サラリーマン符術士~試験課の慌ただしい日々~

八百十三

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第2章 苦悩する男と人狼騎士

第24話 大猫満喫

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 俺達はそのまま工房に戻ってきて、そのままの流れで社長から魔獣化ウェアビーストの護符を任され、間渕さんに緊急出動の労をねぎらわれた後。
 俺は牟礼さん、間渕さんと一緒に、工房地下一階のリフレッシュルームにいた。標さんは黒波ブラックウェイブの実装試験の報告書を作成中だ。

「牟礼さんの身体がそんなことになっていたとは……」
「スマン、マブチ。シバラクハオ前ニモ迷惑ヲカケル」

 間渕さんは沈鬱な表情をして、カーペットの上に伏せる牟礼さんを見ていた。
 さすがに先程まで激しい戦闘を繰り広げていた、牟礼さんの身体は傷だらけ。その黒い毛皮の下から見える傷口に、痛々しそうな視線を向けている。
 悲しげな瞳をしつつ、それまでと同様の低くしゃがれた声をかけながら、牟礼さんが間渕さんの顔を見上げると、彼女はゆるゆると首を振る。そしてその黒い毛皮を優しく撫でた。

「いえ、私は大丈夫です。牟礼さんが中の仕事に集中していただけるのなら、私も働きやすいですから」

 そうして牟礼さんの身体を撫でた間渕さんの手が、俺の方へと伸びる。
 それを受けて俺もぐい、と頭をカーペットに押し付けた。間渕さんの肌艶のいい手が、俺の頭に乗せられる。
 そのまま撫でられると随分気持ちがよくて、思わず俺の喉から、心地のいい声が漏れ出した。

「ぐるにゃぁぁぁ~」
「ふふ……交野君も随分、ギガントキャットの姿が違和感ないですよ、大丈夫ですか」
「魔獣種ダカラ、獣人種の魔獣化ウェアビーストトハ幾分勝手ガ違ウ。ダガ、堂ニ入ッタ猫ップリダ」

 微笑を零す間渕さんと、ため息をつく牟礼さんの視線が、揃って間渕さんの手元、俺の方へと向けられる。
 俺は、レイラさんに提供する大猫の魔獣化ウェアビーストの護符を絶賛試験中だ。つまり、今の俺はギガントキャット。ついでに言うとサバトラ柄だ。
 普段なら高い金を積んで買わないと味わうことの出来ない魔獣化ウェアビーストを会社の仕事として体験できて、しかもギガントキャットという人気者になれるチャンス。戦闘能力が大きく抑えられているから爪も牙も鋭さを失っていてじゃれついてもボールを割る心配がない。のしかかったら怪我をするかもしれないが。
 そんなものだから俺は全力で猫らしい猫として振る舞っていた。というより、心から猫として振る舞いたくて仕方が無くなっていた。
 喉をゴロゴロと鳴らす俺が香箱座りをするのを見ながら、牟礼さんが深くため息をつく。

「ソレニシテモ、マブチガソコマデ猫好キダトハ思ワナカッタ。ぎがんときゃっとナド、猫トシテ扱エル大キサデモナイダロウニ」
「何を仰いますか牟礼さん、交野君でさえこんなに可愛らしいのに」
「に゛ゃあんっ!?」

 牟礼さんの言葉にむっとした間渕さんが言い返すと、「交野君でさえ」というワードに反応した俺がぐいっと頭を上げた。
 だってそうだろう、普段の俺が可愛くないみたいじゃないか。可愛くない自覚はあるけれど。
 文句をつけたくなって眉間に皺を寄せていると、間渕さんの手が俺の喉の下に伸びた。そのまま顎の下をかりかりと掻く。やばい、とても気持ちいい。

