夫に離縁が切り出せません

えんどう

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 ステューとの婚約が確実なものとなったある夜、誰かが私の部屋の窓を叩いた。
「……アレク、あなた」
 そこに立っていたのはもう半年以上も顔を見ることが出来なかったアレクだった。
 けれど身体中は血まみれで、服には沢山のガラスの破片が付いていた。
「どうして」
「時間がない。そのまま聞いてくれ」
 手当のために人を呼ぼうとした私を制止した彼は顔にも沢山の切り傷があって、最後に見た日よりも顔色も悪かった。
「家を抜け出してきたんだ。今頃使用人達が探し回ってると思う」
「アレク」
「もっと早く会いに来れたら良かったんだけどさ。…さっき使用人が話してるのを聞いたんだ、お前とステューが婚約すること」
「それはお父様が」
「俺、カレンと結婚しないでいいならこの家出るな」
 何でもないように放たれた言葉に私は意味が分からず「は?」と口に出した。
「俺がこの家に縛られてたのってお前のことがあるからだし。それがないなら、もういいだろ」
 もういいって、なにが?私たちにはここにしか居場所がないのに、ここに囚われるしかないのに。
「──ずっと後悔していたことがあるの」
 どうしてだか私はその時に言わねばならぬ気がした。
「貴方に、大丈夫って、嘘をつかせたこと」
 その言葉にアレクは大きく瞳を開いた。覚えていたのか、と小さく呟いて。
「なぁ、カレン、ごめんな。俺本当は、もうとっくに大丈夫じゃないんだ」
「アレク」
「…許してくれ」
 いつの間にか随分と大きくなった手が私の頭を撫でた。その時、ノックもなしに私の部屋の扉が開いた。
「──なにをしている?」
 声に振り返れば、ステューが立っていた。慌てて窓を振り向けばもうアレクはいなくて、まるで夢だったのかと思うほど、そこに彼がいた痕跡はなにも残っていなかった。
「…ノックもなしに勝手に人の部屋に入ってくるなんて」
「婚約者になるんだからいいだろう。窓を開けて何をしている?」
「何をしていても貴方には関係のないことだわ」
「兄貴が家を抜け出した。すごい有様だったぜ、部屋の窓ガラスに体当たりしたらしい。今そこらかしこを使用人が駆けずり回ってるぜ」
「そう」
「…驚いた様子も見せないんだな?」
 ズカズカと人の部屋に入ってきたステューは私を押しのけて窓の外を確認した。けれどそこには人っ子ひとり居はしない。
「どこに隠した?」
「なんのことか分からないわ」
 少しは心配するそぶりも見せればよかったな、と自分の頭の回転の遅さにため息が出た。
「それよりももう遅いの、変な噂が立つ前に出て行って」
「ハッ、そのベッドに兄貴を引きずり込んでたような女が言うことじゃねぇな!」
 すぐに追い出そうと思ったカレンだったが、あまり賢くのない頭で考えた。ステューは恐らくアレクがここに来たことに勘付いているだろうし、アレクは恐らくまだこの近くにいるだろう。少しでも引き止めた方が良いだろうかと思い至ったが私は彼とまともな話などしたことはない。会えばいつだって嫌味の応酬だ。
「なぁに、貴方もしかして彼のお下がりが欲しかったの?」
 ただほんの少しの時間稼ぎのつもりだった。くすくすと笑った私は、すぐに自分が言ったことを後悔した。
 ステューの顔が見たこともないほどに歪んで、それがアレクが泣きそうな時にそっくりだったから。
「…お前なんか嫌いだ」
 小さく呟いて部屋を出て行ったステューは、私よりも歳下なのに。
 自分の心の狭さと、妬みと、僻みと、羨望と、とにかく色んな感情が混ざり合った。

 次の日、叔父が朝一番に我が家に乗り込んできた。
 その隣にはステューもいて、その目は私への憎さで満ちていた。
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