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第3章 賓客として、旅行者として

第32話 将来の夢、自分の夢

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 クリフォードさん、スティーヴンさん、ペーターさんと記念写真を撮って、彼らと別れた後、私達三人は当初の予定通り、中央大学の中をぐるりと回った後に、資料館に足を運んでいた。
 デュークさんの話によると、この資料館の建物も大講堂に負けず劣らず古くからあるそうだ。流石に大講堂のように、華美な造りはしていないでシンプルそのものだけれど。
 私とパーシー君を先導するデュークさんが、資料館中央に置かれたジオラマの前で足を止める。

「これガ、フーグラー市立中央大学ウニヴァーシタート・セントゥルの全体の模型デス。精巧でショウ?
 今私達がいるノガここの資料館、先程マデいたカフェテリアがココ、大講堂がココ……こちらからのこのエリアニ、各学部の建物がアル。という具合ですネ」
「うわ……こうして見ると、本当に広いですね、この大学」
「コレは、素材はプラスティクですカ? 非常に細かいところマデ作りこんでいて……凄いデス」

 私と一緒に、パーシー君もジオラマに見入っては感嘆の声を上げていた。
 私はそこまでこの大学の建物を理解してはいないけれど、先程に眺めたそれぞれの建物が本当に小さくなってそこに在るかのように、ジオラマの中で模型が鎮座している。
 こんなに細かな模型を作り出す技術があるとは。ドルテ、侮りがたし。
 しかしそれはそれで、新たな疑問が生じてくる。

「それにしても、こんなに詳細なジオラマ……どうやって作ったんですか? 屋上とかまでしっかり作りこんでありますけれど。
 ドルテって、自動車や電車はありますけれど、飛行機みたいに空を飛ぶ手段って……」
「空を飛べるのは竜人族バーラウだけですネ。それでもそんなに高くは飛べまセン。
 『空を駆けるのは貴族の特権』という考え方もありますノデ、ザイフリードやサルーシアでも、空を飛ぶ技術の開発ハ行われていませんネ」
「このジオラマを作ったノハ、工学部の教授デ、miniatural modelを作らせタラ世界一と称されるアマダ教授デス。
 アマダ教授はサルーシア国カラ招聘された方デ、サルーシアの技術ト、中央大学ウニヴァーシタート・セントゥル学長でいらっしゃるレイノルズ先生の撮影サレタ俯瞰写真を元にシテ、コレを作られたとのことデス」

 説明をしながら、デュークさんがジオラマの右端、プラスチックケース内部に置かれたプレートを指さした。
 パーシー君曰く「4.30.1883作製 中央大学ジオラマ 作成者:Ramon Amada」と記載されているらしい。今年が1887年だから、四年前に出来たことになるわけだ。道理で精巧に作られているわけである。
 それにしても、こういうミニチュア模型を作る人が大学で教鞭をとっているとは。工学部ということだから、小さな部品を作るための機械とか理論とか、作っているのかもしれない。案外そうやって、パソコンの小型化も成されていったのかもしれないし。
 そうして私がジオラマに見入っていると、デュークさんがふと、寂しそうな悲しそうな、そんな表情をしているのが目に入った。
 ジオラマを見つめたまま、なんとも言葉にしづらい複雑そうな表情をしていて。
 声をかけようと思った頃には既に、デュークさんはジオラマの傍を離れていた。

「サァ、まだまだお見せしたいものはございマス、ミノリ様。参りまショウ」
「あっ、うん……」

 次の部屋にさっさと歩いていくデュークさんを追いかけるように、私とパーシー君は彼の後を追ったのだった。



 大学の古い建物の石壁の破片だったり、昔のヴェーベルン通りの街並みの写真だったり、改築前のフーグラー城の模型だったり。
 フーグラーという街の昔の姿を残した資料が、この資料館にはたくさんあった。
 そのどれもが大事に手入れをされて、保存されていて、本当に小さな博物館と言っても過言ではないくらいだ。資料館の建物自体にも年季が入っているから、余計に風情がある。
 そうして資料館の中をぐるりと回って、十分に満足した私は、前を歩くデュークさんの横に、すすっと近寄った。
 唐突に横に並ばれたことに、デュークさんが目を見開く。

「ミノリ様?」
「んーとね、どうでもいいことっちゃどうでもいいかもしれないんだけど。
 クリフォードさん達と話している時とか、さっきジオラマを見ていた時とか、なーんかデュークさん、寂しそうな悔しそうな、そんな感じの顔をしてたから……何かあったのかな、って」
「アァ、いえ、ソノ」

 苦笑しながら頬をかき、視線を逸らして足を止めるデュークさん。何と言うか、言葉を選ぶのに苦慮している様子がありありと伺える。
 私も、後ろを歩くパーシー君も、二人してきょとんとしていると、ぽつりぽつりと、言葉を切るようにしてデュークさんは口を開き始めた。

