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本編~4ヶ月目~
第70話~相談~
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~新宿・歌舞伎町~
~居酒屋「陽羽南」 歌舞伎町店~
その日の午後、店に出勤してしばらくの後、開店前の準備がいくらか落ち着いたところで。
僕は私物のスマートフォンを手にして、通話用のイヤホンを耳に入れていた。何度かの呼び出し音の後、相手が電話を取った音がする。
「あ、原田社長。『陽羽南』歌舞伎町店のカマンサックです……はい。お疲れ様です」
『マウロ君か、どうしたの、何かあった?』
電話の相手は、リンクス株式会社社長、原田政親。自分の所属会社の一番トップに、僕は直接話を持っていくことにしたわけだ。
慣れない電話にしどろもどろになりながらも、僕は要件を電話口で伝えていく。
「え、えーと……その、大変急な話で申し訳ないんですが、ちょっと、ご相談したいことがありまして。お時間いただいても大丈夫でしょうか」
電話をしながら、とりあえず来週中のどこかの折に、時間を貰えればいい。そのくらいに思っていたのだが、社長からの返事は予想外のものだった。
『ああ、なるほど。いいよ、今なら時間あるし。直接の方がいい?』
その答えに僕は背筋がびしっと伸びた。今から。今からか。別段今なら仕事も落ち着いているから問題ないけれど、それにしたって急だ。
「えっ、あの、いいんですか!? 内容も内容なので、あの、直接の方が有り難いのは確かですけれど……」
『分かった。今はもうお店? 開店準備中?』
困惑する僕に、いつものような明るい調子で言葉を投げてくる社長だ。
ともあれ今は店で開店準備中、他のスタッフも全員来ていることを話す。すると椅子を立つ音とともに、社長の声が聞こえてきた。
『分かった、じゃ今からそっちに行くから。20分くらいで着くと思うんで、よろしく』
「あっはい、承知しました……よろしくお願いします……」
途中で扉を開ける音もしたから、本当に社長は今から来るつもりらしい。
飯田橋駅から新宿駅までは、総武線各駅停車でだいたい10分。リンクス株式会社の本社から駅までと、駅から「陽羽南」歌舞伎町店までは、どちらもだいたい徒歩で5分。20分くらいという社長の見立ては、概ね間違いがないだろう。
僕はスマートフォンの画面を落とし、イヤホンを耳から外しながら厨房へと声をかけた。
「シフェール、ディトさん、サレオスさん、ごめん、ちょっと暫く仕込みの方任せちゃっていいかな」
「ん? 構わないが、どうした?」
ちょうどカウンターの傍でチキンボール用の鶏肉を刻んでいたシフェールと目が合った。それにつられ、こちらに背を向けていたサレオスとディトもこちらを向く。
三人の顔を見て苦笑を零しながら、僕は手にしたスマートフォンを顔の高さまで掲げた。
「その、社長に相談したいことがあるんで、電話をしたら、今からこっちにいらっしゃるそうで……ちょっと、バックヤードで話をするから」
「ふえっ!? なんでまた、そんなことに」
「急なお話ですね……分かりました。こちらで作業を進めておきますね」
僕の言葉に、サレオスもディトも困惑した表情を見せた。
普通なら、社長が相談した当日に、それもすぐに相談に乗ってくれることなどない。店まで直接やって来て話を聞いてくれることは、別段珍しい話でもないが、それにしたって今回の話は急だ。
ふっとため息をつく僕の背中に、フロアの拭き掃除を終えてテーブル席に椅子を並べていくパスティータの声がかかる。
「なに、社長が来るの?」
「ああ。いらしたら、僕はバックヤードに引っ込むから」
そう返して、スマートフォンをバックヤードにしまってからも、僕は壁の時計から目が離せずにいた。いつ来るか、まだ来ないか、相手が相手だからどうしても気にかかる。
そして、電話を切ってから23分後。店のエレベーターの扉が開き、原田社長が姿を見せた。
「やあ、お待たせ」
「社長……すみません、わざわざ」
社長はいつでもこうだと分かっていながらも、わざわざご足労いただいたことが申し訳なくて頭を下げる僕。それに対して右手をひらひらとやりながら、社長は笑った。
「いいよいいよ、君から話を持ち掛けるなんて、珍しいこともあるもんだ。じゃ、どこで話す?」
