ビトは隠れて暮らしたい

八百十三

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第3章 ビトの逡巡

第28話 猫人、決心する

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「撤退、撤退!」
「負傷者はすぐにベルナデッタさんのところへ!」

 後方支援班のところに、次々と冒険者が運ばれてくる。軽傷者も、重傷者も、死者も。
 俺もマヤも受け入れでてんやわんやだ。他の治癒士ヒーラーに軽傷者の対処をお願いして、重傷者をベルナデッタに対応してもらい、後は死体の安置だ。

「あぁぁぁぁ!!」
「ぐ、う、う……」

 悲鳴と苦しみの声があちこちから響いてくる。先程までの戦闘が嘘のように、死の匂いに満ちていた。

「どうした人間、この程度か!!」

 ノールチェが空を飛びながら、勝ちほこったように声を張る。そちらに視線を向けるも、傷を負った人間が多すぎる。何人かいた無傷の者がなおもノールチェに立ち向かうが、押し止めるので精一杯だ。
 と。運んできた死体を下ろしながら、ベルナデッタの前にひざまづく者がいた。イヴァーノだ。

「ベルナデッタ……!」
「イヴァーノさん……」

 泣き出しそうな表情になりながら、イヴァーノがベルナデッタの名を呼んだ。マヤが沈痛な面持ちでイヴァーノに声をかける中、治癒魔法をかけていたベルナデッタが顔を上げる。

「ごめん、約束、守れなかった」

 彼女に見つめられたイヴァーノは、悲しそうな表情をしながらうつむいた。
 死なせてしまった。勇者として、誰も死なせない、と決めていたのにだ。それを悔やんでいるのだろう。
 だが、ベルナデッタはそんな弱気を見せる勇者に、淡々と告げた。

「ここから一人でも減らせばいいのです。イヴァーノ、任せてください」
「っ……」

 ベルナデッタの静かな、しかし自信にあふれた言葉に、一瞬目を見開く勇者だ。
 彼は死んでしまった仲間に短く手を合わせると、すぐに立ち上がってノールチェに向かって駆け出していく。その最中、俺たちのそばに来ていたヒューホに声をかけた。

「ヒューホ! ベルナデッタの補助を頼む!」
「任された」

 託されたヒューホがベルナデッタのそばに飛んで、一緒に重傷者の回復にあたる。大回復グレーターヒールの詠唱を始めるヒューホに、俺は静かに問いかけた。

「ヒューホ、何がどうなったんだ」

 俺の問いかけに、ヒューホがちらとこちらを見る。魔法を発動させてから、彼はくやしげな表情をしながら言った。

刃嵐ソニックストームだ。ノールチェ殿の羽ばたきと咆哮が起こした乱気流が、彼女の周囲にいる冒険者全員に襲い掛かった。イヴァーノ君が『風渡り』を使って皆を逃がしたけれど、今の一撃で半数が戦闘不能だ」

 その言葉に、俺は目を見開いた。
 イヴァーノの「風渡り」は間違いなく発動していた・・・・・・。冒険者全員のAGI素早さに強烈な上昇がかかってもなお、ノールチェの風からは逃れられなかったのだ。
 次々に傷を負った冒険者がやってくる。というより、先程の攻撃で無傷だった者たちが、引き続き行われるノールチェとの戦闘で傷を負って撤退してくるのだ。入れ替わりにベルナデッタとヒューホが回復させた冒険者が前線に出ていく。いたちごっこだ。
 と、また一人撤退してきた者がいた。

「く……」
「アンベル!」

 アンベルだ。毛皮のあちこちが血で染まり、鎧は何箇所かが砕けている。
 すぐさまヒューホが飛んでいって治癒魔法を施した。だが骨が折れているらしく、回復してなお表情は暗い。俺も心配になってそばに寄る。

「アンベル、血が……」
「大丈夫だ……回復して少し休めば、また出られる」

 俺が声をかけると、苦しそうに表情をゆがめながらもアンベルが言葉を返してきた。ひどい怪我こそ負っているが、戦う力が失われたわけではないようだ。
 と、治癒を受けながらアンベルが俺に視線を向けてくる。

「ビト、エルセがまだ戦っている。援護を頼む」
「分かった」

 彼女の言葉に俺はすぐさまうなずいた。戦える人員もどんどん少なくなってきている。後方支援役の俺にも、いよいよ出番が回ってきたわけだ。
 エルセは現状、主力組の中で傷を負わずに戦い続けている数少ないメンバーだ。しかし一撃の重さに欠ける拳闘士グラップラー、支援役は必要だろう。
 と、俺が戦場に向かおうとしたその時。アンベルの手が俺のローブをつかんだ。

「ビト、いいか」
「ん?」

 そうして言葉をかけてくる彼女に振り返ると、アンベルは真剣な表情をしながら、きっぱりと言い出した。

「お前の結界は強い。守る以外の使い方も出来るはずだ」
「えっ」

 その発言に、俺だけではない、マヤも、ヒューホも、ベルナデッタも目を見開いてキョトンとなった。

「守る以外の……」
「使い方?」

 マヤとベルナデッタが、アンベルの言葉を繰り返した。意図が読めない、という様子である。
 守る以外の、結界の使い方。そんなものが果たしてあるのだろうか。
 だがアンベルがそこまで確信を持って言うのであれば、思いついた策があるのだろう。詳しく聞きたいが、彼女は今は治療中。無理はさせられない。

