ヤノフスキーの夜鷹は町を飛ぶ

八百十三

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第7話

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 一番街ウラソフ通りに店を構える酒場『レドーホド』。
 オーナーの鳩鳥人、ジャン・コロボフの前に座り、一人静かにワインを飲んでいると、俺の隣のカウンターチェアに壮年の獅子獣人が、静かに腰を下ろした。

「隣いいか、ナザロフ」
「ん? ……ああ、いいとも」

 俺の隣に座ったのは、顔なじみのエージェント、グリゴリー・クヴィテラシヴィリだった。
 これはまた、珍しいやつが俺の隣の席に来たものだと思う。この年上の獅子獣人の男が、世界のあちこちを渡り歩く風来坊であることもそうだが、理由はそれだけではない。
 飲みかけのゴフレットを厚紙製のコースターの上に置いて、俺は驚きを含んだ声を彼に投げた。

「珍しいな、ヤノフスキーに戻っていたのか、クヴィテラシヴィリ」
「ああ、まあな。マスター、ウォッカリッキー、一杯貰えるか」
「あいよ」

 俺に軽い返事を返しつつ、グリゴリーがジャンへと注文を投げる。
 グリゴリーが「でかい仕事が入った」と言ってヤノフスキーをふらりと離れたのは、およそ半年前のことだ。それ以来、ちっとも音沙汰がなく、俺はひそかにやきもきしていたものである。本当に、いつの間に戻ってきたのだろう。
 タンブラーにライムを絞るジャンに視線を向けながら、俺はカウンターに頬杖を突いた。

特級エージェント・・・・・・・・のお前がわざわざ俺の隣に出張ってきたということは、やはり案件は、あれか?」
「お察しの通り。清教会本部からの依頼でね」

 俺の言葉に、小さく笑いながら肩をすくめるグリゴリーだ。
 俺の隣にいるこの男は、ルージア連邦内の登録エージェントで最上級、特級に位置する一人だ。アニシン領のエージェント協会でも特級持ちはこの男だけ、まさしく協会内のトップに位置するエージェントだ。
 それに加え、既に出奔しゅっぽんしているが貴族であるクヴィテラシヴィリ伯爵家の次男でもあり、市内の名門、領立ヤノフスキー大学の出身でもある。金も学も地位もある、まさしくエリート中のエリートである。
 そんな彼と俺は、仕事仲間であるとともに、いわば飲み友達でもあり。よく彼が主催するパーティーに招待してもらっては、新しい友人を紹介してもらったり、仕事のタネを集めさせてもらったりしたものだ。
 特級エージェントともなれば、全世界から仕事が舞い込んでくる。だから国内外をせわしなく飛び回っていて、なかなかひとところに留まる時間がない。故に、こうしてやってくるのは珍しいのだ。

 俺とグリゴリーの間で共通認識が取れている「案件」は、先日にサーシャ・スピリドノフのグループがすっぱ抜いてきた、一番街メコンチェフ通りの『ひかり家教会いえきょうかい』の不正についてである。
 この教会が抱え込んでいた暗部は殊の外大きく、清教会本部から是正勧告ぜせいかんこくが出るまでに至っている。しかし、当の教会はそれを無視して、今まで通りに悪事を働いていると、市中ではもっぱらの噂だ。

「やはりか。本部からの勧告かんこくを無視したという噂は耳にしていたが」
「いよいよ清教会も、言うことを聞かない教会にしびれを切らしたらしい。市の中心部にある大教会だろうが、お構いなしってわけだ」

 難しい顔をして頭を振る俺に、肩を竦めながらグリゴリーが、出来上がったウォッカリッキーのタンブラーを持ち上げる。さしもの彼も、あの教会がそこまで腐りきっているとは、思っていなかったらしい。
 一番街はヤノフスキー市の中心部、人も金も一番集まる地域だ。そこに建物を建てられる教会は、言うまでもなく資金力のある大教会。そこを潰すとあれば、いくら清教会本部と言えど簡単な話ではない。
 とはいえ、今回はそれをするだけの理由が、十分すぎるほどにある。