「あぁ、ほらほら、不機嫌になっちゃだめですよー、交野君は今にゃんこなんですから、ちゃーんとにゃんこしてましょうねー」
「ごろごろごろ」

 猫なで声、と言うほどデレッデレにはなっていないが、普段とは明らかに違う声色で間渕さんが声をかけながら顎をかりかり。
 それに反応して、俺の喉が自然にごろごろ、尻尾もぱたりぱたり。尻尾を動かすのが止められない。まるで生まれつき持っていた器官であるかのように、自然に動いている。
 魔獣化ウェアビーストの護符を使うと、ここまで自分の身体が魔物になるのか。とてもびっくりだ。
 完全に猫と化している俺に、牟礼さんがじとっとした視線を向けてくる。

「オイコゾウ、分カッテイルダロウナ。コレハ実装試験ナンダゾ」
「うるるる……」

 牟礼さんの批判的な目をつい、と躱して喉から低い声を漏らしながら、俺は静かに立ち上がった。
 そのまますたすたと二人の傍を離れ、リフレッシュルームに置かれているバランスボールをちょいちょいと突き始める。
 何とも気ままなその様子に、牟礼さんがまたもため息を漏らした。

「……ッタク」
「人格が姿に引っ張られている感じでしょうか?」
「ダロウナ。魔獣化ウェアビーストノ使イ始メノ頃ニ、時折起コル。コゾウハ初メテ使ウト言ッテイタカラ、余計ニ引ッ張ラレルダロウ」

 間渕さんと牟礼さんの会話を後方に聞きながら、俺はバランスボールに前脚をかけたり転がしたりを繰り返した。
 牟礼さん曰く、魔獣化ウェアビーストは疑似的にとはいえ深度四の魔素症を発生させる関係で、思考や精神構造が魔物寄りになる。使い始めた当初に、その思考に必要以上に引っ張られて、魔物そのものであるかのように振る舞ったり行動したりということが、ままあるのだそうだ。
 特に俺は魔獣化ウェアビーストに慣れていないし、他人のために調整した護符を試験のために使っている。影響を通常以上に受けやすいとのことだ。
 それなら俺じゃなくて、普段から使いまくっている牟礼さんに試験してもらえば、という話ではあるのだが、牟礼さんがそれどころでないのは見ての通りである。人間に戻れないのにそこにさらに魔獣化ウェアビーストを重ねたら、いよいよもって人外と化してしまう。
 ついと振り向くと、俺の様子をスマートフォンでメモを取りながら、間渕さんがこくりと頷いていた。

「分かりました、戻ったら交野君に重点的にヒアリングしますね」
「アア、頼ム」

 それを受けて牟礼さんもこくりと頷く。と、そこで俺の耳が敏感に人の足音を聞き取って。
 入口の方に顔を向けると、バインダーを片手に吾妻先生がリフレッシュルームに入ってきた。

「おーい、牟礼君いるかい」
「あ、吾妻先生」

 入り口からの呼びかけに、間渕さんも牟礼さんもその存在に気付いたらしい。振り返った間渕さんが、吾妻先生へと小さく頭を下げる。
 先生はつかつかと中に立ち入ると、バインダーを肩に担ぐようにしながらにっこり笑った。

「やれやれ、ようやく書類が出来た。これから成増病院行くよ、ついておいで」
「オ手数オカケシマス。ソレジャアマブチ、コゾウノ事ハヨロシク頼ム」
「は、はい。承知しました」

 笑いかける吾妻先生に、牟礼さんがすぐさま立ち上がる。そうして踵を返す先生の後についていきながら、間渕さんに声をかけていった。
 こくりと頷いた間渕さんだが、その表情は呆気に取られているというか、驚いているというか。呆けたように牟礼さんと吾妻先生が去っていく出口の方に、ただ座ったままで視線を送っていた。

「……」

 そんな姿を見せられたら、俺がいくら猫だと言っても心配にはなる。
 バランスボールで遊ぶのをやめて、そっと身体を摺り寄せる。そうして座る間渕さんの顔を見下ろすように、一声鳴いた。

