サラリーマン符術士~試験課の慌ただしい日々~

八百十三

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第2章 苦悩する男と人狼騎士

第11話 入社当日

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 その後も俺は、事あるごとにアルテスタに「出勤」しては、内部試験をさせてもらったり実装試験に同行したりして、試験課の仕事について学んでいった。
 制服の採寸やメールアドレスの発行も完了して、ある程度専門学校の方が落ち着いたらアルバイトとして雇用もしてもらって、符術士のC級企業ライセンスも発行してもらって、四月一日からすぐにでも働ける、という環境が整った。
 間渕さんや標さんともだいぶ打ち解けて、牟礼さんに邪魔者扱いされなくなった頃合いに、俺はその日を迎えることになる。



 西暦二〇一九年四月一日。護符工房アルテスタ二階、大会議室にて。
 クリーニングから戻ってきたばかりのスーツに、グリーンのネクタイを締めて、俺は背筋をびしっと伸ばして椅子に腰掛けていた。
 俺の左隣には俺と同じように、スーツを着て背筋を伸ばし、ガッチガチに緊張した表情の、髪をツーブロックに刈り込んだ青年が座っている。
 彼の名前は千葉ちば 研矢けんや。神奈川県にある川崎大学の符術学部出身の二十二歳。開発課に配属になる、俺の同期だ。
 やはりと言うか何と言うか、二〇一九年四月入社の新卒社員は、俺と千葉君の二人だけ。俺達が入っても二十人いない小さな工房だから、あんまり新卒を多く採ってもしょうがないのはあるのだろう。
 だが逆に言うと、あれだけ高倍率の求人を乗り越えて入社してきた千葉君は、結構なエリートということだ。それは間違いない。
 間違いないのだが。

「交野さん……自分、緊張しすぎてやばいんですけど……」
「大丈夫だって千葉君、入社式だぜ? 数ヶ月前から研修で会社に来てるんだし、面接ん時より楽だろ」

 びくびくおどおど、と言った雰囲気を身体全体で出している千葉君が、すがるような目で俺を見る。
 どうやら彼、凄まじいレベルでビビリらしい。
 昨年の十二月に内定者懇親会があって、俺と初めて顔を合わせた時に「ぃっ!?」と一声漏らしてしばらくは喋れなかったし(後から聞いたらまさか自分以外に内定者がいるとは思わなかったらしい)、事前研修で開発課に行った際、開発課の渡来わたらいさん(試験課時代に深度三の魔素症をやって、見た目は完全にスライム)の姿を見て卒倒しそうになっていたとか。
 一度、俺と標さんが実装試験の帰りに退勤直後の千葉君と鉢合わせた時なんかは、二人ともの制服があちこち血で染まっていたのを見た千葉君が本当に気絶して頭を打ってしまい、救急車を呼ぶ騒ぎになってしまったこともあった。

「二人とも、そろそろ入社式を始めますよ。服装を正して、ネクタイも直してください」

 演台の隣に立っていた社長秘書の秋津あきつさんが、ツーポイントの眼鏡をくいと指先で押し上げた。
 きりりとした真面目な雰囲気の秋津さんは、吾妻先生の話によると社長やこん課長が現役の符術士だった時代から、マネージャーとして彼らをサポートしてきた人らしい。マネジメントスキルは折り紙付きということだ。ついでに結構厳しいらしい。
 なので、俺も千葉君もおしゃべりを止めて姿勢を正した。同席している開発課の先輩社員も、試験課の三人も、さらに言えば総務課の社員も、会話をぴたりと止める。
 大会議室がしん、と静まり返ったことを確認すると、秋津さんが壁の時計に視線を投げた。十時ちょうど。

「それでは、ただいまより二〇一九年度、護符工房アルテスタ入社式を行います。
 まずは社長である四十万竜三より挨拶をいただきます。社長、お願いいたします」

 秋津さんの促す声に、社長が視線を投げて返すと、そのまま演台に向かってすたすたと向かっていった。
 演台に両手をついて、真っすぐに俺と千葉君を見つめてくる。サングラスは今日はかけていない。燃え盛る炎のような色をした切れ長の瞳が、俺達を射抜く。
 身の竦むような思いがして、俺はびしっと背筋が伸びるのが分かった。

「交野元規。千葉研矢。まずはお前たち二人の入社を、心から歓迎する。
 二〇一四年七月一日に護符工房アルテスタを設立してから、今日でちょうど四年と八ヶ月。年度で言えば、五年目に突入したわけだ。
 開発課六名、試験課四名、総務課五名、医務室一名、総勢十六名。ここまで工房の経営に支障なく業務を遂行してこれたのは、社員全員の力があってこそだ。ここに新たに二人が加わる。
 工房を動かしていくという力は、お前たち二人についても間違いなく要求される。そして間違いなく備わっている。お前たちの働き如何で、工房がさらに大きくなることも十分にあり得る話だ。一年目だからと委縮することはない。
 臆するな。逃げるな。しかし死ぬな。
 それを肝に銘じて、業務を遂行してもらいたい。
 ……以上だ。お前たちの今後の活躍に期待する」

