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第3章 賓客として、旅行者として

第41話 転移の実態と身内の心配

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 陽が徐々に傾き始めた午後五時前、勉はたまに訪れる客の相手をしつつ、手元のノートに走らせていたペンをやっと止めた。

「さて……だいたい、こんなところかな」

 その紙面には、日本国内の『接続点』の名前が並び、横には地球側から何人転移した、ドルテ側から何人転移した、どれだけそれぞれの世界に復帰した、との人数が、表としてまとめられていた。
 接続点はドルテ内の国ごとに並べられ、どの国に地球人がどれだけ転移し、どの国からドルテ人がどれだけ転移したかが、一目で分かるようになっている。
 こうして見ると、今回の転移でマー大公国だけで見ても地球人が四人、ドルテ人が五人転移していることになる。ハントストアで転移した人数も入れればもっといる。
 数が多かったのはシャンクリー市と繋がるブルックスカフェだ。大公国内でも第二位の都市だから、カフェに立ち入る人も多かったのだろう。

「こうして見ると、マーだけでも結構な人数が転移しているなぁ、今回……うちは接続先がオールドカースルやシャンクリーほど賑やかな町じゃないし、うち自体も寂れた古書店だから、これだけで済んでいるが」

 ノートを睨みながら、勉は呻いた。この店は転移の場となることこそ少ないが、他までそうとは限らない。
 東京都心部にあるとはいえ、この店はそこまで有名でもない古書店。そのつもりがない人を呼び込む力は、店にはない。実里が訪れたのだって完全に偶然だ。
 フーグラー市についても、マー大公国第三位の都市であるとはいえ、学術都市の側面が大きいあの町で古書店に用があるのは、日本語学科の学生か教師くらい。趣味人が訪れるにしても、もっとふさわしい場所がたくさんあるのだ。
 いずれにせよ、たまに来る転移者を右も左も分からない異世界に、何もせず放り出すわけにはいかない。実里にしたように市営商会ギルドや他の接続点への渡りをつけるくらいしか、彼には出来ないが。

「いい加減、うちもジャックのアプリを入れたスマートフォンを……ん?」

 スマートフォンの導入をするべきか、と独り言ちたところで、勉のスマートフォンが振動を始めた。メッセージアプリの新着メッセージだ。
 このタイミングで何が、とメッセージアプリを起動した勉は、驚きに目を見張ることとなる。

「……なんてことだ」

 思わず、そんな声まで漏れた。
 メッセージの主はハントストアのジャック・ハントだ。彼が接続点の店主全員に、一斉に送ってきた文面は下記の通り。

『予測値が急激に上昇し始めた。一時間以内に70パーセントを超える。用心しろ』

 メッセージに既読を付けたまま、勉は腰掛ける椅子の背もたれに身を預ける。
 予測値――すなわち『切り替わり』が発生する可能性を示す値が上昇し、今日中に再び切り替わりが起こるであろうことを、報せる内容だ。
 恐らくあと数十分もすれば切り替わりタイミングを知らせるアラームアプリが鳴り響き、六十分から時計の針が急速に戻っていくのだろう。
 こんなことはここ数年、無かったことだ。

「(実里ちゃんにとってはいいことではあるが……参ったな、前回の切り替わりから六時間で二回目だって? こんなこと、何年ぶりだろう……)」

 天井を見上げながら、脳内でそう零す。
 ここのところ、どうも地球側で切り替わりが発生する感覚が短くなっているような、そんな気がする。地球とドルテの時間の流れが一定ではないにしろ、今のところ一ヶ月に数度は切り替わりが発生している。多い時には十数度も。
 何となく嫌な予感もするが、だからと言ってこの世界もあちらの世界も、何かが変わるわけでもない。ただそれぞれ、何も認識することなく時間が流れていくだけだ。
 ゆっくり身を起こして、勉が細く息を吐く。

「いや、仕方ないか。さて……」
「あの、店長さん、今お忙しいかしら?」

 と、入り口からいつの間にか入って来ていた、シンプルなワンピースに身を包んだ老婦人が、勉に声をかけていた。
 彼女の顔を見て驚きに目を見開いた勉が、慌ててかけていた眼鏡の位置を直す。

「あ、あーあー、夕永ゆうながさん。すみません、バタバタしてて」
「いえ、お気になさらず。ちょっと覗いてみただけですので」

 このたおやかな口調をする老婦人は、夕永ゆうなが 富子とみこ獣人族フィーウルと結婚して現在はフーグラー市で暮らす日本語研究者こと、アサミ・ユウナガ=レストンの実の母である。
 勉とは、アサミが一度地球に復帰し、ロジャーとの結婚の報告を家族にした、その時期からの付き合いである。月に一度はこうして「湯島堂書店」にやってきて、近況報告を交わし合っていた。

「いえ、大丈夫……長居されるようなら、また別だけれど」
「ああ、お話を伺うに、それ・・が起こるんですのね?」

 少し困った表情で笑う勉に、富子がハッとした顔をした。富子自身、自分の娘と義理の息子が関わり、何度も湯島堂書店に来ては勉と話をしているから、異世界と地球が接続していることは、よくよく知っていた。

「はい、十年ほど前にアサミさん……娘さんが行方不明になった・・・・・・・・原因が、あと一時間かそこらで。事実、今日の昼間にも一度発生していますし」
「まあ、『浦島太郎現象うらしまたろうげんしょう』がそんなに頻繁に?」

