サラリーマン符術士~試験課の慌ただしい日々~

八百十三

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第1章 護符工房アルテスタの一員として

第10話 素材回収

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 結局、間渕さんはアルテスタの工房に帰るまで、アメジストカーバンクルの遺体を抱いたままだった。
 エントランスの扉を開けて、階段から下に降りようかというところで、総務課のエリアから制服に身を包んだ小柄な女性が一人、こちらに歩いてくる。

「あっ、時雨さん! 試験帰りですか、お疲れ様です」
柚木園ゆきぞのさん……ありがとう」

 朗らかな笑顔をした女性に小さく頭を下げると、扉を閉めた俺へと間渕さんが視線を向けてくる。

「交野さん、彼女は総務課の柚木園ゆきぞの 桜子さくらこさん。今年新卒で入って来た、貴方の一つ上です」
「あっ……えと、来年春から入社の、交野元規です。よろしくお願いします」

 総務課と聞いて、俺はちょっと身体が強張るのを感じながらも、柚木園さんに頭を下げた。もしかしたら採用試験の際に、俺の名前が知られているかもしれない。
 そんな俺の予想、というか懸念は、幸か不幸か的中することになる。

「あー! 交野さん、知ってます知ってます。東京符術士専門学校の! アルテスタにようこそ、今日は研修ですか?」
「えー、まぁ、はい……そんなとこっす」

 やはり、知られていた。
 社内でも何かしらの形で噂になっていたのだから、ある意味当然の反応ではあるが、学校名まで把握されているということは、採用にも関わっているのだろう、ここの総務課は。
 俺の顔が、自然と申し訳なさでいっぱいの表情へと変わっていく。

「その、すんません、あんなぐっちゃぐちゃの履歴書で……」
「いいんですよー気になさらず。誤字があったくらいでちゃんと読めましたから」
「ぐっ」

 朗らかな笑顔のままでズバッと言ってくる柚木園さんに、俺は少々気圧された。この女性、可愛い顔してかなり容赦がない。
 俺をやっつけた柚木園さんは、ぼうっと立ち尽くしていた間渕さんの手の中に抱かれたアメジストカーバンクルの遺体を見ると、ぱぁっと目を輝かせた。

「わぁぁっ、カーバンクル! 可愛い~、さっき千川通りに出たやつですか?」
「えぇ……もう、息はありません。これから素材回収・・・・を行います」
「あー、そうですよねぇ。いいなぁ、私も一匹欲しいなぁ、アメジストの子まだいないんですよー」
「柚木園さん、また増やすつもりですか。お住まいにはもう三匹いるでしょう」

 ため息をつきながら、呆れた表情で柚木園さんを見ている間渕さんをよそに、柚木園さんは物言わぬ骸となったアメジストカーバンクルを撫でている。光柱シャインピラーの護符で体内の魔素を不活性化させたから、外傷はなく綺麗なものだ。眠っているようにしか見えないのもあって、柚木園さんもメロメロなのだろう。
 その手をそうっと外させながら、間渕さんは螺旋階段へと身体を向けた。

「ともあれ、素材を回収したら品目内訳を回します。交野さん、行きましょう」
「えっ、はいっ……!」
「お疲れ様でーす。あ、交野さんは素材回収が終わったら総務課に来てくださいね、制服の採寸をしますのでー」

 にっこりと笑顔を向けながらこちらに手を振る柚木園さんに、小さく手を振り返して、俺は下の階へと降りていった。



 地下一階、試験課のエリア。俺と間渕さんがアメジストカーバンクルを抱えて中に入ると、標さんがこちらに近づいてきた。

「間渕さん、交野君、お疲れ様! アメジストカーバンクル、無事に倒せたかな」
「はい、大丈夫でした。実装試験も滞りなく」
「あれ……牟礼さんは?」

 標さんにアメジストカーバンクルを渡す間渕さんの隣で、俺はきょろきょろとフロアを見回した。実装試験を指示してきた牟礼さんの姿が、フロアの中に無い。
 俺の言葉に、標さんは小さく笑うと、片腕を俺達の後方へと伸ばした。その先は、リフレッシュルームだ。

「牟礼さんはリフレッシュルームで休憩中だよ。多分、いつものように人をだめにするクッションに埋もれてるんじゃないかな。
 今さんが離脱している間は、牟礼さんが課長業務もやらないといけないからね。どうしたって疲労は溜まるってわけさ」
「はー……代理ってわけっすか。大変っすね……」
「そういうこと。さて、それじゃ素材回収のレクチャーをしようか。交野君、こっちおいで」

