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5. 禁域編

姿なき村長

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 木の焼けるにおいを孕んだ、乾いた風が吹き荒れている。
 家々が燃え、畑が踏み荒らされた、廃墟と化したゲヤゲ村の中を、醜悪なキマイラ達が闊歩している。

「アロロロ……」
「ガガ……」

 その鳴き声は魔獣のそれとしても、非常にいびつだ。もしかしたら喉の構造も、一般的な魔物とは違うのかもしれない。
 そんなキマイラを横目に見ながら、僕達は村だった場所の、多分道だったところを歩いていた。
 もっと隠れたりしながら進んでいくのかと思いきや、イルムヒルデはびっくりするくらい堂々とキマイラ達の間を進んでいた。
 僕のすぐ横を、ループトカゲレザルズが入り組むように組み合わさった頭部を持つキマイラが通り過ぎていく。その口からは腐臭が漏れていた。

「う……っ」
「エリク、大丈夫です……大丈夫……」

 思わず鼻を押さえる僕に、アグネスカが声をかけてきた。彼女の声も、震えている。
 最後尾を歩くディートマルが、チラと僕達の方を見ながら口を開いた。

「エリクさんもアグネスカさんも、決して列からはみ出さないようにお願いします。走らず、ゆっくりと……そう、そうです」

 その声は優しくも、力がこもっていた。声を潜めているわけでもない、はっきりと上げられた声だ。隠れよう、逃げよう、という意思は見られない。
 そのことに違和感を感じながら、僕は前を行くイルムヒルデの顔を見上げた。

「あのキマイラは、襲って、こないんですか……?」

 僕の問いに、彼女はこくりと頷く。そして前方、畑だった場所で向かい合わせになりながら吠えているキマイラ達をみながら口を開いた。

「元が人間だからなのでしょうね。いくら『器』を歪められても、人間種ユーマンは獲物とみなさないようです」

 その言葉を聞いて、ホッと胸を撫で下ろす僕とアグネスカだ。だがその反面、にわかに慌てだした者がいる。この中で唯一人間種ユーマンではないイヴァノエだ。

『オイ待てよ、じゃあ俺は危なくないのか!?』

 尻尾を僕の足に巻きつけるようにしながら、彼がベスティア語で声を上げる。しかし、イルムヒルデの返答は実に明るいものだった。

「だからダヴィド様についていてください、とお願いしましたのです。その位置でしたら外からは人間の仲間と見れますから」

 そう話しながらも、彼女の表情はどこか冴えない。少し間を置いてから、再びイルムヒルデが口を開いた。

「……ええ、それでも万一がございますので、いざという時にはご対応いただかなければなりませんが」
『うげっ……アレにかよ』

 その言葉にげっそりした表情をするイヴァノエだ。無理もない、あんな醜悪なキマイラを相手にして戦うなんてこと、考えたくも無い。
 僕の手は自然と、イヴァノエの頭へと伸びていた。彼の柔らかい頭を優しく撫でる。

「イヴァノエ……大丈夫、僕がついてるよ」
『ううっ、尻尾の先がビリビリしやがるぜ……エリク、もっと傍に寄ってくれ』

 僕の足に身体を寄せつつ歩くイヴァノエ。彼にチラと視線を向けて、アリーチェが隣を行くイルムヒルデに声をかけた。

「それはそうと……どうするんです? この現状を見るだけでも、とんでもないことは分かりますけど」

 彼女の言葉に、挟まれるようにして歩く僕達は一様に、不安げな表情を浮かべた。
 こんな場所だ。邪神エスメイを何とかするという目的こそあれど、無為無策に歩き回っていい場所でないことは間違いない。そうでなくても、情報が必要だ。
 果たして、イルムヒルデが右の翼を軽く持ち上げて言う。

「はい、まずはゲヤゲ村の村長様にお話を伺いに参ります」
「村長……? 無事なの、その人は?」

 その返答に、眉をひそめながらマドレーヌが問うた。
 至極自然な疑問だ。容赦も遠慮もない邪神が、村長だからと言う理由で「いたずら」をしないとは思えない。
 最後尾を歩くギーも、ため息を付きながら口を開く。

「この状況だ。どう考えても、話を聞ける状況にはないと思うが」

 彼の疑問に納得の表情を見せつつ、その場の全員がイルムヒルデの言葉を待った。果たして、彼女は首を振りながら答える。

「いいえ、ギー様。村長様に関してだけは、間違いなくヒトの形を保っていらっしゃる、と断言できます」
「ほう……その心は?」

 確信を持って言われた言葉。ギーがふと、面白そうなものを見つけたように口角を上げた。
 そこまで断言できるには、相応の理由があるのだろう。それを、イルムヒルデは薄っすらと笑みを見せながら口にした。

