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第四章 七夕月

オープンキャンパス

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 予備校は、夏期講習がはじまりほぼ毎日通うようになった。一日美術づけ。夜は学科の勉強。まさに、なんのお楽しみもない受験生の夏が始まった。集中力はなくても、私はこの流れにのっかっている。流されるまま。

 ―おはよう、今日はオープンキャンパスの日だから忘れないようにね。

 七月の最終日曜日、朝から先生のメールで起こされた。
 のそのそと起き出し、支度を済ませ朝食を食べずに出かけた。

 家から一歩足を踏み出すと、暑い熱気に圧迫された。駅に近付くにつれ、植物園の緑の森から、けたたましい蝉の声が大音量で鳴り響く。

 地下鉄で京都駅まで行き、そこから市バスに乗り換え、四〇分ほど西へ向かう。西京区にある京美大のキャンパスは、京都の中心からはずれたところに位置している。

 広大な土地にグランドやテニスコート、講義棟,講堂、アトリエ棟などの施設が立ち並んでいた。緑も多く植えられていて、白い外壁に、濃い緑の葉を茂らせている木々がよく映える。解放感があり、とても気持ちのいい空間。

 去年まで先生もここに通っていたのかと、ふと思い。その影を目でおう。
 講堂では、全体の説明会が行われていた。広い講堂内はほぼ受験生で埋まっており、空いている席に腰をおろした。

 あまりキョロキョロできないので、そっと周りを見回すと、年齢に幅がある事に気がついた。京美大は何浪しても受ける人がいるそうで、ひげを生やして、もはやおじさんのような風貌の人もいる。美術系、志望なだけあり、とても個性的なファッションの人が多い。

 壇上ではスクリーンを使って、入試説明や授業内容の説明など、ほぼ事務的な説明が続いていた。それらの説明が終わると、ギャラリーへ移動するよう指示された。移動中、ふいに声をかけられ、立ち止まった。

「君、今日一人できたん? 俺と一緒にまわらへん?」

 髪が茶色で、赤いフレーム眼鏡をかけた男の人に声をかけられた。オープンキャンパスでナンパ?

 ナンパされる時は、たいがい砂羽ちゃんといっしょなので、自分で断った事がない。一人の時は、無視してやりすごすのだけど、もし来年の四月にお互い受かってここでまた顔を会わせたらと考えると、あんまりな断り方もできない。どう対処すればいいか悩んでいると。

「この子私といっしょに来たんや。ごめんな」
 と、偶然私の横を歩いていた女の人が助け船を出してくれた。個性的な男性は、ちょっと残念そうな顔をして足早にさっていった。

 助けてくれたのは、髪はベリーショート、こんがり小麦色に焼けていて、海が似合いそうな健康的な女の子だった。

「自分、気ないんやったらさっさと断らな。気もたしたら相手つけあがんで。こんなとこでナンパなんて、何考えとんねん」

「ありがとうございました。どう断っていいかわからなくて」
 彼女の迫力に圧倒されながらも、なんとかお礼を言った。

「私、大島朱里、大阪の高校生、デザイン科志望よろしく。よかったら、いっしょにまわろか? 自分なんか心配やわ」

 そう言って、真夏の太陽みたいに明るく笑った。この面倒見のよさと、ノリは砂羽ちゃんに通じるものがある。

「そうしてもらえると助かります。私一人で心ぼそかったから。京都の高校生で日本画志望の有賀美月です。よろしくお願いします」
 ふかぶか頭を下げたら、また笑われた。

「おない(同級生)やろ? 敬語使わんでも、タメでいいやん。ほな、行こう美月ちゃん」

 たとえ年下でも、初対面の人とは敬語でしゃべる私。大島さんの人懐こい感じは到底私はまねできないけど、全然嫌な気分にはならなかった。

 大島さんにひっぱられる勢いで、ギャラリーにむかった。ギャラリーでは、実技の基礎講座の授業風景の映像が流れ、学生の作品が展示されていた。

 デッサンなどの絵はもちろん、オブジェやプリントされたTシャツ、クラゲみたいなドレス、謎の発行体まで、さまざまなジャンルの展示品。会場中、色と奇想天外な立体であふれている。

「うわーすごいな、おもちゃ箱みたいやん。でも、すっごく楽しそう。デッサン見た? めっちゃうまいな、さすが京美大の学生やわ。私デッサン苦手やねん。美月ちゃんは?」

「私はデッサンより、立体が苦手。粘土ってどう表現していいか、わからへん」
「人それぞれ、得意不得意あんねんな。私は、立体好きやで。余計な事考えんと粘土ひねったらええねん」

「そう言われたら、すごく気楽な気分で粘土にむかえそう。何時も、苦手意識が先にたって身構えてるから。今度、大島さんのアドバイス通りしてみるわ」

 大島さんの独特の解説を聞きながら、一つ一つ作品を見ていった。とても楽しくて、笑いをこらえるのに苦労した。

 大学ってこんなに楽しいところなんだ。
 高校とは、同じ型にはめこみ、大人が無理やり画一化した空間だ。その中に押し込められると、窒息しそうになる。

 私は、いやというほど自分のいびつさをみせつけられた。楽しそうな同級生の顔が私を笑う。虐待された子なんて、あんただけよって。そう思うたび、自分の卑しさに吐きそうなった。

 気付けば朝食を抜いてきたので、空腹感ががまんの限界まできていた。時間を確認しようと、携帯を見たら、メールがきていた。
 ―学食の、日替わりランチ安くておいしいよ

「お腹すかへん? よかったらいっしょに食べよか?」

 大島さんを誘って学食にいき、二人で昼食をとった。
 先生おすすめの日替わりランチは五〇〇円、すごく安い。
 お腹も満たされ、蝉に悪態をついていた事なんてすっかり忘れ、大島さんに聞いた。

「お昼からどうする? 専攻別にアトリエ見学があるみたいやけど」
「私今日夕方から予備校あるから、デザインのアトリエ見学したら帰るわ」

 私は予備校もなかったので、二人でデザイン科のアトリエにむかった。
 アトリエは、高校の教室二個分ほどの広い真っ白な空間で、デザイン科の学生の作品が理路整然と展示されていた。さきほどのギャラリーのおもちゃ箱のようなにぎやかさとは対照的だった。

 大島さんと作品を見ていると、遠くの方から聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。
 森田さんだった。

「今日来るとは思ってたけど、デザインにも足を運んでくれるなんて、うれしいな。日本画からデザインに変えたとか?」

「違います。お友達がデザイン志望なだけです」
 大島さんは私と森田さんを交互に見比べ、森田さんを指さして言った。

「彼氏?」
「そうそう、有賀さんの彼氏候補の森田です。ここの二回生よろしく」
 あわてて否定する。
「違います。予備校でお世話になってるアルバイトの先生です」

 どんどん話がおかしな方向にむかいそうだったので、強引に話を終わらせた。
「森田さん、今日お手伝いなんですか?」
「そう、ただで手伝わされてるんだよ。俺の作品も見ていって。有賀さんなんか元気そうで安心した」

 そう言って森田さんは、屈託なく笑った。
 私達について森田さんがうろうろしていると、「こら森田、さぼんな」の声ですごすご持ち場へ帰っていった。

 その姿を見て、大島さんと二人、お腹をかかえて笑った。
 こんなに笑ったの、久しぶり。
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