サラリーマン符術士~試験課の慌ただしい日々~

八百十三

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第2章 苦悩する男と人狼騎士

第22話 通門破壊

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「えっ?」

 俺の言葉に、そう返しながら言葉を返したのは誰だっただろう。標さんかもしれない。エーエムビーの二人かもしれない。どの道、俺の後方からの声だったから確認のしようは無かった。
 そして俺の前に立つブラッドドッグは、所在なさげに目を伏せて視線を逸らしていた。まるで俺の言葉にどう返そうか、逡巡するように。
 体感的には十数秒くらいの時間に感じられたが、周囲の戦闘音は止むことがない。恐らく、数秒も無かったんだろう。
 ブラッドドッグはついと視線を外すと、踵を返して広場の方に足を向けた。

「あのっ」
「話ハ後ダ、さらまんだーヲ駆逐スルゾ」

 すげない態度になおも声をかける俺だが、それに短く、確かに人間の言葉で返したブラッドドッグは、そのまま前を向いて駆けて行った。
 その場に残された俺達は、ただ呆然とするばかりである。俺の後ろでエーエムビーの二人が顔を見合わせた。松野さんが眼鏡型のスマートグラスを操作しつつ目を見張る。恐らく、魔物の位置を示すレーダーを起動させているのだろう。

「あれって……」
「深度四の魔素症患者、ですよね? 患者特有のパルスが出てましたし」
「センター、そっちでも確認できた? 今のブラッドドッグから出ていたパルス……ん、そうか。了解」

 上田さんと松野さんがぽかんと口を開く横で、標さんもインカム越しに間渕さんに確認を取っている。
 魔素症患者の深度三以上は外見が完全に魔物であるために、万一戦闘区域に立ち入った際、出現した魔物と見分けがつかない危険性がある。その為治療の一環で体内に極小型のチップを埋め込み、特殊なパルスを発することで魔物監視レーダー上で区別がつくようにしているのだ。
 牟礼さんは魔素症の治療のため、専門医にかかっていると言っていた。ならば十中八九、チップは埋め込まれていることだろう。
 間渕さんとの通信を終えた標さんが、戦鎚を手に前に出た。そのまま俺に視線を向けつつ笑う。

「交野君、行くよ。あれが牟礼さんかどうかは今は置いておくとして、先にサラマンダーを片付けなくちゃ」
「う、うっす!」

 返事をした俺も、剣を握りなおして走り出した。
 再び視界が開け、見えてくる芝生広場。エストレージャアミュレッツの社員も、ビートダウンの社員も、板橋区の符術士派遣会社であるカルラ株式会社の社員も既に到着して、サラマンダーと激闘を繰り広げている。
 加えて牟礼さんをはじめとしたブラッドドッグも、戦場を駆け回ってはサラマンダーに食らいついていた。何匹かは護符の効果の巻き添えを食らって倒れているが、牟礼さんがそれを気にする様子は一切なかった。

「ガァァァッ!!」
「ギァァァァ!」
「グギィィィ!」

 吠えたてながらその鋭い牙を、サラマンダーの首筋に突き立てる牟礼さん。牙は易々とサラマンダーの硬い鱗を砕き、首筋から鮮血を噴き出させている。
 一噛みすれば一匹が倒れ、一蹴りすれば二匹が吹き飛ばされ。
 並みのブラッドドッグを遥かに凌駕する活躍を、牟礼さんはただ一人で見せていた。
 思わず、俺の口から感嘆の声が漏れる。

「すっげ……つえー」

 対応する人数が増えて随分余裕が出来たこともあり、戦闘する手が止まりがちになりながらも、俺は牟礼さんの奮戦から目が離せなかった。
 元々強かったが、心強いことこの上ない。
 それはエーエムビーの二人も同様だったようで、上田さんが銃の引き金を引きつつ嬉しそうに言葉を零した。

「いやー、サラマンダーに加えてブラッドドッグまで出たって時は背筋が冷えたものだけど、そのブラッドドッグがこちら側というなら心強い。大方、あの魔素症患者の子供たちが魔物判定されたんだろう」
「深度四の魔素症患者の子供は、生まれながらに魔物ですからね……チップが埋め込まれていないケースも、まだまだ多いですし」

