オレと君以外

泉花凜 いずみ かりん

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第二章 「波乱万丈」

2時限目

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 例の場所へ戻ってみたけれど、スマホはなかった。マジでどこ落としたんだろう。

 教室に入り、飯田と矢来に事情を説明した。二人とも、千代田とまったく同じ反応を示す。

「何で京はそういうドジ踏むかなあ……」

 矢来が、がっくりと肩を落とすと同様に、飯田もあきれ半分、苦笑い半分の微笑みを浮かべて頬をかく。毎度すみませんね。

「心当たりは……なさそうだな、お前の場合」

 飯田はさもありなんといった感じで断定した。

「ちょ、待てコラ、飯田。見当はついてるっての!」

 あわてて言い訳し、先を促す飯田に、今朝のムカつく上級生二人のことを話した。

「絶対あいつらが盗んだに違いないぜ」
「まあ、まだ決まったわけじゃないけど、要注意だね」

 矢来が顎に手を当て、何やら考え込む。

「で、京の財布の中には何が入ってるの? いちばん見られて困るものは?」

 矢来の質問を受け、俺は普段持ち歩いている財布の中身を思い出すが……、ええと、いざ聞かれるとなかなか出てこないな……。

「見られて困るもの……。ポイントカードと、ネカフェの会員カードと、後どっかに期限迫ってたクオカードがあったな……」
「いらねーもんばっかじゃんか」

 千代田、その口閉じろ。

「お札はどれだけ入ってたの?」

 矢来が重大な要点を思い出させてくれる。そうだ、俺の金、盗まれるじゃん! 絶対!

「とりあえず怪しい拠点は片っ端から潰すぜ!」

 俺は周りの制止も聞かずに、急いで廊下を走って階段を上に上った。




 後ろから千代田がついて来ていた。「サンキュー」と前を向いたまま礼を言い、意気揚々と敵地に乗り込む。クラスは仲間からの情報で把握済みだ。

 二年の教室は、俺らのところよりもさらに不良の度合いの濃さが違った。何か、どんよりとした吹き溜まりの空気が、まるで排気ガスみたいに漂っている感覚がした。何だこの教室。ちゃんと換気してんのか。なぜこんなに風通しが悪そうなんだろう?

 真っ先にクラスのボス二人、筑摩と竹が俺たちを見つけ、敵対心を全開にして近づいてくる。

「はっ! 今さら反省して謝りに来たのか、一年坊主?」

 筑摩が見下すように顔を歪めて口の端を上げ、腹が立ったので、

「そんなわけねえじゃん。自意識過剰」

 俺は言い返してやった。
 千代田は注意深く筑摩たち二年生の反応をうかがっている。

「何の用だよコラ。格下の相手できるほど暇持て余してねえんだよ」

 筑摩が睨みを利かせるが、背も肉体の厚みも俺の方が少し勝っている。他の男子だったら怖気づいて逃げ出すだろうが、迫力では俺だって負けてねえ。堂々とこっちも凄《すご》んでやった。

「俺の財布がなくなった」
「あ? それが俺らと何の関係があんだよ」
「金なくなったんだ。かわいそー」

 筑摩の返しに竹が便乗して俺を嘲笑する。動じずに、見解を述べる。

「お前らがスッたと踏んでる」
「てめえ、俺らをスリだと思いてえのか!」

 筑摩が怒鳴った。教室内は敵のアジトよろしく上級生の戦闘態勢モードに満ち始めている。

「だってさあ、俺に絡んできたっしょ? それにこの展開でしょ? お前らどう見ても怪しいじゃん」
「絡まれたのはこっちなんだがな?」

 竹が半ば瞳孔の開きかかったキレた瞳をちらつかせる。後輩に威圧的な態度しか見せられない男ってイヤですね。

「俺らが犯人だっていう証拠もねえくせに、人権侵害だっつーの」

 竹は煽るように嫌味な口調を乗せて、俺と千代田を見下ろす。背は高いが細くてひょろ長いこの男は、圧というよりも蛇に似た毒を感じさせる、不気味な空気を持っていると思った。

「まあ、確かにそうだね。京、もう一度思い出して。こいつらに絡まれる前、財布は確かにポケットの中にあった?」

 千代田が間を取り持つが、不良二人は「だから絡んだのはそっちだろうが!」と己の主張を覆さない。厄介な性格だ。

「財布はポケットにきちんとあった。確かだ。……うん、そう」
「何だよ、その歯切れの悪さは」

 竹が心底忌々しく吐き捨てた。

「もういいよ、竹。面倒くせえから二人まとめて半殺しな?」

 筑摩はどうにも短気なタイプらしいな。さっそく殺気を高めて俺と千代田に標的を定める。

 証拠がない状態で正面から突っかかるのは、確かに無謀だったけど、でも他に疑いようがない。上級生二人から放たれる、俺らへの悪意というか、毒素というか、負のエネルギーが半端ないし、こっちと話し合いをする意思が感じられねえ。普段から人と殴《や》り合うことしか考えてないんだろう。

 力ずくで財布を奪い返すしか方法はないとわかっていた。これはほんの挨拶だ。最近動けてないし、なまっていた肉体を覚醒させるいい機会である。

 俺はあえてわざとらしいニヒルな笑みを口元に浮かべ、筑摩たちを挑発する。

 かかってこいや。
 と、俺が某プロレスラーよろしく決め台詞を放とうとしたその瞬間。

 ブー、ブー、と、上着の内ポケットに入れてあるスマホがいきなり振動した。電話の鳴り方だった。

「うおっ、何だ!?」

 仲間はここにいるし、誰からだろう? 親?

