オレと君以外

泉花凜 いずみ かりん

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第三章 「暗中模索」

1時限目

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 自室の天井をひたすらぼうっと見上げる。築年数がだいぶヤバイ分譲マンションの壁には、あちこちできたシミが増えてくる一方だ。まるで俺の心模様を表しているかのようで、ますます気分が沈む。

 季節は夏休みに入っていた。
 外にでも遊びに行こうかと思ったが、生憎いつもの仲間と戯れたいテンションでもない。あいつらと会ったら、気兼ねのなさゆえに愚痴モードになってしまう気がして、言わなくていいこともポロッと口に出してしまいそうな予感がした。

 あんなことの後だしな。

「……千晃さん、嫌がってたな」

 声に出して言ってしまうと、事態の深刻さが増した気がして、ただでさえ落ちているメンタルがさらにマイナス方向に寄った。もはや今の俺、地面にめり込んで地中深くに埋もれている。比喩でなく、本当に。マジで誰にも会いたくない。

 千晃さんの、あの表情が脳裏に焼きついて、離れない。
 目を見開いて、絶句したような顔。
 理解を超えたものを見るような――。

「……あんな顔しなくたって、いいじゃんか」

 正直、けっこう傷ついた。
 でも本当はわかっていた。悪いのは俺だ。

 彼が好きだと告げたのは「そういう意味」ではなかったこと。
 察していたのに、俺は欲望の方に従った。理性をぶっ壊して、彼を傷つけた。

 けど、俺の方も、同じように傷を負ったのに。

 ……被害者意識はみっともない。俺は小さい男だ。
 自己嫌悪で、つぶれそうになる。

 悩み過ぎてキャパオーバーだ。普段の自分の脳みそがいかに少ない容量なのか思い知ったところで、部屋のドアがノックされた。

 返事をする前に姉貴が出てきて「ご飯だよー。あんた家事手伝いなさいよ!」とまくし立てる。適当に返事をし、のろのろと食卓に向かった。

「でさあ、彼氏が無理やり私にキスしてきてー」

 食卓で発した姉貴の今日の出来事はまさにタイムリー過ぎて俺は卒倒しそうになった。お姉さん、タイミング良すぎじゃないですか?

「乱暴するのが男らしいとでも思ってんのかこの野郎! って怒鳴りつけてやったわ! ついでに股間も蹴ってやった!」

 ああ……、急所を容赦なく……。ご愁傷様です、名前も知らない彼氏さん。

 姉貴がいつも以上に「ありえないっつーの!」と強めの口調で彼氏を責め立てている。「彼氏」という単語を聞いた親父は、たちまち暗い顔になって生気を失っていった。こんな日に限って定時で上がらなくてもよかったんじゃね? うちの父親、どんだけタイミング悪いの?

 俺はおずおずと「強引なことをする男って、どう思うわけ……?」と聞く。

「どうって……、今時俺様かよ、時代錯誤も甚だしいっていうか、私の体に気安く触るな! 通報するぞコラァ! って脅して、訴えてやるね!」
「や、やっぱり裁判沙汰……?」

 冷や汗がダラダラ流れ、飯が喉を通らない。え、俺、これからどうなっちゃうの?

「マジ無理だから! ほんと、今日一日で愛情冷めたわー。さっさと別れてやる! 拒否権はなしで!」

 怒り心頭にまくし立てる姉貴に、「美幸《みゆき》はたくましいわねえ。心配いらないわ」と母さんが何とも楽観的な言葉をかけ、マイペースに食事をしている。

「あんたも気をつけなさいよ、今そういうの、問題になってんだからね?」

 急に注意が俺の方に向けられ、むせそうになった喉を根性で抑え込んで、

「き、気をつけてるに決まってるじゃないか」

 と覚えたての日本語みたいに嘘を言った。

 話題はあっという間に別の方向へ逸れていき、俺はビクビクしながら茶碗のご飯をかっ込んでいた。そして親父は生気のない瞳をしたまま虚ろに箸を口元に運んでいた。



 後日、俺は結局、冷房の効いたカラオケボックスに仲間たちを呼び出し、相談を持ち掛けた。密室なので他人に聞かれない、ありがたい場所だ。

 マイクの入ったカゴを隅に追いやり、千晃さんとの間で起きた一部始終を話すと、仲間たちは一斉に、

「バカか?」
「性欲ゴリラじゃん」
「訴えられたら裁判傍聴に行ってあげるね」

 容赦ない暴言をぶつけた。

「キャッシュバック! キャッシュバック! 俺が払ってるんだぞ、今日のカラオケ代!」

 カチンときて必死に喚くが、仲間たちはあきれ顔を隠さない。それどころか深いため息をついて、やれやれといった仕草をする。

「京って、女殴りそうだよね。見た目のイメージ的に。それだけでもうマイナス百万点くらいだからかなり不利なのに、手も早いから、将来は金にも女にもだらしない大人になると思うよ、きっと。がんばれ!」