 上田さんの前に立って槍を繰り出す松野さんも、口元にうっすらと笑みを浮かべている。余裕の表情だ。
 完全に魔物と化した深度四の魔素症患者は、その生存本能も魔物のそれになる。種の保存という形での、子供を残す意思も人間より随分強くなる。
 しかし生殖を行ったとしても、生まれてくるのは当然ながら魔物。それも親とは異なる、生を受けたその時から・・・・・・・・・・その生き物として存在する、真正の魔物だ。
 こうした「魔素症患者から生まれてきた地球生まれの魔物」への対応は、自治体によっても差が大きい。保育園や幼稚園への入園が断られたり、安定して学校に通えなかったりと言ったケースも多い。国立機関による支援も行き届かないのが現状だ。
 そのため、異世界から出現する魔物と同様に扱われ、まとめて討伐されるケースが後を絶たないのだ。
 だから牟礼さんも、自分と共にいるブラッドドッグが符術士から攻撃を受けて倒れても、気にも留めないのだろう。そういうものだと分かっているから。
 少しだけ悲しさに目を細める俺の肩を、標さんが優しく叩く。

「ま、とりあえずは仕事に集中しよう。人が増えて戦いやすくもなったし、数も減らせている。あとは出現ポイントを特定して潰すんだ」
「うっす!」
「よし、行くぞ!」

 改めて俺達二人、エーエムビーの二人が戦闘を再開してからは早かった。
 数の優位性をひっくり返し、元々押していたところにさらに人員が加わったのだ。サラマンダーが見る間に数を減らしていく。
 もう広場にぽつぽつと動いているサラマンダーが点在する程度になり、残りは芝生の上に倒れ伏している状態で、上田さんがダメ押しとばかりに一枚の護符を発動させた。

抜山蓋世ばつざんがいせい噴泉涛涛ふんせんとうとう!」
「「ギギャァァァァッ!!」」

 アルテスタ製の間欠泉エナジーゲイザー。地面から一気に立ち上ったエネルギーの噴出が、サラマンダーの身体を大きく宙へと打ち上げていく。
 数匹のサラマンダーが上空高くに飛ばされ、芝生に激突する頃には、その命は既に刈り取られた後で。急速に上空に飛ばされたせいで、気絶と低体温が同時にその身を襲ったのだろう。
 ようやく出現ポイントを、異世界と繋がる『ゲート』を探しやすくなった。標さんと松野さんが揃って声を張る。

「だいぶ減ってきたね。センター、どう、見えた!?」
「オペレーター、特定をお願いします!」

 二人が二人とも、オペレーションを行う人員に『ゲート』位置の特定のために指示を仰いでいた。
 魔物出現レーダーは、監視衛星の画像と熱センサーからの情報を複合的に組み合わせて、魔物の種別や位置を高精度で確認する。先程まではサラマンダーの数が多かったから出現位置を探りようがなかったが、数が減った今ならポイントを見極められるわけだ。
 しかしてほとんど間を置かずに、標さんが俺へと視線を向けて走り出す。

「……オーケー、向かいます! 交野君、光丘高校口側の休憩所、そこから出てる!」
「こちらでも確認が取れました。行きましょう! 他の符術士たちも向かっています!」

 松野さんと上田さんも同じタイミングで走り出した。先んじて芝生広場に向かっていたエーエムビーの残り三人とも合流して、『ゲート』へと向かっていく。
 気付けば芝生広場に展開していたエストレージャアミュレッツ、ビートダウン、エーエムビー、カルラ……総勢四十名以上の符術士が、芝生広場の西側にある、休憩所の周囲を囲んでいた。

「あれか……! 確かにサラマンダー湧いてるっすね!」

 現場に到着した俺は目を見張った。
 休憩所の屋根の下には確かに柱状をした淡い光が、『ゲート』が開いていた。そこからどんどん、噴水から水が湧き出すようにサラマンダーが現れている。
 『ゲート』は俺達の目には薄ぼんやりと光る、淡い光の柱として知覚できるが、衛星のカメラには何故か写らない。ただ何もないところから魔物が次々と溢れ出しているように見えるというのだから、世の中不思議だ。
 この『ゲート』を閉じれば、今回の緊急出動もミッションクリア。無事に仕事は解決となる。
 と、胸元の護符を掴む俺の隣にすっと、数匹のブラッドドッグを引き連れた牟礼さんが割り込むように入ってきた。

「破壊スル。行クゾ、コゾウドモ」
「センター、テスター1、テスター2、『ゲート』破壊フェーズに移行します!」

 牟礼さんの言葉と、標さんの報告に、こくりと頷いて、俺は胸元から黒波ブラックウェイブの護符を取り出した。実装試験のために持ち出したはずなのに、なんだかもう使い倒しまくっていて、すごい申し訳ない。

