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本編

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「まあ待て。少し私の話を聞け、別になんてことのない話だから」
 腰を下ろすなり何から話すかと頭をかいたおじ様に、来ると決めた時からずっと考えていたアレクのことを話そうと口を開いた。けれどそれを察したのだろう、少し前とおじ様は眉を下げた。
「兄さんは元気か?」
「兄さん?あ……お父様ですか?えぇ、それなりに元気だと思いますけれど」
「そうか。この前に追い返されてから会いに行けていなくてな。今回のことも……いつもならおめでとうと祝いの手紙をくれるのに何もなかった。よほど怒っているらしい」
 カレンが驚いたのは父が今回のことで怒っていることではない。いつもならおめでとうと、それはおじ様がなにか功績を立てた時のことを言っているのだろう。父がそういったことに対する祝いをおじ様に送っていたことなど今まで一度も知らなかった。
「城内で会っても無視されたのには堪えたな。一度は謝罪文を送ったが謝る相手が違うだろうと手紙ごと返却されてしまった」
「そ、そうなのですか?」
 アレクに謝罪のひとつもないのに父に謝罪するとはいったいどういうことか分からないが、どうやら私は今まで大きな勘違いをしていたのかもしれない。
「おじ様はお父様がお嫌いなのかと」
「なに?どうしてだ?」
「だって……」
 父がいたからあなたは幼なくしてブラックリード伯爵家の養子になったから。私の実家であるクラスローズ侯爵家を喉から手が出るほど欲しがっているのを見ると、父が邪魔でたまらなかったのではと考えていたのだ。
「何故そんな考えになったのかは知らんが、私は兄さんを心から尊敬している。……私たちの父は子どもごとに無関心だったからな、お互いが唯一の理解者で支えだったというのもあるが」
「子どもごとに無関心って、お父様やおじ様も同じではありませんか」
「なっ……そ、そんなことはない!私たちはいつだってお前たちのことを案じて……」
「私たちのことをいつ考えてくださったのですか?アレクのことをあんな目に遭わせて!とても親のすることではないでしょう……!」
 鉄臭い血の匂いと、手に触れた生ぬるい裂傷。あんなのは親が子どもにすることではない。
「そうだな。お前のいう通りだ」
「ならどうして!」
「だが私はそれしか知らなかった。本当に愚かなことだ」
 何を馬鹿なことをと眉を寄せた私は絶句することしかできなかった。なんの躊躇いもなくシャツを脱いだおじ様の背中から肩にかけて、肉が抉られたような古い傷跡が残っていたからだ。
「私は昔から器量が良くなくてな、他の子どもよりも覚えが遅く剣術にも長けなかった。私を引き取ったことが恥だと、成績が出るたびに酷い折檻を受けたものだ」
「そ、そんなこと、誰から」
「養父だ。……私は今の妻と結婚をしたが、お前の夫のように寄り添うような良い男ではなかった。せめて子どもには自分のような辛い目に遭わせないように──そう思っていたはずなのにな。アレクに特別な才能があると分かったら同じことをしてしまった。まったく愚か者だ、お前もそう思うだろう」
「……痛みを知っていてアレクに同じ目に遭わせるなんてとても理解できません」
「いっそあいつが私の言うことを聞いてくれたらと何度も思ったよ。ステューのようにな。まあステューは私の言うことを聞いているわけではなく、私がくたばるのを大人しく待っているだけだろうが」
「そう思うのならどうして」
 どうしてそこまで分かっているのならやり直せないのだろう。こんなことになるまで同じことを繰り返したのだろう。アレクが逃げた時に、そのままにしてやればよかったのに。
「……おじ様がなにを思って反省なさっていてもアレクを返すことはできません。もう彼にも会わないでほしいと私は思っています」
「それがいいだろうな」
「随分……あっさり引き下がるのですね。夫にはしつこく食い下がったと聞きましたが」
 こんなことを言うのはよくないけれど拍子抜けだ。もっと激しい言い争いになるかと思っていた。
「アレクは若い頃の私によく似ている。あの日……お前たちがあいつを助けた日、鏡に映った私の姿が養父と重なって見えて驚いたものだ。人間とは愚かだな、同じことをするまいと思っていたはずなのにな」
 言い訳にもならないがとおじ様はようやく吹っ切れたように笑った。
「あの子を私から守ってやってくれ。あれは私にはあまりに出来すぎた息子で、私が喉から手が出るほど欲しかったものを軽々と手にして見せるから、私はやはりあれを手の中に収めていたいと思ってしまう」
「子どもはあなたの道具じゃありません」
「ああそうだ。そんなことは頭では分かっているんだ」
 それでもそうするのは私には容易なことではないと眉を下げるその人はまるで憑き物が落ちたようで。
「お前をステューの妻にしようとしたのは、負の連鎖が終わるかと思ったからだ。自分が愛した相手がそばにいたら、その子どもも正しく愛せるだろうと思ったが……お前にはあいつでは不足だったようだな」
「──彼が悪かったのではありません」
 私の自分勝手な感情が彼を振り回した、そんなことに気が付くだけでもこんなに時間がかかってしまった。
「私が言うことではないかもしれませんが、アレクとの関係はもう容易に修復できるものではないと思います。ですがおじ様、ステューとはそうではないでしょう?」
 私はもうステューとどうにかなれることはないけれど、おじ様はちゃんと親子でいるのだから。
「どうかアレクと同じ過ちをあの人にまで犯さないでくださいね。……私が言えたことではありませんが」
 元に戻らないことはあっても、形次第ではこれからどうにだってなれる。
 そう思えるのは今だからだ。シークと結婚して、心の通わない時期があって、けれど今がある。
 何故だか今とても、あの人の腕の中に抱かれたくなった。私が正面から愛していると言ったらあの人はどんな顔をするだろう。
「愛し方はきっとひとつじゃありませんよ」
 今の私はアレクに抱いていたのと似た感情をシークに抱いている。けれどそれは決して同じではなくて、そもそもの性質が違うのだと思う。
 それはとても難しいことで、だからこの人もこんなに間違えたのだろうけれど、考えすぎる割にはすごく安直なものである気がした。
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