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第4章 温泉旅館に必要なもの
第22話 酒談議なう
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「そうだ、ワインで思い出したんですけれど」
ところ変わらずレストラン「アルジャーノン」の店内にて。
それぞれの食事を食べ終わり、食後の紅茶を飲んでいる時に、俺はふと思い出したように話を切り出した。
「1階のラウンジにバーカウンターを設置して、お酒を提供できるようにしたいなぁと思っているんですけれど、帝国のお酒って何が一般的なんですかね?」
「お酒でございますか。帝国内ですと、やはりヴァインとエールが主流でございますね」
俺の疑問に、クレマンが空になったグラスを指先で撫でながら言った。俺の隣の席でジョルジュも腕を組みながら言う。
「そうさな。神聖クラリス帝国内のあちこちでブドウ畑が広がっている故、ヴァインの生産は国内全土で行われておる。エールも麦畑がある故にな。
後は、北部を中心にリンゴ酒が作られているくらいだろうか?」
「なるほど……シードルかぁ……」
ジョルジュの発言を受けて、俺は思案を巡らせた。ワインだけでなくシードルも楽しめるのなら、大分気軽にお酒だけを味わうことが出来そうだ。
しかし、俺は小さく唸る。
「もっとアルコールの強い酒って、この国には無いんですか?」
「アルコール?……つまり、もっと酒精の強い酒を所望するということかね?」
「いやぁ、さすがにこれらよりも強い酒というのは……国内どころか、大陸全体を見ましても……」
俺の次は、クレマンとジョルジュが揃って唸る番だった。
詳しく話を聞くと、どうやらこの帝国、というよりチェルパという世界には、アルコールを蒸留して度数を高め熟成する、「蒸留酒」というものが存在しないらしい。
カクテルは少数存在するようだが、ワインを飲みやすくするために作られるようで、いわゆるワインカクテルしか存在しないとのこと。
話を聞いて俺はテーブルに突っ伏して頭を抱えた。
蒸留酒の類の一切が存在しない、というより概念がそもそも無いとなると、提供できる酒の種類やバリエーションが想定よりもだいぶ削られてしまう。
だからといって、無いものを自分で作り出そうと言うほど、俺は探究心に溢れた性格をしていないし、そもそも作ったものが受け入れられるかどうかも分からない。
ここは潔く、この国で標準的に飲まれているワインと、シードルを出す形にして、種類を取り揃えるか――そこまで考えたところで、俺はふと顔を上げた。
「そういえば、お米の酒ってこの世界には無いんですか?」
「オコメの酒?オコメとはつまり……南方諸島で主食にされている、あのコメでしょうか?」
「……待てよ。
そういえばクレマン、お前3ヶ月前にアグロ連合国からの客を「紅の紫陽花亭」に泊めた際に、珍しい酒を貰ったと、言ってはおらなんだか?確か、マイシュとかいう……」
クレマンとジョルジュの顔も上がった。三人の視線が交錯する。
次の瞬間、俺達は同時に荒々しく椅子から立ち上がった。クレマンが財布から三人分の食事代とチップを含めた額をテーブルに置くと、足早に出口へと向かう。ジョルジュと僕もその後に続いた。
「急ぎましょう、確かまだ「紅の紫陽花亭」にあったはずです!」
「うむ!あぁデイビッド、実に美味であった。またよろしく頼む!」
「ごちそうさまでした!レストランの件は後日こちらから連絡します!」
「へ、えっ!?あ、はい!またのお越しを!」
俺達の背中に事態を飲み込み切れないデイビッドの声が、「アルジャーノン」の赤い扉がバタンと閉じられる音と重なって消えていった。
後に残されたデイビッドが、俺の言葉の真意を掴み切れなかったようで大きく首を傾げたことを、後日「アルジャーノン」宛てに送付された、オオゼキと正式に契約を結ぶ旨の文書を見て、文字通りに飛び上がったことを、俺は知らない。
ボヌフォア地区の隣にあるヴェシエール地区、ヴェシエール通り。
宿屋チェーン「紫陽花亭」の本店、「紅の紫陽花亭」は、地区の目抜き通りの中でも一際目立つ、5階建てという大きさを誇る超一流の宿屋である。
その宿屋の1階、クレマンの自宅も兼ねる部屋の書斎にて。俺とクレマンとジョルジュは酒の収められた棚を前にして、額を突き合わせていた。
