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第22話 押し寄せ競ってもたらして
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査察の合格を言い渡されてからというもの、「赤獅子亭」は連日連夜大変なことになっていた。
あの現場には何人もの常連さん達がいた。それも名だたる貴族や商人がだ。そういう人達からどんどんと話が広まっていき、もうなんと言うか、王都中がその話を知っているんじゃないか、と思ってしまうくらいに、お客さんが来ては祝福の言葉を述べ、喜びをあらわにしながら女中と話をしていくのだ。
やってきたお客さんを「すみません、満席なのでまた後ほどいらしてください」とお断りしてしまったことも、一度や二度ではない。
今日も昼の開店直後から、近衛庁のヴィクター・ヘイリー伯爵、国内最大の商会である「ハッカー商会」のセオドア・ハッカー氏、そして何をどう間違ったのか、私に一度叩きのめされた財務庁のメレディス・ベンフィールド伯爵が、三人揃って満面の笑みでやってきては、私に声をかけてきた。
「リセ嬢、遂に王宮に乗り込むんだそうですね!?」
「とうとうリセの鉄槌が陛下と王子様に炸裂するわけか、これは見ものだ!」
「下手なことされないように頑張ってくれよ!」
老年のセオドアさんが口火を切ると、メレディスさんとヴィクターさんも私を取り囲むようにしながら喜々として言葉をかけてきた。
私はまごついた。別にメレディスさんに詰め寄られたからとかそういうのではなく、情報の展開の速さに驚いているのだ。三人とも私は一度しか会ったことがない。それもここのところ店で顔を見なかった人ばかりなのだ。どこから知ったのか。
「ちょ、ちょっとちょっと、どこから伝わったんですか、そのお話!?」
少し後ずさりながら問いかけると、三人共が互いに顔を見合わせる。そして言うことには。
「私はロックハート伯から伺いました」
「俺はモンタギューから聞いた」
「僕はファリントン侯爵から聞きました。先日の結果発表の際にいらしていたのでしょう?」
それぞれの情報の出どころを聞いて、私は小さくうめきながら頭を抑えた。
アーチボルトさんに、モンタギューさんに、バーナードさん。居たな確かに、あの時に。
「あー……全員あの時居た方ですね……はぁ、もう」
「気にするな、どうせ王宮から発表があった際に、この店が料理を担当することは伝わるんだ」
困り顔で頭を振る私の肩を、メレディスさんが軽く叩く。軽くとは言うが、大柄な熊獣人の彼。腕は太いし力も強い。ぶっちゃけちょっと痛い。
叩かれた肩をさすりながら、私は三人にそれぞれ視線を向けた。
「まぁ、そういうことならしょうがないですけど……で、皆さんは、今日はどなたと?」
ここに来たからには誰かと話したくて来たんだろう。正直私に声をかけてきたからと言って、私目当てで来ているとは限らない。メレディスさんはデビーさんがお気に入りだと知っているし。
果たして、セオドアさんが少し困った表情を浮かべて言った。
「私は君と話したくて来たんですが……」
「あれ、セオドア殿もですか? 僕もリセと話そうと思って来たんですが、タイミングが悪かったかな」
「なんだ、二人ともリセ目当てか。じゃ俺はさっさとデビーの席に行くかね」
セオドアさんをヴィクターさんが見る横で、一人抜け出したメレディスさんが1番テーブルへと向かっていく。そこではデビーさんが座っているはずだ。見送りの声をかけながら、私は私を求める二人に声をかける。
「はい、メレディス様はいってらっしゃいませ。さて、セオドア様にヴィクター様はどうしましょうね? あいにく私は一人しかおりませんもので」
「ふむ……ヴィクター卿もリセ嬢目当てなら、私が退きましょうか?」
「いいやセオドア殿、ここでは貴族も商人も等しく客です。どちらかが遠慮するなどあってはならない」
セオドアさんが立場を考えて退こうとするが、ヴィクターさんは首を振った。
そう、ここでは誰もがお客。金を払おうとして、ちゃんと振る舞うなら身分の上下は関係ない。外での身分を考えて、遠慮することも偉ぶることもあってはいけないのだ。
