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第21話 外務庁長官は遂に来る
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翌日、「赤獅子亭」がオープンしてからというもの、私は終始きょろきょろしっぱなしだった。お客さんが来た時は流石に目の前のお客さんに集中するけれど、それでもどうしたって、壁の時計に目が行ってしまうし、入り口の扉にも視線を向けてしまう。
で、法務庁次官のクレイグ・アッシャー子爵が私との話を終えて支払いを行い、帰っていく。テーブルに残された代金を数え、私へのチップをジャンパースカートのポケットに突っ込みながら、小さくため息をつく私に、隣のカウンター席に座るジェシカさんが声をかけてきた。
「リセ、どうしたの。今日は始まりから随分そわそわしているけれど」
「だって、今日はあれがあるじゃない」
首を傾げるジェシカさんに、頭を掻きながら私は返す。そういえばジェシカさんは昨日、同伴のために店内にはいなかった。査察のあることは一昨日に聞いているから知っているだろうが、昨日の現場を体験していないのは事実だ。
「あぁ、あの、昨日あったっていう査察の結果発表?」
「そうよ……直接お店に結果を伝えに来るって言っていたから、さっきから気になって気になって」
そう、私がさっきから入り口の扉を気にしている理由がそれだ。
デイミアンさんは今日に、結果を伝えるために店にやってくる。しかし具体的に何時に来るか、までは知らされていない。だから私はいつ来るか、いつ来るかと身構えていたのだ。
そんな気もそぞろな私へと、ジェシカさんが肩を叩きながら笑いかける。
「気にしたってしょうがないんじゃないかしら? だって、今更結果は変えられないでしょ」
「そうだけど……やっぱりこう……」
にこやかに、朗らかに私に声をかけてくるジェシカさんに、うつむきながら弱々しい返事を返す私だ。こういう時、日本人メンタルだと損をするなと思わされる。
何と言うか、ラム王国の人達って結構皆ざっくばらんというか、細かいことをそんなに気にしないし、先のことをそんなに不安がったりしないなと思う。済んだことは済んだこと、先のことは分からない、後から悔いても先に不安がっても仕方ない。そういうメンタリティだ。
私がもう今日に何度見たか分からない、店の入り口の扉に目をやると。ちょうどその扉が開き、誰かが入ってくるのが見えた。
「あ、いらっしゃいませ!」
「……あ」
にこやかに迎え入れる声がカウンターから飛ぶ中、私は目を見開いた。
先頭で入ってきたのは、全身をオリーブ色の鱗で包んだ、竜っぽい頭部を持つ鱗耳族の男性。間違いない、デイミアンさんだ。その後ろにはいくつもの巻紙を手にしたパーシヴァルさんもいる。その後ろから入ってきて、店の扉を閉める細耳族の男性も覚えがある。外務庁次官のシリル・ファリントン氏だ。バーナード・ファリントン侯爵の弟に当たる。
「お邪魔いたします」
「こんにちは」
「お仕事時間中にすみません」
淡々とした口調で、眉一つ動かさずに話すデイミアンさんに対し、パーシヴァルさんとシリルさんが微笑みながら一礼する。早速タニアさんが出迎えようと、カウンターから外に出た。
「まあ、マキーヴニー侯爵閣下。ファリントン次官様にコンラッド様まで。ようこそいらっしゃいませ」
「ああ、そちらで結構。そこまで長居はいたしませんのでね」
が、小走りで駆け寄ろうとするタニアさんをデイミアンさんが制止する。彼の手にはこれまた一つの巻紙。パーシヴァルさんが抱えているものよりも、気持ち上等なものに見える。
巻紙を開いて両手で持ちながら、デイミアンさんが店内の全員に聞こえるように声を張り上げた。
「単刀直入に申し上げます、タニア殿、そして『赤獅子亭』の皆さん。過日に行いました、外務庁主催の祝宴開催においての業務委託に関わる査察の結果は……」
結果は。
店内の客も、女中も、調理担当も、ごくりと唾を飲み込み動きを止める。店内を静寂が満たした。
「……」
誰もかれもがデイミアンさんに注目している。彼の口から飛び出す言葉を待っている。
果たして、読み上げる直前。デイミアンさんの細かい鱗に覆われた口元が、僅かに持ち上がった。