「はい、ではバックヤードの方で……」
他の面々にも手を挙げて挨拶しながら笑う社長を、バックヤードへと案内する。中央に置かれたテーブルに据えられた椅子を引くと、彼はゆっくり腰を下ろして微笑んだ。
「ありがとう。だいぶ、店の方は順調そうだね」
「はい、僕が調理に直接携わらなくても、いい出来の料理を作れるようになりましたし……フロアの皆も、だいぶ効率よく働けるようになりました」
社長の向かい側に腰を下ろしながら、僕は微かに笑う。
実際、店の営業はだいぶ軌道に乗ったと思う。常連客も付くようになり、厨房もフロアも滞りなく仕事が回り、料理のクオリティも高水準を維持できている。そしてそのクオリティを、僕が直接調理に関わらなくても、出せるくらいになってきた。
それもこれも、サレオスとディトの二人がポテンシャルを遺憾なく発揮し、シフェールの腕前も上がってきたからだ。おかげで僕は、皆の手の回らないところをサポートしつつ、日本酒の提供に全力を注げる。
店長に就任してからというもの、定休日の日曜日以外の休みはほぼないけれど、それは仕方がない。
僕の言葉を受けて、社長が満足そうにうなずく。
「いいことだ……その様子から見るに、歌舞伎町店の運営に悩んでいたり、問題を抱えていたりするわけでは、なさそうだね」
「はい。その……今回ご相談したいことは、それではなくて」
微笑みながらこちらに視線を向ける社長。その視線を受けて僕は、自分の視線をあちこちに彷徨わせながら、口を開いた。
「その、社長、新しく店舗を出したい時って、どうすればいいんでしょうか……」
「うん?」
僕の問いかけに、社長が目を見開く。
現実問題、早急な話だろうなと思わないでもない。先月に新宿西口店がオープンしたばかりだ。一ヶ月かそこらでまた新店をオープンなど、無茶だと一蹴されても仕方がない。
しかし、それでも社長は、興味深げに身を乗り出してきた。
「なんだい、どこかお店を出したい場所があるのかい? 言ってくれればもちろん、土地や居室の確保からオープニングスタッフの確保まで、僕がサポートするよ」
「はい、実は、そのう……」
その反応に、僕の視線は自然と手元まで下がる。
笑われるだろうか、何を馬鹿なと怒られるだろうか。
それでも、僕は意を決して、僕の思いを伝える。
「僕の地元に、出したいな、って……」
「……うん? 地元?」
僕の伝えた言葉を聞いて、社長の大きく開かれた目が、ますます大きく開かれた。
ぱちくりと、目が数度瞬いて。
やはりというか、社長はからからと笑いだした。椅子の背もたれに身を預けて、額に手をやって。
「はっはっは、うーん、そうか。いくら僕と言えども、異世界の土地の確保は難しいなぁ。集客もどこまで見込めるか……」
「そ、その、社長。いいですか」
それは流石に無理がある、と言いたいであろう社長に、僕はおずおずと手を挙げた。
もうここまで来たら何を隠すもない。とはいえあまり突拍子も無いとあれなので、少し脚色を入れながら、僕は説明を始めた。
「実は……先月に区役所の方と色々ありまして、地元に戻る手段を、得る機会をいただけそうなんです」
「ほう?」
僕の言葉に、社長の笑い声が止まる。
普通なら何を馬鹿なことを、と言われるであろうが、僕は元々異世界からやって来た人間。それが、異世界に帰るきっかけを見つけることの、どこにおかしな点があるだろう。
興味ありげな表情でこちらを見てくる社長に、僕は視線をまっすぐ返しながら、言葉を選びつつ話していく。
「今はまだ、ですけれど……近日中に、その手段を身に着けるべく、動くつもりでいます。そうして、地元に向かうことが出来たら……」
「そこで、店を開きたい、と……そういうことかい」
僕の言いたいことを確認するように口を開いた社長。それに対してこくりと頷く僕に、社長は再び身を乗り出した。テーブルに肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せながら笑う。
「なるほどね、いいじゃないか。非常に夢がある……だが、そうしたらこの店はどうするつもりだい? 君を目当てに来てくれているお客さんも、結構いると聞いているけれど」