そう言って笑いながら、ヴィクターさんがポケットから一枚の銀貨を取り出した。この国で一般的に使用される10サール銀貨だ。ちなみに日本円だと大体100円に当たるらしい。
「だから、公平に『ワン・オア・ナイン』で決めましょう」
「なるほど、それでしたら」
「ワン・オア……ナイン?」
至極当たり前のようにヴィクターさんが言い、セオドアさんもそれにうなずく中、私は首を傾げながら二人の言葉を反芻した。
ワン・オア・ナイン。聞いたことがない決め方だ。私の様子を見たセオドアさんが、うっすら笑いながら枯れ枝のような指を立てる。
「リセ嬢は初めてですかな。酒場で同じ女中を求める人間が複数いた際に、誰が女中と話す権利を得るかを決める遊びです」
「リセ、我々に見えないように、このコインを右手か左手のどちらかで握って。後ろで隠すなどして」
「はい……?」
ヴィクターさんもうなずいて、私に10サール銀貨を握らせる。言われるがままに両手を後ろに隠し、銀貨を左右の手を行き来させてから、私は左手でそれを握った。
握ったはいいけれど、それで何をするのかはさっぱり見当がつかない。どちらに入っているのか当てる遊びでもするのだろうか。
と、私が動きを止めたのを見たヴィクターさんが、ふと真剣な表情になった。
「用意できたかな。準備はいいですか、セオドア殿」
「勿論です、ヴィクター卿」
「じゃあ行きますよ。せーの……」
セオドアさんも目を細めて、口元から笑みを消す。
そしてタイミングを測った二人が、同時に力強い声を上げた。
「ナイン!」
「ワン!」
ヴィクターさんがナイン。セオドアさんがワン。聞き間違いでなければ確かにそう言った。
お互いに異なる単語を言ったことにホッと息を吐き出したセオドアさんが、私の方に目を向けて口を開く。
「綺麗に一発で分かれましたね、良いことです。リセ嬢、両手を前に」
「はい……で、手を開けばいいですか?」
「そう。同時に開いて……」
言われるがままに両手をゆっくり差し出す。そしてヴィクターさんの言葉に従い手を開けば、左手に握られた10サール銀貨があらわになった。
途端に、ヴィクターさんが声を上げながら額を押さえる。どうやら今ので勝敗が決したらしい。
「あぁーっ」
「ふう……今回は、私の勝ちですね、ヴィクター卿」
「残念、それじゃリセ、また今度に」
笑顔で10サール銀貨を私の手から取ったセオドアさんが、ヴィクターさんにそれを返す。負けたらしいヴィクターさんはあっさり引き下がり、私に手を振りながら別のテーブルへと向かっていった。今手が空いているのはエステルさんだから、そちらに向かったのだろう。
かくして、私はセオドアさんと一緒にテーブルに座ることになり。彼にメニューを差し出しながら、私が問いかけた。
「今のって、数字が高いほうが勝ちとか、低いほうが勝ちとか、そういう遊びですか?」
「そう。女中がコインを握っていた手が左手なら1を言ったほうが勝ち、右手なら9を言ったほうが勝ち。今回は一度で数字が分かれましたが、同じ数字を言ったらあいこでもう一回。そうして決めるのです」
「へー……そんな仕組みがあったとは」
その決定方法に、目を見開く私だ。これならじゃんけんよりも平和的だし、変なトラブルに発展することもない。そして女中の行動も結果に影響するから、イカサマのしようもない。
料理とお酒の注文を取り、厨房に届けてビールのジョッキを二つ持って戻り、ジョッキを合わせてから、私はセオドアさんから酒場に関するいろいろな話を聞いていた。なにしろ国内最大の商会の元締め。色んな話を知っている。
「昔はコイントスで決めたり、アームレスリングで決めたりしていたそうですが、より安全で、わかりやすく、公平なやり方を、ということで開発されたのだそうです。今では世界のスタンダードですね」
「なるほどー」
セオドアさんの説明を聞きながら、私はザワークラウトを口に含みつつうなずく。コイントスはイカサマしやすいし、アームレスリングは怪我につながる。酒場だからそういうところも、いろいろと考えられて発展したのだろう。
