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第2章 低次元存在との交錯
第15話 相対
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そこからいつものように仕事を進め、何人もの同僚が小飯塚課長にどなられるのを聞いた。何だったら俺も呼びつけられて怒鳴られて、俺の肩からそそくさとわらびが離れていったのを覚えている。薄情な。
そんなこんなでげっそりしながら仕事をして、昼食や夕食も取り終わった午後9時。俺の手元の内線電話が鳴った。
「んっ」
こんな時間だ。かけてくる人間など大抵まともなはずがない。恐る恐る電話を取って通話ボタンを押すと、受話器の向こうからは耳慣れた声が聞こえてきた。
「下唐湊さん、お疲れ様です」
「あ、四十物さん。お疲れ様です」
四十物さんだった。どうやら小飯塚課長の一件があるためか、彼女も残って仕事をしていたらしい。こんな会社で、総務部員。当然四十物さんも他の面々も忙しくしていることには変わりないのだろう。
いつものように淡々とした声色で、四十物さんが俺へと問いかけてくる。
「これから、小飯塚さんにお話を持ち掛けようと思います。小飯塚さんは在席中ですか」
「え、えっと……」
まごつきながらも、俺は視線を小飯塚課長の方へと向ける。
そこでは数年先輩の小山田雄一郎が、客先に提出する企画書をレビューしてもらっている最中だった。案の定、言いがかりにも等しいレベルの文句を、ギャンギャンに小飯塚課長に投げつけられている。
「何だこの提案書のフォントは!! おい小山田、お前仕事をナメてんのか!!」
「すっ、すみません、すみません!」
怒鳴り散らされて、縮こまっている小山田さん。この社内において未だ人間の姿を保ったままでいる彼だが、体格がいいはずのその立ち姿は随分と小さく見えた。遅かれ早かれ、彼にも異次元からの手が伸びるのだろう。
目をしばし瞬いてから、俺は隠れるようにして四十物さんへと声をかける。
「今、課長めっちゃキレてるんで……後の方がいいのかなって……」
「ああ、いえ。むしろ好都合です」
だが、四十物さんはしれっと俺にそう言った。好都合とはどういう意味だろう、あんなに課長は怒り心頭だというのに。
戸惑う俺に、四十物さんはいつもの口調で淡々と問いかけてくる。
「ちなみに六反田さんは」
矢継ぎ早に質問を投げられて、処理が追い付かなくなりながらも俺は六反田の席の方を見る。大きな三角耳と、五本ある尻尾の内の端の一本、それがちらと俺の目に映った。
「せ、席にいます」
「了解しました。ありがとうございます。では、後ほど」
言葉を返すと、手短に告げて四十物さんは通話を切った。あまりの怒涛の展開に惚けながら、通話が切れてツーツー言っている内線電話を見ていると、俺の先程の視線を感じたのだろう、六反田が俺の側にやってきてパーテーションの向こうからひょこんと顔を出した。
「どうした?」
「いや、あの、四十物さんが、これからこっちに来るっぽくて」
と、声をかけてきた彼に慌てて返事を返すと、その言葉で真意が伝わったのだろう。耳をぴこりと動かした六反田が笑いながら手を振った。
「ああ、始めるのか。りょーかい。じゃ俺は先に会議室行って隠れてるわ」
「え、えぇっ、あの」
そう言ってさっさと、彼は小会議室の方へと向かって歩いていく。こんな堂々と終業時間中に自分の席を離れていいのか、とも思うが、六反田の席に目をやったらいつものように席についている六反田がいた。
いつの間にやら、自分の席の時間軸をいじっていたらしい。まるで分身したかのようにして本来の彼はここから姿を消したわけだが、そんなことに四次元生物としての能力を使っていいのか。
しかし悠長には構えていられない、もう小飯塚課長に相対する『仕事』は目の前なのだ。焦りながら俺はわらびに念話を送る。
『わらび、どうしよう。俺どうやって小飯塚課長とやりとりすればいいんだ』
『落ち着いてくださいご主人様。メルキザデクも一緒にいますし、あの相手は簡単にチャネルを開いてくれます』
