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本編

55【完】

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 久しぶりに三人でどこかへ出かけないかと言い出したのはシークだった。今日は天気もいいことだしと言った彼に賛成したのは、最近ゆったりと家族の時間を取ることができなかったからだ。
 仕事で忙しく城にほとんど泊り込んでいた彼は一昨日ようやく一区切りがついたとかで昨日はゆっくり休んでおり、明日はゼノの相手をたくさんしてやると寝る前に言っていた。
「ならピクニックに行きたいです!」
「ピクニックか。いいな、それならグレゼ湖畔まで行くか?今日は少し暑いがあそこなら涼めるだろう」
「いいですね!お母様もいいでしょう?」
「えぇ。楽しみね」
 嬉しそうなゼノにメイドたちも顔が綻ぶのを隠そうとしない。最近の屋敷の空気はとても良くて、おかげで女主人としていろいろやらなければいけないカレンも助かっていた。
「それではピクニックの準備をいたしますね、奥様」
「そうね。お願い」
「お父様、僕の馬も連れていっていいですか?」
「ポニーか?そういえば随分乗り慣らしたんだったか」
 ゼノが誕生日に馬に乗りたいと言ってシークに買ってもらった小さなポニーをどうやら随分気に入っているらしく、餌や毛並みを整える世話はもちろん、体調が悪いと聞けば厩舎に泊まり込もうとするものだから困っている。
「グレゼなら少し遠いからポニーは置いていきましょう」
 それに何より、遠出して体調を崩そうものならまた泣き喚いていっしょにいる世話をすると騒ぐゼノを部屋に戻すのが大変だ。
「それもそうだな。ゼノ、今日はやめておこう。今度近場へ行く時に連れて行けばいい」
「でも……」
「だが特別に、あっちに着いたら俺の馬に一緒に乗せてやろう」
「本当ですか!?」
「あなた、危なくはありませんか?」
「大丈夫だろう、手綱は俺が握る」
 それなら大丈夫かと頷く。久しぶりの遠出だからか、ゼノは見るからに浮かれている。

 しかしどうやら浮かれていたのはゼノだけではなかったようで、私も動きやすいながらも地味ではない服を選ぶのにかなりの時間がかかってしまったのは内緒だ。




「とても綺麗な場所ですね」
「そうだろう。いつか君と来たいと思っていたんだ」
 微笑むシークになんだか心が落ち着かなくて、水辺でメイドたちと遊んでいるゼノに手を振る。
「お疲れだったでしょう。無理なさらないでくださいね」
「気にしないでくれ、昨日ゆっくり休んだしな」
「ずっとご多忙だったのに一日寝たくらいじゃ身体が追い付きませんわ」
「それでも部屋で寝ているより君とここに来られた方が俺にとっては嬉しい」
 そう言いながらとても自然に私の手を包むように握った夫は、反対の手をゼノに向かって振る。そこでようやく私たちに気付いたゼノが大きく手を振って水を散らし、メイドから悲鳴のような高い声が上がった。
「彼を引き止めなくて良かったのか?」
 夫の言うそれがアレクのことだと分かって笑う。
「えぇ。もうあの人は自由ですから」
「ゼノが随分悲しんだと聞いた。とても懐いていたからな」
「大丈夫ですよ」
 たしかに悲しんではいたけれど数日経てばけろりとして、それどころか忙しくて家に帰れないあなたを探してさらに泣いていたのだから。
「彼がまた旅に出ると聞いたとき、本当は君も行ってしまうんじゃないかと思ったんだ」
「……私が?どうしてですか?」
「俺といるよりもずっと魅力的だろう」
 ──呆れてしまった。ああまで言ったのに、まさかこの人はまだ伝わっていなかったのだろうか。
 しかしながらあの後まともに話すタイミングもなかったので仕方がないのかもしれない。
 一度認めてしまえば口に出すのはとても簡単なことだった。
「私にはあの人との旅路よりもあなたの妻でいることの方がずっと魅力的でしたから」
「……え、それは」
「わかりませんか?私は今、あなたと同じ気持ちだと言っているんです」
 ゆっくり顔を上げて隣を見る。普段はあんなに生真面目な空気を纏っているのに、今この瞬間はそんなこと微塵も感じさせず、目を丸くして耳まで赤くなっていた。
「カレン、それはつまり」
「旦那様、──シーク様。あなたを愛しています」
 狭くて暗い私の世界に踏み込んできた人。打算から始まった結婚生活だったけれど、気付けば私にとってなにより失いたくないものへと変わっていた。
「あなたがとても好きみたいなんです」
 多分はじまりは、あなたの懐の深さを知ったとき。それはアレクのことよりずっと前、ゼノに家庭教師をつけると言った時から。
「だから、これからもあなたの妻でいさせてください」
「もちろん、そうしてくれ」
 耐えきれないというように瞳を揺らす彼に手を広げてみれば勢いよく抱きしめられた。誰かの胸の中がこんなにも落ち着くものだと、以前は知らなかった。

 愛の形はたくさんあるけれどきっと型枠通りにはまるものはひとつもなくて、歪ながらもそれぞれが納得する形に収めようとしているのだと思う。
 この先にまたなにか変わることがあるかもしれない。それでも今この瞬間、この人の隣にいることを幸せだと思う気持ちは、きっと変わらない。

 木漏れ陽の差す湖のほとりで、私はこれ以上ない幸せを感じたのだった。

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