バーから始まる異世界転生~お貴族様だろうと大商人様だろうとアルハラはお断りです~

八百十三

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第3話 湯浴みしつつの決意

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 私が案内されたのは、バックヤードのあるエリアのさらに奥、シャワーブースみたいになっている小部屋だった。人一人が入れるくらいのスペースにすのこが敷かれていて、天井付近には大きな木製の桶がある。床を見るに、どうやらすのこの下は網が敷いてあって水が流れるようになっているらしい。

「ここが湯浴み場です。頭上から紐が下がっているのが分かりますか? これを引くと、頭上の桶に溜まったお湯が落ちてきます」

 そう言いながらベッキーさんが、桶に繋がっている紐を手に持つ。
 地球の温浴施設でもたまに見かけることがある、桶シャワーというやつだ。なるほど、これなら確かに水道技術が発達していない世界でも使える。
 ちなみにベッキーさんに聞いたところ、「アーマンド」という世界は水道設備がどこもそれなりに発達していて、蒸気ボイラーを通してお湯を配水することも出来るそうな。ありがたい。

「なるほど……せっけんとかは、どこ?」

 お湯が使えることに安堵の息を吐きながら、私は小部屋の中を覗き込む。ボディーソープやシャンプーなんてのは高望みだって分かっているけど、せっけんくらいは使いたい。
 果たして、私の顔の横をベッキーさんの褐色がかった腕が通り過ぎていく。指が示すのは、小部屋の奥だ。

「せっけんは湯浴み場の奥の、壁に空いた穴の奥に入っています。粉末せっけんなので、適量取って髪や身体に使ってください」
「あ、あるんだ。よかった」

 これまたありがたい。せっけんが無かったらデズモンドのオッサンに身体を洗ってこいなんて、強いことが言えなくなるところだった。
 安心した私が笑顔を見せると、ベッキーさんが首を傾げつつ苦笑を零す。

「はい……ただ、特有のにおいとか、洗った後のギシギシする感触を嫌がる方もいて……リーザも、せっけんで髪を洗うのは、あまり好きではなかったです」
「まあね、せっけんじゃあね」

 その言葉に私も、思わず苦笑を零していた。そりゃそうだ、せっけんで髪を洗ったらギシギシしてしまう。
 ベッキーさんによると髪の保湿用の油があるそうで、女性は洗髪した後にそれを髪になじませるんだそうだ。これも好みが分かれるそうで、パサついた髪のまま、という女性も世の中にはいるらしい。
 ともあれ、身に付けていた服を脱ぎ、下着も脱いで小部屋に入る。まずは桶の紐を引いて、お湯をひと被り。それからせっけんをいくらか手に取って、泡立ててから髪の毛を洗い始める。
 リーザの髪の毛は油っぽいのもあったが、ところどころ枝毛やからまりがあった。そんなに熱心に髪の手入れをしていなかったのだろう。
 せっけんで髪を洗いながら、私はふと部屋の外にいるベッキーさんに声をかける。

「ベッキーさんはさ」
「はい?」
「女中のお仕事、好き?」

 私からの、突然の問いかけ。我ながら聞きにくいことを聞いているな、とは思う。
 しかし意外にも、ベッキーさんはすぐに答えを返してきた。

「はい。誇りを持ってたずさわっています」
「ああいう、下卑たオッサンに自分の身体を好きにされても?」

 デズモンドのおっさんの汚らしい顔を思い出しながら、さらに問いかける。すると小さな笑い声の後、ベッキーさんの朗らかな声が聞こえてきた。

「はい。だって、どんな御貴族様も、どんな大商人様も、私達の裸体の前ではただの男に戻るんですよ。その姿を見るのが、私は気持ちよくて」
「へー……」

 その言葉に、髪を洗う手を止める私だ。
 したたかだ。権威に怖気おじけづいていないところはすごい。そして、自分の女性性を、明確に武器にしているのが分かる。
 そういう心持なら、確かに女中として性を売るのも悪く思わないのだろう。
 もう一度桶の紐を引くと、満杯まで溜まっていたお湯が、再び私の頭の上から降ってくる。
 今度は体を洗うべく、またせっけん粉末を取りながら、私はさらに質問を重ねた。

「でもさ、嫌じゃない? 汚い口で自分の身体を吸われたり、舐められたり」

 私の言葉を聞いたベッキーさんが、再び返事を部屋の外から返してくる。その口調には迷いや困惑はない。

「もちろん、嫌ですよ。なのでそういうことする前に、うちの店では歯磨きをするように徹底させているんです」
「あ、ちゃんとやってるんだ。ふーん……」

 曰く、獣の毛を使った歯ブラシが世界中に広く流通しているらしい。男性は酒場に来る前は歯ブラシで歯を磨くのがマナー、とされているそうで、そうなるとデズモンドのオッサンのあの臭い口は、マナー違反にもなりそうだ。
 念入りに、時間をかけて自分の体を洗う私に、今度はベッキーさんから質問が飛んでくる。

