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第4章 ビトの憤怒
【※】第33話 猫人、絶句する
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森の中に踏み込むと、下草を踏む音が一層大きくなる。だが同時に、人間達の悲痛な声もまた、大きくなっていた。
「やだっ、いやだぁぁっ!!」
「うぁっ、あぁぁぁぁっ!!」
悲鳴。嗚咽。耳をつんざく声。下草の葉擦れの音。
人間達は見たところ五人。一人は気絶しているのか、岩にもたれて動かない。
残りの、服や鎧をひん剥かれた四人に覆いかぶさる、虎縞のある黄色、あるいは白の毛皮、揺れる細長い尻尾。その動き。
その有様が僅かに目に入ってくるや、俺は息を呑んだ。
「あれは……まさか」
思わず足を止める。杖を握る手が震える。
あれはどう見たって、虎の獣人共による行為の真っ最中だ。アンベルとエルセが前に飛び出しながら叫ぶ。
「間違いない、行為中だ!」
「ビト、急いで!!」
前方に飛び出し、獣人共に躍りかかる二人を見据えながら、俺は杖を構えて詠唱した。当然だ、容赦してやるつもりなんて欠片もありはしない。
「我が手に集いて疾走れ、二十五の矢! 冷厳なりて凍てつく力を以てその身を穿つ! 魔法の矢!」
第四位階、魔法の矢。念入りに一人あたり五本を練り上げて矢を放つ。放たれた氷の矢はアンベルとエルセ、襲われている人間達を避けるように飛び、獣人共の下腹部や胸、頭に突き刺さった。
「グワッ!?」
「何ッ、ドコダ!?」
今の一発で二匹が死んだ。残る三匹も少なくない傷を負っている。そこにアンベルとエルセがそれぞれの武器で攻撃を加えていく中、リーダー格らしい白い毛皮の虎獣人が歪な人間語で叫んだ。
「構ウナ、続ケロッ!」
どうやら連中、俺達の相手をすることより襲われている人間達と致すことを優先するらしい。どうせ死ぬなら少しでも爪痕を、ということだろう。なんとも合理的で腹が立つ。
「させんっ!」
「女の敵め、覚悟ーっ!」
アンベルとエルセも怒り心頭、己の武器を盛大に振るった。アンベルのメイスが一人の虎獣人の頭蓋を砕き、エルセの角がもう一人の心臓を刺し貫いた。
これで残るはリーダー格のあと一人。そいつも既に息絶え絶えだ。ならばと第一位階、氷弾を重複詠唱で放つ。
「冷たき刃よ、冷たき刃よ!」
普段の弾よりも大きく、鋭くなった氷弾が一直線に放たれ、リーダー格の獣人の眉間を貫く。目をカッと見開きながら、獣人は白い毛皮を血で染めながら後方に倒れていった。
「ゴア……!」
断末魔の声を上げて、どうと森の地面に倒れていく獣人。他に動いている個体がいないか、視線を巡らせながら俺は問うた。
「これで……全部か?」
「そうみたいだね、他にはいない」
様子を確認していたヒューホもコクリとうなずいた。そうして彼は、足元に転がっているほとんど裸の人間達に目を向ける。
「あっ、あ……」
「あ、う……」
全員、生きてはいる。怪我をしているのは岩にもたれて倒れている一人のみ、後は血まみれでも返り血を浴びただけのようだ。
だが、返り血に汚れているだけならまだ良かっただろう。何しろ五人中四人が、身体のあちこちを獣人のそれで汚しているのだ。先程まで、入念に、じっくりと襲われていたのだろう。汗ではない匂いが鼻に刺さる。
「ん?」
そして気が付く。俺は連中の顔に覚えがあった。アンベルに視線を投げながら声をかける。
「アンベル、こいつら」
「ああ、間違いない……『笑う大鷹』の面々だ」
アンベルもぎりと歯噛みをしながら首を振った。
先程冒険者ギルドですれ違った、サンドレッリ子爵家お抱えの『笑う大鷲』だ。ここに子爵家の馬車はなく、クラウディアの姿もないということは、獣人共に馬車を襲われ、連中が街道に残って馬車を先に行かせたのだろう。