この国に限らず、アーマンドの酒場はどこも男と女のやり取りが行われる場所。女を巡って血なまぐさい争いに発展する、なんてことはよく聞く話だそうで。クリフトンはだいぶ平和な方らしい。
ボイルしたソーセージにフォークを突き刺す私を見ながら、セオドアさんが柔らかな笑みを見せる。
「……しかし、すごいですね。リセ嬢は覚醒してから、まだ一月くらいしか経っていないのでしょう? それでここまで王都で存在感を発揮されるとは。今や三番街の酒場はどこも、穏やかに男女が話を出来、身体を重ねられる場所になったともっぱらの噂ですよ」
「いやぁ……私もなんでこんな事になったんだか、って思ってますよ」
セオドアさんが惜しみなく私を褒め称える。三番街通りどころか三番街全体にまで話を持っていかれると、さすがに私も恐縮してしまう。言い過ぎな気もしないでもない。
私の「アルハラセクハラ許すまじ」精神は、何でか知らないが「赤獅子亭」だけではなく、他の酒場にまでいい影響をもたらしていた。
今まではどこの酒場でもお客さんが女中に無理に酒を勧めたり、酒の勢いに任せて乱暴を働いたり、裏に入っていないのにそういう行為を働こうとしたりと、まぁハラスメントの温床だったわけだが、それがうちの店だけではない、他の店でも無くなってきているというのだ。
それも全て、私があちこちのお貴族様と話をして、必要に応じてやっつけているからなのだが、わずか一ヶ月程度でこの変わりよう。すごい。
「素晴らしいことです。王家の皆様もきっと注目されていることでしょう」
「あー、そうだセオドア様、その王家についてなんですけど」
嬉しそうにセオドアさんがうなずくと、私は即座にそこに乗っかった。ちょうど王家、というか王様と王子様について情報が欲しいところだったのだ。
「王様と王子様が目に余る行動を取られ始めたのって、いつ頃からです?」
「うん? そうですね……私が耳にした限りですと、三ヶ月か四ヶ月ほど前からでしょうか。それまでも他国の女性に熱烈なアプローチをなさることはありましたが、ある時から堰を切ったようにお励みになされて」
私の問いに、キョトンとしながらセオドアさんが答える。四ヶ月前だとして、私が覚醒するよりいくらか前のことだ。パーシヴァルさんも「ここのところ」と仰っていたけど、事実そこまで前からというわけでは無さそうだ。
「ハッカー商会」はその規模の大きさゆえに、王家とも付き合いがある。国内の珍しい商品の取り扱いもあるため、他国の要人へのみやげ物なんかも、セオドアさんは商売に行くのだ。
「セオドア様の商会って、結構風変わりなものもお取り扱いされていましたよね。何か、お二人が変わったものをお求めになったなんて言うことは?」
「変わったもの……ああ、そう言えば一つ、おやと思うものがありましたね」
少し踏み込んで質問を投げると、ビールを飲んでいたセオドアさんの手が止まった。どうやら何か、思い当たるところがあったらしい。
そして彼はジョッキを置いて、私にまっすぐ目を向けてきた。
「本です。なかなか過激な内容の小説本を、国王御自らお求めになりました」
「本?」
彼の発した言葉に、私は目を見開いた。
本。この世界は製紙技術や印刷技術がまあまあ発達しているそうなので、本は結構手軽に買える。図書館があったり、貸本屋があったりもする。小説家や文筆家という職業も成立しているくらいだ。
しかし、当然過激な内容のものは一般には広く流通しない。それを買い求めたというのか、国王が、自ら。
私の視線を受け止めながら、セオドアさんは声を潜めて言う。
「リクオ・タチナミという覚醒者の方がお書きになられた『銀の褥』という官能小説ですよ。さる小国の国王が、娘の婚約者である他国の王子の母親に恋慕する内容でして……」
「……はーん」
その問題の本の説明を聞いて、私は薄っすらと目を細める。
なるほど、もしかしたらそういうことなのかもしれない。ある意味私の「誰かが吹聴した」という読みは当たっていたのだ。
「なるほど、いい情報が聞けました。さすがは『ハッカー商会』のセオドア様です」
「はぁ、それはどうも……?」