「やってみる」
「信じている」

 杖を握って短く返事を返すと、アンベルが小さくこくりとうなずいた。信頼してくれているのだ。なら、やるしかない。
 俺は頭の中で考えを巡らせながら、マヤに振り返った。こういう時、そばに誰かがいてくれたほうがいい。

「マヤ、ついてきてくれるか」
「う、うん」

 俺の申し出にうなずくと、マヤが俺の手を握った。そうして前線に駆け出していく俺とマヤの後ろで、ヒューホがアンベルに問いかける声が聞こえる。

「アンベル、どういうことだい」

 ヒューホの問いかけに、すぐに答えを出すつもりはないのだろう。アンベルは短く返事を返すだけだ。

「すぐに分かる」

 その言葉を後ろに聞きながら、俺はマヤと一緒に走った。みるみるノールチェと、彼の周りに群がる冒険者たちが近づいてくる。
 改めて見ると、大きい。見上げるほどの巨体を持つノールチェが、たくさんの冒険者たちの攻撃をいなし、風で押し返し傷つけていた。今もまた、ノールチェの鼻先を殴ったエルセが、返す風にあおられて吹き飛ばされる。飛ばされた彼女が、ちょうど俺たちの目の前に落ちてきた。

「くっ……」
「エルセ!」

 受け身をとってすぐに立ち上がるエルセに声をかけると、彼女は振り向くや驚いた顔になった。まさか後方支援役の俺たちが、こんな前線まで出てくるとは思っていなかったのだろう。

「ビト、マヤも! ダメだよ、下がってて! 危ないよ!」

 必死な表情でエルセが声を張るも、俺はすぐに首を左右に振って返す。

「アンベルに頼まれた! それに、結界魔法は距離が離れると精度が落ちる!」

 そう、前に出てくる理由は確かにあるのだ。後方の離れた位置から結界魔法を使うと、どうしても結界を張る位置が細かく指定できない。なるべくなら近い距離で支援を行ったほうが、精度が上がるのだ。
 俺の言葉に、困ったようにまゆを下げるエルセだったが、迷っているひまはない。すぐに前を向いて地面を蹴った。

「それなら分かったけど、あたしより前に出ちゃダメだからね!」
「分かってる。それと、一ついいか」

 そうして再びノールチェに向かって走り出すエルセの背中に、俺はすばやく声を飛ばした。一つ、彼女には頼みたいことがあるのだ。
 足を止めて振り返ったエルセに、俺は短く言葉をかける。

「5秒でいい、あいつの足を止めてくれ。マヤもナイフ投げで援護、出来るか」
「えっ」
「えー」

 一緒に隣のマヤにも告げると、二人ともが大きく目を見開いて声を漏らした。
 空を飛ぶノールチェの足を止めるなど、難しいなんてものではない。ましてや拳闘士グラップラー斥候スカウトだ。頼む相手を間違っているとしか思えない。むしろ相手の拘束とか行動阻害とかは、俺がやるべきことだ。
 だが、ノールチェほどの巨大で強大な相手を拘束するのは、当然だが簡単じゃない。俺のを成功させるには、二人の協力が必要だ。
 ほどなくして、エルセが真剣な目つきになって笑みを浮かべる。

「しょうがないなぁ、帰ったら一杯おごってよね!」
「もちろんだ」

 彼女の言葉にすぐさま同意を返す。正直、ジュースやお茶の一杯くらい、この期に及んで惜しむ意味はない。
 しかしてもう少し俺たちから距離をとったエルセが、ぐっと全身に力を入れ始めた。

「おぉぉぉぉぉーっ!!」
「むっ!?」

 ノールチェが目を見張る。そこには巨獣転身を行って、ノールチェと大差ない大きさにまでふくらんだエルセがいた。ノールチェから逃げた時よりさらに大きい。ずしんと一歩を踏み出しただけで、地面が揺れる。

巨獣転身きょじゅうてんしんの使い手とはな! 面白い、かかってこい!」

 ノールチェが面白そうな声色で吼え、次の瞬間にはエルセと取っ組み合いを始めた。巨大な角有り兎ユニホーンバニー嵐竜テンペストドラゴンの乱闘。当然、他の冒険者は遠巻きに見守るほかない。斥候スカウト弓使いアーチャーが、ナイフや矢を当てるので精一杯だ。
 そうして暴れ回るノールチェを見据えながら、俺は機をうかがっていた。

「(守るだけじゃない、結界の使い方……となれば、あれしかない!)」

 結界は、防壁として使われることが多いが、柱やドームのように作って空間を区切ることにも使われる。第五位階の治癒領域ヒールゾーン停滞領域スロウゾーンなどがそうだ。
 最初は停滞領域スロウゾーンを展開してノールチェの動きを遅くすることも考えたが、相手は神獣。そうしたバッドステータスは受け付けないことも多い。