主人を守る、という点ではいい仕事をしたと言いたいが、その顛末がこれではあまりにも救えない。
アンベルが倒れている連中の様子をざっと見てから、ヒューホと俺に声を飛ばす。
「ヒューホ、アンセルモは脳震盪を起こしているほか、骨折しているようだ。頭部からの出血も確認できる、治療を頼む。ビトはチェレスティーノの方を。私はエルセと、女性陣を川に連れていく」
「ああ」
「……分かった」
アンベルの言葉にヒューホと俺がうなずいた。確かに、女性陣の身体のあれこれを俺達がやるのは問題だ。
さっとアンセルモの方に飛んでいくヒューホを尻目に、俺は地面に両手をついてげえげえと吐いている、『笑う大鷲』のリーダーである戦士、チェレスティーノ・ガットの傍に寄った。
「げぇっ、げぇっ……」
「チェレスティーノ、生きてるか」
口の中にぶちこまれたものを吐き出すチェレスティーノの背中に手を置き、声をかける。俺の顔を見上げるチェレスティーノは、目に涙をいっぱいに溜めていた。
口の端からポタポタ垂れるよだれをそのままにして、チェレスティーノが震えながら言った。
「び、ビト……どうしよう、俺、あの虎どもに二匹がかりで」
「見ていた……ったく、マジかよ」
その言葉に、俺も視線を逸らすしかなかった。
治癒士のイデア・アボンディオ、重装兵のティーナ・ロレンツィ、魔法使いのフローラ・マカーリオの女性三名には、それぞれ一匹が襲い掛かっていた。木に叩きつけられた際に気を失っていたらしい弓使いのアンセルモ・バルトレッティは、連中が興味を失ったのか襲われなかった。結果として、残った二匹がチェレスティーノに向かったのだ。
つまりチェレスティーノには他の面々の二倍、魔物のそれがぶちまけられている。彼の身体はガタガタと震えていた。
「フローラも、イデアも、ティーナもヤられた……俺もだ……無事なのはアンセルモだけだ、ビト、どうしよう」
「落ち着け、チェレスティーノ。まだそうだと決まったわけじゃない」
起き上がるや、俺の両肩を必死に掴むチェレスティーノに、俺はなだめる言葉をかけるので精一杯だった。
獣人に襲われた人間がどうなるか、冒険者のみならず一般市民でさえも知っている。人間の心のままで、身体が獣人に――魔物になるのだ。
半人間は何も、人間と魔物がそういう行為をした結果産まれるだけではない。人間が魔物に襲われて体液を取り込んだ結果、人間が変質して生まれることも多くある。俺を捨てた俺の実の母親だって、俺を産むにあたって半人間に変えられているはずなのだ。
錯乱したチェレスティーノが、またも涙を流しながら頭を掻きむしる。
「旦那様は外聞を気にするお方だ、お抱えの冒険者が半人間にされたなんて知ったら、俺たちをクビにするに決まってる! うわぁぁぁ!」
「だから落ち着けって。魔物にヤられた奴みんなが半人間になるわけじゃないだろ」
大声を上げるチェレスティーノに、俺は心の奥がチクリと痛む思いがした。
半人間の一人として、こうも半人間になることに拒否反応を示されると、俺としてもいい気分はしない。
俺だってもちろん、半人間の身体は前までとても嫌いだったが、そうだからこそ活躍出来ている今を思うと、半人間であることは俺のアイデンティティーでもあるのだ。
実際、魔物に犯されたからと言って必ず半人間になるとは限らない。身体の相性とか、体調とか、メンタルとか、いろんな要素が絡んで初めて身体が変質するのだ。犯されただけでこうも悲観的になられると、ちょっと心もざわつく。
と、チェレスティーノを見下ろす俺の後方から、ヒューホがぱたぱたと飛んできた。
「ビト君」
「ヒューホ、アンセルモはどうだ」
俺の肩に着地するヒューホに声をかけると、小さくうなずきながら彼は言った。その表情は、何とも沈鬱だ。
「回復は済ませた。じきに目を覚ますだろう……チェレスティーノ君はどうだい」
