大関誠は温泉大臣~俺、異世界に温泉旅館作ります!~

八百十三

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後日談 温泉旅行in箱根

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 地球ソレーア
 の、日本ニホン
 の、関東圏を走る小田急電鉄、特急ロマンスカー、箱根湯本駅行きの車内にて。

「もうすぐ箱根湯本駅に到着しますね」
「電車って早い上に快適で凄いですね!予約した温泉旅館は、箱根湯本駅から歩いていくんでしたっけ?」
「いや、有料の送迎バスがあるという話でしたなぁ。駅からは距離があるとのことですし、利用したほうがいいかもしれませんぞ」
「そうだなぁ、歩くのも風情があっていいだろうが、それよりは楽な方がなぁ」
「ニホンの地面は舗装されていて硬いからな。ようやく歩き慣れたが、やはり歩き通しは辛いものよ」

 ボックスシートを二つ使って、口々に会話するエルフに、獣人に、鳥人に、竜人。そんな中に一人ぽつんと、人間。
 人間以外の種族が一堂に会している中で、ただ一人座っている人間の男性が、ふーっと長い息を吐いた。

「あんまり長い距離を歩かせるのもあれですからね、送迎バスを使います。新宿の時みたいにはぐれてもあれですから」
「そうさなぁ、歩いていてふっと見たら姿が見えなくなっていた、という事態は避けたいものよ」
「あの時は焦りました……アスランさんを見失うなど、そうそう無いことだと思っていたのですが」

 獅子の獣人ビーストレイスこと、ジョルジュが目を閉じつつ腕を組むと、銀髪のエルフこと、イーナが眼鏡の奥にある眉の端を下げた。
 ジョルジュの隣に座った紫色の竜人ドラゴンレイスこと、クレマンがジョルジュの腕をばしっと叩く。

「まったく、初めての地球ソレーアだからとはしゃぎおって!
 引率してくれるマコト殿にもそうだが、道を繋いでくれたマウロ殿や管理されているマルチェッロ殿にも迷惑がかかるだろう!」
「クレマン、あんなに良い酒の香があちこちから漂っていて、お前は私に酒を飲むなと無体なことを言うのか!」

 昔馴染みの二人は相変わらず気安い関係で、やいのやいのと声を張り合っている。
 それを座席の後ろで聞きながら、犬の獣人ビーストレイスことアリシアと、鷹の鳥人バードレイスことエドマンドが、揃ってため息をついている。

「あの宿屋王・・・寝具帝・・・がこんなに気安い関係だとはなぁ……」
「びっくりですね……お二人ともクラレンスではすごく有名な方だというのに……」
「まぁ、ほら、有名人同士が知り合いだとかそういうのはよくある話じゃないですか、どこの世界でも」

 エドマンドとアリシアが、揃って背後で行われる低レベルな言い合いに脱力している。
 そこに声をかけた人間の男性に、二人は同時にじとっという視線を投げかけた。

「有名人で言ったらお前もそうで、あっちこっちの有名人と知り合いだろうが。何を他人事のように」
「そうですよー、もう帝国内どころか大陸内で、マコトさんの名前を知らない人はいないじゃないですか」

 そう言われて、男性は困ったような笑みを浮かべつつ肩をすくめた。そのままに口を開く。

「まぁ……否定はしませんけれど。それでも俺はこっち・・・では、ただの一般人に過ぎませんからね」

 半ば諦めたように話すその人間の男性である俺――マコトが窓の外を眺める。
 箱根の山景色が、車窓の外をぐんぐんと走り去っては流れていく中に、徐々に近づいてくる箱根湯本の駅ターミナル。
 温泉大臣とその連れ添いは、日本有数の温泉地、箱根に来ていた。目的は勿論、日本ニホンの温泉だ。



 箱根湯本駅を出て、送迎バスに乗り込んでしばし。
 宿泊予約をしたホテル「箱根の森おがわ」に入ると、俺は同行の5人を伴ってフロントへと足を向けた。
 今回の予約は俺の名義で行っている。チェルパでは夢のまた夢なインターネットによるハイレスポンスな予約が、日本では普通に行われているわけで。
 仕組みを軽く説明したら、特にイーナとクレマンが目を剥いていた。
 広々とした、設備の整ったロビーを進んでフロントのカウンターまで向かうと、和服に身を包んだ女性スタッフが深々とお辞儀をした。

「いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました」
「本日14時に6名でチェックイン予定の大関おおぜきです」

 俺がフロントで名前を告げると、スタッフの女性が手早く手元のノートパソコンを操作する。
 数秒の沈黙の後に、必要な情報に行き当たったのだろう、スタッフが画面から顔を上げた。そしてカウンターの上に、ボールペンと宿泊者カードを出してくる。

「6名様で2泊3日でご宿泊の大関 誠様ですね、お待ちしておりました。
 こちらの宿泊者カードに、お名前とご住所、お電話番号をご記入ください」

 ペンを取って、漢字で名前を記入して、電話番号はスマホの番号を記入して、住所を書こうとしたところで俺は手を止めた。
 俺の手元を覗き込んでいたアリシアが、不思議そうに俺の顔を見上げてくる。

「あー……」
「どうしたんですか、マコトさん?」
「いや、あっち・・・の住所を書いていいものなのかなって……」

 そう、俺の現住所は日本に無い。そもそもの話地球上にもない。
 俺は完全に生活の拠点を神聖クラリス帝国のレイヨン市に移して、学生を辞めて温泉旅館のオーナー業と温泉のコンサルタント業に従事しているのだ。
 日本に帰省するのも、年に一度あればいい方くらいの頻度である。だから地球上で住所として書ける場所が、俺には無いのだ。
 困っている俺の姿を見て、スタッフが未だ空欄の住所欄を指で指しながら口を開いた。

「日本国外にお住まいですか?であればそちらの住所をご記入ください。郵便番号欄は空欄で構いません」
「あ、よかった。ありがとうございます」

 その言葉に安心した俺は、さらさらと自宅のあるレイヨン市ルルーシュ通りの住所を記載した。
 スタッフにペンと宿泊者カードを返すと、内容を確認した彼女はこくりと頷いた。
 そしてカウンターの上に置かれるのは、古き良き大きなキーホルダーの付いたルームキーだ。「203」の部屋番号が記載されている。

「和室をご希望とのことでしたので、6名様全員一緒のお部屋となっております。お部屋は203号室となります。
 こちらお部屋の鍵となります。なくされないようご注意ください。
 お風呂は当館に隣接する温泉施設の「湯の里おがわ」をご自由にお使いいただける他、系列ホテルの「ホテルおがわ」の大浴場もご利用いただけます。
 今回夕食朝食の二食付きプランでのご予約ですので、夕食と朝食は当館内のお食事処でお召し上がりいただきます。ご夕食は18時から20時の間、ご朝食は7時半から9時までの間ですので、お時間に遅れないようご注意ください。
 また、入湯税としましてお一人150円、900円をここでお支払いいただく形になります。よろしいですか?」
「分かりました。宿泊料金はチェックアウトの時でしたよね?」
「その通りになります。現金のほか、クレジットカードもご利用いただけます」
「分かりました」

 一通りの説明を受けて、俺は一つ頷いた。
 鞄から地球用の財布を取り出して、久しく出すことの無かった千円札を一枚、トレイの上へ。
 スタッフの女性はトレイを受け取ると、100円玉を一枚と領収書を乗せて、俺の手元へとトレイを戻してきた。小銭入れに100円玉を収めて財布をしまった俺に視線を向けて、スタッフの女性が左手をすっと俺達の後方へと伸ばす。

「お部屋へは、後方にございますエレベーターをご利用ください。係りの者がご案内いたします」
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます。それではお部屋にご案内いたします」

 カウンターの横に控えていた着物を着たスタッフが、一礼してこちらへと近づいてきた。彼女が案内してくれるらしい。
 俺がそちらに向かうと、アリシアも、イーナも、クレマンも、エドマンドも、ジョルジュも。ぞろぞろと後をついてくる。6人中5人が人間でない種族で、そのうち3人が人間からかけ離れた姿をしている集団、傍から見たらなんとも異質だろうと思う。
 しかし俺の方はここのところ頻繁に顔を合わせる相手である故、最早何とも思わない。そしてホテルのスタッフも人間以外の種族を相手にすることは慣れているのだろう、奇異の視線を向けてくることもなかった。
 エレベーターに乗り込んで2階へ。エレベーターの中でもホテルの廊下を進んでいく間でも、異世界出身の5人は楽しそうに話していた。