「だろうな……清教会本部は、『光の家教会』を潰したところで痛くもなんともないだろう。いくら一番街に構えているとはいえ、あそこは直轄ではない」
「清教会管轄下ではあるが、私営教会だからな。しかし今回は、さすがにおかんむりというわけさ」

 困ったように笑うグリゴリーをちらと見ながら、俺は目の前のゴフレットに残ったワインを、ぐっと飲み干した。
 清教会の教会には、本部や支部が直轄で管理する教会の他に、個人や法人が代表者となり、清教会本部に登録料を支払う私営教会がある。今回問題になった『光の家教会』は、後者の形態だ。
 教会を運営する代表者の個人は、既に悪事の責任を問われて警察に逮捕されている。だが教会そのものは、代表者が逮捕されようがどうなろうが、運営に大きな支障はない。だからあの教会は、今も司祭の名のもとに神の説法を市民に垂れ流していた。

「全くだ。さてクヴィテラシヴィリ、そこに座ったということは、俺と仕事をしに来たんだろう?」
「ああ、もちろん。ちょっと待ってくれ」

 ため息をつきながら俺が水を向けると、グリゴリーは肩にかけていた布製の大きなカバンから、缶詰を一つ取り出した。それを、カウンターを滑らせるように俺に差し出してくる。

「ほら、土産だ」

 グリゴリーの出してきたそれを受け取り、ラベルを見た俺は驚愕した。
 読めないのだ・・・・・・
 恐らくはチェーナ語かヤパーナ語であろう、線や点がいくつも複雑に組み合わさった文字が並び、ところどころに曲線的なヤパーナ文字が挟まって書かれている。
 ルージア連邦で日常的に使われるキルク文字は一つも記されていない。連邦内で購入したものではないことは、間違いない。

「……驚いたな。今度はどこまで仕事に行って来たんだ」
「はっは、聞いて驚け。ヤパーナのセーミヤだ」

 缶をひっくり返したり覗き込んだり、あちこちの方向から缶を確認する俺へと、グリゴリーがにこやかに笑いながら告げる。
 ヤパーナ帝国のセーミヤ。確かチェーナ文字で「清宮セイミヤ」と書くんだったか。世界中の物流が集結する一大都市で、帝国内でも第一の都市。人口も世界で上位に入る程多い。当然、物流も人々の往来も盛んだ。
 そんな世界的な大都市で、仕事とは。ずいぶん偉くなったものである。元から偉い人間ではあったが。

「それはまた……随分なところまで。そんなでかい案件があったのか」
「そうとも。知らないか? 帝国近衛院ていこくこのえいんからの情報漏洩じょうほうろうえい

 目を見開く俺に、手をひらひら動かしたグリゴリーが笑う。
 帝国近衛院はヤパーナ帝国の国家の安全を守るための集団だ。言わば、エリート兵士の集団。その集団から、最新鋭の戦闘機の飛行ルートを漏洩したとして、近衛院の兵士が三人、逮捕されたのだ。

「……あれか」
「この間全国ニュースで犯人逮捕が放映されていただろう。あれの解決に呼ばれていたんだよ。足掛け六ヶ月、いやぁ長かった」

 全世界でニュースになったその事件は、俺も記憶に新しい。納得した俺に笑いながら、グリゴリーがカウンターの上に、ラベルがヤパーナ語で書かれた缶を積んでいく。
 曰く、近衛院の職員として潜入し、情報と証拠を地道に集めつつエージェントだとばれないように立ち回ることを重ね、ようやく動かぬ証拠を掴んでから暴露したのである。ちなみにこれもヤパーナ帝国政府からの依頼で、彼の他に何人ものエージェントが、犯人逮捕に関わっていたとか。
 こういう大きな、立ち回りの難しい仕事を見事に完遂して帰ってくるのが、彼が特級をいただいている証である。