「無事っぽいが、錯乱している……そうだよな、他が一匹でヤってるのに、自分だけ二匹だなんて」
頭を抱えたままで震えるチェレスティーノを見つめながら、俺も小さく息を吐いた。正直、ああは言ったが錯乱するのは、全く分からないわけでもないのだ。
半人間が周囲からどんな目で見られるか、俺自身がよく分かっている。自分を見る目がガラリと変わるのだから、それは、怖いだろう。
俺の肩から降りたヒューホが、チェレスティーノの背中に着地しながら言う。
「彼は戦士だからね、重点的に抑え込もうとしたんだろう……チェレスティーノ君、排出するから身体の力を抜いて」
「うぅっ、あぁっ……」
涙を流したまま、チェレスティーノはヒューホの声にうなずいた。回復魔法第一位階、解毒は毒だけでなく、体内に入り込んだ異物も取り除くことが出来る。魔物の体液や血液も同様だ。
ヒューホがチェレスティーノの背中に手を当てながら、静かに詠唱する。
「悪魔の毒よ、霧となりて消えよ。解毒」
唱えると、ヒューホが手を当てた背中の骨辺りから、黒いもやがふわふわっと飛び出した。このもやが多ければ多いほど、体内の異物が多いということになる。
だが、チェレスティーノの身体から出るそれは結構な量だ。背中から立ち上るもやを見ながら、俺は眉間にシワを寄せた。
「……こんなにか」
「よほど念入りに抑え込んだんだろうね、抵抗できないように……これは、全部は抜け切れていないかな」
ヒューホも苦々しい表情をしながら、チェレスティーノの背中から手を離した。
解毒の魔法とて万能ではない。体内に吸収されてしまった異物は取り除けないのだ。いかにヒューホのレベルが高くても、こればかりはどうしようもない。
背中から飛び降りたヒューホに、地面に額をこすりつけるようにしながらチェレスティーノが懇願する。
「ヒューホ……何とかしてくれよ、俺、半人間になんてなりたくないよ」
その言葉に、またも俺の胸がチクリと痛んだ。
そりゃあ、彼としても半人間にはなりたくないだろう。半人間になるということは魔物に敗北した何よりの証であり、魔物の血肉を取り込んでしまった事実の証明だ。
しかし、その半人間がここに、どころか彼の目の前にいるのだ。そのことを無視するわけにはいかない。
俺がもう一度視線を逸らす中、ヒューホがチェレスティーノの頭を撫でながら話しかける。
「っ……」
「チェレスティーノ君、気持ちは分かる、分かるけれども」
そんな中、川の方から足音が聞こえてきた。見ると鎧を脱いで、下着とズボンのみを身に着けた状態のアンベルがこちらに歩み寄って来ていた。
両手両足の毛皮は水に濡れて、毛の先からは雫が滴っている。女性陣の身体を洗うのを手伝っていたのだろう。
「そっちはどうだ」
「アンベル……その、どうだろう」
アンベルの言葉に、俺は目を伏せるので精一杯だった。正直、口に出すのもちょっと気分が悪い。
と、俺の反応で大方察したのだろう。深くため息をつきながら、アンベルが頭に手をやった。
「そうか。こちらもあまり芳しくはない」
「そうか。妊娠していたかい?」
アンベルの発言に、ヒューホが淡々と返した。あまりに淡々とし過ぎていて、思わず俺が彼の方を見たくらいだ。
そしてそれはチェレスティーノにとっても驚きだったのだろう。絶望に満ちた表情をして、アンベルを見上げていた。
だがアンベルは、力なく首を振った。
「まだ分からん。だが、獣化があるかは、今夜にでも血を見ないとならんな」
「そうか……」
彼女の言葉にヒューホも沈鬱な表情になった。確かに、いくらアンベルの舌が人間か魔物かを見分けることが出来たとして、妊娠しているかどうかまでは分からないだろう。
しかし、やはり獣人とは厄介な生き物だ。他の魔獣種の魔物だって人間を襲うけれど、殺さずに襲うなんて事はそうそうない。これが、獣人が恐れられ、嫌われているところなのだ。
「くそっ、これだから獣人は嫌なんだ」