対してわらびは、ある意味悠長とも取れる口調で軽く言葉を返してきた。確かに小飯塚課長のあの調子なら俺に言葉は容易にかけてくるだろうし、そうなればチャネルは開くことが出来るだろうけれど、しかし隣に四十物さんがいたところで、話を振っていくのは俺なのだ。
困惑しつつ、しかし流れは分かっている中で、俺はわらびに言葉をかけていく。
『でも、チャネルを開くのは俺の役目なんだろ? あんなキレ散らかしてる課長にどうやって』
『大方メルキザデクは、マテーウスの話を持ち出すことでしょう。そこに乗っかれば自然とチャネルは開くはずです』
俺の念話に対して、さも当然のことを言うように彼女は言ってきた。
確かに松河原のことについて、話を持ち出していくのは自然なことだ。四十物さんが小飯塚課長に話を振るにしても、それがとっかかりになるだろう。
だが、四十物さんはいいにしても、俺はどうやってその話に乗っかればいいんだ。
『いや、でも』
「下唐湊さん」
手段が見えないままで念話を飛ばしていると、俺の後方から声が飛んだ。振り返ればそこには、数枚の書類を手にした四十物さんが立っている。
俺が振り返って目を白黒させていると、四十物さんは一枚の紙を差し出してきた。
「こちらを」
「これは……メール? これって」
受け取ったその紙は、メールをプリントアウトしたものだった。差出人は松河原だ。彼が送り主のメールをプリントアウトして、渡してくれたらしい。
俺がメールの内容を確認するより先に、四十物さんは淡々と俺へと告げる。
「こちらを手に、頃合いを見て小会議室へ」
「えっ、えっ」
その言葉の真意を問いただすより先に、四十物さんはさっさと俺の席から離れていった。すたすたと居室の中を進み、小飯塚課長の席の前に立つ。
「小飯塚さん、先程ご連絡しました件について、よろしいでしょうか」
「さっきのか……手短に済ませてくれよ!」
四十物さんの言葉に、小飯塚課長はいらついたようすで立ち上がった。どうやら四十物さんは、先んじて小飯塚課長になにかしらの話を持っていっていたらしい。
これまたすたすたと歩いて、四十物さんと小飯塚課長が居室を進み、会議室の方へと消えていく。二人の背中を見送ってから、俺は四十物さんから手渡されたメールに目を落とした。
『これは?』
「松河原さんからのメール……? でも、こんなの俺のメールボックスには」
わらびも一緒になって紙を覗き込む。このレイアウトは、間違いなく社内で使われているメールソフトの印刷用レイアウトだ。そこを経由して出力したのは間違いない。
だが、内容を見返しても、この文面のメールを見た覚えは俺にはなかった。受信トレイを見ても、その配下のフォルダを見ても、松河原から届けられたメールに該当のものはパッと見で見つからない。
と、そこで。改めてメールの書面に目を落とした俺は声を上げた。
「あれ」
『ご主人様?』
俺の言葉にわらびが首を傾げる。彼女にちらと視線を向けてから、俺は印刷されたメールの送信日時の部分に指を置いた。
「そうか……だから最近の受信に無かったんだ。ここ、見ろよ」
俺が指差した送信日時は、今からおよそ一ヶ月前。それを見てわらびも目を見張った。
『この日付……1ヶ月前ですね』
「そうなんだ。でもこの当時、俺はこんなメールを見ていない……きっと、松河原さんが過去に遡ってメールしたんだ」
そう、松河原ことマテーウスは既に四次元存在になっている。とあれば時間軸を操作して、過去の自分からメールを送った、ということもやろうと思えば出来るだろう。
過去に、システム開発部の面々にメールを送った、ということにしているならば、証拠としては機能するだろう。後はそれを他の面々が認識しているかどうか、だ。
俺は四十物さんから手渡されたメールの文面を手に、席を立った。ソワソワしている様子の印出井部長の席に行って、声をかける。
「あの、部長。よろしいですか?」
「ん? うん」
俺が声をかけると、印度井部長がパソコンのモニターから顔を上げた。こちらを見る印出井部長の前に、俺は手元の紙を差し出して言う。
「これ、松河原さんから部長宛てに届いてて……俺の他数人がBcc.に入ってるメールみたいなんですけど、覚えは……」
俺は少々戸惑いがちに印出井部長に声をかけた。
そう、このメール、宛先はまったくもって俺ではない。松河原さんから印出井部長にメールが送られて、俺や六反田、他の課員にBcc.でメールが送られていた、であろう形のものなのだ。