「そこは、実際に手段を身に着けてから考えることかなって……僕としては、ここでの仕事を減らしてあちらの店でも厨房に立つとか、あちらの店は僕がオーナーとして関わって別の人に店長になってもらうとか、いろいろ手段は考えているんですが」
そう話す僕の脳裏に浮かぶのは、マルチェッロ、レミ、松尾さんに津嶋さんに御苑さんに……常連客の皆さんの顔だ。
皆、「陽羽南」を愛してくれている。僕達の料理を、接客を、愛してくれている。
投げ出すつもりはない。それは自分の中で固まっている。とはいえ、どの程度こちらで仕事をして、あちらでの仕事と折り合いを付けて行くか。それは、考えるべきところだ。
一度言葉を切って、目を閉じて思考を整理する。そして、再び僕は口を開いた。
「それに、僕以外のメンバーにまで、ついてきてもらうことは考えていません。アンバスもシフェールも、こちらに大事な人がいますし、パスティータも呪いを受け入れてもらえてうまくやれていますし……エティだけは、ご実家の問題があるので、帰りたがるかもしれませんが」
「三匹の仔犬」と「射貫く炎」の面々のことも考えつつ、僕は思いをぶつけていった。
正直、アンバスとシフェールは十中八九こちらに腰を据えるだろう。パスティータは分からないが、比較的こちら寄りだと思っている。エティはきっと、腰を据えるとしたらあちらのはずだ。
その「どちらに生活の軸を置くか」は、両方の世界で店をやるにあたって大事なことだと、僕は思う。もし王都エメディオに店を開けたら、エティがたとえチェルパに帰る決意をしたとしても、居酒屋店員の職を続けられる。それも、リンクスの社員であるままで。
僕の言葉を聞いて、社長は満足した様子で笑顔を見せた。にっこりと笑って、腕を組みながら大きく頷く。
「そうか。わかった、検討しておこう。君達がその手段を手に入れたら、僕にも教えてくれ。出来れば、現地の視察は直接したい」
その話を聞いて、僕はほっと安堵の息を吐いた。
とりあえず、検討はしてもらえる。それだけでも前進だ。有り難い話である。
「ありがとうございます……」
「うん。それじゃ、仕事に戻ろうか。こちらこそありがとう」
頭を下げる僕に笑顔を向けて、社長はバックヤードを出ていく。慌てて僕が見送りに行くと、社長は不要だ、というように頭を振って、エレベーターに乗り込んでいった。
~第71話へ~
~居酒屋「陽羽南」 歌舞伎町店~
その日の午後、店に出勤してしばらくの後、開店前の準備がいくらか落ち着いたところで。
僕は私物のスマートフォンを手にして、通話用のイヤホンを耳に入れていた。何度かの呼び出し音の後、相手が電話を取った音がする。
「あ、原田社長。『陽羽南』歌舞伎町店のカマンサックです……はい。お疲れ様です」
『マウロ君か、どうしたの、何かあった?』
電話の相手は、リンクス株式会社社長、原田政親。自分の所属会社の一番トップに、僕は直接話を持っていくことにしたわけだ。
慣れない電話にしどろもどろになりながらも、僕は要件を電話口で伝えていく。
「え、えーと……その、大変急な話で申し訳ないんですが、ちょっと、ご相談したいことがありまして。お時間いただいても大丈夫でしょうか」
電話をしながら、とりあえず来週中のどこかの折に、時間を貰えればいい。そのくらいに思っていたのだが、社長からの返事は予想外のものだった。
『ああ、なるほど。いいよ、今なら時間あるし。直接の方がいい?』
その答えに僕は背筋がびしっと伸びた。今から。今からか。別段今なら仕事も落ち着いているから問題ないけれど、それにしたって急だ。
「えっ、あの、いいんですか!? 内容も内容なので、あの、直接の方が有り難いのは確かですけれど……」
『分かった。今はもうお店? 開店準備中?』
困惑する僕に、いつものような明るい調子で言葉を投げてくる社長だ。
ともあれ今は店で開店準備中、他のスタッフも全員来ていることを話す。すると椅子を立つ音とともに、社長の声が聞こえてきた。
『分かった、じゃ今からそっちに行くから。20分くらいで着くと思うんで、よろしく』
「あっはい、承知しました……よろしくお願いします……」
途中で扉を開ける音もしたから、本当に社長は今から来るつもりらしい。
飯田橋駅から新宿駅までは、総武線各駅停車でだいたい10分。リンクス株式会社の本社から駅までと、駅から「陽羽南」歌舞伎町店までは、どちらもだいたい徒歩で5分。20分くらいという社長の見立ては、概ね間違いがないだろう。