「合格です」
彼の口から発せられた「ごうかく」の四音に、私の目が、タニアさんの目が、ジェシカさんの目が――そしてきっと、店内にいたすべての人が、目を大きく見開いた。
刹那。
「「おぉぉぉーーーっ!!」」
「「わぁぁぁーーーっ!!」」
割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。テーブルについていた客は女中と肩を組みながらジョッキを掲げ、女中は天井を見上げながらぐっと手を突き上げ。
認められたのだ。私達の精一杯の努力と、試行錯誤と、奮闘が、ラム王国の中枢部に。
タニアさんが目から涙をぼろぼろ零しながら、両手を組んでデイミアンさんに頭を下げた。
「あぁ……ありがとうございます、本当にありがとうございます」
「タニア殿、顔をお上げください。皆さんは本当に、素晴らしい働きをされたのですから」
にこにこ顔のシリルさんが、タニアさんに声をかける。その瞳は糸のように細められ、彼もとても嬉しそうに見えた。
デイミアンさんが眼鏡を直しながら手元の紙に視線を落として口を開く。
「料理は特に、三番街通りの店とは思えないほどの素晴らしい出来栄えでした。一番街通りの店に並ぶ、と言うのは言い過ぎですが、あのクオリティの料理を常に出せるのなら、東一番街通りに軒を連ねても間違いなくやっていけるでしょう」
その好評に、女中達からわっと声が上がった。東一番街通りは一番街通りにこそグレードが劣るものの、高級店とされる酒場が集まる通りだ。そこに店を出せれば、クリフトンどころかラム王国全体で見ても一流店として認められる。
最大級の賛辞だろう。一番街通りに性的サービスを提供する店は一つもないし、あってはならないのだから。
「ねえリセ、聞いた? うちの店の料理があんなに褒められるなんて!」
「納得だわ。すごかったもの。本当よ」
ジェシカさんが私に顔を近づけながら、満面の笑みで話す。昨日に出た料理を目にしていない彼女からしたら、実感が湧かないのも分かる。
私は、昨日の査察に参加した女中は知っている。あの日あの時にテーブルの上に並んだ料理は、まぎれもなく一級品だったと。
シリルさんがデイミアンさんの言葉の後を継いで話し出す。
「お料理だけではない、接客も素晴らしいものでした。普段から男性のお相手をされている女中の皆さんらしく、客の要望を汲み取り、引き出すのがとてもお上手だ。お酒やお料理についての知識も十二分にあり、それだけしっかりと説明が出来るなら他国の要人をもてなすことが出来るでしょう」
シリルさんの発した言葉に、もう一度歓声が上がる。女中だけではない、女中と同席しているお客さんからも歓喜の声が上がった。
私達女中はただのウエイトレスではない、性的サービスだって提供する、いわば娼婦だ。それが一流の、他国の要人をもてなすのに相応しい、と言われたのだ。他国の要人からしてみたらたまったものではないと思ってしまうかもしれないが、この世界ではそういうものなのだし。接客は接客のプロに任せるのが一番だ。
デイミアンさんがもう一度眼鏡を持ち上げながら、淡々と言葉を発する。
「参加してもらいました我々外務庁の外交官からの聞き取り結果も良好です。皆が満足していました。特にベッキー殿の柔らかい笑顔による接客と、キャメロン殿の酒についての知識、リセ殿の心のこもったもてなしの言葉は素晴らしかったと、感想を貰っています」
「えっ」
唐突に飛び出した私の名前に、思わず私は声を上げた。隣でジェシカさんがすごい顔をしてこっちを見ている。
ベッキーさんは分かる。普段から笑顔の評判が良く、お客さんの受けもいいから。
キャメロンさんも分かる。私の陰に隠れがちだが、彼女はああ見えて酒に通じているし、説明の言葉も的確だ。
しかし、私? 私の心のこもったもてなしの言葉? いつだ、いつの言葉を切り取られてこんなに褒められているんだ。
思わず外務庁の三人の方に目を向けると、パーシヴァルさんと目が合った。彼は小さく笑いながら、私にウインクをしてみせる。
ぽかんとする私を差し置いて、デイミアンさんがパーシヴァルさんに声をかける。
「コンラッド伯」
「はい」
呼びかけられたコンラッドさんが、静かにカウンターの方までやってくる。そしてカウンター前で立ち尽くしていたタニアさんに、手にしていた巻紙を差し出した。