こうした形であれば、俺が気づかなかったのも無理はない、と当時なら言えるだろうが、過去にさかのぼってメールを送っているのだ。気付くも何もない。
しかして、俺の差し出した紙を見た印出井部長が鼻先に手を当てながらこくこくとうなずいた。
「あー……これ。うん、見た見た。仕方ないね、元気でやってねって返事も返したねぇ」
印出井部長の言葉を聞いて、俺は確信した。過去に送ったという事実があるなら、過去に送られた印出井部長はそのメールの認識をしているのだ。
ここまで来たら、後は俺が押し通すだけだ。印出井部長に頭を下げる。
「ありがとうございます」
そして踵を返して、すぐさま会議室に向かう。急がないと四十物さんの負担が大きくなる一方だ。
「行こう」
『行きますか』
俺の言葉にわらびも頷いてついてきた。そのまま小会議室の前に行くと、中で四十物さんと小飯塚課長がやりあっている最中だ。小飯塚課長の声が外まで漏れ出ている。
「いや、だから四十物さんね、ちゃんと考えてくださいよ。所属部の上長通さずに総務部に直で退職願提出だなんてされたら、こっちが困るんですよ。第一私は、全く何も聞いてないんだ」
「ご説明の通り、松河原さんからは過去に何度も、小飯塚さんに『いつでも辞めてもらって結構だ』『今すぐ荷物をまとめて会社を出ていけ』と言われたとの旨、報告を受けています。その上でそのようなことを仰られましても私が困ります」
小飯塚課長が自分の主張を通そうとするも、四十物さんは淡々とした口調のままで言葉を返している。しかもその言葉は法令や社内規則に則ったまっとうなものだ。小飯塚課長の言い分は、無茶苦茶なものと言う他無い。
俺が部屋の外で耳をそばだてているとは露ほども知らないだろう小飯塚課長が、なおも言い募る。
「確かにそういう叱咤はしたが……いや、だからと言っていなくなる今日その日に私に何も言わないなんてのは」
「何を仰いますか」
だが、そこで四十物さんがきっぱりと言葉を返した。鋭く、冷たく言いながら、彼女は事実を告げていく。
「小飯塚さんにお伝えしようにもちっとも取り合っていただけなかったので、印出井さんにお話しして了承された旨、松河原さんから連絡を頂いております」
「なっ、んぅっ」
四十物さんの言葉に、小飯塚課長がはっきりと言い淀んだ。さすがに「自分ではなく自分の上の人間に」話を持っていかれては、彼としても何も言えない。
チャンスはここだ。言葉が途切れたところで、俺は小会議室の扉をノックする。
「あ、あのー。失礼します」
「どうぞ」
俺が恐る恐る声をかけると、四十物さんが返事を返してきた。ちょうどこちらに顔を向けてきた小飯塚課長と、俺の視線がぶつかり合う。
その中で、俺は手に持っていたメールの印刷を小会議室のテーブルに置いた。
「これ、松河原さんからのメール、印刷してお持ちしました。印出井部長からも事実確認取れてます」
「ありがとうございます。助かりました」
俺の言葉に小さく笑みを見せる四十物さんだ。小飯塚課長は対して、突然現れた俺がメールを持ってきたことに目を白黒させている。
だが、事実なのだ。過去にさかのぼってこのメールは送られた。そのメールは印出井部長が目を通している。彼がメールを送ったことは、間違いのないことなのだ。
「課長、俺も確認しました、一ヶ月前、松河原さんはこのメールを部内に送っている。部長にも話を持って行っている。間違いないです」
俺がきっぱりと、小飯塚課長に言葉をかける。これはどうしても必要なことだ。俺に対して、相手側からチャネルを開かなければいけない。そのためには俺に言葉をかけさせなくてはならない。
果たして、さっと顔を赤らめた小飯塚課長が、俺に噛み付いてきた。
「下唐湊!! お前っ、タイミングよく現れていけしゃあしゃあと――」
「っ……」
その語調に僅かにたじろぐ。だが、これこそが必要だ。小飯塚課長が俺に顔を向け、言葉を向けてどなっている間に、六反田が会議室の隅から姿を表す。
途端に、小飯塚課長の動きが止まり、言葉も止まった。全く身動きを取らなくなった小飯塚課長を見ながら、六反田が口を開く。
「よーし、オッケー。チャネル開いてるな。お疲れさん、二人とも」
「はい、問題ありません。下唐湊さんもありがとうございます」