「うりゃー!! くらえーっ!!」
「ていやーっ!!」
「来いっ!!」

 だから俺はエルセが動きを止めてくれている間に、柱状に結界を作って翼を固定するつもりでいたのだ。それなら動きも止められると。
 そう思って杖を構えていたのだが。

「おのれ!」
「あ――」
「マヤ!!」

 エルセを振り切ったノールチェが、動き回ってナイフを投げていたマヤへと飛びかかった。一気に距離が詰められる中、マヤの投じたナイフがノールチェの額に当たって弾かれる。
 まずい。

「マヤーっ!!」

 どうする。思考が急速に走った。叫ぶ声と共に魔力が身体をめぐるのが分かる。
 エルセがノールチェに跳びかかるも間に合わない。尻もちをついたマヤが何とか抵抗するべく手に残ったナイフを投げつけようとするのを見ながら、俺は杖を振った。

捕縛バインド!」
「むっ!?」

 まずは第一段階、光魔法第二位階の捕縛バインドを使って、ノールチェの動きをジャマしにかかる。今この一瞬、ノールチェは空中に身体を浮かせている。そこに捕縛バインド、確実に、一瞬だが動きが止まる。そのまま高度が落ち、エルセが上にのしかかる。
 今だ。俺は高く杖を振り上げながら叫んだ。

「天に座す神よ、なんじの子らを守りたまえ! あまねく命を見下ろす汝、その手の光は全ての力を取り払わん! 万象一切ばんしょういっさいさえぎるその名を称えてひれ伏せ!!」

 これが本命だ。早口で詠唱しながら、ありったけのMP魔法力を高まった分まで注ぎ込む。捕縛バインドがすぐに破られようが気にしない。元々長く効くだなんて思っていない。
 第十位階の大地魔法で押し潰すことも考えたが、今回の目的は鎮圧、間違って殺すよりはこちらの方がいい。
 ば、とエルセがノールチェの上から飛び降りた。その瞬間、放つ。

遮断殻シャットアウトシェルター!!」

 魔法名を発した瞬間、巨大な光のドームがノールチェを包み込んだ。
 ただの結界ではない、あらゆる攻撃を遮断する最強の結界、第十位階の結界魔法「遮断殻シャットアウトシェルター」だ。内からの攻撃も外からの攻撃も、全てを完全に遮断する。それが神獣の攻撃であっても例外ではない。

「む!?」
「わ……!」

 自分を包むように突然出現したドームを見て、さすがのノールチェも目を見開いた。元の大きさに戻ったエルセが大きく口を開きながらドームを見上げている。
 彼女だけではない。マヤも、周囲の冒険者たちも、ノールチェを包み込む光を見ていた。そしてその光の正体を知って、驚いていた。

「うそ……!」

 思わずマヤが声を漏らした。
 そうだろう、俺が今使った魔法は、攻撃魔法ではない・・・・・・・・
 作り出した結界が、ノールチェの身体を完全に包んでいる。空間を区切る・・・・・・ための結界だ。無理やり動かそうと思って、動かせるものではない。破壊することも叶わない。

「う、動けんっ! 攻撃も通じんだと……っ!」
「うわー、ビトすっごーい」

 完全に動きを封じられ、攻撃も封じられる形になったノールチェを見て、エルセが感心したように声を発した。これ以上こちらからもダメージを与えられないが、落ち着かせるには十分だ。
 他の冒険者たちも武器を下ろし、呆気にとられて動けないノールチェを見ている。鎮圧、というクエストの目的からすれば、この上ないほどの成功判定だろう。

「結界魔法に、こんな使い方があるなんて……」

 魔法維持のために杖を振り下ろした姿勢のまま、立ち尽くす俺の方を見るマヤが、驚きをあらわにした表情をする。
 その顔を見て、ようやく俺の緊張がほぐれた。ふっと笑みがこぼれる中、俺の頭にぽんと手が置かれる。

「見事だ、ビト」
「これは大金星だね、君の魔法力MPがさっさと尽きてしまわないかが心配だけど」

 アンベルだ。そばにはヒューホもいる。どうやら回復は問題なく完了したらしい。
 気付けば、俺はたくさんの冒険者たちに取り囲まれていた。口々に俺を称賛する言葉を発して、俺のMP魔法力維持のために薬品をくれたり、魔法を使ったり。
 俺を褒め称える冒険者たちの中から、イヴァーノもやってきた。俺の片手を握ってぶんぶんと振る。イヴァーノの太い尻尾も大きく振られていた。

「うん、凄いよ! お手柄だ!」
「いや……これは、アンベルが」

 居心地が悪くなって、ついアンベルに視線を投げてしまう。魔法を発動し続けていることなど意識の外であるように、俺はアンベルに文句を言った。

「おいアンベル、どうやってこんなことを思いついたんだよ」

 俺の問いかけに、彼女はぱちりと片目をつむって笑う。
 そしてその長いマズルが、俺の破れた三角耳にそっと寄せられた。

「たまたまさ」

 そううそぶく彼女だったが、声色は随分と嬉しそうだった。
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