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第3章 賓客として、旅行者として
第45話 静かな夕飯
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グロリアさん達が夕食を取るために席を外し、病室に私一人が残された時。
静かに扉が開き、黒髪の女性が入ってくる。アサミさんだ。今は動ける程度に状況がいいらしい。
「ミノリさん、お邪魔するわね」
「アサミさん……その、すみません、ご迷惑を」
私はすぐに、アサミさんに頭を下げた。心配と面倒をかけてしまった。病人である彼女に、わざわざ病院まで来てもらう羽目になってしまった。しかもこんな夜遅くに、である。
申し訳なさをいっぱいに表現する私に、アサミさんは小さく首を振る。
「いいのよ、気にしないで。私ももう少し、貴女の体調に気を付けるべきだったわ」
そう言いながら、彼女はゆっくり、一歩一歩確かめるように私のベッドの横まで歩いてくる。そうして、両手に持っていたトレイを軽く持ち上げる。
「病院のキッチンをお借りして、夕食を作ってきたわ。食べる?」
「ありがとうございます……いただきます」
その言葉に、恐縮しながら頷く私だ。思えば、倒れる前に紅茶とクッキーを口にしてから、何も食べてないし飲んでいない。私のお腹はぺこぺこだった。
アサミさんがにっこり笑って、手に持ったトレイをベッドの上を渡すように据えられたテーブルの上に置く。そこには、湯気を立てるスープとサラダ、カットされたリンゴ、そしてパンが温かいミルクに浸された料理が乗っている。
何だろう、このパンが浸ったやつ、馴染みは無いけどどこかで見た覚えが。
「……これって」
「パン粥よ。あとは蒸し鶏の温サラダと、野菜スープ、それとリンゴ。マー大公国では一般的な、療養食というやつね」
私の漏らした言葉に、アサミさんが笑みを見せながら料理を説明する。
パンをミルクと一緒に煮込んでふやかしたパン粥は、ドルテでは一般的な療養食なんだそうだ。調子の悪い時にはお粥、世界が違ってもそこは共通だ。
それにしても、並んだメニューを見ながら私は素直に言葉を吐き出す。
「なんか……意外とヘルシーですね、異世界だから、もっと肉肉した料理が出てくるものだと」
「驚くわよね? マー大公国は大陸中でも、野菜をたくさん食べる国なんですって。病気の時は特によ」
私の発言に、同じく日本出身のアサミさんが苦笑しながら言った。
曰く、マー大公国において野菜は「身体の調子を整えてくれる食べ物」だそうで、健康のためにあらゆる形で野菜を食事に取り入れるのだそうだ。
レストランでも家庭でも、朝昼晩、必ず何かしらの形で野菜が出てくる。サラダとスープに始まり、ハンバーグステーキに混ぜ込んだりかき揚げにしたり。子供用に野菜のピューレを混ぜ込んで焼いたパンもあるのだとか。
ファンタジー系異世界の食事と言ったら、まず肉、次に肉、とにかく肉、そしてポテトと少しの野菜、という感じだと勝手に思っていたので、この療養食は結構、衝撃だ。
そっとパン粥に浮かんだパンを掬う。柔らかく煮込まれたパンを口に運べば、優しい甘さととろけるようなパンの食感が口の中に染み渡る。
「……美味しいです」
「良かったわ、お口に合って」
自然と口をついて出た言葉に、アサミさんが嬉しそうに笑った。
そのままパン粥を完食し、サラダに盛られた蒸した鶏むね肉にフォークをつける私に、アサミさんはにこやかに笑いながら声をかけてきた。
「どう、ドルテで……というより、マー大公国で三日間過ごしてみて?」
どう。そのざっくりとした問いかけに、私の食事の手が止まる。
どうだっただろう、この三日間。正直、まだ三日しか過ごしていないのか、と思うくらいには、この三日間いろいろなことがあった。
いろんな人と出会った。いろんな人と話をした。いろんな場所に行った。いろんな物に触れた。
その全てを思い返しながら、ゆっくりと、言葉を選んで私は吐き出す。
「……そう、ですね。いろいろなことがありすぎたんで、上手くまとめられないですけれど……すごく、運がよかったな、と」
私の発した言葉に、アサミさんが大きく頷いた。
運が良かったことは、間違いなく言えることだ。パーシー君の雇用に始まり、グロリアさんと知り合えたこと、今のところのトラブルが財布を盗まれたことと病気で倒れたことくらいなことも。