俺は地面に吐き捨てるようにそう言った。果たして『笑う大鷲』に残された爪痕がどれ程のものなのか、今から考えるだけでも非常におっくうだった。
「やだっ、いやだぁぁっ!!」
「うぁっ、あぁぁぁぁっ!!」
悲鳴。嗚咽。耳をつんざく声。下草の葉擦れの音。
人間達は見たところ五人。一人は気絶しているのか、岩にもたれて動かない。
残りの、服や鎧をひん剥かれた四人に覆いかぶさる、虎縞のある黄色、あるいは白の毛皮、揺れる細長い尻尾。その動き。
その有様が僅かに目に入ってくるや、俺は息を呑んだ。
「あれは……まさか」
思わず足を止める。杖を握る手が震える。
あれはどう見たって、虎の獣人共による行為の真っ最中だ。アンベルとエルセが前に飛び出しながら叫ぶ。
「間違いない、行為中だ!」
「ビト、急いで!!」
前方に飛び出し、獣人共に躍りかかる二人を見据えながら、俺は杖を構えて詠唱した。当然だ、容赦してやるつもりなんて欠片もありはしない。
「我が手に集いて疾走れ、二十五の矢! 冷厳なりて凍てつく力を以てその身を穿つ! 魔法の矢!」
第四位階、魔法の矢。念入りに一人あたり五本を練り上げて矢を放つ。放たれた氷の矢はアンベルとエルセ、襲われている人間達を避けるように飛び、獣人共の下腹部や胸、頭に突き刺さった。
「グワッ!?」
「何ッ、ドコダ!?」
今の一発で二匹が死んだ。残る三匹も少なくない傷を負っている。そこにアンベルとエルセがそれぞれの武器で攻撃を加えていく中、リーダー格らしい白い毛皮の虎獣人が歪な人間語で叫んだ。
「構ウナ、続ケロッ!」
どうやら連中、俺達の相手をすることより襲われている人間達と致すことを優先するらしい。どうせ死ぬなら少しでも爪痕を、ということだろう。なんとも合理的で腹が立つ。
「させんっ!」
「女の敵め、覚悟ーっ!」
アンベルとエルセも怒り心頭、己の武器を盛大に振るった。アンベルのメイスが一人の虎獣人の頭蓋を砕き、エルセの角がもう一人の心臓を刺し貫いた。
これで残るはリーダー格のあと一人。そいつも既に息絶え絶えだ。ならばと第一位階、氷弾を重複詠唱で放つ。
「冷たき刃よ、冷たき刃よ!」
普段の弾よりも大きく、鋭くなった氷弾が一直線に放たれ、リーダー格の獣人の眉間を貫く。目をカッと見開きながら、獣人は白い毛皮を血で染めながら後方に倒れていった。
「ゴア……!」
断末魔の声を上げて、どうと森の地面に倒れていく獣人。他に動いている個体がいないか、視線を巡らせながら俺は問うた。
「これで……全部か?」
「そうみたいだね、他にはいない」
様子を確認していたヒューホもコクリとうなずいた。そうして彼は、足元に転がっているほとんど裸の人間達に目を向ける。
「あっ、あ……」
「あ、う……」
全員、生きてはいる。怪我をしているのは岩にもたれて倒れている一人のみ、後は血まみれでも返り血を浴びただけのようだ。
だが、返り血に汚れているだけならまだ良かっただろう。何しろ五人中四人が、身体のあちこちを獣人のそれで汚しているのだ。先程まで、入念に、じっくりと襲われていたのだろう。汗ではない匂いが鼻に刺さる。
「ん?」
そして気が付く。俺は連中の顔に覚えがあった。アンベルに視線を投げながら声をかける。
「アンベル、こいつら」
「ああ、間違いない……『笑う大鷹』の面々だ」
アンベルもぎりと歯噛みをしながら首を振った。
先程冒険者ギルドですれ違った、サンドレッリ子爵家お抱えの『笑う大鷲』だ。ここに子爵家の馬車はなく、クラウディアの姿もないということは、獣人共に馬車を襲われ、連中が街道に残って馬車を先に行かせたのだろう。
主人を守る、という点ではいい仕事をしたと言いたいが、その顛末がこれではあまりにも救えない。
アンベルが倒れている連中の様子をざっと見てから、ヒューホと俺に声を飛ばす。