「えっ、えっ」
パンパンと手を打ちながら仕事に入る六反田と、しれっと準備を終えている四十物さん。彼女たちに目を向けながら、俺はあまりの展開の速さに目を丸くしていた。
そんなこんなでげっそりしながら仕事をして、昼食や夕食も取り終わった午後9時。俺の手元の内線電話が鳴った。
「んっ」
こんな時間だ。かけてくる人間など大抵まともなはずがない。恐る恐る電話を取って通話ボタンを押すと、受話器の向こうからは耳慣れた声が聞こえてきた。
「下唐湊さん、お疲れ様です」
「あ、四十物さん。お疲れ様です」
四十物さんだった。どうやら小飯塚課長の一件があるためか、彼女も残って仕事をしていたらしい。こんな会社で、総務部員。当然四十物さんも他の面々も忙しくしていることには変わりないのだろう。
いつものように淡々とした声色で、四十物さんが俺へと問いかけてくる。
「これから、小飯塚さんにお話を持ち掛けようと思います。小飯塚さんは在席中ですか」
「え、えっと……」
まごつきながらも、俺は視線を小飯塚課長の方へと向ける。
そこでは数年先輩の小山田雄一郎が、客先に提出する企画書をレビューしてもらっている最中だった。案の定、言いがかりにも等しいレベルの文句を、ギャンギャンに小飯塚課長に投げつけられている。
「何だこの提案書のフォントは!! おい小山田、お前仕事をナメてんのか!!」
「すっ、すみません、すみません!」
怒鳴り散らされて、縮こまっている小山田さん。この社内において未だ人間の姿を保ったままでいる彼だが、体格がいいはずのその立ち姿は随分と小さく見えた。遅かれ早かれ、彼にも異次元からの手が伸びるのだろう。
目をしばし瞬いてから、俺は隠れるようにして四十物さんへと声をかける。
「今、課長めっちゃキレてるんで……後の方がいいのかなって……」
「ああ、いえ。むしろ好都合です」
だが、四十物さんはしれっと俺にそう言った。好都合とはどういう意味だろう、あんなに課長は怒り心頭だというのに。
戸惑う俺に、四十物さんはいつもの口調で淡々と問いかけてくる。
「ちなみに六反田さんは」
矢継ぎ早に質問を投げられて、処理が追い付かなくなりながらも俺は六反田の席の方を見る。大きな三角耳と、五本ある尻尾の内の端の一本、それがちらと俺の目に映った。
「せ、席にいます」
「了解しました。ありがとうございます。では、後ほど」
言葉を返すと、手短に告げて四十物さんは通話を切った。あまりの怒涛の展開に惚けながら、通話が切れてツーツー言っている内線電話を見ていると、俺の先程の視線を感じたのだろう、六反田が俺の側にやってきてパーテーションの向こうからひょこんと顔を出した。
「どうした?」
「いや、あの、四十物さんが、これからこっちに来るっぽくて」
と、声をかけてきた彼に慌てて返事を返すと、その言葉で真意が伝わったのだろう。耳をぴこりと動かした六反田が笑いながら手を振った。
「ああ、始めるのか。りょーかい。じゃ俺は先に会議室行って隠れてるわ」
「え、えぇっ、あの」
そう言ってさっさと、彼は小会議室の方へと向かって歩いていく。こんな堂々と終業時間中に自分の席を離れていいのか、とも思うが、六反田の席に目をやったらいつものように席についている六反田がいた。
いつの間にやら、自分の席の時間軸をいじっていたらしい。まるで分身したかのようにして本来の彼はここから姿を消したわけだが、そんなことに四次元生物としての能力を使っていいのか。
しかし悠長には構えていられない、もう小飯塚課長に相対する『仕事』は目の前なのだ。焦りながら俺はわらびに念話を送る。
『わらび、どうしよう。俺どうやって小飯塚課長とやりとりすればいいんだ』
『落ち着いてくださいご主人様。メルキザデクも一緒にいますし、あの相手は簡単にチャネルを開いてくれます』
対してわらびは、ある意味悠長とも取れる口調で軽く言葉を返してきた。確かに小飯塚課長のあの調子なら俺に言葉は容易にかけてくるだろうし、そうなればチャネルは開くことが出来るだろうけれど、しかし隣に四十物さんがいたところで、話を振っていくのは俺なのだ。
困惑しつつ、しかし流れは分かっている中で、俺はわらびに言葉をかけていく。
『でも、チャネルを開くのは俺の役目なんだろ? あんなキレ散らかしてる課長にどうやって』