「楽しみですっ、ニホンの温泉旅館と、そのお部屋!」
「ホテルに浴場を備えるのではなく、温浴施設として分離して運営するスタイルは斬新ですね」
「系列ホテルにも足を運べるとなれば、多種多様の風呂が楽しめるのであろうなぁ」

 嬉しそうに話す一行の会話を後ろで聞きながら、案内してくれるスタッフの女性が俺に声をかけてくる。

「皆さんは、箱根へはご旅行ですか?」
「まぁ、そんな感じですね。皆から、日本の本物の温泉・・・・・に入ってみたいって、何度もせっつかれていたので」

 スタッフの言葉に、俺は首元を掻きながら答えた。
 俺が一度日本に帰り、実家に帰り、お土産を両手にいっぱい抱えてまた神聖クラリス帝国に戻ってから、主要な知り合いにも顔見知り程度の人にも、「今すぐにでも日本の本物の温泉旅館に連れていけ!」と懇願され続けたのだ。
 志木市の実家に帰った際に、両親と土日を使って伊香保温泉まで旅行に行ったのだが、それが帝国の人々には殊更に羨ましかったらしい。
 なので今回、時間の都合を付けられる人を集めて、シュマル王国と新宿区の転移課を経由して日本にいるジーナさんの弟さんに伝言して、ホールを繋いでもらったというわけだ。
 「皆さん、僕の能力を長距離移動サービスか何かと勘違いしていません?」と、チクリと釘を刺されたのはここだけの話。
 話せる範囲内でだけさらっと伝えると、スタッフの女性がその目をにっこりと細めた。

「それはそれは。箱根湯本はおがわの他にも日帰りの温浴施設がたくさんございますし、立ち寄り湯でホテルの内湯に入浴することも出来ます。
 どうぞ、心行くまで箱根の温泉をご堪能下さいね。
 こちらが、皆様にお泊りいただく203号室、8畳二間続きのお部屋となっております」
「「おぉぉ……!」」

 部屋の扉を開けられ、靴を脱いだその先の襖を開けると、広々とした畳敷きの部屋が姿を現した。
 その奥にある窓からは、箱根の山々の風景が広がっている。小高いところに建っているホテルなので、2階とはいえなかなかに見晴らしがいい。
 俺達一同の口から、歓声が上がった。初めて見る畳と和室に、全員興味津々である。

「青草のかぐわしい香り……これがニホンの『畳』の香りですか」
「素晴らしい展望ですなぁ、これほどの眺めが部屋で味わえるとは」
「素足で触れる畳の触感、いいなぁ。カーペットとは違った柔らかさだ」

 部屋の中であちこちに散らばり、周囲の風景や部屋の中の様子を見始める、異世界チェルパの五人。
 その様子を部屋の入り口で目を細めて眺めていたスタッフが、改めて頭を下げた。

「それでは皆様、どうぞごゆっくりお寛ぎくださいませ。何かございましたら、フロントまでお越しください」
「ありがとうございます」

 お礼を述べる俺に柔らかく微笑むと、スタッフは静かに滑らかに、部屋の襖を閉めて去っていった。
 あのスムーズで音を立てない襖の閉め方、さすがプロである。
 部屋をぐるりと回ったアリシアが、閉められた襖を見つつ俺に言葉をかけてくる。

「あのスタッフさん、私達を見ても全然驚きませんでしたね?ニホンって、そんなに異世界から来る人多いんですか?」
「そこそこいるという感じですかね。区役所転移課のマルチェッロさんだって異世界から来た人ですし。いろんな世界と繋がるし、いろんな世界から人がやってくるのは実際あります。
 俺達みたいに「行きたい!」と思った時に何とかすれば来れる・・・のは、とてもレアケースだと思いますけれど」

 アリシアの疑問に、苦笑しながら答える俺だ。
 この地球という惑星の、日本という国においては、異世界からの来訪者はありふれた、とまではいかずとも普通にいる存在だ。
 異世界から迷い込んだ人を支援するための転移課はほぼ全部の市区町村にあるし、異世界の人と地球の人が結婚して、地球出身の異世界種族という人もだいぶ増えた。
 まぁ、俺達はチェルパと地球を直接好き勝手に繋げることの出来る、ジーナさんの弟さんと知り合いだからこうして帰りの心配をせずに温泉旅行に来れているのだが、こういう人はまずいないだろう、あの世界の中にもそんなには。
 視界の先では、クレマン、ジョルジュ、エドマンドが早速服を脱いで、宿に備え付けの浴衣に袖を通している。
 イーナとアリシアも浴衣に興味津々だが、さすがにこの場で着替えさせるのはアレなので、奥の間で襖を閉じて着替えてもらうことにする。
 俺も服を脱いで浴衣に着替えていると、後方から三人分の声がかかった。

