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A面「サヨナラ、二月のララバイ」
雪の小路
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小さい頃、この家から帰る途中で俺が迷子になり、みつけたのは晶だった。それから高校生になった今でも、この習慣が続いている。
暖かな室内から一歩足を踏み出すと、闇夜にちらちらと小雪が舞い散っていた。朝の天気予報では、雪は明日の朝降るとのことだった。
これぐらいなら、傘をささなくてもいいだろう。両脇に植え込みが続く本家までの小路を、晶の後からついてゆく。
晶の持つ懐中電灯が、俺たちの行き先を照らす。植え込みのつつじは短く刈り込まれ、針金みたいな枝先に雪がふれると、すぐに消えてしまう。その光景を見ているとくしゃみが出た。
晶はすぐさま振り返る。懐中電灯を脇に挟み、手に持っていたマフラーを俺の首にグルグルと巻き付けた。懐中電灯の光が、まぶしくて俺は目をしかめる。
狭まった視界。見下ろす晶の視線。マフラーで覆われた口元。息ができない。
苦しくて、乱暴にマフラーをずらし、息を大きく吸い込む。冷たい空気と晶のにおいが肺の奥に流れ込み、息がつまる。
憮然とした態度でいちおう礼を言うと、晶はかすかに笑ってまた歩き出した。
「進路希望、もう書いた?」
前方を歩く晶は振り向くことなく、俺が半日逃げ回っていた質問をようやく口にした。
「まだ、書いてない」
かすれた声で答えながら、内心で舌打ちをしていた。シミセンといい原田といい、どうして俺の進路が気になるんだよ。関係ないのに。
「俺は、東京の医学部を受験しようと思う」
医者の家系の一族では、しごく順当な進路だ。この地方にも医大はあるけれど、晶ならもっと上を目指せる。そう、俺には無理だが晶にならできる。
ふたりが歩く石畳に、うっすらと雪がつもり始めた。その道に残る晶の足跡と俺の足跡は、けして重ならない。
「なあ、忍。いっしょに東京へ行こう」
晶の台詞を聞き、俺の歩みはぴたりと止まった。
「はっ? どういう意味だ」
俺は振り向いた晶の顔を、無言で見あげる。
「忍は、東京の美大に行けばいい。あの家から離れた方がいいと思うんだ」
晶は医学部で、俺は美大に……。俺の学力を考えればまっとうな意見に、うつむくしかなかった。でも、うつむきながら拳を握りしめる。
こいつは、何にもわかってない。俺がどんな思いで、おまえの背中を見てきたかなんて、考えようともしない。考えもせず、簡単に美大にいけばいいなんて言う。
それは何もかも持っているものの、無神経な押し付けにほかならない。そんなの優しさでも何でもない。
「勝手に決めるな! 美大じゃなくて、地元の医学部にするつもりだ」
現役で難しければ、浪人したっていい。とにかく俺は医学部にいく。誰にも言わなかった進路を口にして、幾分すっきりした心持ちになった。
晶は俺の進路に驚いているだろう。驚いている晶の顔を見てやろうと、顔をあげた。
すると俺の予想に反して、あいつの瞳は雪夜の闇よりも濃く深く落ち着いていた。
「せっかくあんなでかい賞もらったのに、美大にいかないつもり?」
淡々と俺を説得するその冷静さが、余計にむかつく。けれど、真摯な晶の視線に対抗できず、たまらず視線をそらせた。
「絵なんて嫌いだ。暇つぶしで描いてるだけだ」
絵がどんなにうまくても、この家では何の価値もない。だから俺は子供っぽく駄々をこねるしかない。
「そんなわけない。ちびの頃から毎日毎日絵を描いて、描きつぶしたスケッチブック、何冊もあるのに」
スケッチブックが山のように積みあがった俺の部屋を、晶は知っている。そんなゴミ、捨てればいいのに捨てられない。
「あのスケッチブックは、大切なものだよ。好きなことをするのが、忍にとって……」
俺がゴミだと思うものを、晶は大切なものだと言う。価値観が違う。俺とおまえは、どこまでいっても重ならない。重なりたくても重ならない。
そのズレに、俺はずっとイライラしてきた。
「うるさい! わかったようなこと、言うな!」
俺の反抗に、いつも穏やかな晶の顔の眉間に似合わないしわがよった。やっと、この整いすぎた顔を無様に歪ませてやれたと喜んだのもつかのま、落ち着いていた瞳にさっと熱が走る。
「わかる。少なくとも今の忍より俺の方が絶対わかる。忍がどんなに無理しても……」
