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第一章 花残月

俺にも言い分がある

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 俺は一人、職員室の机に向かい、大きくため息をついた。

 女子高の美術教師になると、大学の友人に言うとみな一様にうらやましがった。しかし、そんなうらやましいものではない事が、すぐに判明した。女子高生にとって若い男性教師など、愛玩物にすぎない。

 どこへ行くにも人がむらがり、何をしてもかわいいとしか言われず。まるでパンダにでもなった気分がした。パンダは人語を理解しないので心も傷つかないだろうが、俺は深く傷ついた。

 あのギラギラと値踏みするような視線。クスクス笑い。あからさまな幼い誘惑。
 同年齢の男の視線と言う物が存在しないこの空間で、彼女たちはどこまでも奔放にふるまう。男に人権はないのだ。

 しかし、そんな事はどうでもよくなる事態が発生した。
 桜の下で一目ぼれした彼女に、ここで再開したのだ。喜ぶべきか、悲しむべきか。

                 *

 次の日の朝、さっそく砂羽ちゃんが近付いてきた。昨日から何回かメッセージはきていたけど、はぐらかしていた。

「どうやった新任の先生。かっこよかった?」
「そうでもない」
 私は昨日の気分をまだ引きずりつつ、突き放したように言う。

「なんで、怒ってるん?」
 さすが砂羽ちゃんするどい。

「昼休みにじっくり聞くわ」
 ニヤリと笑って席についた。

                *

 昼休み、また桜の下で昨日の事を報告。桜はもう満開を過ぎていて、豪勢に濃いピンク色の花びらを、あたり一面まき散らしていた。
 絵描きさんが先生だったと言ったあたりから、砂羽ちゃんは不機嫌になった。

「ほんまに、ナンパ男やったん?」

 砂羽ちゃんにすごまれて、私はたじたじだったけど、
「ほんま。人の顔を覚えるの得意やし。絵を描くのって観察が大事や、おばあちゃんが言うてたから」
 と、きっぱり答えた。

「そしたら、もうその先生に近付かんとき」
 なんでそんな展開になるのか、にぶい私はさっぱりわからず、反論した。

「昨日は仲良くなれって言ってたやん」
「もー言うたやろ。下心のある男に近付くなって。ナンパ男は、あんたに一目ぼれしたんや」

「えっ、違うよ」
「誰が聞いてもそう思うわ。美月が恋愛に興味持つのは大賛成や。たとえ相手が教師でも、片思いする分にはいい。でも、先生が美月の事を好きなら話は別。恋愛ビギナーの美月がいきなり、教師と生徒なんてハードル高い恋愛したらこけるに決まってるやろ!」

「一目ぼれされたって言うけど、私に気付きもしなかったんやで」
「あほやなぁ、気付いてるに決まってるやん。わざと、気付かんふりしてんの」

「なんで?」
「ゆさぶりをかけてんねん。まんまとそのゆさぶりに、美月はひっかかってん。げんに、自分に気づかんかったって、うじうじしてたやろ」

 なるほど。自分ではさっぱり理解できない感情を、砂羽ちゃんに解説してもらってようやくわかった。でも、素朴な疑問がわいたので、聞いてみた。

「でも、普通片思いの方が、つらいんやないの?」 

「そら両思いの相手が、どこぞのあほ男子校やったら話は簡単。でも、相手が教師で、両思いになったって喜んでられる? 美月が卒業するまで指一本ふれられんし、学校ではひたかくしに、隠さなあかん。外で会ってても何時なん時みつかるかわからん。付き合ってるのがばれただけで免職やろな。健康な二十代の男がたえられるわけない! いずれそのうち、別れる事になる。それで泣くのは美月やで。私は美月に幸せな恋愛してほしいねん」

 長いセリフをよどみなく、最後は鬼気迫るいきおいだった。
 ちなみに、あほ男子校というのは、この女子高の近くにある男子校。そこの生徒と付き合っている女の子達が多いのだ。

「砂羽ちゃん、心配してくれてありがとう。でも、こんなひねくれもんで暗い子、好きになる人いるわけないやん。誰にも相手にされず、一生独身やって」

 風が吹き花びらが私の頭上に舞い降りる。一呼吸おいて、力強く言った。
「私は恋なんかしない」
 砂羽ちゃんは何も言わず、私の髪についた花びらを指でつまみ、にぎりつぶした。

                 *

 あれから、二回ほどあったクラブの時間。言いつけ通り、遠くから眺めるだけ。というよりも、先生の周りには生徒達が何時もむらがっているので、近付く事さえ容易ではない。

「すごいなーみんな積極的で」
 島田さんがスケッチブックから目だけをのぞかせ、こっそり言う。

 私も女子生徒に囲まれた先生を、ちらりとうかがう。クラブの時間と言っても文化祭の展示制作以外は、基本好きな事をしていい。幽霊部員の方たちも好きな事をしているのだろう。

 スケッチブックを広げ、お気に入りのフランスのポストカードを模写していた。私は興味のなさをアピールするように、冷たく言う。

「島田さんも、お近づきになればいいやん」
「えーそんなんしたら、彼氏に悪いし」
 私はその発言に虚をつかれ、持っていた鉛筆を落としそうになった。

「彼氏いるん?」
「うん、洛東高校の人」
 砂羽ちゃんが言っていた、あほ男子校だ。

「でも、こないだはかっこいいって目がハートになってたやん」

「目がハートってうけるー有賀さん。彼氏がいたってイケメン見て、喜ぶのは普通や。アイドルみたいなもんやん。先生に群がってる子達の中にも、彼氏いる子いんで。みんな女子高にふいにあらわれた王子さまに舞い上がってるんよ。夢と現実は別ってわかってるって。先生に本気になったってつらいだけやし」
 島田さんも砂羽ちゃんと同じ事を言う。

