一日の始まりは一杯のコーヒーから

八百十三

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カフェのコーヒー・2

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 季節は徐々に移り変わり、桜の花がほころび始める3月下旬。
 季節の変わり目による不安定さと、年度末の忙しさも相まって、私は見事なまでに打ちのめされていた。
 それでもしっかり職場に出勤しているあたり、習慣化しているなぁと思うのではあるが、辛いもんはどうしたって辛い。

「あ゛ー……」
「あきちゃん、大丈夫?」

 机につっぷして呻き声をあげる私に、ちょうど離席から戻ってきた上司の井坂いさかさんが心配そうに声をかけてきた。
 私のことを「あきちゃん」と愛称で呼ぶ井坂さんは、飄々として気安い感じの雰囲気を漂わせているが、うちの部署の部長としてパソコンの購入見積もりやソフトのライセンス購入を一手に引き受け、社内全体から信頼を得ている敏腕サポーターだ。
 私が社員の直接使うパソコンを対象にトラブル解決をするとすれば、井坂さんはサーバー機器を対象にトラブル解決するような感じである。
 そんなこともあり、大概何かしらの打ち合わせやら相談やらに駆り出されていて忙しい。今日もおおかた、どこかの部署に顔を出して打ち合わせでもしていたのだろう。

「あんまり大丈夫じゃないです……頭痛薬飲んだのに頭痛くて……」
「昨日と打って変わって今日は暖かいからねぇ。ちょっと休憩してきていいよ」
「すみませーん……」

 上司と、向かいの席で作業している同僚の浪川なみかわさんに頭を下げて、立ち上がった私はよろよろと業務フロアの外へと向かった。
 勤務時間中の外出はちょっとの買い物ならともかく、数十分離れる際は上司の許可が必要だが、今回のは上司から「行っておいで」と言われているので問題ない。ないのです。
 非接触式カードリーダーに社員証をかざして、ドアを開ける。そのまま覚束ない足取りで社屋の外へ。
 こう具合がよろしくない時は、やはりコーヒーを飲むに限る。ホットで、ブラックで、ノンシュガーでだ。
 普段なら会社の備品であるインスタントコーヒーを飲むのだけれど、今日はそれでは確実にカバーしきれないくらいに駄目であるわけで。
 そういう時、「職場を離れて休憩してきていいよ」と言えるあたり、私の職場は寛容で有難い。

「行くとして、どこに行こうか……そういえばスタ○が新作のフラッペ出してたっけ……」

 スター○ックスの季節限定のフラッペは、内容に大きく左右されるが基本的に美味しい。
 私も甘いものが飲みたくて、内容が好みのものだったら飛びつくのだが、生憎今日はその気分ではなかった。ついでに言うとそれを飲むには今日は寒い。
 ただ、久しぶりにあそこのコーヒーを飲みたい気分でもあるし、椅子の座り心地を考えてもあそこが休憩するにはよさそうだ。
 ということで私は社屋前の道路を渡って反対側、少し歩いたところにあるスター○ックスへと足を運んだ。
 ガラス戸をぐっと引いて開けると、開放的な店内のそこそこの席が埋まり、人々がコーヒーやフラッペを片手に仕事をしたり、面接らしき会話をしたりしている。

「こんにちはー」

 レジカウンターから女性店員の声が響いた。「いらっしゃいませ」ではないこの挨拶もさりげないが、スター○ックスの特徴だと思う。
 幸いにして注文の列はそんなに並んでいない。私が列に並んでいると、程なくして順番が回ってきた。カウンターで待つ店員の前まで行く。

「ご注文はお決まりですか?」
「ブレンドコーヒーのホットを……トールでお願いします」
「かしこまりました、マグカップでの提供をご希望ですか?」
「はい、マグでお願いします」
「かしこまりました、346円です。こちらからお出ししますので、少々お待ちください」

 スムーズなやり取り。ぐでっていた頭の中が少しだけ和らぐ感じがしてホッとする。
 財布からお金を出して、レシートとお釣りを受け取ると、財布をしまう私の前にコーヒーで満たされたマグカップが差し出された。

「お待たせいたしました、ブレンドコーヒーです。
 お砂糖ミルクは右手にございますので、必要でしたらお取りください」
「ありがとうございます」

 コーヒーの香ばしく芳醇な香りに目を細めながら、店員にお礼を言う私の口元が綻ぶ。
 砂糖とミルクは取らないし、はちみつも要らないし、シナモンシュガーやバニラシュガーもかけないのでこのままでいいとして、どこの席に座ろうか。
 ざっと店内を見渡して私が選んだのは、入り口のドア左手側にあるカウンター席だ。
 木製のカウンターがガラスの外壁に沿って据えられて、少し背が高めの椅子が並べられている。
 そこの空いている席に、私は腰を下ろした。木製の硬い座面だが、この硬さが私は好きだ。

「ふー……」

 カウンターの上に置いたマグカップを見つめながら、そっと息を吐く。
 職場でコーヒーを飲むのと、カフェでコーヒーを飲むのとでは、同じコーヒーであったとしてもまったく味わいが変わってくる。
 この違いを味わうのが、私がいろんなシチュエーションでコーヒーを飲む時の楽しみだった。
 マグカップを両手で包み、そうっと持ち上げて口を近づける。鼻をくすぐるコーヒーの香りが、カフェの空気と合わさってなんとも深みがある。

「はー……美味しい」

 思わずそう、声が漏れた。
 はっと気が付いて周囲を見回すが、誰も私の独り言を気に留めた様子はなさそうだ。むしろ会話か面談かをしている人たちの声や、店員の声に、隠れたような感じがする。
 うまくごまかせたことにホッとしながら、私はもう一口、熱いコーヒーに口を付けた。

 季節の変わり目は、私のようなタイプにはつらい時期だ。
 それでも、コーヒーの力があれば、なんとか過ごしていける。きっとお酒の力も借りたりするんだろうけれど。
 もうすぐ年度も変わる時期。この先の生活がより安定したものになるように願いながら、私はカフェでの一時を楽しむのだった。
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