「簡単なこと。既にお亡くなりだから・・・・・・・・・・です」
「む……?」

 だが、その答えは何とも突拍子も無い、というよりにわかには信じ難いものだった。
 この村の村長が既に死人だと言うならどうして話など聞けようか。アグネスカもアリーチェも、同じように不思議そうな顔をしつつイルムヒルデに問いかける。

「お亡くなり……って、イルムヒルデさん、どういうことですか?」
「死人ってことですよねぇ? 死人に口なし、それもそれで話を聞ける状況じゃないと思いますが……」

 二人の疑問に、イルムヒルデは笑みを浮かべたままで小さく頷いた。そして、一軒の廃墟の前で足を止める。

「ご覧になればお分かりになりますわ……ああ、こちらです」

 その廃墟は、見るからに他の家々とは一線を画すほどに大きいものだった。他の家は平屋建ての小屋のようなものだったが、これは明確に家だ。他より二周りは大きく見える。
 崩れかかったドアを開いて中に入るも、そこはあらゆるものが壊された、家とも呼べない酷い有様だった。

「ここも……壊されてるね」
「見るも無残な状況だわ……死体があったとしても、これでは瓦礫がれきに埋もれているのではなくて?」

 僕の零した言葉にマドレーヌも頷いた。そしてキョロキョロと辺りを見回すイルムヒルデに声を投げると、彼女は小さく頷きながらある一つのドアを示した。

「ご心配には及びませんわ。皆様、こちらへ」

 壊れかかったそのドアを、イルムヒルデがぐいと引っ張る。ドアが歪んでいるのかすぐには開かなかったが、ギーも加わって力を込めると大きく音を立てて開いた。
 中に入ると、そこはじゅうたんが敷かれてソファーが置かれていたらしい部屋だった。客間だったのだろう、今は見る影もないけれど。

「ここは、客間ですか?」
『酷い荒れようだ。埃と火のにおいがプンプンしやがるぜ』

 アグネスカが部屋の中を見回すと、スンと鼻を鳴らしたイヴァノエが眉間にしわを寄せた。
 ここも酷い壊されようだ。道路側に面していたからだろう、窓側の破損が特にひどい。まるて暴れるヴァーシュでも突っ込んだかのようだ。
 と、そんな荒れ果てた部屋の中で。イルムヒルデはふと天井を見上げた。そして『誰か』に呼びかけ始める。

「……コホン。ジラルデ様? イルムヒルデにございます。いらっしゃいますか?」

 その口調は明らかに、この空間にいる『誰か』を呼んでいた。
 しかし当然、この部屋には僕達以外は誰もいない。念の為に生命よ我が声に応えよアニマルエコーを使うが、僕達以外の反応は無かった。

「イルムヒルデさん?」
「何を――」

 アグネスカが、マドレーヌが彼女に訝しむ視線を向け始めたところで。部屋の天井から、否、「天井のある空間から」、『誰か』が声を返してきた。

「おお……イルムヒルデ。その声を久しく聞かなんだ……懐かしや……」
「ヒッ!?」
「ど、どこから……」

 にわかに、イルムヒルデとディートマルを除いた六人が慌てだした。
 相手は死者だ。既に死んだものだ。ならば今ここで声を返してきたものは、村長の幽霊に他ならない、としか思えない。
 本物の幽霊におののく僕達をそのままに、イルムヒルデは言葉を重ねていく。

「ジラルデ様、三大神の使徒として、お話を伺いに参りました。よろしゅうございますか?」

 彼女の言葉に、声は少しの間を置いて返してくる。そのレスポンスにはいくらかの間があるようだし、返答も途切れ途切れ。しかし、声は確かに聞こえる。

「いいとも……だが、上では具合が悪い……下に降りて来やれ……」

 そう告げる声は、徐々に小さくなり、やがて聞こえなくなった。
 今のが村長ジラルデだとしたら、彼と話をするためにはその声に従って下の階に降りる必要がある。しかし先程玄関から見るに、地下への階段は見当たらなかった。
 どうするのか、と思いきや。イルムヒルデがおもむろに壁側の暖炉に向かった。

「とのことでございます、皆様。参りますわよ」
「そこの暖炉、火床ひどこの下にはしごがあります。そこから降りましょう」

 ディートマルも後に続き、その言葉通りに火床に手をかける。と、それが蓋のように外れて持ち上がった。その下には空間があり、下に続くはしごがあった。
 その予想外の隠し方に、ため息交じりの声が口から漏れる。

「え……」
「ええ……」
『畜生め、俺はどうやって降りればいいんだよ……』

 イヴァノエも頭を振りながら呻いた。どうしよう、ここに置いていくわけにもいかないし。
 どうしよう、どうすれば。道が開かれながらも、僕とイヴァノエは頭を悩ませるしかなかった。
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