黒風白雨こくふうはくう波濤壊壊はとうかいかい!」
玉石同砕ぎょくせきどうさい弾岩雷雷だんがんらいらい!」

 隣で標さんも石雨ストーンショットを発動させる。黒い波と石の雨がサラマンダーの身体を打っていく。他の符術士たちも各々の使う護符を手に、苛烈にサラマンダーを攻め立てていた。
 その横で牟礼さんも共にいたブラッドドッグへと指示を出した。彼と比べていくらか小柄なブラッドドッグは、いずれも子供たちなのだろう。

「オ前達、行ケ!」
「ハイ、パパ!」
「ウォォォォ!」

 返事を返し、果敢に吠えながら、ブラッドドッグがサラマンダーへと噛みついた。
 と、噛みつかれたサラマンダーが激しく身をよじり、ブラッドドッグの身体を振りほどこうと暴れた。尻尾付近に噛みついていた一匹が、コンクリの地面に叩きつけられる。

「ギィィィッ!」
「ギャンッ!」
「あ……ッ!」

 痛みに悲痛な叫び声を上げたブラッドドッグが、叩きつけられた反動で『ゲート』に飛び込んだ。
 『ゲート』は異世界と繋がる門だ。あちらから魔物が来ると同様、こちらからあちらに行く、ということも起こり得る。それを潜れば一瞬で、異世界まっしぐらだ。
 しかして『ゲート』に飛び込んだブラッドドッグの姿が掻き消え、悲痛な声も消えていく。その一部始終を見ていた牟礼さんが、大きく舌を打った。

「……チッ」
「牟礼さん、子供が……!」
「構ウナ」

 舌を打ちながらも短くそう言って、牟礼さんが一際大きなサラマンダーに突進していく。
 その、あまりにもあっさりとした態度に、俺は思わず牟礼さんを信じられないような目で見てしまった。戦闘中だというのに。

「交野君よそ見しない!」
「あ、はいっ!」

 果たして標さんから厳しい声がかかる。どんどん倒されていくサラマンダー。瞬く間に『ゲート』の周辺で動く魔物がいなくなる。
 『ゲート』の様子もちらと伺ったが、あの向こう側に消えていったブラッドドッグが、こちらに戻ってくる様子はない。帰還を諦めたのか、そもそも帰還できる状況じゃないのか。
 そんな俺の悶々とした思いなど誰にも気づかれないで、エストレージャの符術士が周囲を見渡しながら声を張り上げた。

「よし、ゲート前クリア。破壊フェーズに入るぞ!」
「召喚系、放出系の護符を持っている符術士、前に出て!」

 カルラの符術士の号令に合わせて、数名の符術士が護符を片手に前に出た。標さんも前に出て、水龍召喚ウォータードラゴンの護符を手に持っている。
 そして、彼らは一斉に発動詠唱を唱えた。

一暴十寒いちばくじっかん水竜来来すいりゅうらいらい!」
「マニフェステーション、ヒート・レイ!」
雷霆万鈞らいていばんきん紫電壊壊しでんかいかい!」
「マニフェステーション、マダムバタフライ!」

 アルテスタの護符の八音二節と、エヌムクラウの護符の二文の詠唱が、一斉に響く。次の瞬間に、『ゲート』目掛けて全くの同時に、水龍と大量の蝶、熱を帯びた光線と雷撃が一直線に飛んだ。
 四種の攻撃を同時に受けて、淡く光っていた『ゲート』が不規則に、激しく輝きだす。その光は見る間に激しさを増していき、空気がびりびりと震動を始めた。
 号令をかけたカルラの符術士が、スマートグラスに手をやりながら緊迫した声で大きく叫ぶ。

「一二一八、『ゲート』臨界到達、消滅します! 総員耐ショック・閃光姿勢!!」
「交野君、耳塞いで目閉じてしゃがんで!!」
「っっ!!」

 既にしゃがんでいる標さんに強く言われ、俺が咄嗟にしゃがんで耳を塞ぎ、目を閉じた瞬間。
 全身を貫くような爆発音と、目を閉じていても分かるほどの眩い閃光が、俺を襲った。同時に爆風が俺の身体に衝撃を与えてくる。
 爆風が駆け抜けて、ようやく刺激から解放された俺が恐る恐る目を開けると、休憩所の屋根の下に確かにあった『ゲート』は跡形もなかった。
 ただ、爆風で吹き飛ばされたサラマンダーの死体と、薙ぎ倒された休憩所の石製のベンチがあるだけだ。
 時刻は午後零時十八分、これで緊急出動要件は解決、である。

「消えた……『ゲート』の破壊って、こんな感じなんっすね」
「ああ。召喚系、放出系の護符を一斉に叩きつけて『ゲート』の転移力を上回るエネルギーを送り、臨界点に到達させて爆破消滅させる。
 これでもう、あちらの世界からサラマンダーがやってくることは無い……新しく『ゲート』が開かれない限りはね」

