を示すようになるのだ。彼が後に主人公の相棒役となって物語の重要なポジションに位置していく。

 主人公は、彼に技術作法を教え込んでいく。
 彼はどんどん上手くなっていく。

 主人公とハイカースト男子生徒との仲は急接近し、二人は相棒となっていくが、同時にアートの世界に身を投じていくにつれ、互いに絶対に負けたくないライバルとして競い合うようになっていく。友情と競争心をぶつけ合った末に二人がたどる結末は――。

「最後は不覚にも泣きそうになっちまったよ」

 俺が言うと、千晃さんは「僕も」と嬉しそうに返してくれる。

「青春って感じを全面に押し出してたよな」
「いい内容だったよね。今の僕たちにもどこか似ていて、共感したよ」

 朗らかに語る千晃さんは楽しそうで、俺は映画の内容よりも、彼が楽しそうにしてくれている状況が嬉しく、笑った。千晃さんもつられたように笑う。すげえ、カップルそのものだよ、今の俺ら。

 ――やっぱり、手を繋ぎたい。
 ――彼に触りたい。

 人がいる手前、そんな行動には出れない。わかっている。千晃さんを困らせたくない。相手を本当に大切に思っているからこそ、軽はずみな行為はしたくないんだ。

 しばらく他愛のない話題で盛り上がりながら、俺は心の片隅でフツフツと煮え立つ彼への欲情を必死にこらえていた。

 話も終わりになってきた頃、ふと千晃さんが席から立ち上がった。

「そろそろ出ようか、幸介くん」
「あ、ああ。……疲れちゃった?」
「ううん、そうじゃないんだ」

 はっきりと首を振る千晃さんに、もしかして俺の下心がバレたかとヒヤヒヤしたけど、その場は何事もなく収まり、割り勘で店を出る。

 半歩先を歩く恋人の背を追うのは、そういえば初めてだった。不思議な気持ちに浸っていると、声をかけられる。

「最後に、行きたいところがあって」
「え?」

 千晃さんは俺の方をチラッと振り返り、薄く微笑む。その顔は今まで見たどんな千晃さんよりも大人っぽく映った。

 何だろう、と俺が疑問符を浮かべているうちに、ごく自然な動作でそっと服の袖を引っ張られた。

「見せたい場所があるんだ」


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