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第1章 護符工房アルテスタの一員として
第2話 戦闘訓練
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面接を終えた後、俺は社長に連れられて工房の内階段を下っていた。
中を案内してくれるのかとも思ったが、作業フロアである1階と地下1階は素通り。どうもそういうわけではないらしい。
「しっかしお前も物好きだよな、どうしてうちの試験課なんかに応募しようと思ったんだ」
ステンレス製の階段をカンカンと音を鳴らして降りる社長が、俺の方へと顔だけ振り返る。
スーツのポケットに手を突っ込み、オールバックにサングラスというその出で立ちは、やはり並大抵の人間ではない。咥えタバコでもやっていたら完全にそちらである。
しかし内定を貰えた高揚感に浮かれる俺は、気にすることもなかった。
「えー? だってアルテスタの護符ってかっこいいじゃないっすか。高威力、広範囲、その一枚が命を救う! ってキャッチコピーに偽りなしで。
そんなかっこいい護符の運用テストに関われるなんて、夢みたいじゃないっすか」
「試験課の現実はそんなに甘くねぇぞ、交野元規」
瞳をキラキラさせる俺の言葉を、再び前を向いた社長は冷淡に受け流した。
「高威力、広範囲、一枚使えば十の魔物が倒れ伏す。大いに結構、それが俺の護符作製の信条だ。
だがそれはすなわち、一歩間違えれば術者どころか仲間にも危害が及ぶ危険物ってこった。製品として世に出ている護符なんぞ、テストにテストを重ねてようやく他人に使わせられるレベルに調整された汎用品に過ぎん。
お前ら試験課の社員がテストする護符は、AD法のフィルターを通されていない爆弾だ。下手をすれば自分の手が吹っ飛ぶ。
だからうちの工房は、開発課の志願者は山のようにいるが、試験課の志願者は年間通して二桁も居ねぇ。常時人手不足だ。そこに飛び込むなんざ、余程のバカか命知らずだろ?」
社長の言葉に、俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
試験課は、世に出る前の護符の試作品をテストするための部署だ。
護符流通法――Amulet Distribution Lawの頭文字を取ってAD法と呼ばれる――のガイドラインに適合するように世の中の護符は作られているし、ガイドラインに適合していない護符は流通できないように制限されているが、どの工房もそのガイドラインの中で、威力を高めたり、範囲を広げたり試行錯誤を重ねている。
一般市場に出回る量産品の他に、MTO品――Make To Order、すなわちオーダーメイド品だ――として客の要望を汲み取って作る護符もあるが、それらも試作を経ないと顧客の手には渡らない。
そうして作られた試作品を実戦の中で魔物相手に使用して、データを取るのが試験課の役目だ。
ただの符術士とはわけが違う。魔物だけでなく、使う護符によって命を奪われたり大怪我を負ったりすることもあるのだから。
社長の言った通り、志願者が極端に少ないためどこの工房も人集めに苦労している。そこに俺は果敢にも飛び込んだわけだ。
勿論、命知らずなのは百も承知である。ぐっと拳を握って俺は言葉を返した。
「……そう言われると、燃えてくるじゃないっすか」
「そこで怖気づくような奴だったら採ってないからな……
さて、ここがうちの工房の訓練室だ。とりあえず作業用のツナギがロッカールームにあるから、それに着替えてこい」
そう言いながら社長が靴音高く降り立ったのは、工房の建物の地下2階。コンクリート打ちっぱなしの壁に緩衝用の分厚いクッションマットが取り付けられた、殺風景な空間だった。
床や壁には多数の切り傷、焦げ跡、陥没した跡。激しい戦闘が行われた跡があちこちに残っている。
「はー、すっげー……で、社長、これから何するんすか」
「模擬戦だよ。成績証明書でお前の学業成績は分かってるが、戦い方や動き方は実物を見ねえと分からんからな」
あっさりとそう言いながら、社長はスーツの上着を脱いでネクタイを緩めていた。
模擬戦という言葉の意味を飲み込んだ俺が、思わず手に持った鞄を取り落としそうになる。鞄の中は筆記用具と財布、それにアルテスタの会社説明冊子くらいなものだ。護符も武器も入っていない。
「えぇぇ、今からっすか!? 俺、護符一枚も持ってきてないんっすけど!?」
「訓練用の護符を貸し出す。武器もだ。それを使って、俺と戦ってもらう。ほら、とっとと着替えに行くぞ」
脱いだ上着を肩に担ぎながら、社長がさっさとロッカールームへと向かっていく。
慌ててそれを追いかける俺だが、待ってほしい、社長相手に模擬戦だって?あの伝説的な戦士を相手に?