「何と申しマスカ、羨ましい、と思っていたンデス。
 クリフォードも、スティーヴンも、ペーターも、三人トモ自分がどうなりたいカ、どうありたいカの目標が見えてイル。
 私は、そういうのがまだ無クテ。将来の夢トカ、将来就きたい職業トカ、見えていないデ、ただ漫然と勉強しているダケ……
 まだ二年生ナノデ、進路を決めるまでニ時間があると言えば、そうなんですケレド、考えないといけないなトモ、思っていてデスネ……」
「あー……そういう」

 デュークさんの独白に、私は非常に納得するものがあった。
 すなわち彼は、今まさにモラトリアムの真っただ中にいるわけだ。
 進路を決めるほど焦ってもいない、けれどいつかは決めないといけない、でも決められない。そんな中で日々を生きているのだ。アータートン伯爵家次男という、フーグラー市内では最強クラスとも言える立場を持っていることも手伝って、余計に悩ましいのだろう。
 権力はある、お金もある、選択肢もあるけれど、伯爵家という実家を継いで、政治家になることだけは許されない。
 確かに、悩ましい。ブレンドン伯爵閣下のようにだいぶ大人になってから伯爵位が転がり込んでくることもあるんだろうけれど、許されないというのはつらい。

「確かにデューク様の場合ハ、兄のクリス様がいらっしゃいますからネ。クリス様にお子様が生まれなけれバ、ブレンドン閣下のように伯爵位に就くことモ出来ますでしょうガ」
「そう言えば、お兄さんがいるんだっけ、デュークさん。
 でもなんで、エイブラムさんに息子が二人いるのに、その息子が伯爵位を継がないで、エイブラムさんの弟のブレンドンさんが継いだの?」
「マー大公国の法律デハ、爵位を継げるのが十八歳になってからなのデス。大人にならないと貴族としての権利が認められないのデスネ。
 エイブラム様がお隠れになったのが六年前。その時、長男のクリス様は十六歳でしタ。なので継承権をお持ちだったブレンドン様が継がれたのデス。
 二十二歳になられた今ハ第九代アータートン伯爵として爵位ヲ継ぐことを許されておりますガ、大学在学中の身ですので固辞サレ、アータートン子爵として行動していらっしゃいマス」

 パーシー君の話によると、今のブレンドン閣下によるアータートン領統治も、クリスさんが伯爵位を継ぐまでの間で、クリスさんが伯爵位を継ぐことを決意したら、どれだけ元気だろうが治世が順調だろうが、その座を譲らなければならないらしい。
 そしてクリスさんに子供が生まれ、その子供が男児で、十八歳になるまでクリスさんが生きていれば、爵位は自動的にその子供に継がれることになる。
 デュークさんが伯爵の地位に就くには、クリスさんに子供がいないか、男児の子供が十八歳を迎えるまでの間かにクリスさんが落命することが必要だが、彼が自分の兄の死を願うような人ではないことは、私もパーシー君もよく分かっている。
 目を伏せながら、重々しくデュークさんが口を開いた。

「……パーシー殿ノ話した通りデス。私は、アータートンの家名を名乗ることコソ許されていますガ、アータートンの爵位を名乗ることハ許されなかッタ。
 ヒースコート子爵として一定の権力はありますシ、大学の社会学部デ学んだことを今後に活かせレバ、と思ってはいますガ……何をしたいのか、どう活かしたいのかハ、まだ分かりまセン」
「デュークさん……」

 苦々しく、沈鬱な面持ちで話すデュークさんに、私はかける言葉が見つからなかった。
 貴族ゆえの苦悩、次男ゆえの苦しみ、そういうものに彼はずっと、苦しんできたのだろう。
 やがて顔を上げたデュークさんが、そっと私の手を包むように自分の手を添えた。緑青色の細かな鱗が、私の手にそっと触れる。

「だからマーマは、私をミノリ様の護衛に付けると共ニ、社会勉強を言い渡したノデス。
 国内のいろいろなモノをミノリ様と共に見テ、学ビ、そして私がどのような道ニ進みたいカ、マーマは私に決めてもらいたいノデス。
 ……ミノリ様、どうか国内の、色々なところヲ見て回ってクダサイ。ミノリ様の為ニモ、私の為ニモ。そうする中デ、私に何が出来ルカ、何がしたいノカ。見つかるかもしれマセン」
「そうですね……分かりました。その代わり、しっかり私を守ってくださいね?」

 デュークさんの手にさらに手を重ねるようにしながら、にっこり微笑む私。
 その笑顔を見てハッと表情を変えたデュークさんが、こくりとゆっくり頷く。そのまま私の手の甲に、デュークさんの顔と同じ長細い影が落ちた。
 若者は悩む、悩んで苦しむ、そこに世界の隔たりも身分も種族も、何も関係が無いのだと思い知らされながら、私はデュークさんの両手を、ぎゅっと握るのだった。
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