「こちらが、パーティー当日の式次第と、パーティー会場となる『アヤメの間』の会場見取り図となります。女中長のタニア殿、料理長のアビゲイル殿、副料理長のコーディ殿、女中のリセ殿は参加必須、それ以外の人選はお任せいたしますが、なるべく皆さんがいらっしゃることが望ましいです。参加されない方がいらしたとしても、厨房5人、女中10人は最低でも確保してください」
「か、かしこまりました、ありがとうございます」
タニアさんに説明しながら、巻紙を渡すパーシヴァルさん。そして彼が発した言葉に、他の女中達がぎょっとした表情をする。
私は分かってるから、今更驚くことも無い。ここまで来て、「リセさんは不参加でも構いませんよ」とか言い出されたら、何のための舞台セッティングだとなってしまう。しかしそんなことを知る由もない女中達は、一気に席を立って私の方に押し寄せてきた。
「ねえリセ、なんで貴女が直々に指名されているわけ?」
「タニアさんとアビゲイルさん、コーディさんは当然としても……」
「いやまぁ、その」
ジェシカさん、エステルさん、ルーシーさんが一気に私へとまくし立てた。それになんて返そうか、どう答えようかと困惑しながら頭を振る私だ。
結局、私は視線を逸らしながら回答をぼかすことにする。
「……複雑な事情があってね」
「ん?」
それに女中達が首を傾げ、タニアさんとパーシヴァルさんがにこにこ笑いながら私を見ている中、デイミアンさんが入り口の扉に手をかけた。
「それでは、お邪魔いたしました」
「我々はこれで失礼いたします。当日はよろしくお願いいたしますね」
「はい、本日はありがとうございます」
扉を開けて、外に出ていくデイミアンさん。シリルさんも挨拶しながらそれをくぐり、タニアさんが頭を深く下げながら見送る。
次の瞬間だ。店内に座っていたお客さん達が、歓声を上げながらタニアさんを取り囲んだ。
「やったなタニア! この店が王宮に招かれるなんて!」
「すごいよ、おめでとう!」
お客さんの歓喜の声に取り囲まれて、タニアさんは両手で頬を挟んだ。雄々しい虎の頭も、今は猫のように可愛らしく見える。
「ありがとう、皆さん……失敗しないよう、頑張らなくっちゃ」
そう言って、彼女が頬を赤らめる。そんな中、集団の中に立つある人が、満面の笑顔で言った。
「大丈夫さ、タニア。君達ならきっとうまくやれる」
「ありが……んん?」
そう言葉を発する彼に、その場にいる全員の視線が集まる。そこに立って視線を集めているのは、誰あろうパーシヴァルさんだ。
おかしい、デイミアンさんとシリルさんは先程、店を出ていったはずだ。それがどうして、パーシヴァルさんだけここにいて、したり顔でお客さんに混ざってうなずいているのか。
「パーシヴァル様、どうしてここに?」
「デイミアン卿とシリル卿と一緒にお帰りになられたのでは」
キャメロンさんとタニアさんが、驚きに目を見張りながら彼に言葉をかける。果たして、パーシヴァルさんはわざとらしく肩をすくめながら口を開いた。
「私は先程からずっとここにいたよ。お二人の荷物持ちとしてついて来ただけだし、戻ったところで仕事はないし。だからここで、リセと飲んでいくさ」
「えっ、えっ」
急に彼は私の方に近付いてきた。どころか、私の席の隣になんの断りもなしに腰を下ろした。急だな。いや別に断りを入れる理由はないけれども。
困惑する私の頭を、パーシヴァルさんの大きな手が優しくなでる。
「おめでとうリセ、君は凄い子だ。パーティー本番も、その調子で頑張ってくれ」
「えっと、あの」
率直な言葉で褒められて、私はまごついてしまう。ここまでストレートに「凄い子だ」なんて言われると、恥ずかしいというよりもいたたまれない。
それでも、だ。パーシヴァルさんの言葉に嘘偽りが無いことは、私にはよく分かる。何しろ私の接客をその身で受け止めた人なのだ。嘘だのまやかしだのと言う理由が無い。
「……ありがとうございます」
「うん。さあ飲もう、話そう、楽しもう。前祝いだ、私が奢る!」
私が下げた頭をもう一度なでて、パーシヴァルさんは陽気にそう言った。その言葉に店内が一気に沸き立ち、お祭り騒ぎと化していく。