 苦笑しながら肩をすくめる標さんが、伸ばした腕を自分の方へと引き寄せた。そのままこちらに背を向けて、壁際に設えられたガラス製の壁で区切られたところに歩いていく。
 どうやら、あそこが素材回収に使う腑分け室・・・・ということらしい。
 自分のデスクに戻ってパソコンを立ち上げる間渕さんと別れて、俺はそのガラス壁の内側に入っていった。

 腑分け室は、人二人が入れはするものの、少し窮屈な広さの部屋だった。
 中には魔物の身体を乗せる作業台、ゴム製の長手袋、腑分けに使うナイフに、ハサミ。天井では換気扇の回るごうごうという音が聞こえている。
 長手袋を両腕に嵌めた標さんが、アメジストカーバンクルの身体を作業台の上に横たえながら口を開く。

「今回みたいに小型の魔物の場合は持ち帰って腑分けを行うけれど、中型以上の魔物の場合は現場で腑分けを行う。今日、池袋でやったみたいにね。
 だから、ここでやるみたいに綺麗な状況で腑分けを出来るとは限らないけれど、基本的なやり方は一緒だから、よく覚えておいで」
「うっす……ってか、ここって試験課で腑分けするんっすね。あれだけ世の中に解体屋がいるから、委託かなんかしてるのかと」

 スムーズな手つきでアメジストカーバンクルの一体を仰向けに固定して、ナイフを手に取る標さんに、俺は予想外な風を隠すことなく言葉に出した。
 学生時代、魔物を倒した時は解体屋に連絡して魔物を引き取ってもらうのが常だった。今じゃコンビニみたいな感覚で、あちこちに解体屋の店舗が出来ている。
 大手の工房だと解体課という、魔物の腑分けと素材回収を行う部署があるので、今日池袋にやって来ていたエヌムクラウの社員の一人くらいは、そういう部署なのだろうと思ってはいたのだけど。アルテスタは試験課イコール、解体課ということか。
 標さんがアメジストカーバンクルのお腹に宛がったナイフをいったん外して、俺に視線を向けてくる。

「解体屋に委託してもいいんだけれど、お金がかかるしね。
 それに魔物の素材は護符を作るのに非常に重要だ。それそのものが護符の材料になるのもあるし、生体サンプルを元に護符の効果、魔素不活性化の効果を測定したりもする。
 交野君は学生の頃、自分で腑分けをすることはなかったと思うけれど、これからは自分の手で腑分けをする機会が増えることだろう」

 真剣な表情で俺を見つめる標さんの瞳が、きらりと光る。
 その視線を受けてごくりと唾を飲み込む俺を見て、ふっと柔らかい笑顔を見せると、標さんはアメジストカーバンクルの柔らかな腹部を一直線に切り裂いた。

「魔物の素材回収で、まず一番大事なのは心臓・・骨髄・・だ。
 心臓は魔物の生命力の根幹、素材として非常に強い力を持っているし、大概の場合魔素を作り出す魔嚢まのうという器官がくっついている。
 骨髄は魔物の血液を作り出す造血幹細胞の存在が重要でね、護符の図案を描くインクは魔物の血を精製したものを使うから、護符を描く材料の最重要物品になる」
「そうっすよね……あれ、でも今って人工の血液インクが開発されて、そっちが一般的になってるんじゃないんっすか?」

 アメジストカーバンクルのお腹を切り開き、中の臓腑をより分けていく標さんの言葉に、俺は目を見張った。
 護符の技術が確立した当初は魔物から血を採取して護符を描いていたと聞くが、今の時代は人工的な魔物の血液が開発され、その血液を精製して作り出した血液インクを使うことが大半だ。
 実際、人工の血液インクはだいぶ安い。百ミリリットルのボトル一本を三百円くらいで買えるし、そこら辺の文房具屋でも取り扱いがあるくらいには一般的になっている。ちなみに血液インクも、国内最大手はシロクラボだ。
 胃や腸、肝臓や膵臓を切除しては取り出していく標さんが、カーバンクルの体内に視線を当てたままでこくりと頷く。

「うん、うちの工房でも市販品の護符には血液インクを使っているよ。その方がコストもかからないし、管理も楽だからね、生の血液と違って腐ったりしないし。
 ただし、MTO品になると話が変わってくる。勿論ここに血液インクを使うこともあるけれど、強力な護符を求められた場合はそれじゃ足りない。そこに、魔物から採取した血液を精製したインクを使うんだ。
 実際社長は未だに、天然物の血液インクを愛用して護符を描いているよ。
 ……さあ出てきた。交野君、見える? これがアメジストカーバンクルの心臓だ」

