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終章 送り火

おしょらいさん

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 今日はお盆の八月十四日。毎年この日は朝から祖父の家にお参りにいく。そして、みんなでお昼を食べるのが恒例となっている。
 まだまだ暑さが弱まる気配はなく、朝からゆうに気温は三十度を超えていて、暑さに弱い母はタクシーを呼んだ。

 祖父宅につくと、雅恵さんが出迎えてくれ、祖父は仏間で白川の大伯母の相手をしていると言われた。佳代ちゃんはまだ仕事から帰ってないようだ。
 
白川の大伯母と聞いただけで、気分が盛り下がる。祖父の姉なのだが、何かと口うるさくこの家の事に口を出してくる。重い足どりで、仏間に向かう。廊下を歩いていると、大伯母の甲高い声が聞こえてきた。

「華子ちゃんはどうするつもりなん? 別居なんて世間体の悪い事続けて」

 母は歩みをぴたりと止めた。怖々窺うと、その表情には何も浮かんではいなかった。

「まあいろいろ、考えてるんやと思うけど」

 祖父はおざなりな声で、答える。さすがの祖父もこの姉には頭があがらない。
 私と母が何事もなかったように、仏間にはいると、大伯母もニコリと笑って、

「いやー久しぶり。美月ちゃんもべっぴんになって、ますます華子ちゃんそっくりやな」
 舌の根も乾かぬうちに、愛想良く言う。さすがいけずな京都のおばちゃん。

「ご無沙汰してます。伯母さん」
 母がうやうやしく頭を下げる。二人で、おしょらいさん(ご先祖さん)をお迎えした、仏壇にお参りをした。

 仏壇には蓮の葉の上に、すいかやなすび、きゅうりにぶどうなどのお供えがおかれている。ちいさなお膳もあがっていた。
 鴨居にずらりと並んだ遺影を見上げる。セピア色の私の知らないご先祖様達。その端に祖母の笑った顔がご先祖様として並んでいた。

 祖母に対する思慕が今まで通りかというと嘘になる。でも、母のように憎んでいる訳でもない。諦めと、懐かしさそして少しの嫌悪が入り混じった複雑な感情。こんな感情も、この写真のように美しい記憶だけを残し、どんどんセピア色に染まっていくのだろうか。

 お線香をあげて、振り向き大伯母に向かいあう。待ってましたとばかりに、話しだした。

「さっきも言うてたんやけど、華子ちゃんいいかげん、離婚してこの家に帰ってきたらどない? あんたも大病して体も丈夫やないんやし」

 母が半年入院していた時、親戚には婦人科系の病気と知らせてあった。もちろん私が虐待されていたなんて、誰も知らない。

「今日は、おしょらいさんも帰ってはるからちょうどええわ。この家の事もはっきりしとかんと。私ももう年や、来年ここにお参りに来れるかどうかわからへんし」
 全然大丈夫でしょう。憎まれっ子世にはばかるって言うし。

「私もこの年になって、心残りはこの家の後継ぎや。佳代子ちゃんはちっとも結婚せえへんし、このままやったらどうなんのこの家は。由緒ある北川家が絶えるなんて、私の目が黒いうちは許しまへん」
 大伯母は居住まいを正し、母をみすえる。

「華子ちゃんがこの家継いで、美月ちゃんに婿養子とったらええんとちがいますか」
 何言ってんのこの人。あまりの事に思考回路が停止した。

「姉さん、いきなり何言うてるんや。美月はまだ高校生やで」
「どこがおかしいん。華子ちゃんかて二十で婚約者決めたやないの。美月ちゃんもう十八やろ」

 そう言って、ちらりと母を見た。あんたが素直に婚約者と結婚してたら、こんな事にはならへんかった、と責めるような目だ。母は、針のむしろのようなこの状況の中、無表情に下を向いていた。

「今から離婚の話し合いして、北川家に籍もどし。それから婚約したらええタイミングや。隠居(分家)の将太君覚えてるか? あの子たしか今大学二年やし、美月ちゃんとちょうど合うわ。たしかええ大学いってましたで。話は早い方がええ。美月ちゃんに悪い虫がつく前に進めよこの話」

 私の意志などまったく尊重されず、どんどん話が勝手に進んでいく。このままでは、見知らぬその将太君とやらと結婚させられる。

 ここで、私には心に決めた人がってドラマみたいに言った方がいいのだろうか? でも、心に決めた人って先生なんだけど、結婚なんて今の私には想像さえできない。

「伯母さんに心配してもらわんでも、私が結婚して、この家を継ぎます」

 その突然ふってわいたドスのきいた声で、我にかえる。廊下を見ると、佳代ちゃんが仁王立ちで大伯母を睨みつけていた。もちろん顔は憤怒の表情。

「佳代子ちゃん、そんなん言うてもあんた去年は、結婚する気ないて、言うてましたやろ」

 一瞬大伯母は狐につままれたような顔をしていたが、さすが京都のおばちゃん仁王様にひるまない。

「去年は去年の話です。もう結婚も約束してるし、婿養子の話も了承してもらってます」

 そうだった。佳代ちゃんは高藤さんと結婚を決めていたんだ。あまりの話の展開についていけず、その事実は頭からぶっとんでいた。

「どこの誰やのその相手さん。しっかりした素姓の人なんやろな?」
「父の会社の高藤さんです」

 それまで、はらはらと大伯母と佳代ちゃんの応酬を見ていただけの祖父が、急に色めきたった。遅いよ。

「なんや、高藤くんと付きおうとったんか?わしが紹介した後、何にも言わへんから、あかんかったと思てたのに」 

「なんで三十すぎて、親に付き合う事いちいち報告しなあかんの」
「そうかそうか、高藤君やったら何にも心配いらへんわ。安心して姉さん。これで北川家も安泰や」 

 無邪気に喜んでいる祖父に大伯母は、冷たい視線を送った。まだ納得しきれない部分があるようだが、一応この話をひっこめた。

「ほな、佳代子ちゃん結婚するなら、はよ進めてや、なんせ私は明日も知れぬ身やしな」
 大伯母は、母の方に膝を進めた。

「それから華子ちゃん、あんたもええかげんけじめつけなさい。このままで、ええとは自分でも思てへんやろ? 静子さんかて、あんたの事一番心残りやったはずや。今あの世から帰って来たはるうちに、安心させたげ」

 そんな事を言われると、祖母が今のやりとりを聞いていたようで、思わず遺影を見上げた。
 なんやかんやで、この大伯母は煙たがられるけど、嫌われてはいないのだ。 

 母は薄く笑い。「わかりました」とだけ答えていた。
 大伯母はそれからすぐに帰った。嵐の去った後の静けさの中、脱力感を抱えながら精進料理をいただいた。

 祖父は終始上機嫌で、昼間からお酒を飲んでいた。
「佳代子すぐにでも、高藤君と結婚したらどうや? わしも、はよもう一人孫がほしいわ」

 だから、言うの嫌やってん。とぶつぶつ文句を言いつつ、佳代ちゃんは酔っぱらいを適当にいなしていた。
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