『大方メルキザデクは、マテーウスの話を持ち出すことでしょう。そこに乗っかれば自然とチャネルは開くはずです』
俺の念話に対して、さも当然のことを言うように彼女は言ってきた。
確かに松河原のことについて、話を持ち出していくのは自然なことだ。四十物さんが小飯塚課長に話を振るにしても、それがとっかかりになるだろう。
だが、四十物さんはいいにしても、俺はどうやってその話に乗っかればいいんだ。
『いや、でも』
「下唐湊さん」
手段が見えないままで念話を飛ばしていると、俺の後方から声が飛んだ。振り返ればそこには、数枚の書類を手にした四十物さんが立っている。
俺が振り返って目を白黒させていると、四十物さんは一枚の紙を差し出してきた。
「こちらを」
「これは……メール? これって」
受け取ったその紙は、メールをプリントアウトしたものだった。差出人は松河原だ。彼が送り主のメールをプリントアウトして、渡してくれたらしい。
俺がメールの内容を確認するより先に、四十物さんは淡々と俺へと告げる。
「こちらを手に、頃合いを見て小会議室へ」
「えっ、えっ」
その言葉の真意を問いただすより先に、四十物さんはさっさと俺の席から離れていった。すたすたと居室の中を進み、小飯塚課長の席の前に立つ。
「小飯塚さん、先程ご連絡しました件について、よろしいでしょうか」
「さっきのか……手短に済ませてくれよ!」
四十物さんの言葉に、小飯塚課長はいらついたようすで立ち上がった。どうやら四十物さんは、先んじて小飯塚課長になにかしらの話を持っていっていたらしい。
これまたすたすたと歩いて、四十物さんと小飯塚課長が居室を進み、会議室の方へと消えていく。二人の背中を見送ってから、俺は四十物さんから手渡されたメールに目を落とした。
『これは?』
「松河原さんからのメール……? でも、こんなの俺のメールボックスには」
わらびも一緒になって紙を覗き込む。このレイアウトは、間違いなく社内で使われているメールソフトの印刷用レイアウトだ。そこを経由して出力したのは間違いない。
だが、内容を見返しても、この文面のメールを見た覚えは俺にはなかった。受信トレイを見ても、その配下のフォルダを見ても、松河原から届けられたメールに該当のものはパッと見で見つからない。
と、そこで。改めてメールの書面に目を落とした俺は声を上げた。
「あれ」
『ご主人様?』
俺の言葉にわらびが首を傾げる。彼女にちらと視線を向けてから、俺は印刷されたメールの送信日時の部分に指を置いた。
「そうか……だから最近の受信に無かったんだ。ここ、見ろよ」
俺が指差した送信日時は、今からおよそ一ヶ月前。それを見てわらびも目を見張った。
『この日付……1ヶ月前ですね』
「そうなんだ。でもこの当時、俺はこんなメールを見ていない……きっと、松河原さんが過去に遡ってメールしたんだ」
そう、松河原ことマテーウスは既に四次元存在になっている。とあれば時間軸を操作して、過去の自分からメールを送った、ということもやろうと思えば出来るだろう。
過去に、システム開発部の面々にメールを送った、ということにしているならば、証拠としては機能するだろう。後はそれを他の面々が認識しているかどうか、だ。
俺は四十物さんから手渡されたメールの文面を手に、席を立った。ソワソワしている様子の印出井部長の席に行って、声をかける。
「あの、部長。よろしいですか?」
「ん? うん」
俺が声をかけると、印度井部長がパソコンのモニターから顔を上げた。こちらを見る印出井部長の前に、俺は手元の紙を差し出して言う。
「これ、松河原さんから部長宛てに届いてて……俺の他数人がBcc.に入ってるメールみたいなんですけど、覚えは……」
俺は少々戸惑いがちに印出井部長に声をかけた。
そう、このメール、宛先はまったくもって俺ではない。松河原さんから印出井部長にメールが送られて、俺や六反田、他の課員にBcc.でメールが送られていた、であろう形のものなのだ。
こうした形であれば、俺が気づかなかったのも無理はない、と当時なら言えるだろうが、過去にさかのぼってメールを送っているのだ。気付くも何もない。
しかして、俺の差し出した紙を見た印出井部長が鼻先に手を当てながらこくこくとうなずいた。