満足気にうなずきビールを飲む私を、キョトンとしながらセオドアさんが見つめてくる。
さて、どう対応してやろうか。私は既に王家相手のパーティーが楽しみになってきていた。
あの現場には何人もの常連さん達がいた。それも名だたる貴族や商人がだ。そういう人達からどんどんと話が広まっていき、もうなんと言うか、王都中がその話を知っているんじゃないか、と思ってしまうくらいに、お客さんが来ては祝福の言葉を述べ、喜びをあらわにしながら女中と話をしていくのだ。
やってきたお客さんを「すみません、満席なのでまた後ほどいらしてください」とお断りしてしまったことも、一度や二度ではない。
今日も昼の開店直後から、近衛庁のヴィクター・ヘイリー伯爵、国内最大の商会である「ハッカー商会」のセオドア・ハッカー氏、そして何をどう間違ったのか、私に一度叩きのめされた財務庁のメレディス・ベンフィールド伯爵が、三人揃って満面の笑みでやってきては、私に声をかけてきた。
「リセ嬢、遂に王宮に乗り込むんだそうですね!?」
「とうとうリセの鉄槌が陛下と王子様に炸裂するわけか、これは見ものだ!」
「下手なことされないように頑張ってくれよ!」
老年のセオドアさんが口火を切ると、メレディスさんとヴィクターさんも私を取り囲むようにしながら喜々として言葉をかけてきた。
私はまごついた。別にメレディスさんに詰め寄られたからとかそういうのではなく、情報の展開の速さに驚いているのだ。三人とも私は一度しか会ったことがない。それもここのところ店で顔を見なかった人ばかりなのだ。どこから知ったのか。
「ちょ、ちょっとちょっと、どこから伝わったんですか、そのお話!?」
少し後ずさりながら問いかけると、三人共が互いに顔を見合わせる。そして言うことには。
「私はロックハート伯から伺いました」
「俺はモンタギューから聞いた」
「僕はファリントン侯爵から聞きました。先日の結果発表の際にいらしていたのでしょう?」
それぞれの情報の出どころを聞いて、私は小さくうめきながら頭を抑えた。
アーチボルトさんに、モンタギューさんに、バーナードさん。居たな確かに、あの時に。
「あー……全員あの時居た方ですね……はぁ、もう」
「気にするな、どうせ王宮から発表があった際に、この店が料理を担当することは伝わるんだ」
困り顔で頭を振る私の肩を、メレディスさんが軽く叩く。軽くとは言うが、大柄な熊獣人の彼。腕は太いし力も強い。ぶっちゃけちょっと痛い。
叩かれた肩をさすりながら、私は三人にそれぞれ視線を向けた。
「まぁ、そういうことならしょうがないですけど……で、皆さんは、今日はどなたと?」
ここに来たからには誰かと話したくて来たんだろう。正直私に声をかけてきたからと言って、私目当てで来ているとは限らない。メレディスさんはデビーさんがお気に入りだと知っているし。
果たして、セオドアさんが少し困った表情を浮かべて言った。
「私は君と話したくて来たんですが……」
「あれ、セオドア殿もですか? 僕もリセと話そうと思って来たんですが、タイミングが悪かったかな」
「なんだ、二人ともリセ目当てか。じゃ俺はさっさとデビーの席に行くかね」
セオドアさんをヴィクターさんが見る横で、一人抜け出したメレディスさんが1番テーブルへと向かっていく。そこではデビーさんが座っているはずだ。見送りの声をかけながら、私は私を求める二人に声をかける。
「はい、メレディス様はいってらっしゃいませ。さて、セオドア様にヴィクター様はどうしましょうね? あいにく私は一人しかおりませんもので」
「ふむ……ヴィクター卿もリセ嬢目当てなら、私が退きましょうか?」
「いいやセオドア殿、ここでは貴族も商人も等しく客です。どちらかが遠慮するなどあってはならない」
セオドアさんが立場を考えて退こうとするが、ヴィクターさんは首を振った。
そう、ここでは誰もがお客。金を払おうとして、ちゃんと振る舞うなら身分の上下は関係ない。外での身分を考えて、遠慮することも偉ぶることもあってはいけないのだ。
そう言って笑いながら、ヴィクターさんがポケットから一枚の銀貨を取り出した。この国で一般的に使用される10サール銀貨だ。ちなみに日本円だと大体100円に当たるらしい。