僕はスマートフォンの画面を落とし、イヤホンを耳から外しながら厨房へと声をかけた。
「シフェール、ディトさん、サレオスさん、ごめん、ちょっと暫く仕込みの方任せちゃっていいかな」
「ん? 構わないが、どうした?」
ちょうどカウンターの傍でチキンボール用の鶏肉を刻んでいたシフェールと目が合った。それにつられ、こちらに背を向けていたサレオスとディトもこちらを向く。
三人の顔を見て苦笑を零しながら、僕は手にしたスマートフォンを顔の高さまで掲げた。
「その、社長に相談したいことがあるんで、電話をしたら、今からこっちにいらっしゃるそうで……ちょっと、バックヤードで話をするから」
「ふえっ!? なんでまた、そんなことに」
「急なお話ですね……分かりました。こちらで作業を進めておきますね」
僕の言葉に、サレオスもディトも困惑した表情を見せた。
普通なら、社長が相談した当日に、それもすぐに相談に乗ってくれることなどない。店まで直接やって来て話を聞いてくれることは、別段珍しい話でもないが、それにしたって今回の話は急だ。
ふっとため息をつく僕の背中に、フロアの拭き掃除を終えてテーブル席に椅子を並べていくパスティータの声がかかる。
「なに、社長が来るの?」
「ああ。いらしたら、僕はバックヤードに引っ込むから」
そう返して、スマートフォンをバックヤードにしまってからも、僕は壁の時計から目が離せずにいた。いつ来るか、まだ来ないか、相手が相手だからどうしても気にかかる。
そして、電話を切ってから23分後。店のエレベーターの扉が開き、原田社長が姿を見せた。
「やあ、お待たせ」
「社長……すみません、わざわざ」
社長はいつでもこうだと分かっていながらも、わざわざご足労いただいたことが申し訳なくて頭を下げる僕。それに対して右手をひらひらとやりながら、社長は笑った。
「いいよいいよ、君から話を持ち掛けるなんて、珍しいこともあるもんだ。じゃ、どこで話す?」
「はい、ではバックヤードの方で……」
他の面々にも手を挙げて挨拶しながら笑う社長を、バックヤードへと案内する。中央に置かれたテーブルに据えられた椅子を引くと、彼はゆっくり腰を下ろして微笑んだ。
「ありがとう。だいぶ、店の方は順調そうだね」
「はい、僕が調理に直接携わらなくても、いい出来の料理を作れるようになりましたし……フロアの皆も、だいぶ効率よく働けるようになりました」
社長の向かい側に腰を下ろしながら、僕は微かに笑う。
実際、店の営業はだいぶ軌道に乗ったと思う。常連客も付くようになり、厨房もフロアも滞りなく仕事が回り、料理のクオリティも高水準を維持できている。そしてそのクオリティを、僕が直接調理に関わらなくても、出せるくらいになってきた。
それもこれも、サレオスとディトの二人がポテンシャルを遺憾なく発揮し、シフェールの腕前も上がってきたからだ。おかげで僕は、皆の手の回らないところをサポートしつつ、日本酒の提供に全力を注げる。
店長に就任してからというもの、定休日の日曜日以外の休みはほぼないけれど、それは仕方がない。
僕の言葉を受けて、社長が満足そうにうなずく。
「いいことだ……その様子から見るに、歌舞伎町店の運営に悩んでいたり、問題を抱えていたりするわけでは、なさそうだね」
「はい。その……今回ご相談したいことは、それではなくて」
微笑みながらこちらに視線を向ける社長。その視線を受けて僕は、自分の視線をあちこちに彷徨わせながら、口を開いた。
「その、社長、新しく店舗を出したい時って、どうすればいいんでしょうか……」
「うん?」
僕の問いかけに、社長が目を見開く。
現実問題、早急な話だろうなと思わないでもない。先月に新宿西口店がオープンしたばかりだ。一ヶ月かそこらでまた新店をオープンなど、無茶だと一蹴されても仕方がない。
しかし、それでも社長は、興味深げに身を乗り出してきた。
「なんだい、どこかお店を出したい場所があるのかい? 言ってくれればもちろん、土地や居室の確保からオープニングスタッフの確保まで、僕がサポートするよ」
「はい、実は、そのう……」
その反応に、僕の視線は自然と手元まで下がる。
笑われるだろうか、何を馬鹿なと怒られるだろうか。
それでも、僕は意を決して、僕の思いを伝える。
「僕の地元に、出したいな、って……」