「マコト殿マコト殿、どうですか!似合いますか、浴衣!」
「私の浴衣姿はどうかね、おかしくないかね!?」
「おいマコト、これ翼はどっからどうやって出せばいいんだ!?」

 ふくよかな腹を精一杯伸ばしながら自慢げに浴衣姿を見せつけるクレマンと、鬣や胸毛を撫でながら声を上ずらせるジョルジュの隣で、背中部分が大きく膨らんだ状態でわたわたするエドマンドが、俺に揃って視線を投げてきた。
 クレマンとジョルジュはいい具合に着こなせているが、エドマンドは背中の大きな翼が邪魔をして、なかなかちゃんと着れないようだ。

「三人ともよく似合ってると思いますよ。ただ、うん……ジョルジュさん、合わせ方が逆です。あとエドマンドさんは翼は諦めてください」
「なぬっ!?」
「仕舞えっていうのか!?俺のアイデンティティを!!」

 ジョルジュとエドマンドが愕然とする中、奥の間から浴衣に着替えたイーナとアリシアが姿を現した。
 さすが、二人とも「オオゼキ」で着物を着ていることもあり、浴衣を着るのに手間取った様子がない。帯もしっかり締められていた。

「構造上致し方ない部分だと思いましょう。諦めなさい、ニールソン」
「アリシアさんとイーナさんも浴衣は大丈夫そうですね。あとはタオルとバスタオルを持って、と……
 じゃあ行きましょうか、お待ちかねの温泉へ」
「「待ってました!!」」



 併設されている温浴施設「湯の里おがわ」の殿方風呂「鳥の湯」にて。
 洗い場で俺は、クレマン、ジョルジュ、エドマンドに風呂の入り方をレクチャーしていた。

「さてと、基本的な入浴マナーはチェルパの沈み風呂ヴァン・エヴィエと同様ですが、二つ大事なルールがあります。
 一つ、湯船に入る前にかけ湯をすること。一つ、湯船にタオルを付けないこと。
 どちらも、温泉という資源を守るための大事なルールなので、よろしくお願いします」
「オオゼキ殿、身体は先に洗うのかね?」

 俺の説明を受けて、ジョルジュがさっと手を上げた。
 チェルパで一般的な蒸し風呂ヴァン・ヴァポールでは先に身体を温めて、汗を流してから身体を清めるスタイルなので、日本の入浴方法とは逆だ。
 沈み風呂ヴァン・エヴィエもかけ湯はするが、身体を洗うのは湯船に浸かった後なので、言っておかなければならない。

「そうです、頭を洗って身体を洗って、よく流してから湯船に入る。これが基本のスタイルです。
 日本の温泉はこんな風に洗い場が設けられて、シャンプーやリンス、ボディソープが備えられているので、これを使ってください。
 ジョルジュさんは……ボディソープで洗った後に、全身にシャンプーをした方がいいですかね。ふさふさになりますよ」
「なにっ、私の自慢の毛並みがこれ以上良くなるというのか!?」
「はい、多分」

 俺の言葉に、ジョルジュが洗い場の一か所にすぐさま足を向けた。後を追ってクレマンとエドマンドも空いている席へ向かう。
 シャンプーで頭を洗って、ボディソープで身体を洗って、フェイスウォッシュで顔を洗って。
 それら全部を済ませて泡を流しきった頃には、クレマンの鱗はツヤツヤピカピカになっていたし、ジョルジュの全身の毛はサラッサラになった。エドマンドの背中の翼も、シャンプーをしたらかなりふんわりとしているように見える。

「おぉぉ……まさに絹のような手触り、指通り……!実に素晴らしい……」
「よかったなジョルジュ、土産選びに困らなくて済むぞ」
「困らないにしても、定期的にニホンに買いに来なくてはならないではないか!」