もう一度頷きながら、アサミさんが私の手を優しく取る。
「そうね、本当に幸運だったと思うわ。
ドルテの中でも特に人種差別撤廃に動いているマー大公国の、中でも教育都市として名高いフーグラーにまず転移してきたこと。パーシーと専属契約を結んだこと。奥様と早くに知り合い、デューク様に付いてもらえること。
羨ましいわ、この上ない環境と言える。それでいて未だ、大きなトラブルに巻き込まれていない……いえ、ヒューゴーの一件は、貴女にとっては大きなトラブルかもしれないけれど」
「いえ、そんな……海外旅行で、スリとかよく聞く話ですし」
彼女の言葉に、ゆるゆると頭を振る私だ。実際、海外旅行していて財布をすられた、かばんを置き引きされた、なんて話はごまんと聞く。
ここは日本ではない。地球上の他の国でもない。異世界だ。
「そうよ、ミノリさん。地球の、それも日本の治安を基準に考えちゃ駄目。人種差別が横行するのと同様に、治安も日本とは比べ物にならないほど悪いわ。
それは首都オールドカースルであってもそう……いえ、むしろフーグラーより悪いかもしれないわね。大概、他人に無関心だから」
そう話しながら、少し寂しそうな表情をするアサミさんだ。
日本でも、田舎は他人によく気を配り、東京近郊は比して他人に無関心、という話は聞く。いちいち他人の状況に気を配っていられないほど人間が多いから当然の流れだが、それは海外でも一緒の事だ。
他人に無関心だから、なにかトラブルがあっても助けない。気にもしない。そういうものである。
「そう……ですよね。地球でも、ヨーロッパの国とか、スリやら誘拐やら、多いって聞きますし」
「そう。ましてやドルテでは、白人も黒人も押し並べて短耳族。下から二番目の種族だもの。大公国の中では一定の権利を持ってはいるけれど、それでも弱者には変わりないわ」
私の手から手を離して、アサミさんが自分の手をぐっと握る。
その表情は非常に真剣で、目には力が篭もっていた。これからフーグラーを離れてパーシー君とデュークさんと三人で旅立つ私に、思いを届けるように。
「だからミノリさん、これだけは気に留めておいて。ドルテで行動するにあたって、竜人族にこそ気を付けて」
「竜人族にこそ……ですか?」
そして彼女の口から発せられた忠告に、私は目を見開いた。
竜人族にこそ気をつけろ。つまり、この世界の特権階級の人間に、こそ。
聞き返した私に、アサミさんが大きく頷いた。
「そうよ。この世界における竜人族は文字通りの特権階級。警察も彼らには、おいそれと手出しができない。
獣人族が貴女に手を出したとして、警察は貴女を助けてくれるでしょう。竜人族じゃそうは行かないわ。彼らが何か貴女にしでかしたところで、貴女が泣き寝入りするより他に無いの。
殺人を揉み消すくらい、彼らにとってはなんでもないわ」
「う……」
その力の篭もった言葉に、私はぐっと言葉に詰まる。
確かにこの三日間、フーグラーで過ごしていて竜人族の権威の強さは身に染みて感じていた。グロリアさんもデュークさんもとことん善人だし、クリフォードさんもダフニーさんも感じのいい方だったし、ブレンドン閣下も何だかんだ言って真面目ないいひとだったから、その可能性に行き当たらなかっただけだ。
もしその竜人族が、容易に悪いことを企むような人間だったなら。それを止められる者は、文字通り誰もいないのだ。
その事実の大きさを認識した私に、アサミさんが鋭い視線を向けてくる。
「だから、いい? デューク様が貴方のそばについているということを、最大限に活用してちょうだい。信頼の置ける竜人族が傍にいるということは、安心感が大きく違うから」
「わ……分かりました」
その静かながら力強い言葉に、気圧されそうになりながら私は頷いた。
そう、私にはデュークさんという心強い味方がいるのだ。グロリアさんもそれを見越して、彼を私の傍につけてくれているのだろう。竜人族のデュークさんと、獣人族のパーシー君と、私という、なかなかちぐはぐな組み合わせではあるが。
すぐに頷いた私を見て満足した様子のアサミさんが、再び表情を崩した。やわらかな笑みで私の目の前のトレイを指し示す。
「ええ、肝に銘じてね。さ、お料理が冷めてしまうわ、食べましょう」
「あっ、はい……」
そう言われれば、フォークを止めてから料理に手を付けていなかった。サラダの湯気もスープの湯気も、すっかり落ち着いている。