 勉の力ない言葉に、驚きの声を上げる富子だ。
 地球からドルテに転移し、幾ばくかの時間を置いてまた地球に戻ってくる現象は、地球側では「浦島太郎現象」として一部で都市伝説のように囁かれている。昔話の浦島太郎そのままに、あちらで過ごした時間とこちらで経過する時間が、一致しないのが名前の由来だ。
 地球の人に異世界ドルテの存在は認知されていない。しかし、何の前触れもなく突然人が消えたり、明らかに地球の人間でない生き物が現れたりという現象が、認知されないわけではない。実際にグロリアが地球にフィールドワークに来る時も、SNSでは散々話題になるわけだし。
 しかし、今日は明らかに頻度が多い。

「ここまで頻繁に発生するのは、僕もあまり経験が無いです。おちおちコンビニにも行けない」

 ため息をつく勉に、富子が困ったように眉尻を下げながら笑みを向けた。
 彼女はあくまでも部外者だが、勉が日々転移者への対応と情報の取りまとめに苦心していることは、よくよく分かっている。

「大変ですわね。安形さんみたいな方が、全国にはたくさんいらっしゃることは、話に伺って知ってはいるけれど……そのご苦労は、察するに余りあるものがありますわ」
「いや、本当に」

 富子のねぎらいの言葉に、勉も力なく笑みを返した時。カウンター内に置かれたスマートフォンがアラーム音を鳴らし始めた。

「あら? このアラーム音は」
「おっと、失礼。私のスマートフォンだ」

 勉が自分のスマートフォンを手に取れば、そこには確かにアラームアプリの画面が表示されて。長針だけを持つアナログ時計の針が、反時計回りにじわじわ進んでいた。その下に表示されるデジタル時計も、60:00からカウントダウンがされているが、減り方が飛び飛びだ。
 やはり、急速に予測値が上昇しているのは間違いないらしい。

「あー……やはり早いなぁ。すみません夕永さん、機会があればゆっくりお茶でも飲みながら、娘さんやお孫さんの話をしたかったのだけど」
「いえいえ、お構いなく。あちらで娘やその家族が元気にしているならば、それでいいですわ」

 困ったように富子に頭を下げる勉だが、富子は口元を押さえて笑うだけ。話を落ち着いて出来ないことを、気にしている様子は特段無いようだ。
 そのことに勉がほっと胸を撫でおろすと、笑顔を浮かべたままで富子が小首をかしげる。

「ところで、先月に・・・私がお伺いしてから、状況に変化はございました?」

 富子の問いかけに、腕組みをしながら勉は大きく頷いた。
 富子が湯島堂書店を訪れるのは月に一度だが、その間にも何度も切り替わりは発生して、その度にドルテで時間が流れている。富子もそれを知らないわけではないが、切り替わった後に流れた時間を合計すれば、一週間にも一年にもなるのだ。

「大いにありましたよ。なにぶん、あちらでは二年半が・・・・経過していますから……」
「まあ」

 二年半、という言葉に、驚愕の表情を見せる富子だ。
 この一ヶ月の間は切り替わりの頻度が多かったし、ドルテ側で流れる時間も長い時が多かった。結果、これほどの時間が経ってしまったのだ。
 勉がゆるゆると頭を振りながら説明を続ける。

「アサミさんの家族を庇護していたお方が病に倒れてお隠れになったし、伯爵位を継いだ弟君がアサミさん一家を城から追い出したし……あぁでも、アサミさんのご主人も息子さんも娘さんも、働き口は問題なく見つけましたよ」
「あら、よかった。仕事がちゃんとあるのはいいことだわ」

 努めて明るい調子で話す勉に、富子も嬉しそうに笑った。
 城での住み込み仕事をしていたのが追い出されて、というと、つらい生活を強いられていると思われるが、実際は主人の所有する土地に建つ一軒家に住むことを許されているし、仕事の口利きもしてもらっている。
 結果、ロジャーもパーシーも市営商会ギルドでの職を得たわけだ。パーシーに関してはむしろ栄転に近い。
 時間の都合も考慮した上で軽くそんな話をすると、富子が目を伏せながらしみじみと言った。

「それにしても、本当に……『浦島太郎』という表現が適切ですわね。麻美が行方不明になった一週間も、今回の一ヶ月も、あちらでは二年前後が経っているだなんて」

 富子の言葉に、勉の頭も前後する。
 本当に、浦島太郎とはよく言ったものだ。日本には随分、適切な逸話が古来からあったものである。
 地球でどれ程の時間が経てば、ドルテでどれ程の時間が経つか、誰にも分からないし、決められない。しかしそれぞれの世界が密接に繋がりながらも、別の時間が流れていることは、厳然たる事実だ。
 頷きつつ、勉がスマートフォンの画面に目を向ける。アラームの残り時間は、既に十分を切っていた。

「そういうものですからね。こればかりは仕方ない……さぁ夕永さん、そろそろ切り替わりますので」
「えぇ、また一ヶ月後に伺いますわ」

 富子を促せば、彼女は一礼して微笑んで。
 そうしてするりと、開け放たれた「湯島堂書店」の出入り口をくぐっていくのだった。
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