 どうやら、ジョルジュがお土産にシャンプーを買うのは既定路線らしい。さもありなん。
 しかして俺達四人は、かけ湯をした後に内湯の大浴場に身を沈めた。
 首から下の全身を包み込む、温かな温泉。優しい圧力に温かさ。ゆったり伸ばした腕や足に、血液が通っていく感覚。
 やはり、たまらない。

「あーー……最高……」
「たまりませんなぁ……」
「うむ、至福の一時である……」
「さすがは温泉の本場、ハコネでございますねぇ……」

 俺以外の三人も、一様に表情がとろけていた。
 程なくしてクレマンとエドマンドの視線が大きな窓の向こう、露天風呂の方へと向けられる。この温浴施設は露天風呂を中心としているようで、内湯はこの大浴場一つと、高温サウナだけ。
 残りの湯船が全部外にある様子に、露天風呂の経験がない二人は興味深そうである。

「それにしても、こうして見るといろんなスタイルのお風呂があるのですなぁ」
「そうですな……屋外にあれほどの湯船を用意しているとは。マコト、何で外にあるんだ?寒くないのか?」

 エドマンドの不思議そうな視線が俺へと向けられた。確かに、今は春先。まだ外の空気はほんのりと肌寒い。
 俺はちょっと口角を持ち上げながら、ゆっくりと湯船から立ち上がった。足を湯船の外へと向けながら疑問に言葉を返す。

「寒いといえば寒いですけれど、それが醍醐味ですからね。それに、外の風景を楽しみながら入るのも、露天風呂の大事な要素ですから」

 親指をくい、と外へ向けると、三人ともが同時に立ち上がった。
 外に繋がる扉を開けて一歩踏み出すと、ひんやりとした石の冷たさが足に伝わる。ペタペタと濡れた足で石畳の床を歩きながら設えられた外湯を見ていくと、これまた三人の興味を強く引く温泉がより取り見取りである。

「おいオオゼキ殿、こちらの風呂は何だ!?泡が勢いよく出ているのだが!?」
「あー、泡風呂ですね。細かい泡をたくさん発生させることで血流をよくして、リラックス効果もあるんですよ」
「こちらも泡が出ていますが……随分と水深が浅いですね」
「ここには仰向けに寝転がって入るんです。寝ころび湯というスタイルです」

 ジョルジュとクレマンは、人工的に泡を噴き出させる泡風呂に興味津々だ。チェルパでは思いもつかない方法であろうから、関心を引くのも無理はない。
 他方、エドマンドは岩場の方から流れ落ちる滝が気になるらしい。声を張って俺に呼びかける。

「おーいマコト、この滝、湯気が立ってるってことはこれも温泉か?」
「そうですそうです、打たせ湯ですね。その滝の下に入ってください」
「下?……うぉっ、痛ぇ!!」

 そう、この滝のように見えるものは源泉を直接流した打たせ湯なんだそうだ。
 俺が指さした滝の下に身体を入れたエドマンドが、結構な水の勢いに体勢を崩しそうになるのを、内心で笑みを浮かべて眺める俺である。
 一通り堪能したところで、露天の岩風呂に四人で入りながら、再度俺達は表情をとろけさせていた。

「いやぁ……まさに新たな世界が拓かれた気分ですなぁ……」
「真に素晴らしい……天国は此処にあった……」
「俺、もうヴェノに帰らないでハコネに住みたい……」

 すっかり日本の温泉の虜になったらしい三人に、俺は小さく笑みを零すのだった。



 一方、奥方風呂「花の湯」では。
 アリシアとイーナが同様に湯船に浸かり、至福の表情を浮かべていた。
 二人が浸かっているのは外湯のジェットバスだ。ジェット水流がところどころで発生し、それが身体に当たることでマッサージ効果とリラックス効果を発生させている。

「あぁ……タサックの万能霊泉ソーマスプリングとも、ヴァンサンの万能霊泉ソーマスプリングとも、全く異なるこの多幸感……
 なんでしょう、新感覚ですね……」
「ほんとですー……身体がほぐれてお湯に溶けてしまいそう……」

 ジェットを背中と腰に当てながら、イーナとアリシアは揃って表情を緩ませきっていた。
 程よい水圧と気泡の刺激、全身を包み込む泡、いずれもチェルパの温泉では味わえないものである。
 うっすらと目を開きながら、アリシアが口を尖らせた。