「だから、公平に『ワン・オア・ナイン』で決めましょう」
「なるほど、それでしたら」
「ワン・オア……ナイン?」
至極当たり前のようにヴィクターさんが言い、セオドアさんもそれにうなずく中、私は首を傾げながら二人の言葉を反芻した。
ワン・オア・ナイン。聞いたことがない決め方だ。私の様子を見たセオドアさんが、うっすら笑いながら枯れ枝のような指を立てる。
「リセ嬢は初めてですかな。酒場で同じ女中を求める人間が複数いた際に、誰が女中と話す権利を得るかを決める遊びです」
「リセ、我々に見えないように、このコインを右手か左手のどちらかで握って。後ろで隠すなどして」
「はい……?」
ヴィクターさんもうなずいて、私に10サール銀貨を握らせる。言われるがままに両手を後ろに隠し、銀貨を左右の手を行き来させてから、私は左手でそれを握った。
握ったはいいけれど、それで何をするのかはさっぱり見当がつかない。どちらに入っているのか当てる遊びでもするのだろうか。
と、私が動きを止めたのを見たヴィクターさんが、ふと真剣な表情になった。
「用意できたかな。準備はいいですか、セオドア殿」
「勿論です、ヴィクター卿」
「じゃあ行きますよ。せーの……」
セオドアさんも目を細めて、口元から笑みを消す。
そしてタイミングを測った二人が、同時に力強い声を上げた。
「ナイン!」
「ワン!」
ヴィクターさんがナイン。セオドアさんがワン。聞き間違いでなければ確かにそう言った。
お互いに異なる単語を言ったことにホッと息を吐き出したセオドアさんが、私の方に目を向けて口を開く。
「綺麗に一発で分かれましたね、良いことです。リセ嬢、両手を前に」
「はい……で、手を開けばいいですか?」
「そう。同時に開いて……」
言われるがままに両手をゆっくり差し出す。そしてヴィクターさんの言葉に従い手を開けば、左手に握られた10サール銀貨があらわになった。
途端に、ヴィクターさんが声を上げながら額を押さえる。どうやら今ので勝敗が決したらしい。
「あぁーっ」
「ふう……今回は、私の勝ちですね、ヴィクター卿」
「残念、それじゃリセ、また今度に」
笑顔で10サール銀貨を私の手から取ったセオドアさんが、ヴィクターさんにそれを返す。負けたらしいヴィクターさんはあっさり引き下がり、私に手を振りながら別のテーブルへと向かっていった。今手が空いているのはエステルさんだから、そちらに向かったのだろう。
かくして、私はセオドアさんと一緒にテーブルに座ることになり。彼にメニューを差し出しながら、私が問いかけた。
「今のって、数字が高いほうが勝ちとか、低いほうが勝ちとか、そういう遊びですか?」
「そう。女中がコインを握っていた手が左手なら1を言ったほうが勝ち、右手なら9を言ったほうが勝ち。今回は一度で数字が分かれましたが、同じ数字を言ったらあいこでもう一回。そうして決めるのです」
「へー……そんな仕組みがあったとは」
その決定方法に、目を見開く私だ。これならじゃんけんよりも平和的だし、変なトラブルに発展することもない。そして女中の行動も結果に影響するから、イカサマのしようもない。
料理とお酒の注文を取り、厨房に届けてビールのジョッキを二つ持って戻り、ジョッキを合わせてから、私はセオドアさんから酒場に関するいろいろな話を聞いていた。なにしろ国内最大の商会の元締め。色んな話を知っている。
「昔はコイントスで決めたり、アームレスリングで決めたりしていたそうですが、より安全で、わかりやすく、公平なやり方を、ということで開発されたのだそうです。今では世界のスタンダードですね」
「なるほどー」
セオドアさんの説明を聞きながら、私はザワークラウトを口に含みつつうなずく。コイントスはイカサマしやすいし、アームレスリングは怪我につながる。酒場だからそういうところも、いろいろと考えられて発展したのだろう。
この国に限らず、アーマンドの酒場はどこも男と女のやり取りが行われる場所。女を巡って血なまぐさい争いに発展する、なんてことはよく聞く話だそうで。クリフトンはだいぶ平和な方らしい。
