真夜中に愛猫とキスを

八百十三

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第1章 高次元存在との接触

第6話 会社のひずみ

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 ある程度昼食が片付いたところで、六反田が改めてテーブルに両肘をついた。

「じゃ、俺たちの担当、アビス株式会社の『ひずみ』について説明するな」

 そう言いながら、六反田が指をす、と空中をなぞるように動かした。途端に彼の目の前の空間に、光の板が出現してそこに文字が表示される。ご丁寧に、ちゃんと日本語だ。

「アビス株式会社、歪曲深度わいきょくしんど……引き起こしている『ひずみ』の大きさを示す指標なんだけど、これが最高ランクのS++エスツープラス

 用語の説明をしながら、六反田が今回の案件の内容を話していく。歪曲深度がどれくらいの幅のある指標なのかは分からないが、最高ランクと言うからにはとてつもなく大変なレベルなのだろう。
 とはいえ、分からなくもない。何しろうちの会社は退職者たくさん、自殺者も少なくない、というとんでもないブラック企業だ。中小企業らしく社員は全部で40人くらいだが、入ってくる人間と出ていく人間が同じくらいだからちっとも規模が拡大していない。
 六反田が指をまた動かせば、光の板に写真が出てくる。うちの会社の社長を務める七五三掛しめかけ好造こうぞうの顔写真だ。

「主な原因は七五三掛しめかけ社長で間違いないが、他にもうちの部署の小飯塚こいいづか課長、ソリューション事業部の俵積田たわらつみだ部長……ま、あちこちに『ひずみ』の根っこがいる」

 その言葉を聞いて俺は驚きに目を見張った。
 七五三掛社長はもちろんのこと、小飯塚課長も俵積田部長も難物として有名な人だ。パワハラ気質はもちろんのこと、気まぐれで朝令暮改ちょうれいぼかいは当たり前。彼らに心を潰されて辞めていった社員は数多い。
 そうした人々が「ひずみ」の根元にいるというのも、ある意味で納得できる話だ。六反田が話を続ける。

「この『ひずみ』の根っこを取り除くことが最重要だ。他にも、その『ひずみ』に引っ張られて高次元や低次元の存在から接触を受けたやつがたくさんいるが、そういうのには深入りしなくてもいい」

 聞くところによると、今日俺が見た通りの社内の様子は、どれだけうちの会社が「ひずみ」の根っこにいる人間の影響を受けて、他次元の存在に侵された社員が多いか、ということの証らしい。
 人間じゃないように見えている社員の全員が、他次元の存在から接触を受けてそれを受け入れてしまったもの、ということだと六反田は言う。それは、とんでもない状況だ。実際俺自身も、わらびという他次元の存在に侵されているわけだし。
 俺が納得したようにうなずくと、六反田が一旦光の板を消した。新しい光の板を空中に出しながら、彼は言う。

「で、『アビス株式会社』案件解決のために送り込まれた、高次元からの参画者は、俺、キネスリス、あとはメルキザデク。この三人で取り掛かっていくことになる」

 その言葉を聞いて、小さく首を傾げる俺だ。
 メルキザデク。またなんか聞き慣れない名前が出てきた。うちの会社の中にいる誰か、に取り憑いている他次元存在なのだろうが、誰のことを言っているのか。

「キネスリス……は俺として、メルキザデクって、いったい誰なんだ?」

 俺が素直に問いかけると、六反田が笑みを浮かべながら指を光の板に当てた。六反田の顔写真、俺とわらびの顔写真の他に、なんとも言い難いような異形の怪物の写真と並んで、顔立ちの薄いショートボブの女性が表示される。

「総務部にいる四十物あいものちゃん、分かるか? あの子の契約相手だよ」
「えっ、四十物さんって、あのいつも愛想の無い!?」

 彼の言葉に、俺は思わず大きな声を上げた。
 総務部に所属する四十物あいもの美都みとは、会社の業務の円滑な運営に重要な仕事をいくつも担っている。だが、いつもぶっきらぼうで冷たい物言いをした、瞳から光の消えた女性だ。あまりいい感じのする存在ではない。
 だが、彼女を褒め称えながら六反田が言う。