このままの勢いだと私に対してだけではない、ここにいる全てのお客さんと全ての女中の分まで奢ってしまいそうだ。いいんだろうか、色んな意味で。
内心で少し困りながらも、楽しげに、嬉しそうに振る舞うパーシヴァルさんの姿に、私はふっと笑みを零すのだった。
で、法務庁次官のクレイグ・アッシャー子爵が私との話を終えて支払いを行い、帰っていく。テーブルに残された代金を数え、私へのチップをジャンパースカートのポケットに突っ込みながら、小さくため息をつく私に、隣のカウンター席に座るジェシカさんが声をかけてきた。
「リセ、どうしたの。今日は始まりから随分そわそわしているけれど」
「だって、今日はあれがあるじゃない」
首を傾げるジェシカさんに、頭を掻きながら私は返す。そういえばジェシカさんは昨日、同伴のために店内にはいなかった。査察のあることは一昨日に聞いているから知っているだろうが、昨日の現場を体験していないのは事実だ。
「あぁ、あの、昨日あったっていう査察の結果発表?」
「そうよ……直接お店に結果を伝えに来るって言っていたから、さっきから気になって気になって」
そう、私がさっきから入り口の扉を気にしている理由がそれだ。
デイミアンさんは今日に、結果を伝えるために店にやってくる。しかし具体的に何時に来るか、までは知らされていない。だから私はいつ来るか、いつ来るかと身構えていたのだ。
そんな気もそぞろな私へと、ジェシカさんが肩を叩きながら笑いかける。
「気にしたってしょうがないんじゃないかしら? だって、今更結果は変えられないでしょ」
「そうだけど……やっぱりこう……」
にこやかに、朗らかに私に声をかけてくるジェシカさんに、うつむきながら弱々しい返事を返す私だ。こういう時、日本人メンタルだと損をするなと思わされる。
何と言うか、ラム王国の人達って結構皆ざっくばらんというか、細かいことをそんなに気にしないし、先のことをそんなに不安がったりしないなと思う。済んだことは済んだこと、先のことは分からない、後から悔いても先に不安がっても仕方ない。そういうメンタリティだ。
私がもう今日に何度見たか分からない、店の入り口の扉に目をやると。ちょうどその扉が開き、誰かが入ってくるのが見えた。
「あ、いらっしゃいませ!」
「……あ」
にこやかに迎え入れる声がカウンターから飛ぶ中、私は目を見開いた。
先頭で入ってきたのは、全身をオリーブ色の鱗で包んだ、竜っぽい頭部を持つ鱗耳族の男性。間違いない、デイミアンさんだ。その後ろにはいくつもの巻紙を手にしたパーシヴァルさんもいる。その後ろから入ってきて、店の扉を閉める細耳族の男性も覚えがある。外務庁次官のシリル・ファリントン氏だ。バーナード・ファリントン侯爵の弟に当たる。
「お邪魔いたします」
「こんにちは」
「お仕事時間中にすみません」
淡々とした口調で、眉一つ動かさずに話すデイミアンさんに対し、パーシヴァルさんとシリルさんが微笑みながら一礼する。早速タニアさんが出迎えようと、カウンターから外に出た。
「まあ、マキーヴニー侯爵閣下。ファリントン次官様にコンラッド様まで。ようこそいらっしゃいませ」
「ああ、そちらで結構。そこまで長居はいたしませんのでね」
が、小走りで駆け寄ろうとするタニアさんをデイミアンさんが制止する。彼の手にはこれまた一つの巻紙。パーシヴァルさんが抱えているものよりも、気持ち上等なものに見える。
巻紙を開いて両手で持ちながら、デイミアンさんが店内の全員に聞こえるように声を張り上げた。
「単刀直入に申し上げます、タニア殿、そして『赤獅子亭』の皆さん。過日に行いました、外務庁主催の祝宴開催においての業務委託に関わる査察の結果は……」
結果は。
店内の客も、女中も、調理担当も、ごくりと唾を飲み込み動きを止める。店内を静寂が満たした。
「……」
誰もかれもがデイミアンさんに注目している。彼の口から飛び出す言葉を待っている。
果たして、読み上げる直前。デイミアンさんの細かい鱗に覆われた口元が、僅かに持ち上がった。
「合格です」
彼の口から発せられた「ごうかく」の四音に、私の目が、タニアさんの目が、ジェシカさんの目が――そしてきっと、店内にいたすべての人が、目を大きく見開いた。
刹那。
「「おぉぉぉーーーっ!!」」
「「わぁぁぁーーーっ!!」」
