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本編
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しおりを挟む「奥様、お手紙が来ております」
昼下がり、ゼノと同じ部屋で相変わらず本を読んで時間を潰していた私に手紙が差し出された。
差出人の記載のないその封筒は無地で、それが彼──アレクであることはすぐに分かった。
「ありがとう」
受け取った封筒は存外軽く、けれど中に何か厚みのあるものが入っているようだ。
手紙と共に渡されたペーパーナイフで封を切れば、中の便箋と共に鍵が滑り落ちてくる。
[来月には帰る。鍵は好きに使え]
それだけ書かれた便箋にため息を吐いてしまう。旅に出るとは言っていたが、私が思っていたよりも随分早かったようだ。
せめてもう一度くらい会いに行けたら良かったが仕方ない。
「奥様、お知り合いの方からですか?」
「え?えぇ、そうよ」
今までメイドから声をかけられたことが無いだけに驚いたけれど、別に疾しいことがある訳でもないので至って冷静に返す。
毎度旅に出ると手紙を寄越した時は共に鍵も同封されている。何となく疲れた時や一人になりたい時に上手く屋敷を抜け出してアレクの部屋に入り浸るけれど、この前から屋敷の使用人の目が何となく多い気がして、とてもこっそり出て行くなんて出来そうになかった。
いつかアレクと異国の地を気ままに回りたいなんて思っていたのが遠い昔のようだ。
「…子供って意外と大人しいのね」
ふと零した私にメイドが首を振る。
「坊っちゃまが落ち着いておられるだけかと」
「…そう」
子供には母親が居なくては、なんてよく言うけれど、この子には私など必要ないのではないだろうか。
そもそも母親として育てる覚悟もないまま、全てをこの屋敷に置いて消えるつもりでこの子を産んだのだ。今更どんな顔をして母だと話しかけられよう。
(私は冷たいのかしら)
じいっと無言でこちらを見つめる赤ん坊を可愛いとすら思えない。愛情も湧かない。
いつからこんな人間になってしまったのだろう。
昔はもう少し、マシだった気がするのだけれど。
「おかえりなさいませ」
いつもより随分と遅い帰宅をしたシークはべろべろに酔っ払って、その身体を支えていたのは身なりからして恐らく娼館の女だった。
「夜分遅くに失礼致します。シーク様がとても歩ける状態ではありませんでしたので送らせて頂きました」
高級娼館の者はそれなりに教養があると聞いていたが、どうやら本当だったらしい。
綺麗な黒髪をたなびかせた女性が綺麗な声で彼の名を呼んだ。
「…カレン…」
泥酔していても顔の見分けはつくらしい。よたよたとこちらへ歩いてきた彼の酒臭さに思わず顔を引攣らせてしまう。
「旦那様、先にお風呂に入られた方がよろしいかと」
「カレン」
私の言葉など聞こえていないのか、よく分からない笑い声を漏らしながら抱き着いてくる彼に少しばかり怒りも湧いた。こちらは貴方が帰ってきたからと眠りに就いていたのを起こされたのに、何を考えているのだろうか。
「旦那様」
少し冷たい声で身体を離せば、彼を連れてきた女がこちらに笑いかけた。
「貴女が噂の奥方様でしたのね。シーク様の昔馴染みのエレナと申します。早く帰られた方がよろしいと勧めたのですが、帰りたくないと仰って」
くすくすと笑う彼女に気付く。初めからあった違和感、これは確かな敵意だ。
「…そうですか」
勝手に敵対視されるのはこの人の婚約者にされた時から慣れているけれど、迷惑極まりないものだ。
「遅くなる時は連絡を頂けた方がこちらも遅くに出迎える必要が無くなるので助かるのですけれどね」
「──まぁ、お冷たいんですね。私なら彼に何かあったのではないかと心配で居ても立っても居られませんわ」
冷たい?私が?
遅くに起こされ出迎えてみれば娼館の女と腕を組んでいた男を心配して待てと言うのか。
(…どうして私はこんなに苛立っているの?)
もう分からない。けれど、この感情は宜しくない。
「何故、私が心配する必要があるのかしら」
「な、何故って、」
「貴女にはお分かりにならないかもしれませんけれど、貴族の結婚は家同士の繋がりです。そこに愛なんてありませんわ」
諭すようで自分に言い聞かせるその言葉に、目の前の女は真っ赤な顔をした。
「けれども跡取りとなるご子息はもうお生まれになりましたよね?でしたら離縁しても何もおかしいことは無いかと思いますけれど」
正直な話、私はこの女が愛人でも恋人でも後妻になろうが何でも構わない。
ただ嫌な事実に気が付いてしまった。それは、シークの気まぐれの愛の言葉に傾いていた自分がいたことだ。
「…貴女が何を知ってどう思っているのかは知らないけれど」
眠さも相まって、すぐそばにシークがいるという事実も忘れて口にしてしまった。
「家の為に、好きでもない人と結婚して子供を産んだのよ。これ以上私に何を求めるのかしら」
「っ…シーク様が可哀想だわ!」
「意味が分からないわね。そんなに言うのなら、貴女がこの人と結婚すればいいじゃない。息子は置いて行くわよ」
なんて冷たい人なの、なんて、そんな絶望感たっぷりに呟かなくてもいいじゃない。
信じられないと首を振った彼女がさっさと玄関を出て行ってしまった。
残ったのは使用人達の微妙な沈黙と、何か言いたげなシークと、何故か急に醒めてしまった眠気だけだった。
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