一日の始まりは一杯のコーヒーから

八百十三

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ビストロのコーヒー

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 仕事帰り、夜の四ッ谷。

「店長ー、キャロットラペと、チーズオムレツ、あと特製ハンバーグをお願いします」
「はいっ、ありがとうございます!」

 私は行きつけのビストロのカウンター席に座り、ワイングラスを片手に料理の注文をしていた。
 鉄板焼きビストロ En○errasse、四ッ谷駅から歩いて数分、トリコロールカラーの回転扉が目を引く、カジュアルスタイルのフレンチビストロである。
 カジュアルと言っても仕入れる食材は店長が自ら足を運んで品質を確認し、選び抜いた最高の品だし、その店長はフランスの星持ちレストランや国内のホテルで修業を積んできた一流シェフだし、ここぞという場面にお邪魔したら喜ばれること間違いなし、の名店だ。
 雑誌でも何度か紹介されているくらいにはいいお店なのだが、何故かお客さんがちっとも来ないでカウンターで店長さんをほぼ独占できちゃう、というタイミングが度々ある。
 これだけいいお店なんだから、もっと人が来てくれればいいのになぁ、と思わなくもないけれど、あんまり忙しくなると店長さんと話が出来なくなるから、ちょっと複雑な心境。
 まぁ、私はカウンターの目の前の鉄板で肉や卵、野菜が次々と焼かれていくのを見るだけでお酒が進むので、忙しいのでも全然OKですけれど。

 今も私の目の前では、薄く広げられた溶き卵がチーズを包みながらくるくると巻かれている。
 このオムレツを食べながらワインを飲むのが、私は好きなのだ。
 焼き終わって皿に載せられ、表面にお店ロゴの焼き印を捺されたオムレツが、私の目の前へとやってくる。

「チーズオムレツ、お待たせしました!」
「ありがとうございますー」

 口を付けていた白ワインのグラスを置いて、私はフォークを手に取る。一口分を切り分けて、チーズが溢れ出してふにゅっとなるのを眺めつつ、口に含むと。

「ん~~、美味しい~~!」

 まさしく、幸せが口の中一杯に広がって。
 私の顔が自然と喜びに満ちていく。



 キャロットラペとハンバーグも美味しくいただいて。
 程よく満腹になりつつワインもいい感じに進んだ私だ。

「はー、幸せ……」
「秋島さん、今日は〆はどうします?」

 もやしと豚肉を鉄板の上で蒸し始めた店長に声をかけられ、私は少し考え込んだ。
 ここの〆の逸品と言ったらガーリックライスなんだけど、炊くのに時間がかかるし量も多いので、今から頼むのはちょっとつらい。
 かと言ってコーヒー単品というのもちょっとお腹が寂しい気持ち。
 よし。

「カタラーナ一つと、ブレンドコーヒーをホットでお願いします」
「ありがとうございます!」

 にっこり笑顔を見せた店長が、キッチンへと指示を飛ばしていく。
 指示を受けた店員さんが冷蔵庫から大きなカタラーナを取り出して切り分けると同時に、店の奥に設置されたコーヒーマシンが稼働を始めた。

 お酒を飲んだ後にブラックコーヒー、という組み合わせは酔い覚ましにいい、と私は勝手に思っている。
 実際はカフェインで無理やり覚醒させているようなものだし、利尿作用があるから余計に身体から水分が出ていくので、身体にいいというわけではないのだけれど。
 それでも、お酒を飲んでほわほわした頭をしゃっきりさせるのには、コーヒーが存外に効くのだ。
 なので程よくお酒を飲んでいい気分になったところでコーヒーで締める、というのは私の定番なんだけれど。
 それなら道中のカフェやコンビニコーヒーでいいところを、この店でコーヒーを飲むのには理由がある。

「(このお店で飲めるコーヒーは、この店独自のブレンドだから他では飲めないんだよねー……)」

 そう、埼玉県にあるコーヒーショップにお願いして、独自ブレンドにした豆を使っているのだ。なんでもこの店の料理やデザートに合うように、特別にブレンドしてもらっているのだとか。
 実際、コーヒー単独で飲んでも美味しいのだけれど、お肉やデザートと一緒に味わうと非常に味わい深くなって美味しいのだ。
 そうしているうちに、プレートに載せられて色鮮やかなカットフルーツと共に盛りつけられたカタラーナと、白とベージュのストライプが入ったコーヒーカップに注がれたホットコーヒーが、店員さんの手によって私の前に運ばれてきた。

「お待たせしました、カタラーナとホットコーヒーでございます」
「ありがとうございます」

 それまで使っていた食事用のフォークを片付けて、デザート用の小さなフォークを用意してくれた店員さんへと頭を下げて、私はコーヒーカップを手に取った。
 淡い色合いのカップに入れられて揺れるコーヒーは、香ばしくて仄かに草のような香りがして、鮮烈に鼻を突いてくる。
 カップに顔を近づけると、その鮮烈さがより強く感じられて心がほっこりしてくる。

「(いただきまーす……)」

 心の中でそう呟いて、コーヒーをそっと啜ると。
 口の中にじんわり広がる、酸味と苦味。
 それと同時に口の中を芳しい香りが満たして、鼻へと昇っていく。
 そして喉の奥へと送ると同時に、すーっと頭の中の靄が晴れていく感覚を覚える。
 これこれ。これがいいのだ、お酒の後のコーヒーは。

「はー……」

 コーヒーカップを両手で包んで、ほぅと息をついた私は、その余韻が口の中に残っている間にとカップを置いてフォークを手に取った。
 そのまま、カタラーナの濃密なカスタードにフォークを入れていく。
 すっと切り分けられたカタラーナをフォークで刺して口に運んで咀嚼しながら。

「(あー、やっぱりここのお店のコーヒーは好きだわー。美味しい……)」

 コーヒーとの相性の良さに心の中で感嘆の声を漏らしながら、甘い幸せを噛み締めるのだった。
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