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 私──カレンが今の夫であるシーク・ラストハート公爵に初めて抱いたのは期待だった。
 若い令嬢の憧れの的であった彼の、政略的なものではあるが婚約者候補となったことに、私は少なからず期待と希望を抱いていた。
 初めての顔合わせの日に彼が言ったのはたった一言。
「シーク・ラストハートだ」
 その名前だけ。それだけを言って、残りの時間を彼はひたすら無言で過ごした。
 私がどんな話題を投げても答えることはなく、面倒臭そうに目を背けただけだった。仕方がないので一人でひたすらに話していたけれど、ついに別れの挨拶まで彼は言葉を発しなかった。
 恐らく私が気に入らなかったのだろう、破談になると思った話は何故か続行され、気が付けば婚約者となり、気が付けば夫婦になっていたのだが。


「おかえりなさいませ、旦那様」
 どんなに遅くなっても出迎える私に、彼はただいまの一言もない。結婚して半年も経てば、もう諦めてしまった。何にも期待をしなくなった。
 こんな時間まで何をしていたかなんて容易に想像がつく。大方はと会っていたのだろう。いっそ泊まってきてくれたら出迎えずに済むのに、なんて考えてしまう。
「お食事の用意が出来ておりますのでどうぞ。申し訳ありませんが私は先に休みます。おやすみなさいませ」
 最後に声を聞いたのは半年前の挙式の挨拶の言葉。最後に会話を求めたのは四ヶ月前。最後に共に食事をしたのは三ヶ月前。最後に身体を重ねたのは二ヶ月前で、愛人がいたことを知ったのはつい先月のことだった。
 別に愛人がいるのは貴族の間では普通だし、殆どが政略結婚の私たちが夫婦仲良いことなど滅多にない。
 だから別に愛人がいるのは構わないけれど、それならせめて自己申告しておくべきだろうとカレンは思った。既に心を通わせる相手がいるのなら不必要な会話はしなくて良いのに、と。
 カレンは愛人がいたわけではないが、別にシークを愛しているわけでもない。
 外に愛人を作ろうが夫として、公爵としてあるべき立ち振る舞いをしてくれるのならばカレンが口を出すことはない。

 シークが日に日に帰る時間が遅くなり、度々何も言わずに外泊するようになった頃、カレンの妊娠が判明した。

 カレンは喜んだ。
 もしこの子が男ならば、私はようやくこの息の詰まる生活から逃れられるのか──と。
 後継さえ産んでしまえば私は社交以外に不要になる。その社交も別に私でなくとも出来る。言い方は悪いが別に愛してもいない人の子供を手放すのを惜しいとは思えない。それならばいっそ離縁をしてしまい、後妻として愛人を嫁がせれば良いのではと考えたのだ。
 そうと決まれば善は急げ、早速離縁届を取り寄せた私は出産の日を心待ちにしていた。

 そして迎えたその日、私は出血多量で死の淵を彷徨った。

 目を覚ませば、そこには。
「カレンっ…!よかった、よかった…!」
 真っ赤な目から流した涙で顔をぐちゃぐちゃにした、無口で無表情なはずの夫が、何故か私の手を握って泣いていた。
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