「ちょ、社長と戦うって、マジっすか!? あの、心の準備が」
「訓練にそんなもん要らん。いいから着替えるぞ」
そう言いながら社長の大きな背中がロッカールームに消えていく。
呆気に取られながらも社長の後に続いてロッカールームの中に入ると、社長は既にスーツを脱いでネクタイを外し、ワイシャツのボタンをはずしていた。
ワイシャツの襟元から、首や胸に何本もの傷が走っているのが見える。魔素を浴び続けた影響だろう、身体を包む筋肉の付き方も人間離れしている。
呆気に取られながらも俺はロッカーに鞄を入れ、スーツのジャケットを脱いだ。ネクタイを外してスラックスとワイシャツも脱ぎ、ロッカールームに吊られていったツナギから自分の体格にあったものを取って着替え、革靴も作業靴に履き替えた。
ふと横を見ると、社長は既に着替えを終えていた。タンクトップにカーゴパンツ。これから行うのが符術士同士の模擬戦なのでまだいいだろうが、それにしたって軽装すぎやしないだろうか。
そんなことは気にも留めないように、すたすた横を通り抜けつつ俺を見てくいと指を外に向ける社長。着替え終わったらとっとと出ろ、とのことらしい。
言外の意図を汲み取ってロッカールームを出ると、社長は一本の模造剣と、和紙製の護符を三枚、俺に渡してきた。
「訓練用の模造剣と護符だ。お前の使う剣のブランドがどこかは知らんが、国際規格だから使い勝手はそう変わらんだろう。
護符は閃光、火矢、風盾がそれぞれ使い捨て方式で一枚ずつ。模擬戦闘用の量産品だから気にせず使え」
社長から差し出されたそれを、俺はそうっと受け取った。
模造剣は標準的なサイズの片手剣だ。素材はステンレス製、木製の柄、刃渡り70センチメートル。両刃だが、刃は潰されて丸くされている。
三枚の護符はいずれも、業界最大手のシロクラボ製の模擬戦闘用製品。発動する形こそ正規品と寸分違わず同じだが、殺傷力を極限まで抑えた訓練用だ。中学校の体育の授業でもこれが使われている。
閃光は瞬間的に2500ルーメンの光源を発生させる補助符術。
火矢は秒速33.3メートルで飛翔する火球を一つ、対象に向けて発射する攻撃符術。
風盾は不可視の障壁を自分の目の前に発生させる防御符術。
いずれも特殊な効果を持たない、至極ありふれた護符だ。この三つを使いこなせるようになって、ようやく符術士として認められるようになるくらいにはベーシックである。
この三種類の護符から、現在様々な工房で開発されている護符が生まれていったといえるし、これをいち早く開発して特許を取った符術士・吾妻璃苑は日本を代表する億万長者になったそうだ。
吾妻家は今日でも護符業界で一目置かれる家だし、璃苑の威光は未だに健在だと言えるだろう。
ともあれ、模擬戦である。
「了解っす……で、社長、一線退いたとはいえ伝説にもなってる戦士に訓練つけてもらえるのはすっげー有難いんっすけど。
やっぱりこう……手加減とか、してくれるんっすよね?」
模造剣の使い心地を確かめながら、俺は上目遣いに社長を見た。
指の関節をゴキゴキと鳴らし、俺をサングラスの向こうにある瞳で見下ろしながら、口角をくいと持ち上げ社長は言った。
「そりゃあな。ま、殺さない程度に揉んでやるよ」
「いっ!?」
その言葉に俺は飛び上がりそうになった。実際心臓は大きく跳ねた。
社長の「殺さない程度に」という言葉が非常に怖い。それってつまり、殺す気でやっても何らおかしくないわけで。
内定を貰ったその日に半死半生になって病院に担ぎ込まれた、なんてなったら冗談ではない。小さく震えている俺をほっぽって、社長は訓練場の真ん中まですたすたと歩いていく。
そこからこちらを振り返って、社長が口を開いた。
「さてと、だ。俺はお前の本気の動きが見たいわけだが……このままじゃ本気でやりづれぇだろうから、一つ仕込みを入れるぞ」
カーゴパンツのポケットに左手を突っ込みながら、脱力した体勢でその場に立つ社長の右手の指が、まっすぐ俺に向けられる。
俺は気付いた。社長の左手、ポケットの中から取り出しつつある一枚の護符に。