 あらかた腹側の臓物を外に取り出した標さんが、腹の皮をぺらりとめくって俺に見せた。その内側、掌に納まる程度のサイズをしたカーバンクルの心臓が、体液に濡れててらてらと光っている。
 心臓の形そのものは人間や哺乳類とさして変わらない、二心室二心房の形状だが、左心室の外側にへばりつくようにして、瘤のようなものが見える。
 この瘤が、先程標さんの話した魔嚢まのうだ。

「魔物の心臓って、こんな風になってるんっすね……」
「カーバンクルは哺乳種だから、犬や猫とそんなに変わらない。これがドラゴンやランドシャークみたいな竜種、海洋種だと、また変わって来るけどね」

 標さんの手が、カーバンクルの心臓をそうっと持ち上げた。手の中で胡桃ほどの大きさの心臓が、ぷるんと震える。
 心臓を支えるようにしながらハサミを手に取った標さんの目が、俺の方へと向いた。

「交野君、今から心臓を切除するわけだけど、大事なことが一つある。今僕が装着している防護用の長手袋。これを決して忘れないこと。
 心臓の中にも、切断する血管の中にも、魔素がたっぷり含まれた血液が入っている。横着して手袋をしないで切除して、血液が手にかかって小さな傷口から侵入して、魔素症を発症した、なんてケースは多くあるんだ。
 交野君はグレード4だから、魔物の血液を直で浴びてもなんともならないかもしれないけれど……それでも、用心はしないとね」

 そう話しながら、標さんがハサミを使って心臓に繋がる血管を切断した。細い血管から紅い血液が零れ出し、カーバンクルの体内に溢れる。
 続けざまに他の血管も切り離して、すっかり身体から切り離された心臓を、標さんはゴム手袋をした両手でそうっと抱え上げる。
 水色のゴム手袋の中でぷるんと震える、小さなカーバンクルの心臓。この中に、魔物の力が、魔素が、たっぷりと詰まっている。
 取り出した心臓をパウチに入れて封をすると、「素材」と書かれたトレイの上にそのパウチを置く標さん。続けてハサミを片手にアメジストカーバンクルの皮を大きくめくる。

「次は骨髄だけれど、これはそんなに難しいことじゃない。背骨をバチン、とハサミでカットすればオッケーだ。
 だけど骨髄は丁寧に保護しないと乾いちゃうからね、切り取ったらすぐにパウチに封入するのを忘れないこと。いいかな?」
「はいっ!」

 発言しながらハサミを背骨に入れて、一気に切り取る標さん。もう一度ハサミを入れて背骨を取り出すと、すぐさま引っこ抜いてパウチに収めた。
 そこまでやって、ようやく標さんの顔から緊張の色が消える。

「これでよし、と……あとは魔物によって、素材になる箇所が違うから、ここは個別に覚えてね。カーバンクルならさっき取り出した肝臓と、額の宝石、手足が素材になる。
 それらを取り出したら、魔物の素材を買い取ってくれる素材屋さんに買い取ってもらう分、自分たちが護符を描くのに使う分、って分けるんだけど、ここは開発課がより分けてくれる。
 これらの解体が終わったら開発課に持って行くからね」
「はいっ、ありがとうございます!」

 そう話す標さんに、元気よく返事をする俺。そうする間にもカーバンクルの両手両足が切り落とされ、額に生えた宝石が外され。
 あっという間にカーバンクルは肉の塊となり、回収された素材がパウチに封入されてトレイに積まれている。

「これで素材回収は終わり。出た肉や臓物については、こっちにミンサーがあるから、これに放り込んでミンチ状にして廃棄だ。
 さ、それじゃあ交野君、一匹解体してごらん」
「えっ、今からっすか!?」
「こういうのは何事も経験だからね。大丈夫大丈夫、じきに慣れるよ」

 作業台の上からカーバンクルの身体をどけて、溢れた血液や体液をさっと掃除した標さんが、笑顔で話す。そうして作業台の上に載せられる、次のアメジストカーバンクル。
 恐る恐る、俺はゴム手袋を両手に嵌めてナイフを握る。生きている魔物を斬るのはよくやって来たことだけれど、死んだ魔物に刃物を入れるのは初の経験だ。
 怖い、が、やるより他にはない。これも仕事だ。
 アメジストカーバンクルの柔らかな毛皮を押しのけて、奥の柔肌にナイフを押し当てると。
 ぷつりという音と主に、ナイフが肉を切り裂くのが分かった。
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