「リセさんは、嫌ですか? そういう、その、男性との行為は」
「まあねー、好き好んでやりたくないな、とは。そういうのをあんまり良しとしない世界で育ったし……」

 若干言葉を濁しながら、私は答える。正直、あそこまで女性であることを武器にする人相手に、そういう行為に嫌悪感を持ちやすい世界出身であることを話すのは、ちょっと気が引ける。
 とはいえ、私はそういう世界で育ってきたわけだし、彼女はこういう世界で育ってきたのだ。言ってもしょうがない。
 全身を泡立てたせっけんで洗って、三度目のお湯。ざばーっと全身を洗い流して、ようやく私は後ろを振り返った。

「ふー、さっぱりした」
「お疲れ様です。身体を拭くタオルは、これを使ってください」

 すっかり身ぎれいになった私に微笑みながら、ベッキーさんがタオルを差し出してきた。少しゴワゴワしているが、身体を拭くには十分だ。
 水気を落として、再び服を着て、タオルを洗濯物入れに放り込んで私はバックヤードに戻る。そこでは先程同様、タニアさんが一人でくつろいでいた。

「あら、おかえりなさい」
「ただいま戻りました」

 ベッキーさんが一礼しながら入るのに合わせて、私も一緒に頭を下げる。その私の顔と、髪の毛を見ながら、タニアさんのちょっと膨らみのある猫っぽい口元が、笑みを作った。

「いいわね、さっきよりも随分スッキリした顔をしている……リセ、答えは出たかしら」
「はい」

 彼女の問いかけに、私はきっぱりと答える。さっきのベッキーさんとの会話で、私の心も既に決まっていた。
 背筋を伸ばして、宣言する。

「タニアさん、私、女中の仕事続けます。あ、続けるってのも、なんか変な感じしますけど」
「あら、いいの?」

 その返答に、タニアさんが目を見開く。やはりというか、意外だったらしい。
 まぁそうだろう、この世界の常識に馴染みが無いまま、そういう仕事を続けよう、と私は言っているのだ。
 しかし私は、覚悟を以て頷く。

「この世界がそういう風に出来てるってんならしょうがないです。別に私の貞操なんて今更気にしてもしょうがないし、それが仕事だってんなら従います」

 あっけらかんに、きっぱりと。私は自らの貞淑を差し出す決意を述べた。
 正直、このリーゼの身体が元より貞淑より程遠いのだし。今更処女だの純潔だのと言っていられない。仕事なら割り切ることもできる。
 できるけれど。私にはどうしても、一つだけ、割り切ることの・・・・・・・できない・・・・ことがあった。

「ただですね、一つ……本当に一つだけ、どうしても許せないことがあって」
「何かしら? 言ってちょうだい」

 私の物言いに、口元を緩めながらタニアさんが返す。その柔らかい口調に安心しながら、私は口を開いた。

「ベッキーさんから話を聞く限り、リーゼはあのデズモンドとかいうオッサンに酔い潰されたんですよね? めちゃくちゃ酒を飲まされて」
「そうね。エールにワインに……確かデズモンドさんお気に入りのラムも。全部で七杯は飲んで……いえ、飲まされて・・・・・いたわね」
「それです!!」

 タニアさんの言葉に被せるように、私は大声を発した。
 そう、一番の問題はそこだ。リーゼはデズモンドのオッサンに酔い潰された・・・・・・。その上で手を付けられそうになった。
 それは、良くない。いくら女中の仕事にそういうことも入っているとはいえ、良くない。
 セクハラは、仕事のうちに入ると言える。しかしアルハラ・・・・は、確実に仕事とは関係ないのだ。

「女の子に手を付けることはこの際しょうがないんでいいんですけど、しこたま酒を飲ませて酔い潰してから・・・・・・・手を付ける・・・・・のだけは我慢できません! ルール違反です! 犯罪です!」
「あぁー」
「なるほど」

 私の叫びに、タニアさんもベッキーさんも納得したように声を発する。
 よし、言いたいことは伝わった。安堵する私の目の前で、タニアさんが難しい顔をしてみせる。

「そうだわ、そうだわ。それは確かに酒場のモラルにもとるやり方ね」
「そういえばデズモンドさん、酔い潰れてカウンターで寝てるリーザに、顔を近づけて何かやってませんでしたっけ?」

 ベッキーさんもタニアさんに同調するように声を上げた。そんなことをやっていたのか、あの汚いオッサン。これはどう見てもギルティである。

「分かったわ、リセ。貴女の希望に適うように取り計らう……そしてありがとう、貴女が言ってくれなかったら、この酒場は犯罪の温床になっていたかもしれないわ」
「いえ、当たり前のことですから」

 私に微笑みかけて愛想を崩すタニアさんに、私は小さく首を振った。
 これは当たり前のことだ。当たり前のことにしていかなければならないのだ。
 即座にバックヤードの空気がピリリと張り詰める。鋭い目をしたタニアさんが、ベッキーさんに視線を投げた。

「ベッキー、デズモンドさんを別室にお通しして。私が話をつけるわ」
「分かりました」

 彼女の言葉を受けて、ベッキーさんが足早にバックヤードを出ていく。
 なんとなく、大きな動きが起こるような気がして。私は薄っすらと、心が沸き立つのを感じたのだった。
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