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3. 農園編

加護なき野良犬

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 8の刻の昼休憩を挟んで、畝に次々小麦の種を蒔き、11の刻を迎える頃に。

「終わったー!」
「お疲れ様でした!」
『お疲れ様です、皆さん!』

 ようやく、250本ある畝の最後の一本、畝の端に開けた穴に土が被せられた。
 村民の皆も口々に、労をねぎらい合っている。数時間の共同作業とはいえ村を上げての一大事業の最初の山を越えたのだ、気持ちはすごく分かる。
 アグネスカもアリーチェも、ルピア語を話せないラファエレでさえも、周囲の人々と握手して、笑い合っていた。
 僕も晴れやかな気持ちで額の汗を拭っていると。

「あんっ!」

 足元で獣の鳴き声が聞こえた。
 そちらに視線を落とすと、焦げ茶色の毛皮、ハシバミ色の大きな瞳、黒い鼻を持つ一匹の雌のシェンが、ハッハッと息を吐き、口から舌を垂らしながら僕を見ている。
 その正体を認識するかしないかのタイミングで、近くにいた村民の一人がシェンに向かって声を荒げた。

「こら! 薄汚い野良犬めが、使徒様に近づくんじゃない!!」
「きゃんっ!」

 強い口調で怒鳴られて、一声鳴きながら農園の向こうの方へと逃げていくシェン
 その文字通り尻尾を巻いて逃げていく後姿を、僕は見開いた目をそのままに、じっと見ていた。
 立ち尽くしたままで視線を外せないでいる僕の背中に、先程シェンを追い払った村民が優しい声で話しかけてくる。

「全く、あの恥知らずは……使徒様、大丈夫でしたかい?」
「はい、僕は、大丈夫です……あの、さっきのは」

 声をかけられて、ようやく視線を動かせるようになった僕が村民の顔を見上げると、名も知らぬ村民は小さくため息をついた。

「あれは、数日前から村に・・・・・・・住み着くようになった・・・・・・・・・・野良犬ですよ・・・・・・
 一日中、村の中や牧場をうろついては、村に住み着く野良犬やら牧羊犬やらと盛っているんです。気が向けば我々も相手しますけどね、基本的には厄介者ってやつですよ」

 シェンの去っていった方向を忌々し気に見やり、ともすれば唾を吐き捨てるような口ぶりをして、彼はそう言った。
 それだけなら事実のみを告げているに過ぎないが、村民の口はまだ止まらない。

カーン様の加護を・・・・・・・・外された恥知らず・・・・・・・・が、カーン様の使徒様に近づこうだなんて、不届きなんてものじゃない。
 使徒様が汚されたら、今度は・・・シェン程度じゃすまされない・・・・・・・・・・っていうのに」

 そこまで言って、舌打ちも零しながら話して、村民は僕の傍から去っていった。
 彼の言葉に、僕は何故だろう、言い知れぬ恐怖を感じずにはいられなかった。
 あの名も知らぬ村民は、知っていたのだ・・・・・・・
 あのシェン加護を外されたこと・・・・・・・・・を。神罰を下された者・・・・・・・・であること・・・・・を。
 つまり、あの・・シェンが元は村長のアダンで・・・・・・・・・・あること・・・・を、彼は知っていた。それでいてあのように僕に話したのだ。

 アリーチェ曰く、神罰の光は天から降ろされ、屋敷の屋根も床も貫いて地下室に届いたとのこと。
 ならば、その光を村民が目にしなかったとは考えづらい。ジスランの目撃証言曰く、時刻は13の刻を過ぎたあたり。辺りは真っ暗闇だっただろうから、神罰の光はさぞ目立ったことだろう。
 しかし、ジスランは昨日は僕と一緒に書類仕事にかかりきり。今日は朝から種蒔き。村長交代の村会議は明日に予定されていたはずだ。
 つまり、アダンが神罰の当事者・・・・・・・・・・であることは、村民に・・・・・・・・・・伝わっていないはず・・・・・・・・・なのだ。
 愕然としたままで立ち尽くし、シェンの去っていく方向を見ていた僕の肩を、アグネスカが後ろから抱くように抱き締めてきた。

「エリク……大丈夫ですか、怖がることはありません」
「アグネスカ……なんで、アダンさんは……」

 自分の肩に頭を乗せる姉に、縋るような目を向けつつ、僕は恐る恐る問いかけを発した。
 僕の顔の目の前で、その亜麻色の目で僕の目をまっすぐと見ながら、アグネスカはゆっくり、噛み含めるように僕に言い聞かせ始めた。

「エリクは、昨日アロルドさんやヴィットーレさんと話をしたのですよね?
 彼らは、アダン前村長が神罰を下されたことを、知っている口ぶりではありませんでしたか」
「あっ、うん……確かに」

 目を見開く僕に、小さく、僕の肩に頭を乗せたままで小さくアグネスカが頷いた。

「そうです。ジスラン副村長を始め、屋敷の使用人の皆さん、村長の屋敷に出入りする村民は、神罰が下されたことを……下されたその時に、知らされています・・・・・・・・
 つまり、チボー村に住む皆さんが、アダン前村長が神罰を下されたことを知っています。
 カーン様が、それをお伝えになっているのです」
「カーン様が……?」

 おうむ返しに返した僕。その僕を抱く両腕を放したアグネスカが、ゆっくりと僕の真正面に回り込んできた。
 今度は顔を見合わせず、自分の身体の正面を見ながら口を開く。
 彼女に釣られるようにして、僕の視線も前方を向いた。そしてその視界にとらえたそれ・・に、僕は再び目を大きく見開いた。
 アグネスカもそれを見ているだろうに、その口調はいつも通り淡々として抑揚がない。

「神託が、夢という形で村民に下されたのです。
 『あなた達の長は神に背を向ける罪を犯した。故に罰する』という内容の夢を、あの日、あの夜、村民の皆さん全員が見ているはずです。
 神が力を行使する時や、三大神の使徒が力を発揮する時、関係者にこうして神託が下されます。ある時は夢として、ある時は祈りの応えとして。
 なので、村の皆さんは全員が、あのシェンがアダン前村長のなれの果てであることを知っているのです」

 そう告げながら、アグネスカは僕の視線の先、農園の柵の向こうに広がる森に目を向けている。
 彼女が視界にとらえているものを、先程から僕もずっと見ていた。見えたが故に、ずっとそちらを向いていたともいえる。
 視界の先、森の外周部で、アダンが野良犬相手に交わっている・・・・・・、その有様を。
 昨日の今日だというのに、人間だったことなどすっかり忘れたかのように、一匹の雌のシェンとしてアダンが乱れているその有様を。
 僕はまざまざと見せつけられていたのである。

 三大神の怒り、下す神罰、その恐ろしさと威力を目の当たりにした僕は。
 後ろの方で村民やアリーチェ、ラファエレが農園から引き上げていくことにも気付かぬままに、ただただぽつんと立ち尽くしているのだった。


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