私は少し慌てながら刺しっぱなしの鶏むね肉を口に運び、スープの椀に匙を入れる。赤みがかったスープの中から、トロトロに煮込まれたキャベツが顔を覗かせた。
静かに扉が開き、黒髪の女性が入ってくる。アサミさんだ。今は動ける程度に状況がいいらしい。
「ミノリさん、お邪魔するわね」
「アサミさん……その、すみません、ご迷惑を」
私はすぐに、アサミさんに頭を下げた。心配と面倒をかけてしまった。病人である彼女に、わざわざ病院まで来てもらう羽目になってしまった。しかもこんな夜遅くに、である。
申し訳なさをいっぱいに表現する私に、アサミさんは小さく首を振る。
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そう言いながら、彼女はゆっくり、一歩一歩確かめるように私のベッドの横まで歩いてくる。そうして、両手に持っていたトレイを軽く持ち上げる。
「病院のキッチンをお借りして、夕食を作ってきたわ。食べる?」
「ありがとうございます……いただきます」
その言葉に、恐縮しながら頷く私だ。思えば、倒れる前に紅茶とクッキーを口にしてから、何も食べてないし飲んでいない。私のお腹はぺこぺこだった。
アサミさんがにっこり笑って、手に持ったトレイをベッドの上を渡すように据えられたテーブルの上に置く。そこには、湯気を立てるスープとサラダ、カットされたリンゴ、そしてパンが温かいミルクに浸された料理が乗っている。
何だろう、このパンが浸ったやつ、馴染みは無いけどどこかで見た覚えが。
「……これって」
「パン粥よ。あとは蒸し鶏の温サラダと、野菜スープ、それとリンゴ。マー大公国では一般的な、療養食というやつね」
私の漏らした言葉に、アサミさんが笑みを見せながら料理を説明する。
パンをミルクと一緒に煮込んでふやかしたパン粥は、ドルテでは一般的な療養食なんだそうだ。調子の悪い時にはお粥、世界が違ってもそこは共通だ。
それにしても、並んだメニューを見ながら私は素直に言葉を吐き出す。
「なんか……意外とヘルシーですね、異世界だから、もっと肉肉した料理が出てくるものだと」
「驚くわよね? マー大公国は大陸中でも、野菜をたくさん食べる国なんですって。病気の時は特によ」
私の発言に、同じく日本出身のアサミさんが苦笑しながら言った。
曰く、マー大公国において野菜は「身体の調子を整えてくれる食べ物」だそうで、健康のためにあらゆる形で野菜を食事に取り入れるのだそうだ。
レストランでも家庭でも、朝昼晩、必ず何かしらの形で野菜が出てくる。サラダとスープに始まり、ハンバーグステーキに混ぜ込んだりかき揚げにしたり。子供用に野菜のピューレを混ぜ込んで焼いたパンもあるのだとか。
ファンタジー系異世界の食事と言ったら、まず肉、次に肉、とにかく肉、そしてポテトと少しの野菜、という感じだと勝手に思っていたので、この療養食は結構、衝撃だ。
そっとパン粥に浮かんだパンを掬う。柔らかく煮込まれたパンを口に運べば、優しい甘さととろけるようなパンの食感が口の中に染み渡る。
「……美味しいです」
「良かったわ、お口に合って」
自然と口をついて出た言葉に、アサミさんが嬉しそうに笑った。
そのままパン粥を完食し、サラダに盛られた蒸した鶏むね肉にフォークをつける私に、アサミさんはにこやかに笑いながら声をかけてきた。
「どう、ドルテで……というより、マー大公国で三日間過ごしてみて?」
どう。そのざっくりとした問いかけに、私の食事の手が止まる。
どうだっただろう、この三日間。正直、まだ三日しか過ごしていないのか、と思うくらいには、この三日間いろいろなことがあった。
いろんな人と出会った。いろんな人と話をした。いろんな場所に行った。いろんな物に触れた。
その全てを思い返しながら、ゆっくりと、言葉を選んで私は吐き出す。
「……そう、ですね。いろいろなことがありすぎたんで、上手くまとめられないですけれど……すごく、運がよかったな、と」
私の発した言葉に、アサミさんが大きく頷いた。
運が良かったことは、間違いなく言えることだ。パーシー君の雇用に始まり、グロリアさんと知り合えたこと、今のところのトラブルが財布を盗まれたことと病気で倒れたことくらいなことも。
もう一度頷きながら、アサミさんが私の手を優しく取る。
「そうね、本当に幸運だったと思うわ。
ドルテの中でも特に人種差別撤廃に動いているマー大公国の、中でも教育都市として名高いフーグラーにまず転移してきたこと。パーシーと専属契約を結んだこと。奥様と早くに知り合い、デューク様に付いてもらえること。
