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プロローグ

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 シャルロット・エヴァンカ公爵令嬢を知らぬ者は誰もいなかった。
 雪のような真っ白な肌、林檎のような艶やかな唇、蕩けそうなほど大きな深い緑色の瞳、薔薇のように赤くほてった頬、そして絹の糸のように美しい金の──縦ロール。それは見事な縦ロールであった。
 そんな縦ロールを揺らした彼女に、彼女の婚約者であるセルヴィン・アークローム公爵は言った。
「君を愛することはない。これは政略結婚だ、余計なものを求めてくれるな」
 為すべきことが多くまともに眠れてもいないというセルヴィンを思っての言葉に何故だか彼はそう返した。まさか少しは休んではどうかという問いかけを『私にかまえ』と言っているように聞こえたのだろうか。
 ただそんな風に冷たく突き放されても私がさしてダメージを受けなかったのは、そんなことはとうの昔に分かっていたからだろうか。
 何度も婚約者として歩み寄ろうとしたけれど全てを拒否された。
 この婚約は家同士の決めたものではあったけれど、彼は知らないかも分からないが決めたのは私だ。数あるエヴァンカ公爵家に有益な男の中から、唯一、私が好意的に思っていたセルヴィンを選んだのだ。
 時折社交界で目にしたどこか憂うようなその瞳がこちらに向けばいいのにと、その感情が恋なのかどうかは分からなかったけれど分からなくてよかったとも思う。
 もし好きな人だったら、こんなふうに冷たく突き放されて平気でいられたはずがないから。
「君が勝手に恋人を作ろうが勝手だが子どもだけは作ってくれるなよ。まぁ君をそんな対象に見る者がいればよっぽど趣味が悪いのだと思うが…。…それからそばに居られると香水臭くて敵わないし不愉快だ、さっさと出て行ってくれ。用もないのにそばに居られるのは迷惑だ」

 そんなやり取りから数ヶ月、結婚を前に控えたその間、私たちは一度たりとて会うことはなかった。
 一応連絡はしたもののドレスも何もかも勝手に好きにやればいいと返事が来たから、本当に一眼も見ることはなかったのだ。
 きっと結婚生活もこんなものだろう。所詮貴族の結婚に愛など求めてはいけないと分かっていたはずなのにどうしてこうも虚しくなったのか、シャルロットは自分でも不思議だった。

「お嬢様、とてもお美しいです。王子様もそう思われませんか?」
 式場の鏡の前で感嘆の息を漏らしたのは幼い頃から世話をしてくれたメイドのハンナと、幼馴染みでありこの国オスカル王国の第二王子であるエリックだ。
「あぁ、とても美しい。やっぱりお前はもっと早くに縦ロールをやめるべきだった」
「あらお言葉ねエリック、さすがに良い加減子供っぽいかと思っていてやめるきっかけを探していたのだけれど……っと…これからはこの話し方も改めなければならないのかしら」
 いくら幼馴染みで親しいといえど公爵夫人となる者が王子を呼び捨てになどしてはいけない。
「そんなこと気にするな。どうせお前の旦那なんてお前に興味が無いんだから何しようが口出しもしないだろ」
「…そうかもしれないけれど、そういう問題じゃないわ」
 あまりにも直球に言うものだから苦笑を浮かべることしか出来なかった。
「大人しく俺の妻に収まってれば少なくともそんな顔はさせなかったと思うが?式の前に花嫁の顔すら見にこない男なんて今からでも捨ててしまえ」
 吐き捨てるように告げたエリックは一束だけ私の髪を掴んで口付けた。
「それでもお前が選ぶのはあの男なんだろう、どこが良いのかは知らんが。…結婚おめでとうシャル、どうかお前は幸せになってくれ。それだけが俺の願いだ」
「ありがとうエリック。貴方が来てくれて、本当に嬉しかった」
 でなければ式が始まるまでの間すら話す相手はハンナしか居なかっただろう。まるでこれから始まる結婚生活のような静けさを壊してくれたことは感謝してもし尽くせない。

 身内と、それから利権の絡んだ招待客の拍手で私は開いた扉の向こうへと顔を上げた。先に神父の前に立っていたセルヴィンの顔はよく見えないけれど、何故だか招待客がざわりと澱んだ。
 まさかシャルロット本人もベールの下で揺れたストレートのロングヘアで何かが変わるとも思わなかったのだが。
「…セルヴィン様?」
 今考えても、彼の──夫の視線がおかしくなったのはこの日からだと私は思う。

 まさか縦ロールをやめた程度でその冷たかった瞳が甘ったるく熔けそうなものになるだなんてシャルロットは思いもしなかったのである。

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