「で、買ってきたのがその缶詰ってわけだ。味見もしたが、ずいぶん美味い」
「ふーん……なるほどな。イワシの味噌ソイペースト煮か」

 ニコニコしながら話すグリゴリーの声を聞きつつ、なんとか意味を判別できた部分を見つめながら、俺はうっすら目を細めた。
 ヤパーナ帝国には大豆を使った発酵調味料が数多くあり、味噌ソイペーストもその一つ。独特の風味と深いコク、塩気が複雑に絡み合っている、という話を、俺も耳にしたことがある。
 積み上げた缶を一つ取り、グリゴリーがジャンへとそれを手渡した。

「マスターにも一缶やるよ、たくさん買ってきたから」
「おお、すまんなグリゴリー」

 缶を嬉しそうに受け取りながら、ジャンが丸く大きな目を細める。こうした現地でないと買えないような食品は、飲食店にとっては最高の土産物だ。料理の幅も、世界も広がる。
 キルク文字の書かれていない、缶切りが無くても容易に開けられるシーリングタイプの蓋を撫でながら、俺はにんまりと笑った。

「じゃあ、今回の出題はこの缶詰でやろうか。クヴィテラシヴィリ、お前ならこいつをつまみつつ飲むなら、何にする?」

 俺の質問に、グリゴリーがすんと鼻を鳴らす。前置きが長くなってしまったが、これはあくまで仕事の一環。グリゴリーもそれを求めて、俺の隣に座ったのだ。
 ウォッカリッキーをぐっと飲み干すと、喉元を撫でながら彼は壁の黒板に目を向ける。

「そうだな……ちょっと考えさせてくれ」
「ああ」

 彼の言葉に短く返すと、しばらくカウンターを沈黙が漂った。
 グリゴリーが無言で酒を思案して、俺も何も言わずにそれを待って。ジャンがアイスピックで氷を砕く、カンカンという音だけが響いている。
 二、三分は時間をかけて思案していただろうか。ようやく考えがまとまったらしいグリゴリーが、ジャンに手招きした。

「……よし。マスター、ちょっと」
「ん?」

 ジャンが彼の方に歩み寄ると、獅子の男がぐっと身を乗り出した。そのままジャンの頭に顔を寄せて、ひそひそと小声で話し始める。

「……、……、……」
「……ほう、ほうほう……、よし分かった。待っていろ」

 ジャンもそれを受けて、声を潜めながら注文を受け取り。何やら伝票にざかざかと書き留めると、彼はカウンターの向こう、店のキッチンに引っ込んだ。
 その背中を見送った俺が、訝し気に眉を寄せながら身体を戻したグリゴリーにと視線を向ける。

「なんだ、わざわざ小声で注文して」

 わざわざ、俺に聞かれないようひそひそと注文するなんて、何かが怪しいような。
 不審がる俺へと、グリゴリーは指を一本立てて振ってみせた。

「ナザロフ、俺はヤパーナにいたのは半年……まぁ正確には五ヶ月とちょっとだが、その間に確信したことがある」
「なんだ」

 もったいぶった、意味ありげな言葉。顎をしゃくって先を促せば、グリゴリーが口角を持ち上げて口元を歪めつつ言った。

「『土地のものは、土地の酒と一緒に食うのが一番美味い』ってことだ」

 その言葉に、はっと目を見開く俺だ。
 ルージアのことわざにも、確かにある。「ダンコフでブリニを作るならダンコフの水で練れ」。アファナシエフ領領都のダンコフは蕎麦の実の名産地、土地のものは土地の水と一緒にすれば、最高に美味いという意味だ。
 ヤパーナの魚、ヤパーナの調味料。ならばヤパーナの酒を合わせるのが定石だ。彼はそう言いたいのだろう。
 となれば、彼の選んだものは自ずと想像が付く。