「マコトさんはこんな温泉を、自分一人であちらこちらで体験していたんですねぇ、なんかずるいです」
「ニホンは、クラリスとは比較にならないほど温泉の数が多く、泉質も様々なんだそうです。楽しみ方も様々あるとか。
 オオゼキさんのように温泉地探索に心血を注ぐような方が出てくるのも、不思議ではないのかもしれません」

 温泉についての知識が元々豊富なイーナが、山の方に視線を向けながら口を開いた。
 この箱根にも、箱根湯本以外にも強羅、小涌谷、芦ノ湖、といった具合で複数の温泉地が存在しているのだ。それぞれについて特色もあり、バリエーション豊かな温泉が楽しめるのは、日本の温泉地の特徴と言えるだろう。
 イーナの発言に頷いたアリシアが、両腕を大きく広げた。

「でも分かりますー、この場所だけでもこんなに!こんなにお風呂があるだなんて!いろんなところ行ってみたくなりますよね!」
「オオゼキは大浴場に湯船が一つだけですからね。
 それがここは、浴場がこんなに広く、形態も様々なお風呂があるだなんて……ヴォコレの主張もその通りかと」

 眼鏡を外したイーナの切れ長の瞳が、柔らかく細められた。
 確かに温泉旅館「オオゼキ」は二種類の源泉を引いてこそいるものの、大浴場は浴槽が一つあるのみ。ここと比べるとどうしても見劣りしてしまう。
 いくら温泉オタクのマコトが監修しているからとは言えども、設備や土地の広さには限界もあるわけで、仕方ないと言えばその通りだ。
 マコト曰く、タサックの源泉の湧出量は日本の有名どころに勝るとも劣らないという話なのだが。

「ここを楽しんだら、マコトさんにお願いして、系列のホテルの大浴場の方にも行ってみたいですね」
「折角お金を払わずに楽しめるというのですからね。楽しまなければ損というものです」

 互いに頷き合った女性二人は。
 再び湯船の縁に身体をもたれさせると、恍惚の表情でジェットバスの屋根を見上げた。
 こちらもこちらで、日本の温泉の虜になった様子である。

「なんというか……凄いですね、ニホンって……」
「まったくその通りです……素晴らしいです……」




「ただいま戻りました」
「お疲れ様です、お二人とも。気持ちよかったですか?」
「最高でした!!」
「イーナ女史を蕩けさせるほどとは、流石であるなぁ、ハコネの温泉は」

 心行くまで温泉を堪能し、身支度を整えて暖簾の外で合流した俺達。
 先に上がってきた男性陣の手には、ペットボトルの冷たい飲み物がある。俺はあらかじめ買っておいたお茶のペットボトルを、イーナとアリシアに手渡した。

「どうぞ、グリーンティーなんで好みに合わないかもしれませんが」
「いえ、ありがとうございます……あら、連合国産のグリーンティーよりも香りが強いですね」
「苦味も程よくて美味しいですー」

 ペットボトルのお~○お茶は、二人の口に合ったようだ。さすが、日本で古くから長期間売り続けられているお茶。
 水分補給を行う面々を、俺はぐるっと見渡す。今は午後4時、チェルパと違って地球は一日が24時間あるのだ。時間はたっぷりある。

「さて、まだ夕食の時間までは間がありますが……皆さん、何がしたいです?」

 告げた俺の言葉に、五人が五人とも飲み物を飲む手を止めた。
 束の間の後に、食いつくようにして俺に顔をぐっと近づけてくる。近い。

「系列ホテルの大浴場にも行きたいです!!」
「ハコネの街も歩いてみたいんですが!!」
「お土産を先に見るのはダメかね!?」
「折角なのでリラグゼーションも受けて、しっかり身体を休めるのもいいかなとは!」
「酒だろ酒!マイシュあるんだろこの辺りにも!?」

 ぐいぐいと俺に接近しながら、口々に自分の希望を主張してくる浴衣姿の異世界人が五人。
 俺は飲みかけのペットボトルのサイダーを手にしたまま、冷や汗を垂らしながら後ずさった。そのまま壁に押し付けられるようになっても尚、彼らの接近と声は止まらない。

「ちょちょ、分かりました、分かりましたから!順番、順番に行きましょう!!」

 悲鳴を上げるように、俺は叫んだ。
 二泊三日の箱根旅行。先導役の俺の心労は、まだまだ軽くなりそうにない。
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