「いいか、交野元規。これは模擬戦だが、模擬戦だと考えるな。魔物相手の実戦だと考えろ」
「社長? 何を……」
「爪牙収斂、猛虎来来!」
俺が言葉を投げるよりも早く、ポケットから抜き出した護符を額に当てた社長の声が轟いた。
刹那、護符が強い光を放つ。光は社長の身体を覆い隠し、俺の視界を白く染めた。そしてそれが収まった時に、俺は俺自身の目を疑うことになる。
護符工房アルテスタの社長、四十万竜三は確かに人間だ。人間だったはずだ。しかし光が収まった時、彼のいたところに彼はおらず。
その場所には黒い縞の入った黄金のごとき色をした毛皮に身を包み、筋骨隆々とした身体に数多の傷を刻んだ、タンクトップにカーゴパンツを身に付け、サングラスをかけた二足歩行の虎獣人が額に護符を当てて立っている。
「しゃ、しゃしゃしゃ、社長!? えっ、変身!?」
「『魔獣化』の護符だ。疑似的に体内を魔素で満たして深度四の魔素症を引き起こし、肉体と運動能力、神経伝達速度を魔物のそれに変える。
MTO品なんで一般の市場には出回ることのないやつだが、れっきとしたうちの作品だ。
今の俺は護符職人の四十万竜三じゃねぇ、ウェアタイガーだと思え」
困惑を露にする俺に、カーゴパンツのポケットに護符をしまった虎獣人が社長の声で言葉を投げてくる。
あそこに立っているのは間違いなく社長だ。声も、記憶や経験も社長のもの。しかしその肉体は人間ではない。魔物のものだ。
ぞくりと、俺の背中を怖気が走る。同時にきゅっと下腹部が締め付けられる感覚を覚えた。
世界最強の戦士の知識と経験、戦闘スキルを有する魔物と、一対一で、基本的な効果しかない僅かな護符で戦うなど。冗談ではない。
「す、す、すんません社長タンマ、俺なんか急に腹の調子が」
「つべこべ言ってんな、行くぞっ!!」
尻込みする俺に有無を言わせることなく、社長はまるで金色の矢のように飛び出した。
中を案内してくれるのかとも思ったが、作業フロアである1階と地下1階は素通り。どうもそういうわけではないらしい。
「しっかしお前も物好きだよな、どうしてうちの試験課なんかに応募しようと思ったんだ」
ステンレス製の階段をカンカンと音を鳴らして降りる社長が、俺の方へと顔だけ振り返る。
スーツのポケットに手を突っ込み、オールバックにサングラスというその出で立ちは、やはり並大抵の人間ではない。咥えタバコでもやっていたら完全にそちらである。
しかし内定を貰えた高揚感に浮かれる俺は、気にすることもなかった。
「えー? だってアルテスタの護符ってかっこいいじゃないっすか。高威力、広範囲、その一枚が命を救う! ってキャッチコピーに偽りなしで。
そんなかっこいい護符の運用テストに関われるなんて、夢みたいじゃないっすか」
「試験課の現実はそんなに甘くねぇぞ、交野元規」
瞳をキラキラさせる俺の言葉を、再び前を向いた社長は冷淡に受け流した。
「高威力、広範囲、一枚使えば十の魔物が倒れ伏す。大いに結構、それが俺の護符作製の信条だ。
だがそれはすなわち、一歩間違えれば術者どころか仲間にも危害が及ぶ危険物ってこった。製品として世に出ている護符なんぞ、テストにテストを重ねてようやく他人に使わせられるレベルに調整された汎用品に過ぎん。
お前ら試験課の社員がテストする護符は、AD法のフィルターを通されていない爆弾だ。下手をすれば自分の手が吹っ飛ぶ。
だからうちの工房は、開発課の志願者は山のようにいるが、試験課の志願者は年間通して二桁も居ねぇ。常時人手不足だ。そこに飛び込むなんざ、余程のバカか命知らずだろ?」
社長の言葉に、俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
試験課は、世に出る前の護符の試作品をテストするための部署だ。
護符流通法――Amulet Distribution Lawの頭文字を取ってAD法と呼ばれる――のガイドラインに適合するように世の中の護符は作られているし、ガイドラインに適合していない護符は流通できないように制限されているが、どの工房もそのガイドラインの中で、威力を高めたり、範囲を広げたり試行錯誤を重ねている。
