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本編
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しおりを挟む鏡の前に立って自分の姿を見る。深い紅のドレスに黒いショールをまとい、派手すぎない程度に宝石を身に付けるその姿にメイドたちがほうっと息を吐いた。
「とてもお綺麗です、奥様」
「そう…?少し派手じゃないかしら」
いつもより大人びた色の口紅をさしたのは気合を入れるためだった。
夫婦揃って出席すると返事したブラックリード伯爵家──おじ様の屋敷でのパーティーに、私は支度が進むほど落ち着かない心地になる。
「いいえ、大変お似合いです。旦那様はもう部屋の前でお待ちのようです」
「あら……待たせてしまったわね」
お守りのようにアレクから貰ったブレスレットを腕に付けて私は部屋を出る。扉の前にいた夫のシークがこちらを見て微笑んだ。
「旦那様。お待たせして申し訳ありません」
「そんなに待っていない。…とても綺麗で驚いた」
「ありがとうございます、旦那様も…とても素敵です」
元々顔もスタイルも良い人だけれど、いつもはサラサラと落ちる前髪がセットされてピシッと上がっているせいで、いつもよりもよく目が合う気がする。
「行こうか」
「えぇ」
頷いて夫から差し出された手を取った時、廊下の奥から名前を呼ばれた。
「カレン。もう出るのか」
「アレク…」
その顔色はやはり悪い。昨夜も食事があまり喉を通らなかったようだし、私よりもずっと緊張しているのが窺えた。
「本当に行くのか?」
「えぇ」
「…やっぱり心配だ。お前に何かあったら」
「大丈夫よ。いくらおじ様でも他の人がいるのに大っぴらに騒いだりしないわよ、それに旦那様もいるもの」
だから何も心配するなと微笑んだカレンに、隣にいたシークも頷いて口を開いた。
「カレンは俺が守る。それにこうして赴くのも今回限りだ、今日で話が済めば君も自由に動けるようになるだろう。何も心配しなくていい」
「──わかった。すまない、俺のせいで」
「気にするな。妻の大切な友人だ、俺が力になれることがあるならそれほど嬉しいことはない」
シークの言葉にアレクもほんの少し気が楽になったのか、いつものふざけた調子で「良い旦那捕まえたじゃないか」と軽口を叩いていた。
「ああは言ったが、この前行った時のことを考えると今日まともに話ができるとも思えない。…どうしたものか」
馬車に乗り込んですぐ、シークが案じるようにぼやきながら窓の外を眺めた。以前話にならなかったことは聞いていたが、たしかに今回カレンがいたところで話が進みそうにないことは想像にたやすかった。
「おかしな話だ。もう成人した息子で家も出ているのなら好きにさせてやればいいのに」
「──えぇ本当に」
アレクは何もおかしなことを言っていない。自立して、実家の金や地位に頼ることもなく自分の生き方を確立させていた。それを無理に連れ戻して自分の手駒にしようとするあの男がおかしいのだ。
「それほどまでに執着するものか。もちろん自分の子どもが離れて行くことを考えると寂しいが、それも立派な成長だろう。子どもの成長を喜ばない親がこの国の教育の功労者とは」
「…実のところ私もよく分からないのです。どうしておじ様がああまでアレクに執着するのか…父に聞いたところであの通りですから」
自分は関わり合いになりたくないだなんて、いつも肝心なところで逃げる卑怯なお父様。
「はじめは君の実家が欲しかっただけなのだろう?」
「そのはずですけれど…」
「まぁ…地位や金や名声だけが欲しい人間なら話は簡単に転ぶのだが、それ以外となると難しいものだ」
「──といいますと…?」
「少なくともブラックリード伯爵が欲しいのはそんなものではなさそうだ。全て十分なほど自分の手にあるだろうし、跡取りの息子だっている。ほら…弟の、ステュー・ブラックリードだったか?この前すれ違ったが……そういえばそちらとも顔見知りなのか」
不意打ちのように出てきたステューの名前に胸のあたりがぐっと締め付けられたような感覚になる。
「えぇ。……けれど昔に仲違いをしてしまって以来そのままですから、仲直りできると良いのですが……」
あの日言ったことは全て本心で、けれど今までそれに囚われ続けて私のいう通りに顔を見せなかったステューに確かな罪悪感が芽生えていた。
全て私が身勝手なせいだ。そのくせ謝ることで今更その罪悪感をどうにかしようとしている。
ただ今のまま何も変わらないでいるよりは、私だけが全てを忘れて幸せになるよりは、彼を解放することがせめてもの贖罪になる気がした。
やがて馬車が緩やかなスピードに変わり御者の声がかかる。
「着いたようだな。…行こうか」
夫から差し伸べられたその手を取ったカレンは、ひとつ決意をしたようにキュッと口を結び車を降りたのだった。
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