「にゃぁ~?」
「交野君……いえ、大丈夫です。何でもありませんよ。それより身体は大丈夫ですか」

 そんな俺の顔に手を添えるようにしながら、間渕さんが小さく笑みを零した。
 その手をそのまま、俺の顔の毛に埋めさせるように。ほんのりと体温が伝わってきて、少しひんやりとして気持ちいい。
 間渕さんの手に顔を寄せてぐりぐりとこすりつけると、指の先が肌をこすって一層心地がよかった。

「あぅぉあん~」
「ふふふっ……そうですか。よかった」
「あぅぅん? みゃおぉう」

 俺の様子を見て、間渕さんの表情が幾分か和らいだように見えた。
 それに少しだけ気を良くした俺が、彼女の手に顔を預けたままでさらに鳴く。別にこちらの意図が伝わるかどうかではない、鳴きたいから鳴くのだ。
 語尾を上げて鳴いた俺に、間渕さんはもう片方の手で俺の腹を撫でながら口を開いた。

「大丈夫ですよ、牟礼さんは吾妻先生と一緒に、かかりつけの病院に行くだけですから。人化処置の手術と、処方するお薬の相談をしに行っただけです」

 優しく語り掛けながら、俺を愛おしそうに撫でてくる間渕さん。その手つきはまさしく、ペットを飼っている人間のそれで、非常にこちらの喜ぶツボを分かっている。
 気持ちよくって、たまらなくって、俺は再びカーペットの上に腹ばいになった。そのままごろんと身体を反転させて仰向けに。でっかい腹を開けっぴろげにしてみせる。

「にゃぁぁおぅ」
「ふふ……可愛いなぁ、可愛いですよ交野君」

 そうして一声鳴けば、もう間渕さんは辛抱たまらんと言った様子で。
 俺の腹をわしゃわしゃーっと撫でてくれた。
 俺が心地よさのあまりぐでーっと床に広がりながら至福の表情をしていると、バタバタと階段を下りてくる音が聞こえた。
 次の瞬間、リフレッシュルームに二人の女性が飛び込んでくる。開発課の有藤ありとうさんとりゅうさんだ。

「ここにでっかいもふもふがいると聞いて!!」
「時雨さんずるいデス!! ワタシにも触らせてくだサイ!!」
「えっ、なに……有藤さんに劉さん!? なんでですか!?」

 振り返るなり目を見開く間渕さんだ。しかし無理もない、仕事中だというのに開発課の人間が、リフレッシュルームに魔物をもふりに来たのだから。
 有藤ありとう かえでは間渕さんと同期の四年目、中国出身のりゅう 斉兪さいゆはその一つ下の三年目。二人とも開発課の一員として、ガンガン新しい護符をデザインしては世に送り出しているプロフェッショナルだ。
 そして彼女たちも間渕さん同様、可愛い生き物には目がないタイプ。そんな二人にも見せつけるようにくねくね身体をよじらせて鳴けば、黄色い歓声が二つ上がる。

「みゃぁぁぁ」
「ひゃぁぁぁかっわいぃぃぃぃぃ、えーやだ、あの交野君がこんなににゃんこで可愛いだなんて」
「とってもかわいいデス! ワタシはこのままペットにしたいデス!」

 まさしくでっかいにゃんこな俺の姿に、有藤さんも劉さんもメロメロだ。そして劉さんからペットにしたい発言いただきました。
 しかしそれは困る、いろんな意味で困る。だって俺はギガントキャットに変身しているだけの人間なのだもの。倫理的によろしくない。
 ぽかんとしていた間渕さんも、ようやく我に返ったようで。劉さんの発言にふるふると首を振っていた。

「いえ、さすがにそれはあんまりよくないかと……いえ、それはそれとして、なんで実装試験中だって分かったんですか!?」
「なんでも何も、あの魔獣化ウェアビーストの護符はレイラさんのでしょ? 私たち、社長が開発課のフロアでそれを作ってるところ、ずっと見てたもの」

 間渕さんの問いかけに、有藤さんが何でもないことのように答えた。
 開発課のフロアの中に、社長が使うためのデザイン台があることは俺も知っている。随分年季の入ったそれが、未だ現役であることも。
 そのデザイン台が使われているなら、開発課のフロアにいる面々がその姿を見ていても、何らおかしくはない。
 劉さんもこくこくと頷きながら口を開いた。