一般市場に出回る量産品の他に、MTO品――Make To Order、すなわちオーダーメイド品だ――として客の要望を汲み取って作る護符もあるが、それらも試作を経ないと顧客の手には渡らない。
そうして作られた試作品を実戦の中で魔物相手に使用して、データを取るのが試験課の役目だ。
ただの符術士とはわけが違う。魔物だけでなく、使う護符によって命を奪われたり大怪我を負ったりすることもあるのだから。
社長の言った通り、志願者が極端に少ないためどこの工房も人集めに苦労している。そこに俺は果敢にも飛び込んだわけだ。
勿論、命知らずなのは百も承知である。ぐっと拳を握って俺は言葉を返した。
「……そう言われると、燃えてくるじゃないっすか」
「そこで怖気づくような奴だったら採ってないからな……
さて、ここがうちの工房の訓練室だ。とりあえず作業用のツナギがロッカールームにあるから、それに着替えてこい」
そう言いながら社長が靴音高く降り立ったのは、工房の建物の地下2階。コンクリート打ちっぱなしの壁に緩衝用の分厚いクッションマットが取り付けられた、殺風景な空間だった。
床や壁には多数の切り傷、焦げ跡、陥没した跡。激しい戦闘が行われた跡があちこちに残っている。
「はー、すっげー……で、社長、これから何するんすか」
「模擬戦だよ。成績証明書でお前の学業成績は分かってるが、戦い方や動き方は実物を見ねえと分からんからな」
あっさりとそう言いながら、社長はスーツの上着を脱いでネクタイを緩めていた。
模擬戦という言葉の意味を飲み込んだ俺が、思わず手に持った鞄を取り落としそうになる。鞄の中は筆記用具と財布、それにアルテスタの会社説明冊子くらいなものだ。護符も武器も入っていない。
「えぇぇ、今からっすか!? 俺、護符一枚も持ってきてないんっすけど!?」
「訓練用の護符を貸し出す。武器もだ。それを使って、俺と戦ってもらう。ほら、とっとと着替えに行くぞ」
脱いだ上着を肩に担ぎながら、社長がさっさとロッカールームへと向かっていく。
慌ててそれを追いかける俺だが、待ってほしい、社長相手に模擬戦だって?あの伝説的な戦士を相手に?
「ちょ、社長と戦うって、マジっすか!? あの、心の準備が」
「訓練にそんなもん要らん。いいから着替えるぞ」
そう言いながら社長の大きな背中がロッカールームに消えていく。
呆気に取られながらも社長の後に続いてロッカールームの中に入ると、社長は既にスーツを脱いでネクタイを外し、ワイシャツのボタンをはずしていた。
ワイシャツの襟元から、首や胸に何本もの傷が走っているのが見える。魔素を浴び続けた影響だろう、身体を包む筋肉の付き方も人間離れしている。
呆気に取られながらも俺はロッカーに鞄を入れ、スーツのジャケットを脱いだ。ネクタイを外してスラックスとワイシャツも脱ぎ、ロッカールームに吊られていったツナギから自分の体格にあったものを取って着替え、革靴も作業靴に履き替えた。
ふと横を見ると、社長は既に着替えを終えていた。タンクトップにカーゴパンツ。これから行うのが符術士同士の模擬戦なのでまだいいだろうが、それにしたって軽装すぎやしないだろうか。
そんなことは気にも留めないように、すたすた横を通り抜けつつ俺を見てくいと指を外に向ける社長。着替え終わったらとっとと出ろ、とのことらしい。
言外の意図を汲み取ってロッカールームを出ると、社長は一本の模造剣と、和紙製の護符を三枚、俺に渡してきた。
「訓練用の模造剣と護符だ。お前の使う剣のブランドがどこかは知らんが、国際規格だから使い勝手はそう変わらんだろう。
護符は閃光、火矢、風盾がそれぞれ使い捨て方式で一枚ずつ。模擬戦闘用の量産品だから気にせず使え」
社長から差し出されたそれを、俺はそうっと受け取った。
模造剣は標準的なサイズの片手剣だ。素材はステンレス製、木製の柄、刃渡り70センチメートル。両刃だが、刃は潰されて丸くされている。