 ようやく安心できた、と言った様子で肩の力を抜く標さんが、安堵の笑みを浮かべながら言った。
 周囲を見れば、他の団体の符術士たちも互いに健闘を讃え合い、労いあっていた。これでようやく、緊急出動の案件が完遂したということなのだろう。
 しかし、俺はどうしてもさっきのブラッドドッグが気がかりだった。『ゲート』が消滅した以上、もうこちらに戻ってくる手段は無いのだ。
 ふっと横を見ると、俺の隣で牟礼さんが自分の身体を舐めて毛づくろいをしていた。やはり先程の爆風で、身体の毛に色々ついたらしい。

「てことは、さっき『ゲート』を潜っていった、ブラッドドッグは……」
「ソウ言ウコトダ。アイツハ転移シタ途端ニ高温デヤラレテイルカモシレン。生キテイタトシテ、さらまんだーノ棲ム異世界デ生キテイクシカナイ。
 ダガ俺ハ常カラ、子供タチニハヨク説明シテアル。俺達ハイツ死ンデモオカシクナイカラ、ソノ覚悟ヲシテオケ、ト」

 諦念の色を瞳に湛えて、牟礼さんは『ゲート』があった場所をまっすぐに見つめていた。息子か、娘が異世界に飛ばされた入り口は、もうそこにはない。帰る手段もない。
 しかし、牟礼さんの子供は根っからの魔物だ。魔物である以上、異世界でだとしても何とか生きていかなければならないのだろう。
 思いを断ち切るように、一瞬目を閉じると。牟礼さんの顔が俺と標さんの方へと向いた。

「コゾウ、シメギ、一先ズハ、オ疲レサマ、ダ。特ニコゾウハ、緊急出動ハ初メテダロウニ、ヨクヤッタ」
「お疲れ様っす……てか、牟礼さん、もう隠すの諦めてるじゃないっすか。昨日の今日っすよ」
「えー……なに、交野君、どういうことこれ。このブラッドドッグ、本当に牟礼さんなの?」

 ため息を零しながら、牟礼さんに応える俺に、標さんが俺と牟礼さんの顔を交互に見つつ目を見開いた。
 当然と言えば当然の反応だ。魔物だと思ったら魔素症患者で、しかもその魔素症患者が昨日まで同じ職場で働き、人間の姿を見せていた人物だという。俄かには信じがたいだろう。

「ていうか、標さん牟礼さんのにおい分かるんでしょ、なんでそのにおいで牟礼さんが魔物化してるって分かんなかったんっすか」
「い、いやー、獣臭いなってのは分かってたんだけど、おうちでペットでも飼ってるのかなぁって思ってて……」

 不審げな視線を向ける俺に、後頭部を掻いて笑いながら目を背ける標さんだ。
 と、そこに。符術士らしからぬ靴音を響かせ、二人分の足音がこちらに近づいてくるのが聞こえた。同時に周囲に残っていた符術士たちが騒めきだす。
 何事か、と足音の聞こえた方に視線を向けると。

「ま、牟礼君のその症状、標君も間渕君も知らなかったとしても無理がない話だけどね。そのブラッドドッグは確かに牟礼君だよ、標君」
「そのことを知っている奴もいるようだがな……お前はどこで知ったんだ、交野元規」

 そこには、護符工房アルテスタの社長である四十万竜三と、同じくアルテスタの顧問医師である吾妻泉那がいた。
 『黄金竜』と『死なずの泉』。
 日本国内でも有数の知名度を誇る、ビッグネーム二人が揃って現れたことに、動揺しない符術士はいないだろう。
 そしてそれは、アルテスタに勤務する俺達三人にも、動揺をもたらしていた。

「……社長、先生」
「えっ、吾妻先生に、四十万社長。どうしてここに?」
「間渕君から報告を受けたのさ。魔素症患者判定のあるブラッドドッグが現場にいるってね。牟礼君だということまでは、彼女は気付かなかったようだが」

 いつものように火の点いたタバコをくわえ、くいと口角を持ち上げながら吾妻先生が笑った。
 間渕さんから報告が行っていたのなら納得だが、それにしたって何故ここに。
 その疑問の答えは、社長が自ら出してくれた。

「……また閾値・・を超えたな、牟礼考志」

 腰を下ろし、大人しく座る牟礼さんに向かって、サングラスの奥の真っ赤な瞳を鋭く向けながら、低い声色で告げる社長。
 その言葉を聞いた牟礼さんが静かに首を垂れるのを、俺は何も言えずに、ただ見つめているのだった。
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