羨ましいわ、この上ない環境と言える。それでいて未だ、大きなトラブルに巻き込まれていない……いえ、ヒューゴーの一件は、貴女にとっては大きなトラブルかもしれないけれど」
「いえ、そんな……海外旅行で、スリとかよく聞く話ですし」
彼女の言葉に、ゆるゆると頭を振る私だ。実際、海外旅行していて財布をすられた、かばんを置き引きされた、なんて話はごまんと聞く。
ここは日本ではない。地球上の他の国でもない。異世界だ。
「そうよ、ミノリさん。地球の、それも日本の治安を基準に考えちゃ駄目。人種差別が横行するのと同様に、治安も日本とは比べ物にならないほど悪いわ。
それは首都オールドカースルであってもそう……いえ、むしろフーグラーより悪いかもしれないわね。大概、他人に無関心だから」
そう話しながら、少し寂しそうな表情をするアサミさんだ。
日本でも、田舎は他人によく気を配り、東京近郊は比して他人に無関心、という話は聞く。いちいち他人の状況に気を配っていられないほど人間が多いから当然の流れだが、それは海外でも一緒の事だ。
他人に無関心だから、なにかトラブルがあっても助けない。気にもしない。そういうものである。
「そう……ですよね。地球でも、ヨーロッパの国とか、スリやら誘拐やら、多いって聞きますし」
「そう。ましてやドルテでは、白人も黒人も押し並べて短耳族。下から二番目の種族だもの。大公国の中では一定の権利を持ってはいるけれど、それでも弱者には変わりないわ」
私の手から手を離して、アサミさんが自分の手をぐっと握る。
その表情は非常に真剣で、目には力が篭もっていた。これからフーグラーを離れてパーシー君とデュークさんと三人で旅立つ私に、思いを届けるように。
「だからミノリさん、これだけは気に留めておいて。ドルテで行動するにあたって、竜人族にこそ気を付けて」
「竜人族にこそ……ですか?」
そして彼女の口から発せられた忠告に、私は目を見開いた。
竜人族にこそ気をつけろ。つまり、この世界の特権階級の人間に、こそ。
聞き返した私に、アサミさんが大きく頷いた。
「そうよ。この世界における竜人族は文字通りの特権階級。警察も彼らには、おいそれと手出しができない。
獣人族が貴女に手を出したとして、警察は貴女を助けてくれるでしょう。竜人族じゃそうは行かないわ。彼らが何か貴女にしでかしたところで、貴女が泣き寝入りするより他に無いの。
殺人を揉み消すくらい、彼らにとってはなんでもないわ」
「う……」
その力の篭もった言葉に、私はぐっと言葉に詰まる。
確かにこの三日間、フーグラーで過ごしていて竜人族の権威の強さは身に染みて感じていた。グロリアさんもデュークさんもとことん善人だし、クリフォードさんもダフニーさんも感じのいい方だったし、ブレンドン閣下も何だかんだ言って真面目ないいひとだったから、その可能性に行き当たらなかっただけだ。
もしその竜人族が、容易に悪いことを企むような人間だったなら。それを止められる者は、文字通り誰もいないのだ。
その事実の大きさを認識した私に、アサミさんが鋭い視線を向けてくる。
「だから、いい? デューク様が貴方のそばについているということを、最大限に活用してちょうだい。信頼の置ける竜人族が傍にいるということは、安心感が大きく違うから」
「わ……分かりました」
その静かながら力強い言葉に、気圧されそうになりながら私は頷いた。
そう、私にはデュークさんという心強い味方がいるのだ。グロリアさんもそれを見越して、彼を私の傍につけてくれているのだろう。竜人族のデュークさんと、獣人族のパーシー君と、私という、なかなかちぐはぐな組み合わせではあるが。
すぐに頷いた私を見て満足した様子のアサミさんが、再び表情を崩した。やわらかな笑みで私の目の前のトレイを指し示す。
「ええ、肝に銘じてね。さ、お料理が冷めてしまうわ、食べましょう」
「あっ、はい……」
そう言われれば、フォークを止めてから料理に手を付けていなかった。サラダの湯気もスープの湯気も、すっかり落ち着いている。
私は少し慌てながら刺しっぱなしの鶏むね肉を口に運び、スープの椀に匙を入れる。赤みがかったスープの中から、トロトロに煮込まれたキャベツが顔を覗かせた。
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