割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。テーブルについていた客は女中と肩を組みながらジョッキを掲げ、女中は天井を見上げながらぐっと手を突き上げ。
認められたのだ。私達の精一杯の努力と、試行錯誤と、奮闘が、ラム王国の中枢部に。
タニアさんが目から涙をぼろぼろ零しながら、両手を組んでデイミアンさんに頭を下げた。
「あぁ……ありがとうございます、本当にありがとうございます」
「タニア殿、顔をお上げください。皆さんは本当に、素晴らしい働きをされたのですから」
にこにこ顔のシリルさんが、タニアさんに声をかける。その瞳は糸のように細められ、彼もとても嬉しそうに見えた。
デイミアンさんが眼鏡を直しながら手元の紙に視線を落として口を開く。
「料理は特に、三番街通りの店とは思えないほどの素晴らしい出来栄えでした。一番街通りの店に並ぶ、と言うのは言い過ぎですが、あのクオリティの料理を常に出せるのなら、東一番街通りに軒を連ねても間違いなくやっていけるでしょう」
その好評に、女中達からわっと声が上がった。東一番街通りは一番街通りにこそグレードが劣るものの、高級店とされる酒場が集まる通りだ。そこに店を出せれば、クリフトンどころかラム王国全体で見ても一流店として認められる。
最大級の賛辞だろう。一番街通りに性的サービスを提供する店は一つもないし、あってはならないのだから。
「ねえリセ、聞いた? うちの店の料理があんなに褒められるなんて!」
「納得だわ。すごかったもの。本当よ」
ジェシカさんが私に顔を近づけながら、満面の笑みで話す。昨日に出た料理を目にしていない彼女からしたら、実感が湧かないのも分かる。
私は、昨日の査察に参加した女中は知っている。あの日あの時にテーブルの上に並んだ料理は、まぎれもなく一級品だったと。
シリルさんがデイミアンさんの言葉の後を継いで話し出す。
「お料理だけではない、接客も素晴らしいものでした。普段から男性のお相手をされている女中の皆さんらしく、客の要望を汲み取り、引き出すのがとてもお上手だ。お酒やお料理についての知識も十二分にあり、それだけしっかりと説明が出来るなら他国の要人をもてなすことが出来るでしょう」
シリルさんの発した言葉に、もう一度歓声が上がる。女中だけではない、女中と同席しているお客さんからも歓喜の声が上がった。
私達女中はただのウエイトレスではない、性的サービスだって提供する、いわば娼婦だ。それが一流の、他国の要人をもてなすのに相応しい、と言われたのだ。他国の要人からしてみたらたまったものではないと思ってしまうかもしれないが、この世界ではそういうものなのだし。接客は接客のプロに任せるのが一番だ。
デイミアンさんがもう一度眼鏡を持ち上げながら、淡々と言葉を発する。
「参加してもらいました我々外務庁の外交官からの聞き取り結果も良好です。皆が満足していました。特にベッキー殿の柔らかい笑顔による接客と、キャメロン殿の酒についての知識、リセ殿の心のこもったもてなしの言葉は素晴らしかったと、感想を貰っています」
「えっ」
唐突に飛び出した私の名前に、思わず私は声を上げた。隣でジェシカさんがすごい顔をしてこっちを見ている。
ベッキーさんは分かる。普段から笑顔の評判が良く、お客さんの受けもいいから。
キャメロンさんも分かる。私の陰に隠れがちだが、彼女はああ見えて酒に通じているし、説明の言葉も的確だ。
しかし、私? 私の心のこもったもてなしの言葉? いつだ、いつの言葉を切り取られてこんなに褒められているんだ。
思わず外務庁の三人の方に目を向けると、パーシヴァルさんと目が合った。彼は小さく笑いながら、私にウインクをしてみせる。
ぽかんとする私を差し置いて、デイミアンさんがパーシヴァルさんに声をかける。
「コンラッド伯」
「はい」
呼びかけられたコンラッドさんが、静かにカウンターの方までやってくる。そしてカウンター前で立ち尽くしていたタニアさんに、手にしていた巻紙を差し出した。
「こちらが、パーティー当日の式次第と、パーティー会場となる『アヤメの間』の会場見取り図となります。女中長のタニア殿、料理長のアビゲイル殿、副料理長のコーディ殿、女中のリセ殿は参加必須、それ以外の人選はお任せいたしますが、なるべく皆さんがいらっしゃることが望ましいです。参加されない方がいらしたとしても、厨房5人、女中10人は最低でも確保してください」