「ヒューホ、アンセルモは脳震盪を起こしているほか、骨折しているようだ。頭部からの出血も確認できる、治療を頼む。ビトはチェレスティーノの方を。私はエルセと、女性陣を川に連れていく」
「ああ」
「……分かった」
アンベルの言葉にヒューホと俺がうなずいた。確かに、女性陣の身体のあれこれを俺達がやるのは問題だ。
さっとアンセルモの方に飛んでいくヒューホを尻目に、俺は地面に両手をついてげえげえと吐いている、『笑う大鷲』のリーダーである戦士、チェレスティーノ・ガットの傍に寄った。
「げぇっ、げぇっ……」
「チェレスティーノ、生きてるか」
口の中にぶちこまれたものを吐き出すチェレスティーノの背中に手を置き、声をかける。俺の顔を見上げるチェレスティーノは、目に涙をいっぱいに溜めていた。
口の端からポタポタ垂れるよだれをそのままにして、チェレスティーノが震えながら言った。
「び、ビト……どうしよう、俺、あの虎どもに二匹がかりで」
「見ていた……ったく、マジかよ」
その言葉に、俺も視線を逸らすしかなかった。
治癒士のイデア・アボンディオ、重装兵のティーナ・ロレンツィ、魔法使いのフローラ・マカーリオの女性三名には、それぞれ一匹が襲い掛かっていた。木に叩きつけられた際に気を失っていたらしい弓使いのアンセルモ・バルトレッティは、連中が興味を失ったのか襲われなかった。結果として、残った二匹がチェレスティーノに向かったのだ。
つまりチェレスティーノには他の面々の二倍、魔物のそれがぶちまけられている。彼の身体はガタガタと震えていた。
「フローラも、イデアも、ティーナもヤられた……俺もだ……無事なのはアンセルモだけだ、ビト、どうしよう」
「落ち着け、チェレスティーノ。まだそうだと決まったわけじゃない」
起き上がるや、俺の両肩を必死に掴むチェレスティーノに、俺はなだめる言葉をかけるので精一杯だった。
獣人に襲われた人間がどうなるか、冒険者のみならず一般市民でさえも知っている。人間の心のままで、身体が獣人に――魔物になるのだ。
半人間は何も、人間と魔物がそういう行為をした結果産まれるだけではない。人間が魔物に襲われて体液を取り込んだ結果、人間が変質して生まれることも多くある。俺を捨てた俺の実の母親だって、俺を産むにあたって半人間に変えられているはずなのだ。
錯乱したチェレスティーノが、またも涙を流しながら頭を掻きむしる。
「旦那様は外聞を気にするお方だ、お抱えの冒険者が半人間にされたなんて知ったら、俺たちをクビにするに決まってる! うわぁぁぁ!」
「だから落ち着けって。魔物にヤられた奴みんなが半人間になるわけじゃないだろ」
大声を上げるチェレスティーノに、俺は心の奥がチクリと痛む思いがした。
半人間の一人として、こうも半人間になることに拒否反応を示されると、俺としてもいい気分はしない。
俺だってもちろん、半人間の身体は前までとても嫌いだったが、そうだからこそ活躍出来ている今を思うと、半人間であることは俺のアイデンティティーでもあるのだ。
実際、魔物に犯されたからと言って必ず半人間になるとは限らない。身体の相性とか、体調とか、メンタルとか、いろんな要素が絡んで初めて身体が変質するのだ。犯されただけでこうも悲観的になられると、ちょっと心もざわつく。
と、チェレスティーノを見下ろす俺の後方から、ヒューホがぱたぱたと飛んできた。
「ビト君」
「ヒューホ、アンセルモはどうだ」
俺の肩に着地するヒューホに声をかけると、小さくうなずきながら彼は言った。その表情は、何とも沈鬱だ。
「回復は済ませた。じきに目を覚ますだろう……チェレスティーノ君はどうだい」
「無事っぽいが、錯乱している……そうだよな、他が一匹でヤってるのに、自分だけ二匹だなんて」
頭を抱えたままで震えるチェレスティーノを見つめながら、俺も小さく息を吐いた。正直、ああは言ったが錯乱するのは、全く分からないわけでもないのだ。
