真夜中に愛猫とキスを

八百十三

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第1章 高次元存在との接触

第8話 レクリエーション

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 二人に背中を押されるようにしながら、特殊能力を一旦終了した俺は歩き出した。物理的に俺を押すべく俺の背中に手を当てる六反田が、隣を歩く四十物さんに声をかける。

「さて、簡単な仕事のありそうな場所ってーと、四十物ちゃんはどこがいいと思う?」

 その言葉に、すぐさま四十物さんは立ち止まった。俺を歩かせる六反田の手を止めて、こくりとうなずく。

「まずはここからがいいかと思います。開発系の部門ほど皆さん酷使されてはいませんが、ここも何かと、しわ寄せが来てストレスが溜まるので」

 そう言いながら四十物さんが指し示したのは、今俺たちがまさにいる、総務部と財務部のフロアだ。
 総務部総務課、総務部人事課、財務部財務課が一緒に仕事をしているここは、言ってしまえば会社内のトラブル解決部隊。なにか社内で問題があったらここに持ち込まれる故に、なかなかに気を使う仕事が多くて忙しい部署だ。
 部署の皆が忙しそうにしている様子に心を痛めていると、四十物さんが小さく鼻を鳴らしながら言った。

「下唐湊さん、まずはあなたの眼が頼りです。特殊能力を発動させ、このフロアを見回してみてください」

 今から高次元存在の能力を行使しろ、というなかなかとんでもないことを言いだす四十物さんに、俺は少々まごついた。いくら俺の能力がだけとはいえ、それで何か問題を引き起こしたら後が怖い。

「えっ、そ、そんなこと今ここでして、変な目で見られたりなんてことは」
「大丈夫。言っただろ? 時間軸はずらせるから誰も気にしない、そのために俺がいるんだ。ってかさっきからずらしてるんだからどんどんやれ」

 俺が戸惑っていると、六反田が肩をすくめながら言ってきた。そういえば周りの人々の動きが、いつの間にか止まっている。いつの間にずらしていたんだ。ちっとも分からなかった。
 開いた口が塞がらないでいる俺の頬を、わらびがたしたしと触りながら言ってくる。

「大丈夫ですよご主人様、自信を持ってください」
「え、えーと……!」

 戸惑いながらも、俺は目を閉じた。そのまま一秒、そして開く。
 正直、六反田と一緒になってこのフロアに入ってきた時、能力を使っていたから見ていたは見ていたのだ。ただしその時は誰が誰か判別できないこともあって、事態を飲み込めていなかった。
 それが、今回は誰がどの姿を取っているか、ハッキリ分かる。

「わっ」
「見えたか?」
「おそらく見えたことでしょう」

 声を上げる俺の顔を覗き込む六反田と、俺の見る方へと顔を向けている四十物さん。反応は両極端だが、どちらも俺の視界に映るものを気にしているのが分かる。
 ちら、とこちらに視線を向けてきたバケモノ状態の四十物さんが、声色を変えずに俺に問いかけてくる。

「どうですか下唐湊さん、見えている中に、はどれだけ見えましたか」
「え、ええと……」

 その問いかけに、俺はハッキリと戸惑った。
 何しろ、「人間でないもの」という基準がどこまでも曖昧なのだ。わらびみたいな猫もいれば、六反田のような獣人もいる。四十物さんのように不定形な生物もいれば、もっと形を保っていないものもいる。
 なのか分からず、俺は問いを返す。

「ど、どこまでの範囲で言えばいいですか」
「そうだな……」

 その言葉に、口をへの字にしながら考えるのは六反田だ。自分に指を向けながら、彼は話し出す。

「俺みたいに人間が全く人間じゃない姿をしているんでもいいし、四十物ちゃんみたいに人間の身体をなんか別のもんが覆ってる感じのでもいいし、なんなら人間の身体になんかそうじゃないもんがくっついてるんでもいい。とにかく普通の人間の様子をしてないものがどれだけあるか、言ってくれ」
「な、なるほど……」

 そう言われて、もう一度俺は視線を総務部・財務部に向ける。改めて見てみると、明らかにこれはまともな人間の姿ではないな、と思う者が、三人いた。
 総務部部長の小笠原おがさわらさん、財務課課長の五十嵐いがらしさん、財務課の佐々本ささもとさん、総務課の西耒路さいらいじさんの四人だ。こうして見ると、四十物さんを含めて半数以上が異形ということになる。なんて事だ。

「ええと、小笠原さんが大きな尻尾が生えているのと、佐々本さんがもやもやしたものに身体を覆われているのと、五十嵐さんがなんか変な塊を肩に乗せているのと、西耒路さんがなんかブロックみたいな身体になっているのが見えるかな、と……」

 俺が素直に言うと、六反田がすんと鼻を鳴らした。

「おん、意外といないのな」
「病んではいても、異界の存在に取り憑かれているものはそこまでいないということでしょう。そうでなくては困りますが、アビスの歪曲深度が深度ですからね」

 四十物さんも肩をすくめながら話す。
 どうやら二人の見方からすると、この明らかに異常な状況はまだ軽い方らしい。部員の半分以上が異世界からの影響を受けて身体が変になっているとか、どう考えても異常事態だろう、という言葉を俺は飲みこむ。
 一度静かに目を閉じてから、四十物さんが俺に声をかけてきた。

「分かりました。下唐湊さん、とりあえず佐々本さんのものに取り掛かりましょう。私の方でも確認しましたが、あの程度ならアクションもさして難しくはありません」

 そう話しながら四十物さんが俺に向かってうなずく。どうやら四十物さんも、「真実視」のような特殊能力を持っているは持っているようだ。それなら俺がいなくても仕事が出来ただろうと思うのだけれど、多分俺ほど詳細には見れないんだろう。
 状況が呑み込めたところで、六反田が真剣な表情でうなずく。

「もう一度言うけれど、声をかけて自分の話に乗っからせるまでがお前の仕事だ。そこから先は俺と四十物ちゃんでやるけれど、油断はするなよ」
「わ、分かってるよ」

 その言葉に、ビビりながらも俺はうなずいた。ここまで来て引き返すことも出来ない。
 俺が佐々本さんに身体を向けたところで、六反田が俺の後ろでつぶやいた。

「よし……じゃ、時間軸をゼロに戻すぞ」

 その言葉を聞いた途端、俺の前にいる佐々本さんが動きを再開する。それだけではない、他の総務部、財務部の人々も動きを再開させた。それを確認して、おっかなびっくり、俺は佐々本さんに声をかけた。

「あ、あのっ」
「はい?」

 呼びかけに反応した佐々本さんがこちらに顔を向けた。俺の顔を見て、一瞬目を見開いた彼女が小さく微笑む。

「あら、下唐湊さん、どうかしましたか?」

 その言葉に、思わず俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
 これから、俺たちは佐々本さんの身体を覆う謎のもやもやを取り除く。そのためにはもっと人目につかない場所へと連れて行かないとならないだろう。
 しかし、今は時間軸がゼロ。俺の言葉は他の人たちにも聞こえている。不自然にならないようにしなくては。

「あの、佐々本さん、その……少し相談したいことがありまして、お時間、よろしいでしょうか」

 結果的に俺は、なんとも当たり障りのない言葉を口から吐き出すことになった。
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