晶は言葉を発する代わりに一歩足を踏み出し、長い腕をまっすぐ伸ばしてくる。その腕に絡み取られまいと、体を大きくずらした。
あの腕につかまれたら、おしまいだ。絶対晶に、抵抗できなくなる。俺が俺でなくなる。
暖かな室内から一歩足を踏み出すと、闇夜にちらちらと小雪が舞い散っていた。朝の天気予報では、雪は明日の朝降るとのことだった。
これぐらいなら、傘をささなくてもいいだろう。両脇に植え込みが続く本家までの小路を、晶の後からついてゆく。
晶の持つ懐中電灯が、俺たちの行き先を照らす。植え込みのつつじは短く刈り込まれ、針金みたいな枝先に雪がふれると、すぐに消えてしまう。その光景を見ているとくしゃみが出た。
晶はすぐさま振り返る。懐中電灯を脇に挟み、手に持っていたマフラーを俺の首にグルグルと巻き付けた。懐中電灯の光が、まぶしくて俺は目をしかめる。
狭まった視界。見下ろす晶の視線。マフラーで覆われた口元。息ができない。
苦しくて、乱暴にマフラーをずらし、息を大きく吸い込む。冷たい空気と晶のにおいが肺の奥に流れ込み、息がつまる。
憮然とした態度でいちおう礼を言うと、晶はかすかに笑ってまた歩き出した。
「進路希望、もう書いた?」
前方を歩く晶は振り向くことなく、俺が半日逃げ回っていた質問をようやく口にした。
「まだ、書いてない」
かすれた声で答えながら、内心で舌打ちをしていた。シミセンといい原田といい、どうして俺の進路が気になるんだよ。関係ないのに。
「俺は、東京の医学部を受験しようと思う」
医者の家系の一族では、しごく順当な進路だ。この地方にも医大はあるけれど、晶ならもっと上を目指せる。そう、俺には無理だが晶にならできる。
ふたりが歩く石畳に、うっすらと雪がつもり始めた。その道に残る晶の足跡と俺の足跡は、けして重ならない。
「なあ、忍。いっしょに東京へ行こう」
晶の台詞を聞き、俺の歩みはぴたりと止まった。
「はっ? どういう意味だ」
俺は振り向いた晶の顔を、無言で見あげる。
「忍は、東京の美大に行けばいい。あの家から離れた方がいいと思うんだ」
晶は医学部で、俺は美大に……。俺の学力を考えればまっとうな意見に、うつむくしかなかった。でも、うつむきながら拳を握りしめる。
こいつは、何にもわかってない。俺がどんな思いで、おまえの背中を見てきたかなんて、考えようともしない。考えもせず、簡単に美大にいけばいいなんて言う。
それは何もかも持っているものの、無神経な押し付けにほかならない。そんなの優しさでも何でもない。
「勝手に決めるな! 美大じゃなくて、地元の医学部にするつもりだ」
現役で難しければ、浪人したっていい。とにかく俺は医学部にいく。誰にも言わなかった進路を口にして、幾分すっきりした心持ちになった。
晶は俺の進路に驚いているだろう。驚いている晶の顔を見てやろうと、顔をあげた。
すると俺の予想に反して、あいつの瞳は雪夜の闇よりも濃く深く落ち着いていた。
「せっかくあんなでかい賞もらったのに、美大にいかないつもり?」
淡々と俺を説得するその冷静さが、余計にむかつく。けれど、真摯な晶の視線に対抗できず、たまらず視線をそらせた。
「絵なんて嫌いだ。暇つぶしで描いてるだけだ」
絵がどんなにうまくても、この家では何の価値もない。だから俺は子供っぽく駄々をこねるしかない。
「そんなわけない。ちびの頃から毎日毎日絵を描いて、描きつぶしたスケッチブック、何冊もあるのに」
スケッチブックが山のように積みあがった俺の部屋を、晶は知っている。そんなゴミ、捨てればいいのに捨てられない。
「あのスケッチブックは、大切なものだよ。好きなことをするのが、忍にとって……」
俺がゴミだと思うものを、晶は大切なものだと言う。価値観が違う。俺とおまえは、どこまでいっても重ならない。重なりたくても重ならない。
そのズレに、俺はずっとイライラしてきた。
「うるさい! わかったようなこと、言うな!」
俺の反抗に、いつも穏やかな晶の顔の眉間に似合わないしわがよった。やっと、この整いすぎた顔を無様に歪ませてやれたと喜んだのもつかのま、落ち着いていた瞳にさっと熱が走る。
「わかる。少なくとも今の忍より俺の方が絶対わかる。忍がどんなに無理しても……」
晶は言葉を発する代わりに一歩足を踏み出し、長い腕をまっすぐ伸ばしてくる。その腕に絡み取られまいと、体を大きくずらした。
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