「……ヤパーナ・ワインか」
「飲んだこと、あるか? 美味いぞ、俺はすっかり、あの味の虜になってしまった」

 感心した様子で俺が答えれば、にこにこと笑いながらグリゴリーも話してくる。
 ヤパーナ帝国は大海洋に面した島国、その食文化は一種独特だが、上質で繊細、様々な国の料理文化も取り込んで昇華した料理は、人々の興味と舌を捕らえて離さない。
 そんな国だから、酒も独特。ヤパーナの主食であるコメを発酵させて生み出したヤパーナ・ワインは、その味わいと風味の幅の広さ、繊細で鮮烈な香りと上質なアルコールが相俟って、世界中にファンが多い。
 ワイン党の俺としても、ヤパーナ・ワインは決して無視できる存在ではない。何度か飲んだことも、確かにある。

「首都に行った時に、頒布会で何度か飲んだな。一応、二番街シシュキン通りの『マハチ』で、取り扱っているのも知っている」
「さすがはヤノフスキー一の酒通。ここも『マハチ』から、たまにヤパーナ・ワインを仕入れているらしいぞ」

 そのことを話せばグリゴリーも感心したように頷いて。強い酒精が好まれるルージアではまだ一般的ではないが、好きな者はとても好きな酒だろう。
 と、バックヤードから戻ってきたジャンが、紙のラベルを貼った緑色がかった瓶を手に戻ってきた。栓のされた瓶を、カウンターの上にドンと置く。

「ほい、今日のヤパーナ・ワインはこいつだ」
「ほう……『ユキウサギ』か」

 瓶と一緒に、小ぶりなカラフェとショットグラスが置かれる。ヤパーナでは陶器製のカラフェとグラスを用いるそうだが、ここはルージア。ルージアでやりやすいように提供することに、何の問題もない。
 ラベルのヤパーナ文字を読み取ったグリゴリーがほうと息を吐けば、その零された言葉に俺も耳をそばだてて。
 ユキウサギ。記憶のどこかに引っかかる名称だ。

「俺も一度耳にしたことがある名前だが、どこでだったかな」
「有名な銘柄だというからな。どこかの酒屋で聞いたんだろう、きっと」

 俺がカラフェからショットグラスに透明な液体を注ぐと、グリゴリーも楽しそうに尻尾を揺らす。カラフェから自分でグラスに酒を注ぐのは、店ではなかなかない経験ではあるが、殊の外楽しいものだ。
 そうして二つのグラスが酒で満たされて。ふわりと微かに甘い香りが漂う中、俺とグリゴリーはグラスを手に持ち掲げる。

「それじゃ」
「ああ」

 そっとグラスを寄せ合ってから、中の酒を口に含む。
 するとコメの旨味が口の中一杯に広がった。同時にコメ由来であろう微かな甘味と、アルコール由来の苦味、渋味が喉の奥を刺激してくる。絹のような滑らかなアルコールは飲み込めばするりと抜けて、さっぱりとした余韻を残してくれた。
 この繊細で多彩な味わいは、蒸留酒ではなかなか無いものだ。
 喉を動かし、腹の中にヤパーナ・ワインを落とし込んで、俺は隣に座る彼と視線を交わし合う。

「美味いな」
「だろ? そこから、これだ」

 笑いながらグリゴリーが、俺の前に置かれた缶の蓋を開ける。シーリングされたそれはぱかっと軽快な音を立てて開かれ、中から濃い茶色に色づいたイワシの身が、ぶつ切りになって顔を覗かせた。
 ヤパーナ帝国の魚の缶詰は、骨まで柔らかく煮込まれているから開けてそのまま食べられる。長期保存することを目的に作られていながら、味もいい。
 事実、フォークで刺したイワシの身を口に含めば、骨までほろりと崩れて柔らかい。そこに加わる味噌ソイペーストのコク、塩気、旨味。それが先程味わったヤパーナ・ワインの味わいと絡み合って、複雑で奥深い、得も言われぬ味わいを作り出していた。