 身を乗り出すようにして話をしていた社長が、演台から手を放す。
 後方からパチパチと、盛大な拍手の音が聞こえてきた。釣られるように俺も千葉君も、社長の言葉に手を打ち鳴らす。
 社長が演台から退出するのを確認した秋津さんが、ちらりと左手側に視線を投げた。

「それでは続きまして、各課の課長よりお言葉をいただきます。開発課、大田原おおたわら課長、前へどうぞ」

 俺達の右手側に向けられた視線を受けて、まず歩き出したのは大柄な体格をした男性だ。年の頃は社長と同じか、少し下というくらいだろうか。
 演台の前に立った大田原課長が、静かに頭を下げてから口を開く。

「開発課の課長を務める、大田原です。二人とも、入社おめでとう。
 近年、魔物の出現件数も増え、護符の需要はどんどん高まっています。護符を開発する開発課のメンバーも、その護符を試験する試験課のメンバーも、仕事が多すぎて取りこぼす案件があるくらいに、今は人手が必要な状況です。
 二人は入社前研修を行っているから、明日からでもすぐに仕事に就いてもらうことになるでしょう。特に試験課の交野君は、研修時点で既に現場に出ていると聞きます。
 是非とも頑張って、素晴らしい護符を世に送り出してください。期待しています」

 そう話した大田原課長がもう一度頭を下げる。再び起こる拍手と共に、演台の前から退いていく大田原課長を、隣の千葉君は尊敬の眼差しで見ていた。
 自分の上司になる人間の話だ、尊敬の念を直接向けるのは自然なこと。話の内容に感銘を受けるのも自然なことだ。
 そして俺は、その思いを抱ける千葉君が、ちょっとだけ羨ましかった。
 ちらりと視線を俺の右側、課長たちが立ち並んでいる方へと向けると、戻ってきて再び直立の姿勢になる大田原課長と、総務課の長である野際のぎわ課長が、そこに並んでいる。
 そう。試験課の今課長の退院は、入社式の日に間に合わなかったのだ。

「試験課、今課長につきましては、魔素症の治療により入院中のため、お手紙を預かっております。代読いたします」

 秋津さんがスーツの内ポケットから、折りたたんだ便箋を取り出す。それを開くと、ゆっくりと読み上げ始めた。

「『二〇一九年度新入社員の皆さん、入社おめでとうございます。試験課の課長を務めています今路夫こんみちおです。
 病床のため、皆さんに直接挨拶が出来ないことをお許しください。
 二〇一四年の魔竜王災害を乗り越えてから数年間は、魔物の侵攻も落ち着きを見せていましたが、この一、二年で再び増加傾向にあり、侵攻してくる魔物も強力なものが増えています。
 二つ名持ちの優秀な符術士であっても、油断ならないのが現状です。
 皆さんには、出来る限り長く生きて、色々な経験を積んでほしいと思います。そうして、この異世界からの侵攻を食い止め、平和な日々を取り戻してほしい。そう願って已みません。
 ようやく症状が落ち着いてきたので、もう少ししたら外出できるようになると思います。成長した皆さんの顔を工房で見るのが楽しみです。
 アルテスタでの仕事を、是非とも頑張ってください』……以上です」

 便箋を再び折りたたんだ秋津さんへと、拍手が沸き起こった。俺も頬が紅潮するのを感じながら、拍手する手を止められずにいる。
 今課長とは、二月の下旬に牟礼さんと間渕さんと一緒に病院まで面会に行った。深度四の魔素症によって精神も変質し、完全に魔物と化した課長は車椅子に拘束されていたが、穏やかそうな表情と目つきをしていた課長との顔合わせは、終始和やかに進んだ。
 「人格の統合は済んだので、来月から能力を制御するために訓練する準備を整えている」と、顔合わせの時に話していたから、今は魔物の力を我が物にするべく訓練をしているのだろう。

 俺が今課長の手触り最高なもっふもふの尻尾に思いを馳せていると、演台には総務課の野際課長が立っていた。

「えー、総務課の野際です。お二人とも、入社おめでとうございます。
 我が工房アルテスタは、ご存知の通り小さい工房です。しかし、だからこそ社員一同は仲間として――」

 野際課長の話を聞きながら、俺は膝の上の両手をぐっと握った。
 これから、俺の社会人生活が、企業所属の符術士としての生活が始まるのだ。
 明日からの日々がどのように波乱万丈に展開していくのか。俺の心は人知れずに高鳴るのだった。
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