ボイルしたソーセージにフォークを突き刺す私を見ながら、セオドアさんが柔らかな笑みを見せる。
「……しかし、すごいですね。リセ嬢は覚醒してから、まだ一月くらいしか経っていないのでしょう? それでここまで王都で存在感を発揮されるとは。今や三番街の酒場はどこも、穏やかに男女が話を出来、身体を重ねられる場所になったともっぱらの噂ですよ」
「いやぁ……私もなんでこんな事になったんだか、って思ってますよ」
セオドアさんが惜しみなく私を褒め称える。三番街通りどころか三番街全体にまで話を持っていかれると、さすがに私も恐縮してしまう。言い過ぎな気もしないでもない。
私の「アルハラセクハラ許すまじ」精神は、何でか知らないが「赤獅子亭」だけではなく、他の酒場にまでいい影響をもたらしていた。
今まではどこの酒場でもお客さんが女中に無理に酒を勧めたり、酒の勢いに任せて乱暴を働いたり、裏に入っていないのにそういう行為を働こうとしたりと、まぁハラスメントの温床だったわけだが、それがうちの店だけではない、他の店でも無くなってきているというのだ。
それも全て、私があちこちのお貴族様と話をして、必要に応じてやっつけているからなのだが、わずか一ヶ月程度でこの変わりよう。すごい。
「素晴らしいことです。王家の皆様もきっと注目されていることでしょう」
「あー、そうだセオドア様、その王家についてなんですけど」
嬉しそうにセオドアさんがうなずくと、私は即座にそこに乗っかった。ちょうど王家、というか王様と王子様について情報が欲しいところだったのだ。
「王様と王子様が目に余る行動を取られ始めたのって、いつ頃からです?」
「うん? そうですね……私が耳にした限りですと、三ヶ月か四ヶ月ほど前からでしょうか。それまでも他国の女性に熱烈なアプローチをなさることはありましたが、ある時から堰を切ったようにお励みになされて」
私の問いに、キョトンとしながらセオドアさんが答える。四ヶ月前だとして、私が覚醒するよりいくらか前のことだ。パーシヴァルさんも「ここのところ」と仰っていたけど、事実そこまで前からというわけでは無さそうだ。
「ハッカー商会」はその規模の大きさゆえに、王家とも付き合いがある。国内の珍しい商品の取り扱いもあるため、他国の要人へのみやげ物なんかも、セオドアさんは商売に行くのだ。
「セオドア様の商会って、結構風変わりなものもお取り扱いされていましたよね。何か、お二人が変わったものをお求めになったなんて言うことは?」
「変わったもの……ああ、そう言えば一つ、おやと思うものがありましたね」
少し踏み込んで質問を投げると、ビールを飲んでいたセオドアさんの手が止まった。どうやら何か、思い当たるところがあったらしい。
そして彼はジョッキを置いて、私にまっすぐ目を向けてきた。
「本です。なかなか過激な内容の小説本を、国王御自らお求めになりました」
「本?」
彼の発した言葉に、私は目を見開いた。
本。この世界は製紙技術や印刷技術がまあまあ発達しているそうなので、本は結構手軽に買える。図書館があったり、貸本屋があったりもする。小説家や文筆家という職業も成立しているくらいだ。
しかし、当然過激な内容のものは一般には広く流通しない。それを買い求めたというのか、国王が、自ら。
私の視線を受け止めながら、セオドアさんは声を潜めて言う。
「リクオ・タチナミという覚醒者の方がお書きになられた『銀の褥』という官能小説ですよ。さる小国の国王が、娘の婚約者である他国の王子の母親に恋慕する内容でして……」
「……はーん」
その問題の本の説明を聞いて、私は薄っすらと目を細める。
なるほど、もしかしたらそういうことなのかもしれない。ある意味私の「誰かが吹聴した」という読みは当たっていたのだ。
「なるほど、いい情報が聞けました。さすがは『ハッカー商会』のセオドア様です」
「はぁ、それはどうも……?」
満足気にうなずきビールを飲む私を、キョトンとしながらセオドアさんが見つめてくる。
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