「……うん? 地元?」
僕の伝えた言葉を聞いて、社長の大きく開かれた目が、ますます大きく開かれた。
ぱちくりと、目が数度瞬いて。
やはりというか、社長はからからと笑いだした。椅子の背もたれに身を預けて、額に手をやって。
「はっはっは、うーん、そうか。いくら僕と言えども、異世界の土地の確保は難しいなぁ。集客もどこまで見込めるか……」
「そ、その、社長。いいですか」
それは流石に無理がある、と言いたいであろう社長に、僕はおずおずと手を挙げた。
もうここまで来たら何を隠すもない。とはいえあまり突拍子も無いとあれなので、少し脚色を入れながら、僕は説明を始めた。
「実は……先月に区役所の方と色々ありまして、地元に戻る手段を、得る機会をいただけそうなんです」
「ほう?」
僕の言葉に、社長の笑い声が止まる。
普通なら何を馬鹿なことを、と言われるであろうが、僕は元々異世界からやって来た人間。それが、異世界に帰るきっかけを見つけることの、どこにおかしな点があるだろう。
興味ありげな表情でこちらを見てくる社長に、僕は視線をまっすぐ返しながら、言葉を選びつつ話していく。
「今はまだ、ですけれど……近日中に、その手段を身に着けるべく、動くつもりでいます。そうして、地元に向かうことが出来たら……」
「そこで、店を開きたい、と……そういうことかい」
僕の言いたいことを確認するように口を開いた社長。それに対してこくりと頷く僕に、社長は再び身を乗り出した。テーブルに肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せながら笑う。
「なるほどね、いいじゃないか。非常に夢がある……だが、そうしたらこの店はどうするつもりだい? 君を目当てに来てくれているお客さんも、結構いると聞いているけれど」
「そこは、実際に手段を身に着けてから考えることかなって……僕としては、ここでの仕事を減らしてあちらの店でも厨房に立つとか、あちらの店は僕がオーナーとして関わって別の人に店長になってもらうとか、いろいろ手段は考えているんですが」
そう話す僕の脳裏に浮かぶのは、マルチェッロ、レミ、松尾さんに津嶋さんに御苑さんに……常連客の皆さんの顔だ。
皆、「陽羽南」を愛してくれている。僕達の料理を、接客を、愛してくれている。
投げ出すつもりはない。それは自分の中で固まっている。とはいえ、どの程度こちらで仕事をして、あちらでの仕事と折り合いを付けて行くか。それは、考えるべきところだ。
一度言葉を切って、目を閉じて思考を整理する。そして、再び僕は口を開いた。
「それに、僕以外のメンバーにまで、ついてきてもらうことは考えていません。アンバスもシフェールも、こちらに大事な人がいますし、パスティータも呪いを受け入れてもらえてうまくやれていますし……エティだけは、ご実家の問題があるので、帰りたがるかもしれませんが」
「三匹の仔犬」と「射貫く炎」の面々のことも考えつつ、僕は思いをぶつけていった。
正直、アンバスとシフェールは十中八九こちらに腰を据えるだろう。パスティータは分からないが、比較的こちら寄りだと思っている。エティはきっと、腰を据えるとしたらあちらのはずだ。
その「どちらに生活の軸を置くか」は、両方の世界で店をやるにあたって大事なことだと、僕は思う。もし王都エメディオに店を開けたら、エティがたとえチェルパに帰る決意をしたとしても、居酒屋店員の職を続けられる。それも、リンクスの社員であるままで。
僕の言葉を聞いて、社長は満足した様子で笑顔を見せた。にっこりと笑って、腕を組みながら大きく頷く。
「そうか。わかった、検討しておこう。君達がその手段を手に入れたら、僕にも教えてくれ。出来れば、現地の視察は直接したい」
その話を聞いて、僕はほっと安堵の息を吐いた。
とりあえず、検討はしてもらえる。それだけでも前進だ。有り難い話である。
「ありがとうございます……」
「うん。それじゃ、仕事に戻ろうか。こちらこそありがとう」
頭を下げる僕に笑顔を向けて、社長はバックヤードを出ていく。慌てて僕が見送りに行くと、社長は不要だ、というように頭を振って、エレベーターに乗り込んでいった。
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