「ほーう、なるほど」
「な? ヤパーナの食い物にはヤパーナの酒が、一番だとは思わないか」

 思わず、感嘆の息を吐き出す俺だ。
 隣で自慢げに話すグリゴリーの言葉にも、全力で同意せざるを得ない。

「なるほどな、これはフォークが止まらん。実際にお前がヤパーナに行ったからこそ、説得力も増す」
「そうだろうそうだろう。しかもこれが、そこらのマーケットに山積みにされて売られてるんだからな、凄いぞあの国」

 俺がイワシのぶつ切りに再びフォークを伸ばしながら言えば、グラスを持った手を大きく広げながらグリゴリーも口を動かす。どうやらこの男は、セーミヤのスーパーマーケットでこの缶詰をたくさん買い込んだらしい。
 感心のため息を吐いて、俺はイワシの身を食んだ。その風味を流すように、ヤパーナ・ワインを口に含む。なるほど、こう飲んでも、美味い。

「全くだ、食の都かくあるべし……末恐ろしい。さて、と」

 満足した息を吐き出す俺が、ふとカウンターの下に手を伸ばす。
 そこに置いた鞄から取り出すのはいつもの手帳ではない。大判の封筒だ。そこにはアニシン領のエージェント協会の紋章が箔押しされている。

「クヴィテラシヴィリ」
「ああ」

 封筒を取り出しつつグリゴリーに目を向けて、彼の反応を待つ。
 短く答えながら俺の手の中の封筒に視線を向ける彼へと、俺は真剣な表情を向けた。

「今回の案件は、俺もエージェント協会と清教会から報告を受けている。曰く、『情報を複数のエージェント、及び複数のグループに並行して提供することを認める』とな。
 お前なら間違いはないだろうが、お前だけに仕事を任せるわけにはいかないことは分かってくれ。こちらもお前を、単独で地獄に放り込みたくはない」

 『光の家教会』の案件は、ルージア連邦エージェント協会と、ルージア清教会が一緒になって案件を管理している。エージェントは協会に申し出たり、協会や清教会から直々に打診されたりして依頼に参加し、複数のエージェントのグループが、集団でそれぞれの仕事に取り掛かるのだ。
 当然、情報屋がエージェントに提供する情報も、いつものように情報屋が独自に管理し、エージェントに提供するわけにはいかない。
 俺が独自に調査して抱えた情報も、一度アニシン領のエージェント協会に提出し、エージェントからの依頼報告と突き合わせて情報の確度を高めた上で戻され、そこから初めてエージェントへと提供される。大規模な案件では、よくある流れだ。
 もちろん、相手が特級エージェントだからと言って例外には出来ない。俺がこれから彼に渡す情報は、彼以外のエージェントにも渡るものだ。

「分かってるよ、心配するな」
「助かる……これが、『光の家教会』のカネ絡みの不正だ」

 グリゴリーが頷くのを確認した俺は、封筒から一枚の紙を取り出し、彼に手渡した。いつもの手書きのメモではない、パソコンで作成した文書ファイルを印刷したものだ。
 簡潔にまとめられ、右上にエージェント協会会長のサインが入ったそれを見て、グリゴリーが驚きに目を見張る。

「おいおい、マジかよ。うちの実家まで加担してるのか」
「カルペツ助司祭の個人の日誌に、明記があった。伯爵家の紋章の入った小切手も、教会から発見されている。伯爵家は寄付をしただけ、と言い逃れをしているが、寄付の額じゃないことは明白だ」

 俺が渡した紙に記載されているのは、『光の家教会』がこれまでにヤノフスキー市内の貴族や商店から寄進を受けた金銭のうち、明らかに通常の寄進とは異なる額のものを、その金の出所からまとめたものだ。
 情報源は先日に警察が押収した、助司祭の個人の日誌。数年分がまとめて押収され、その中には受け取った怪しい寄進の額が、事細かに記載されていたのだ。
 自分の実家である、クヴィテラシヴィリ伯爵家からの寄進が何度もあるのを見つけたグリゴリーが、呆れを含んだ目で手元の資料を見やる。