 表示画面を見て、仰天する。

 愛しの音羽千晃さんの名前が出ていた。

「うおおおおっ!? 何が起こった!?」

 ムカムカしていたはずの心臓は今や嬉しい悲鳴でバクバクしている。俺の単純な心臓。でも大事な心臓。

「い、いきなりどうしたのかな千晃さん、もしや緊急事態で俺以外に頼れる人がいなくてSOSを出したのか、それとも恋の駆け引きなんて技を俺にやっているとか、いやでも……!」
「早く電話出ろよ」

 千代田が冷徹な一言を下す。そんなにピシャリと言い放つなよ。

「あと、いい加減ポケットに大事なものしまうなよ」

 連続して千代田からの痛いお叱り。そうは言ってもね、ついつい便利でね?
 努めて冷静に聞こえるよう、通話をタップし、声のトーンを低くして「はい」とイケボ感を出す。

「あ、もしもし、幸介くん?」

 受話器口から伝わる、加工が少し加わった千晃さんの甘いテノールの声。聞き惚れたら最後、爽やかな朝に聞こえる小鳥のさえずりの幻が見えるようになる。今の俺みたいにな。実際の小鳥ってめっちゃうるせえけど。

「はい、俺です! ど、どうしたんっすか? 何かあった……?」

 余裕のある男の感じを出したかったのに、大失敗だ。俺は動揺しまくりで、声が若干上ずっていた。残念な男この上ない。

「実はね、落とし物を学校前のバスの停留所で拾ったんだけど、これ、幸介くんの財布じゃないのかなって思ったんだ」
「……え、千晃さんが拾ってくれたんすか?」
「あ、やっぱり幸介くん、財布落としちゃったんだ」

 千晃さんは安心したように声の温度をやわらげた。

「僕は今日、いつもより遅い時間に登校だったから、すれ違っちゃったね。警察に届けようとしたんだけど、学校まで時間がないし、近くに交番もないから、とりあえず持っておいたんだ。ごめんね、財布の中身を見るつもりはなかったんだけど、偶然、学生証が目に入っちゃって。黒髪だったけど、この顔は幸介くんかなって見当がついて、名前のら欄を見たら、やっぱりそうだった」

 俺は顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。あれ、入学式のわずか数日後に撮らされた証明写真じゃん! 黒髪時代の俺なんて見せたくなかったわ。マジあの時、垢抜けてなくてだせえもん。

「それならこの話教えてあげますよー。京は新一年生の中でいちばん先にピンク髪にイメチェンしたんすよ。そんで当然、教師に叱られまくったけど、その時ぶつけた台詞が『男は放っておいても年取ったら禿げる。今のうちに髪染めてオシャレしないでどうすんだ!』って。カッコイイつもりで言い放ったんだろうけど、わけわかんない決め台詞っすよねー」
「千代田! お前、ちょっとここに直れ!」
「嫌だよー」

 俺と千代田が揉めてる間に千晃さんの「じゃあ、いつ持っていったらいいかな? 君たちの学校は普通に登校日? 授業が全部終わったらまた連絡してくれる?」と流ちょうな段取りが聞こえてくる。

「はい、もちろんです! 山吹高校に来てくれませんか!? 教師には言っておくんで! 俺、待ってます!」
「ありがとう。先生に預けて、後は頼むこともできたんだけど、せっかくだから僕が直接渡したくて」

 ち、千晃さん、あんた、何て嬉しい言葉を言ってくれるんだ。今朝の分のイライラがあっという間に消し飛んでしまった。

 会話をいくらか交わし、電話を切る。

 とにかく一件落着だ。変なやつに盗まれてなくてよかった。拾ってくれたのが千晃さんなんて、運命が味方し過ぎてるだろ。

「そういうことだ。邪魔したな」

 俺は筑摩と竹の野郎に向かい合って吐き捨てるように言ってやった。

「いや何でお前が偉そうなんだよ! そこは誤解してしまってごめんなさいじゃねえのかこのクソガキ!」

 筑摩が半ギレみたいな状態で俺に掴みかかろうとし、ヒョイッと避ける。

「てめえ、一度痛い目に遭わないと反省しなさそうだな!」

 竹の方が俊敏な動きで俺の懐に一撃を入れようとした時、千代田の反射神経が発揮された。

 竹の足技をすぐさま見破って、軽やかな威嚇攻撃を入れたのだった。つまり、蹴りを蹴りで相殺した。

 驚く相手に、千代田は眉一つ動かさずニコリと笑う。

「うちの相棒が礼儀なってなくてすみません。後でちゃんと指導しておきますんで、今日のところは勘弁してやってください」

 丁寧な言葉づかいで、有無を言わせぬ圧を放つ。目が獲物を射るような鋭さで光り、視界に映る人間すべてを固まらせる。こいつは高校生になっても実力が衰えてなくてすげえな。さすがは俺の親友。

 ギロリと、二人の上級生が俺らをにらむけど、それ以上は突っかかろうとしなかった。俺は千代田と一緒に颯爽と教室を出ていく。

 去り際、筑摩のドスの利いた声が降って来たけど、余裕で無視してやった。

「……後で道歩けなくさせてやる」

 何とも雑魚ボス感が否めない台詞だ。

 鼻を鳴らし、後ろを一切振り向かず、俺と千代田は一年のクラスに引き返した。


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