「あー……これ。うん、見た見た。仕方ないね、元気でやってねって返事も返したねぇ」
印出井部長の言葉を聞いて、俺は確信した。過去に送ったという事実があるなら、過去に送られた印出井部長はそのメールの認識をしているのだ。
ここまで来たら、後は俺が押し通すだけだ。印出井部長に頭を下げる。
「ありがとうございます」
そして踵を返して、すぐさま会議室に向かう。急がないと四十物さんの負担が大きくなる一方だ。
「行こう」
『行きますか』
俺の言葉にわらびも頷いてついてきた。そのまま小会議室の前に行くと、中で四十物さんと小飯塚課長がやりあっている最中だ。小飯塚課長の声が外まで漏れ出ている。
「いや、だから四十物さんね、ちゃんと考えてくださいよ。所属部の上長通さずに総務部に直で退職願提出だなんてされたら、こっちが困るんですよ。第一私は、全く何も聞いてないんだ」
「ご説明の通り、松河原さんからは過去に何度も、小飯塚さんに『いつでも辞めてもらって結構だ』『今すぐ荷物をまとめて会社を出ていけ』と言われたとの旨、報告を受けています。その上でそのようなことを仰られましても私が困ります」
小飯塚課長が自分の主張を通そうとするも、四十物さんは淡々とした口調のままで言葉を返している。しかもその言葉は法令や社内規則に則ったまっとうなものだ。小飯塚課長の言い分は、無茶苦茶なものと言う他無い。
俺が部屋の外で耳をそばだてているとは露ほども知らないだろう小飯塚課長が、なおも言い募る。
「確かにそういう叱咤はしたが……いや、だからと言っていなくなる今日その日に私に何も言わないなんてのは」
「何を仰いますか」
だが、そこで四十物さんがきっぱりと言葉を返した。鋭く、冷たく言いながら、彼女は事実を告げていく。
「小飯塚さんにお伝えしようにもちっとも取り合っていただけなかったので、印出井さんにお話しして了承された旨、松河原さんから連絡を頂いております」
「なっ、んぅっ」
四十物さんの言葉に、小飯塚課長がはっきりと言い淀んだ。さすがに「自分ではなく自分の上の人間に」話を持っていかれては、彼としても何も言えない。
チャンスはここだ。言葉が途切れたところで、俺は小会議室の扉をノックする。
「あ、あのー。失礼します」
「どうぞ」
俺が恐る恐る声をかけると、四十物さんが返事を返してきた。ちょうどこちらに顔を向けてきた小飯塚課長と、俺の視線がぶつかり合う。
その中で、俺は手に持っていたメールの印刷を小会議室のテーブルに置いた。
「これ、松河原さんからのメール、印刷してお持ちしました。印出井部長からも事実確認取れてます」
「ありがとうございます。助かりました」
俺の言葉に小さく笑みを見せる四十物さんだ。小飯塚課長は対して、突然現れた俺がメールを持ってきたことに目を白黒させている。
だが、事実なのだ。過去にさかのぼってこのメールは送られた。そのメールは印出井部長が目を通している。彼がメールを送ったことは、間違いのないことなのだ。
「課長、俺も確認しました、一ヶ月前、松河原さんはこのメールを部内に送っている。部長にも話を持って行っている。間違いないです」
俺がきっぱりと、小飯塚課長に言葉をかける。これはどうしても必要なことだ。俺に対して、相手側からチャネルを開かなければいけない。そのためには俺に言葉をかけさせなくてはならない。
果たして、さっと顔を赤らめた小飯塚課長が、俺に噛み付いてきた。
「下唐湊!! お前っ、タイミングよく現れていけしゃあしゃあと――」
「っ……」
その語調に僅かにたじろぐ。だが、これこそが必要だ。小飯塚課長が俺に顔を向け、言葉を向けてどなっている間に、六反田が会議室の隅から姿を表す。
途端に、小飯塚課長の動きが止まり、言葉も止まった。全く身動きを取らなくなった小飯塚課長を見ながら、六反田が口を開く。
「よーし、オッケー。チャネル開いてるな。お疲れさん、二人とも」
「はい、問題ありません。下唐湊さんもありがとうございます」
「えっ、えっ」
パンパンと手を打ちながら仕事に入る六反田と、しれっと準備を終えている四十物さん。彼女たちに目を向けながら、俺はあまりの展開の速さに目を丸くしていた。
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