「か、かしこまりました、ありがとうございます」
タニアさんに説明しながら、巻紙を渡すパーシヴァルさん。そして彼が発した言葉に、他の女中達がぎょっとした表情をする。
私は分かってるから、今更驚くことも無い。ここまで来て、「リセさんは不参加でも構いませんよ」とか言い出されたら、何のための舞台セッティングだとなってしまう。しかしそんなことを知る由もない女中達は、一気に席を立って私の方に押し寄せてきた。
「ねえリセ、なんで貴女が直々に指名されているわけ?」
「タニアさんとアビゲイルさん、コーディさんは当然としても……」
「いやまぁ、その」
ジェシカさん、エステルさん、ルーシーさんが一気に私へとまくし立てた。それになんて返そうか、どう答えようかと困惑しながら頭を振る私だ。
結局、私は視線を逸らしながら回答をぼかすことにする。
「……複雑な事情があってね」
「ん?」
それに女中達が首を傾げ、タニアさんとパーシヴァルさんがにこにこ笑いながら私を見ている中、デイミアンさんが入り口の扉に手をかけた。
「それでは、お邪魔いたしました」
「我々はこれで失礼いたします。当日はよろしくお願いいたしますね」
「はい、本日はありがとうございます」
扉を開けて、外に出ていくデイミアンさん。シリルさんも挨拶しながらそれをくぐり、タニアさんが頭を深く下げながら見送る。
次の瞬間だ。店内に座っていたお客さん達が、歓声を上げながらタニアさんを取り囲んだ。
「やったなタニア! この店が王宮に招かれるなんて!」
「すごいよ、おめでとう!」
お客さんの歓喜の声に取り囲まれて、タニアさんは両手で頬を挟んだ。雄々しい虎の頭も、今は猫のように可愛らしく見える。
「ありがとう、皆さん……失敗しないよう、頑張らなくっちゃ」
そう言って、彼女が頬を赤らめる。そんな中、集団の中に立つある人が、満面の笑顔で言った。
「大丈夫さ、タニア。君達ならきっとうまくやれる」
「ありが……んん?」
そう言葉を発する彼に、その場にいる全員の視線が集まる。そこに立って視線を集めているのは、誰あろうパーシヴァルさんだ。
おかしい、デイミアンさんとシリルさんは先程、店を出ていったはずだ。それがどうして、パーシヴァルさんだけここにいて、したり顔でお客さんに混ざってうなずいているのか。
「パーシヴァル様、どうしてここに?」
「デイミアン卿とシリル卿と一緒にお帰りになられたのでは」
キャメロンさんとタニアさんが、驚きに目を見張りながら彼に言葉をかける。果たして、パーシヴァルさんはわざとらしく肩をすくめながら口を開いた。
「私は先程からずっとここにいたよ。お二人の荷物持ちとしてついて来ただけだし、戻ったところで仕事はないし。だからここで、リセと飲んでいくさ」
「えっ、えっ」
急に彼は私の方に近付いてきた。どころか、私の席の隣になんの断りもなしに腰を下ろした。急だな。いや別に断りを入れる理由はないけれども。
困惑する私の頭を、パーシヴァルさんの大きな手が優しくなでる。
「おめでとうリセ、君は凄い子だ。パーティー本番も、その調子で頑張ってくれ」
「えっと、あの」
率直な言葉で褒められて、私はまごついてしまう。ここまでストレートに「凄い子だ」なんて言われると、恥ずかしいというよりもいたたまれない。
それでも、だ。パーシヴァルさんの言葉に嘘偽りが無いことは、私にはよく分かる。何しろ私の接客をその身で受け止めた人なのだ。嘘だのまやかしだのと言う理由が無い。
「……ありがとうございます」
「うん。さあ飲もう、話そう、楽しもう。前祝いだ、私が奢る!」
私が下げた頭をもう一度なでて、パーシヴァルさんは陽気にそう言った。その言葉に店内が一気に沸き立ち、お祭り騒ぎと化していく。
このままの勢いだと私に対してだけではない、ここにいる全てのお客さんと全ての女中の分まで奢ってしまいそうだ。いいんだろうか、色んな意味で。
内心で少し困りながらも、楽しげに、嬉しそうに振る舞うパーシヴァルさんの姿に、私はふっと笑みを零すのだった。
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