「社長ハ、護符が出来た後に言いマシタ。『地下で実装試験するから、うるさかったら文句言っとけ』ト」
「はぁ……なるほど」

 その言葉に、脱力したように肩を落とす間渕さんだ。
 どうしても何も、社長が自分で伝えていたのなら世話はない。
 なんだかがっくりと力が抜けるのを感じながらも、俺は有藤さんと劉さんに甘えまくった。こんなこと、変身していなければ出来るはずもない。

「みゃぁぉうみゃぁぉう」
「でもねぇ、こんな可愛い姿を見せられたら、うるさくしても許しちゃうわよねぇ」
「そうデス! 猫は可愛いデス! 可愛いは正義だと中国でも習いマシタ!」

 大きさこそにゃんこから逸脱しているが、それ以外は立派ににゃんこになっている俺に、有藤さんも劉さんもほんわかした笑顔を向けてくる。
 なんかもう、俺このまま一生にゃんことして生きていくのもいいような気がしてきたが、そうするより先に魔素値の閾値がやって来て強制的に変身解除となるだろう。
 牟礼さんが毎夜のようにブラッドドッグに変身していたわけも、何となく分かる。これはクセになる。
 すると間渕さんが、諦めたように肩を竦めながら俺の前脚の肉球を触った。ぷにっとして弾力がある肉球を触られると、ちょっとくすぐったい。

「なるほど……まぁ、はい、あれです。なんだか交野君もノリノリで猫をやってらっしゃるので、遊んであげてもらえますか、お二人とも」
「言われなくても遊ぶわよ! ていうか間渕さんも一緒に交野君と遊びましょうよ!」
「ワタシ、100均で猫じゃらし買って来マス!」

 嬉々として俺のお腹を撫で始める有藤さんに、やおら立ち上がってリフレッシュルームの外に駆けていく劉さん。二人とも完全に仕事そっちのけである。いいのだろうか。

「……なんでこんなことになったんでしょうか」
「みゃぁお……うるる」

 呆気に取られた様子で俺の肉球をぷにぷにする間渕さんが、俺の顔に視線を落とした。
 それに一声鳴いた途端、全身に何とも言えない怖気が走った。気持ち悪いというか、酔ったというか。このまま変身を維持していたらいけないという感じが本能で察知できる。
 すぐに俺は有藤さんの手を払いのけると、魔獣化ウェアビーストの効果を解除した。ライオンほどあった身体が縮んで、元の人間の肉体へと、俺の身体が戻っていく。
 そして試験課の制服に身を包んだ俺が、リフレッシュルームのカーペットに仰向けに横たわる形になった。

「ん、あーっ、閾値が来るとこんな感じなんっすね、なるほどー」
「あっ、交野君、もう制限時間でしたか」
「ちょ、えーっ!? このタイミングでにゃんこじゃなくなっちゃうのー!?」

 小さく目を見開いて、俺の手から手を放したまま止まっている間渕さんの傍で、突然手を払われたと思ったら魔獣化を解除された有藤さんが愕然とした表情を見せた。
 文句を言われる筋合いがあるのはその通りだが、これは実装試験。ちゃんと戻れる時に戻れるか、限界に達する時に分かるかを確認しないとならないわけで。言っちゃなんだが、遊びじゃないのだ。
 恨めしそうな視線を向けてくる有藤さんを放置して、間渕さんが俺の身体を抱え起こす。片手には仕事用のスマートフォンだ。

「で、どうでしたか交野君、初めての魔獣化は」
「いやー、あれっすね。たまらねー幸福感っすね……やべ、思い出したら尻の辺りがむずむずしてきたっす」

 間渕さんからスマートフォンを受け取りながら、俺は正直に所感を述べた。
 夏のボーナスが入ったら、自分も魔獣化ウェアビーストの護符をオーダーメイドしてしまおうかなどと、よからぬ発想が脳裏に浮かんだのは、ここだけの話だ。
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