「突然やけど、有賀さんつきあってる人いる? あんな、彼氏の友達に、有賀さんの事紹介してって催促されてんねん。有賀さん、洛東高校では美人で有名なんやて」

 みんな私を見て、美人だのきれいだのと外見のことばかり言う。それをいわれる度、私の中の小さな子供が悲鳴をあげ、暴れ出す。

「冗談やろ。私とつきあいたい人なんていいひんよ」
 私は暗い顔で吐き捨てるように言う。島田さんは目をむいて言った。

「本気で言ってんの? そんなけ美人やのに。もったいない」
 島田さんの言葉を無視して、

「とにかく今は受験で頭いっぱい。明日の放課後、進路相談があるねん」
 とそれらしい言い訳をいっておいた。

「そっかー有賀さん美大受験するんやったな。えらいわ。ここの大学やったら楽にいけるのに。彼氏の友達にはそう言って断っとく。ごめんな、いらん事言うて」

 普通で汚れのない島田さんの素直な返答に、私のちっぽけな良心がキリリと痛んだ。
 
                   *

 職員室でパソコンに向かい仕事をしていたが、頭は彼女の事でいっぱいだった。
 桜の下で一目ぼれした彼女。今までいろんな女の子に、一目ぼれですって言われ告白された。言われる度,鼻白んだ。外見だけかよって。

 まさかバカにしていた一目ぼれを自分がするとは、夢にも思わなかった。いや、夢を見ていたのかもしれない。

 あの時声をかけられ、見上げると彼女がもやに包まれたっていた。俺との距離をもやが遠ざける。
 長い真っすぐな髪を胸までたらし、恐ろしく整った顔。二重の大きいややつり上がり気味の目が、俺を冷たく見下ろしていた。

 静けさをたたえたその立ち姿は、どこかかなしく見えた。なぜそう思うのか、わからない。男は訳のわからないものにひかれる、そういう生き物だ。
 その訳のわからなさに、導かれ、次の日も同時刻、上賀茂神社に行った俺は、ただのあほだ。
 
今彼女は職員室で、進路指導を受けているようだ。職員室に入って来た瞬間わかった。彼女の周りだけ空気が違う。恋するものの繰り言だが。

 彼女がこっちに、向かってくる。なぜだ。盗み見していたのがばれないように、パソコンの画面に集中した。
 俺の後ろで立ちどまる。意識しすぎて鳥肌が立つ。かっこ悪い。なかなか声をかけない。かけるなら早くかけてくれ。

 俺はがまんできず、自分から声をかけた。何かようですか? と言い、振り返る。彼女は一瞬言葉を濁す。俺と上賀茂神社で会ったのを思いだしたのだろうか?

「先生の眼鏡は伊達眼鏡ですか?」
 彼女の口から出たのは、意表をつく質問だった。

「眼鏡越しに見えるパソコンの文字が、ゆがんでなかったので」
 俺は平静を装う。

「よくわかったね。このレンズ、パソコンの画面から出るブルーライトをカットするコーティングがしてあるんだよ。目の疲れがだいぶ違うから」
 便利な眼鏡があるんですね、とだけ彼女は言った。

 この伊達眼鏡は校長からの指示でかけている。赴任の挨拶で、はじめて校長に会った時、眼鏡をかけろ、地味なかっこをしろ、髪を短くきれと言われた。
 新学期の準備で忙しく、髪を切ったのは彼女と会ったあの後だ。出勤前に知り合いに頼んで切ってもらった。

「私三年一組の有賀美月です。美術大学進学希望なので、真壁先生に進路相談にのってもらうよう、担任の木谷先生に言われて来ました」

 先輩の女性教師に目線をむけると、手をふって、よろしくと声にならない声で言われた。
 俺はパソコンを閉じ、眼鏡を押し上げつつ彼女の方に向き直り、感情を押し殺す。

「有賀さんは、美術部だったよね。絵は本格的に習った事、ありますか?」
「ありません。今から受験準備始めても遅いですか?」
 彼女は不安を隠すような冷たい声で言う。

「まだ、四月だからたぶん大丈夫。志望校の目星はだいたいついてますか?」
「京都美術大学をめざしています」

 京美大は俺の母校だ。全国的にもレベルが高い美大と言われている。
 俺は腕組みをしてあごに手をあて考えるポーズをとった。これ以上彼女と接点を持ちたくない、これ以上。

「来週、月曜日の放課後、有賀さんの絵を見たいので、デッサンを描いたスケッチブックを持って美術準備室に来てください。私も資料を用意しておきますから。それと、親御さんには美大受験の話はしてますか?」

 彼女はだまりこむ。俺は続けて言った。
「美大は普通の文系大学とくらべて、学費が高いから、一応ご両親に自分の希望をはっきり言っておいた方がいいと思ったので。では、来週の月曜日に」

 彼女はうつむきながらわかりましたと一言いい、出口へ向かう。その後ろ姿はもやに包まれていた。

 美術室で感じた彼女の異質さ。彼女は確かに大勢の生徒の中、そこに座っているのに、手をのばしてもふれられない。何物も寄せ付けない、やわらかな拒絶。
 俺の心をざわつかせた。
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