三枚の護符はいずれも、業界最大手のシロクラボ製の模擬戦闘用製品。発動する形こそ正規品と寸分違わず同じだが、殺傷力を極限まで抑えた訓練用だ。中学校の体育の授業でもこれが使われている。
閃光は瞬間的に2500ルーメンの光源を発生させる補助符術。
火矢は秒速33.3メートルで飛翔する火球を一つ、対象に向けて発射する攻撃符術。
風盾は不可視の障壁を自分の目の前に発生させる防御符術。
いずれも特殊な効果を持たない、至極ありふれた護符だ。この三つを使いこなせるようになって、ようやく符術士として認められるようになるくらいにはベーシックである。
この三種類の護符から、現在様々な工房で開発されている護符が生まれていったといえるし、これをいち早く開発して特許を取った符術士・吾妻璃苑は日本を代表する億万長者になったそうだ。
吾妻家は今日でも護符業界で一目置かれる家だし、璃苑の威光は未だに健在だと言えるだろう。
ともあれ、模擬戦である。
「了解っす……で、社長、一線退いたとはいえ伝説にもなってる戦士に訓練つけてもらえるのはすっげー有難いんっすけど。
やっぱりこう……手加減とか、してくれるんっすよね?」
模造剣の使い心地を確かめながら、俺は上目遣いに社長を見た。
指の関節をゴキゴキと鳴らし、俺をサングラスの向こうにある瞳で見下ろしながら、口角をくいと持ち上げ社長は言った。
「そりゃあな。ま、殺さない程度に揉んでやるよ」
「いっ!?」
その言葉に俺は飛び上がりそうになった。実際心臓は大きく跳ねた。
社長の「殺さない程度に」という言葉が非常に怖い。それってつまり、殺す気でやっても何らおかしくないわけで。
内定を貰ったその日に半死半生になって病院に担ぎ込まれた、なんてなったら冗談ではない。小さく震えている俺をほっぽって、社長は訓練場の真ん中まですたすたと歩いていく。
そこからこちらを振り返って、社長が口を開いた。
「さてと、だ。俺はお前の本気の動きが見たいわけだが……このままじゃ本気でやりづれぇだろうから、一つ仕込みを入れるぞ」
カーゴパンツのポケットに左手を突っ込みながら、脱力した体勢でその場に立つ社長の右手の指が、まっすぐ俺に向けられる。
俺は気付いた。社長の左手、ポケットの中から取り出しつつある一枚の護符に。
「いいか、交野元規。これは模擬戦だが、模擬戦だと考えるな。魔物相手の実戦だと考えろ」
「社長? 何を……」
「爪牙収斂、猛虎来来!」
俺が言葉を投げるよりも早く、ポケットから抜き出した護符を額に当てた社長の声が轟いた。
刹那、護符が強い光を放つ。光は社長の身体を覆い隠し、俺の視界を白く染めた。そしてそれが収まった時に、俺は俺自身の目を疑うことになる。
護符工房アルテスタの社長、四十万竜三は確かに人間だ。人間だったはずだ。しかし光が収まった時、彼のいたところに彼はおらず。
その場所には黒い縞の入った黄金のごとき色をした毛皮に身を包み、筋骨隆々とした身体に数多の傷を刻んだ、タンクトップにカーゴパンツを身に付け、サングラスをかけた二足歩行の虎獣人が額に護符を当てて立っている。
「しゃ、しゃしゃしゃ、社長!? えっ、変身!?」
「『魔獣化』の護符だ。疑似的に体内を魔素で満たして深度四の魔素症を引き起こし、肉体と運動能力、神経伝達速度を魔物のそれに変える。
MTO品なんで一般の市場には出回ることのないやつだが、れっきとしたうちの作品だ。
今の俺は護符職人の四十万竜三じゃねぇ、ウェアタイガーだと思え」
困惑を露にする俺に、カーゴパンツのポケットに護符をしまった虎獣人が社長の声で言葉を投げてくる。
あそこに立っているのは間違いなく社長だ。声も、記憶や経験も社長のもの。しかしその肉体は人間ではない。魔物のものだ。
ぞくりと、俺の背中を怖気が走る。同時にきゅっと下腹部が締め付けられる感覚を覚えた。
世界最強の戦士の知識と経験、戦闘スキルを有する魔物と、一対一で、基本的な効果しかない僅かな護符で戦うなど。冗談ではない。
「す、す、すんません社長タンマ、俺なんか急に腹の調子が」
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