半人間が周囲からどんな目で見られるか、俺自身がよく分かっている。自分を見る目がガラリと変わるのだから、それは、怖いだろう。
俺の肩から降りたヒューホが、チェレスティーノの背中に着地しながら言う。
「彼は戦士だからね、重点的に抑え込もうとしたんだろう……チェレスティーノ君、排出するから身体の力を抜いて」
「うぅっ、あぁっ……」
涙を流したまま、チェレスティーノはヒューホの声にうなずいた。回復魔法第一位階、解毒は毒だけでなく、体内に入り込んだ異物も取り除くことが出来る。魔物の体液や血液も同様だ。
ヒューホがチェレスティーノの背中に手を当てながら、静かに詠唱する。
「悪魔の毒よ、霧となりて消えよ。解毒」
唱えると、ヒューホが手を当てた背中の骨辺りから、黒いもやがふわふわっと飛び出した。このもやが多ければ多いほど、体内の異物が多いということになる。
だが、チェレスティーノの身体から出るそれは結構な量だ。背中から立ち上るもやを見ながら、俺は眉間にシワを寄せた。
「……こんなにか」
「よほど念入りに抑え込んだんだろうね、抵抗できないように……これは、全部は抜け切れていないかな」
ヒューホも苦々しい表情をしながら、チェレスティーノの背中から手を離した。
解毒の魔法とて万能ではない。体内に吸収されてしまった異物は取り除けないのだ。いかにヒューホのレベルが高くても、こればかりはどうしようもない。
背中から飛び降りたヒューホに、地面に額をこすりつけるようにしながらチェレスティーノが懇願する。
「ヒューホ……何とかしてくれよ、俺、半人間になんてなりたくないよ」
その言葉に、またも俺の胸がチクリと痛んだ。
そりゃあ、彼としても半人間にはなりたくないだろう。半人間になるということは魔物に敗北した何よりの証であり、魔物の血肉を取り込んでしまった事実の証明だ。
しかし、その半人間がここに、どころか彼の目の前にいるのだ。そのことを無視するわけにはいかない。
俺がもう一度視線を逸らす中、ヒューホがチェレスティーノの頭を撫でながら話しかける。
「っ……」
「チェレスティーノ君、気持ちは分かる、分かるけれども」
そんな中、川の方から足音が聞こえてきた。見ると鎧を脱いで、下着とズボンのみを身に着けた状態のアンベルがこちらに歩み寄って来ていた。
両手両足の毛皮は水に濡れて、毛の先からは雫が滴っている。女性陣の身体を洗うのを手伝っていたのだろう。
「そっちはどうだ」
「アンベル……その、どうだろう」
アンベルの言葉に、俺は目を伏せるので精一杯だった。正直、口に出すのもちょっと気分が悪い。
と、俺の反応で大方察したのだろう。深くため息をつきながら、アンベルが頭に手をやった。
「そうか。こちらもあまり芳しくはない」
「そうか。妊娠していたかい?」
アンベルの発言に、ヒューホが淡々と返した。あまりに淡々とし過ぎていて、思わず俺が彼の方を見たくらいだ。
そしてそれはチェレスティーノにとっても驚きだったのだろう。絶望に満ちた表情をして、アンベルを見上げていた。
だがアンベルは、力なく首を振った。
「まだ分からん。だが、獣化があるかは、今夜にでも血を見ないとならんな」
「そうか……」
彼女の言葉にヒューホも沈鬱な表情になった。確かに、いくらアンベルの舌が人間か魔物かを見分けることが出来たとして、妊娠しているかどうかまでは分からないだろう。
しかし、やはり獣人とは厄介な生き物だ。他の魔獣種の魔物だって人間を襲うけれど、殺さずに襲うなんて事はそうそうない。これが、獣人が恐れられ、嫌われているところなのだ。
「くそっ、これだから獣人は嫌なんだ」
俺は地面に吐き捨てるようにそう言った。果たして『笑う大鷲』に残された爪痕がどれ程のものなのか、今から考えるだけでも非常におっくうだった。
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