 矢来が爽やかな笑みを浮かべて容赦なく毒づく。友だちに言う言葉? それ。

「救いようがねえじゃねえか! あと女は殴らねえし!」

 こいつらは俺を何だと思ってるんだ。人でなしみたいに言いやがって。

「八月のクソ暑い時に何かと思えば、お前の惚気《のろけ》話を聞かされたわけか、俺たちは」
「いや、飯田、俺は真剣に千晃さんとの付き合いに悩んでいてだな」

 必死に弁明しても、飯田はだるそうに首をかくだけである。こいつもこいつでドライな面があって、俺はちょっと悲しいんだが?

「今ちょうど宿題に追われてて、お前の相手をしてるヒマがないっていうのに来てやったんだぞ、俺たちは。文句ぐらい言わせろってんだ」

 飯田がすごむと某任侠映画の若頭並みに迫力が出る。今からでも俳優を目指せそうだ。もちろんそっち系の。

「でも、どうしようね? いろいろ手詰まりのまま時間だけが経っても、終わりが見えないし」
「そうだよ。矢来、いいこと言うなー」
「ううん、宿題の話だよ?」
「宿題!? 俺のためじゃなくて!?」
「自分の恋路は自分で何とかしな?」

 矢来よ、お前は鬼だ。

 三人は俺を放っておいて、あの問題がわからないだの、あの科目が難しいだの、勉強トークに花を咲かせ始める。
 不良が真面目に宿題やってるの、ウケるな。実はお前ら、悪ぶってるだけの品行方正くん? 変な場面で手を抜かないこいつらの心根の良さを痛感する。

「そういえば京、宿題は?」

 矢来がついでという感じに尋ねてくる。

「宿題なんてやるわけねえじゃん」

 俺は大仰に笑ってやった。宿題とかいう拷問は学生にとって毒だ。あんなもん制度で廃止になればいいのに。

「つまり、全然終わってないわけね」

 矢来がはっきりと指摘する。こいつは本当に痛いポイントを突くな。

「じゃあさー、手伝ってもらいなよ、それ」

 千代田が名案を思いついたかのような明るい声を出す。

「それ……って、まさか宿題?」

 素っ頓狂な反応を示す俺に、千代田は被せて提案する。

「他に何があんのさ。みんなで一緒に夏の課題を終わらせるっていう青春やろうぜ。そんで、後で二人きりにしてやるから、その時仲直りしな」

 俺のために一肌脱いでくれるというのか。さすが中学時代からの親友だ。こいつは時々、ごく自然な形で兄貴肌を見せてくれる。

「あざーっす! 千代田、恩に着るぜ! でも千晃さんの負担にならねえかな……?」
「あの人、先輩なんだから一年生の課題内容なんか楽勝だろ。しかも山吹高校のやつだし」

 千代田はハハッと笑いながらフライドポテトをつまんで咀嚼する。それも俺の金なんだけどね。

「水ノ宮学園の頭脳だからなー、確かに朝飯前だわな」

 飯田も応える。ジョッキみたいなでかいグラスの中のジュースをがぶ飲みしながら。あのね、それ、俺の金ね。

「じゃ、LINE送るから」

 千代田がさっさとスマホに指を走らせて、千晃さんにメッセージを送った。俺の心の準備、気遣ってくれる? 君。

 後はもうお開きと言わんばかりに、仲間たちは残りの時間をカラオケ歌唱に使った。高速で曲を入れる千代田、意外に渋い声で音程よく歌いこなす飯田、ノリのいい曲を入れて愛嬌を振りまく矢来は、少々マイペースながらも俺を励ますかのようにテンションを上げてくれた。持つべきものは心の友だ。だいぶ強引だけど。


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