「そうそう。あの子もなかなか味方につけると強い子だぞ。今回の案件の切り札と言ってもいいな」
「ええ……信じられない……」

 その言葉に、顎がはずれる俺だ。まさか四十物さんがそんなにも、六反田から信頼を得ているほどの存在だったとは。
 驚きに目を見張っている俺に、六反田が一本人差し指を立てながら話す。

「で、だ。ここからが大事なところだけど、俺たちの仕事には一つ、守らなきゃならない大事ながある」
「ルール……?」

 改めて仕事の説明を始めた六反田に、俺は小さく首を傾げた。ここで改めて話を出してくるほどのルールとは、どういうものなのか。
 俺に向かってうなずきながら、六反田が口を開く。

「俺たちは高次元存在の能力を駆使して、『ひずみ』……この三次元世界の人々の命を、寿命を待たずに奪う要因を取り除いていくことになる。だけどこの能力を他人に使っていくには、その相手からのを引き出さなきゃならない。無理やりに、ってわけにはいかないんだ」
「え……えぇっ」

 その言葉に、俺は小さくのけぞった。
 確かにこうしたとんでもない能力をいきなり相手に使って、相手のメンタルが壊れてしまっては意味がない。特に俺たちの「仕事」はメンタルに深く関わる。無理やりこじ開けるように接触するわけには行かない、ということだ。
 だが、それはすなわち俺がまず、「ひずみ」を生み出す社員に接触しないといけないということだ。顔から血の気が引いた俺に、六反田が手をひらひらさせながら言う。

「あ、能力使っていいか、っていう同意とは違うぞ。つまりは会話をして、意識を俺たちに向けさせて、を開いて貰う必要があるんだ。そこを通して別次元の存在にアクセスするからな」

 六反田の言葉に呼応するように、わらびがテーブルの上から浮き上がりながら口を開いた。

「普通の歪曲深度の現場だったら、観測、介入、同意の入手、原因の切除、全部一人でも事足りるんですが、今回は深度が大きすぎるので、三人での分業体制で行います。ご主人様が観測と介入、フレーデガルが同意の入手、メルキザデクが切除を担当する分業制で今回は行います。なのでご主人様が動かないと、他のお二人も動けないんです」
「俺とキネスリスの二人体制でも行けないことは無いんだけどな、切除に関してはメルキザデクがプロだからさ。俺は全体のサポートに回りつつ、同意を取り付けるってわけ」

 その言葉の後を継いで六反田が話しつつ笑う。確かに六反田のような位の高い存在が、表立って動くよりは俺たちみたいな下っ端が動いたほうがいい。それは分かるのだけれど。
 少しげっそりしながら、俺は六反田に問いかけた。

「つまり……俺が社長や課長、俵積田部長に話を持って行って、なんとかしないとダメってことか……?」
「話のとっかかりを作るところまではな。でも、そこまではトソちゃんに頑張ってもらわないとならない」

 俺の言葉にうなずきながら、六反田がすっかり冷めたお茶に口をつけた。
 思わずテーブルに突っ伏しそうになる。一般の社員相手ならともかく、小飯塚課長とか俵積田部長とか、社内でも難物で自分から声をかけるのがためらわれるような相手に、自分から接触しないといけないのだ。
 ましてや七五三掛社長など、俺にとっては雲の上の人物である。どうやって接触したらいいんだ。

「マジか……」
「頑張ってくださいご主人様、私もしっかりお手伝いしますから!」

 うなだれる俺の肩に手を置きながら、わらびが俺を元気づけようと声をかけてくる。
 苦笑を見せる六反田の前で、俺は深くため息を吐くしかなかった。一体どうやって、俺は俺の仕事をすればいいんだろう。先が見えない現実に、俺は憂鬱だった。
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