「はーあ……やだねぇ、こういう黒い金のやり取りを見るのが嫌だから、爵位継承権も放棄してエージェントになったってのに」
「心中お察しするよ。お前は自分の手で金を稼ぎたい人間だものな」

 額をぽりぽりと掻く彼に、目じりを下げつつ俺は空になったショットグラスに酒を注いでいく。
 彼としてもやりきれない思いだろう、縁を切ったとはいえ、自分の実家が教会の不正に関わっているとあれば。

「え、ちなみにナザロフ、うちの実家はあの教会に、どれだけ貢いだんだ」
「分かっているだけで三年間で2,000万セレー」

 注がれた酒にすぐさま手を付けるグリゴリーへ、俺が問いかけの答えを返すと。酒に口をつけようとしていた彼の手が、ピタリと止まった。
 三年間という長期間に渡ってではあるが、合計で2,000万セレー。現当主である第10代クヴィテラシヴィリ伯爵の年収の、二割に届く額だ。それだけの大金を一つの教会につぎ込むなど、余程教会に入れ込んでいなければ、まずあり得ない。
 そのことはグリゴリーも分かっているようで、呆れを通り越して憐れむような視線で、手元の資料を見た。

「そんなバカみたいにつぎ込んで、あの家は教会からなんか見返りを得たのかね?」
「それについては何とも。だが何かしらを得たのは間違いないだろうな」

 嘆く彼に、俺は涼しい顔をして返した。
 これだけの金を集めている教会だ。クヴィテラシヴィリ家以外にも、たくさんの貴族が関わっている。ただ大金をため込んでいるだけ、とは、どうしても考えにくい。
 金塊。麻薬。奴隷。思いつく違法なものはいくらでもある。
 それに関わっていたとしたら、その違法なものを見返りで受け取っていたとしたら、まず間違いなく受け取った側もただでは済まない。
 資料に目を通し終わったグリゴリーが、深いため息をついて鞄にそれをしまった。

「オーケー、分かった。叩きのめさなきゃならんのは、教会だけじゃないってことか」
「ま、そういうこと。お前自身がお前の実家に乗り込むのは、さすがにバツが悪いだろうとは、思うがな」

 ぐっとショットグラスを呷る彼にカラフェを差し出せば、空になったばかりのグラスにまたヤパーナ・ワインが注がれる。それに口を寄せながら、彼はにっこりと笑った。

「いいさ、感謝してるよ。人員の問題はこっちで解決できる。お前が心配することじゃない」
「助かる」

 短く礼を言って、俺はイワシの身の最後の一切れにフォークを突き刺した。
 それを静かに噛みながら、しみじみと目を細める俺である。

「やれやれ、それにしても、教会支部どころか教会本部まで巻き込んでの仕事になるとはね。俺もバカでかいネタを釣り上げたもんだ」
「『ヤノフスキーの夜鷹』の面目躍如めんもくやくじょ、ってことだろ。これからますます忙しくなるな、お前」

 そんな俺を揶揄からかうように、グリゴリーが笑みと共に言葉を投げてくると。
 『レドーホド』の内扉を開けて、二人の青年が店内に駆け込んできた。一級エージェントのイワン・イグナトフとアントニン・アンドレーエフだ。

「ここにいた!」
「ナザロフさん、教会の件なんですけど――ってクヴィテラシヴィリさん!?」

 イワンとアントニンの目当てはやはり俺で、二人とも『光の家教会』の案件に参加するらしい。となれば先程グリゴリーに渡した情報を、彼らにも渡すことになるわけで。
 早速、忙しくなってしまった。

「ほら見ろ」
「分かった、分かったから。イグナトフにアンドレーエフ、とりあえずそこのテーブル席に座って待っていろ。こっちが先だ」

 面白いものを見る目でグリゴリーが言ってくるのを横に聞き、俺はイワンとアントニンにも投げやりな声を飛ばす。
 いくら俺でも、三人同時に相手は出来ない。これからの忙しさが予見されて、グリゴリーに情報料を提示しながらため息をつく俺だった。
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