木製の栓がされた、緑色がかったガラス瓶。中に入った透明の液体。力強い筆跡で書かれた、何だかよく分からない文字の印字されたラベルは手漉きの和紙のように、縁が乱れている。
ラベルに翻訳アプリのカメラを向けると、「米酒 あじさい」と表示された。
つまりこれは。
「……日本酒だ」
瓶にスマホのカメラを向けたままぽつりと呟いた俺の顔を、ジョルジュが不思議そうな顔で見つめた。
「ニホンシュ?名称から察するに、ソレーアのニホンにも同じような酒があるのかね?」
「あるらしい。2ヶ月ほど前に、ニホンから来た来訪者にこの瓶を見せたら、マコト殿と同じようにこれを「ニホンシュ」と呼んでいた……」
クレマンがジョルジュの疑問に答えるその間も、俺は瓶を見つめたままで微動だにしない。
日本酒がこの世界にあるのなら。何とかしてタサックまで持ってくることが出来るのなら。あの温泉旅館にこれほど合う酒も無いはずだ。
俺は棚から「あじさい」のガラス瓶を手に取る。瓶の中は肩付近まで液体が入っている。恐らく、いただいてから今までの間にクレマンが少量味わったのだろう。
「クレマンさん、このお酒、飲ませてもらうことって出来ますか?」
「えっ?えぇ、構いませんよ。今、酒器をお持ちします」
バタバタとしながら小さなグラスを棚から取り出すクレマン。俺は手に取ったガラス瓶を両手で持って、書斎真ん中のローテーブルへと運んでいった。
栓を外して、並べられたグラス三つに、半分くらいの量を注ぐ。
グラスを手に取ったジョルジュが、興味深げに中を覗き込みながら口を開いた。
「これは、このまま飲んでもいい酒なのかね?」
「基本的には、室温の状態で飲むんだそうだ。冷やしたり温めたりしてもいいらしいが……まずは、そのままいこう」
クレマンに促され、そうっとグラスに口をつけるジョルジュ。それに合わせるようにして俺もグラスに口を寄せ、中の酒を口の中に含む。
しばらく口の中に留めて、ごくりと飲み込んで、そのまま宙に視線を向けたまま黙りこくった後、俺ははっきりと口にした。
「……やっぱり、日本酒だ」
「むぅ、これは……案外に強いな」
「ヴァインよりも、ぐわっと熱が来ますね」
グラスを手にしたままで口々に感想を言い合う三人。一頻り話したところで、クレマンが口火を切った。
「どうせでしたら、こちらの酒をオオゼキのバーカウンターで提供したいですなぁ」
「俺もそう考えています。米酒って、帝国内でも手に入れることは出来るんでしょうか?」
「帝都の一部の酒問屋で、取り扱っていた覚えがございます。渡りを付けましょう」
俺とクレマンの間で、米酒の調達の話がどんどん展開していく。その横でジョルジュが、「あじさい」の瓶を片手に持って手酌をしていた。
「おっとっと……なかなか、一人で注ぐのは難しいものよな」
「となれば、後は……あっ、ジョルジュお前、こんなに派手にこぼしおって!」
「仕方が無かろう、こんなにグラスが小さいのだ!」
米酒の入ったグラスとボトルを手に、やいのやいの言い始めるクレマンとジョルジュ。書斎の中を、日本酒特有のふくよかな香りが広がっていった。
ところ変わらずレストラン「アルジャーノン」の店内にて。
それぞれの食事を食べ終わり、食後の紅茶を飲んでいる時に、俺はふと思い出したように話を切り出した。
「1階のラウンジにバーカウンターを設置して、お酒を提供できるようにしたいなぁと思っているんですけれど、帝国のお酒って何が一般的なんですかね?」
「お酒でございますか。帝国内ですと、やはりヴァインとエールが主流でございますね」
俺の疑問に、クレマンが空になったグラスを指先で撫でながら言った。俺の隣の席でジョルジュも腕を組みながら言う。
「そうさな。神聖クラリス帝国内のあちこちでブドウ畑が広がっている故、ヴァインの生産は国内全土で行われておる。エールも麦畑がある故にな。
後は、北部を中心にリンゴ酒が作られているくらいだろうか?」
「なるほど……シードルかぁ……」
ジョルジュの発言を受けて、俺は思案を巡らせた。ワインだけでなくシードルも楽しめるのなら、大分気軽にお酒だけを味わうことが出来そうだ。
しかし、俺は小さく唸る。
「もっとアルコールの強い酒って、この国には無いんですか?」
「アルコール?……つまり、もっと酒精の強い酒を所望するということかね?」
「いやぁ、さすがにこれらよりも強い酒というのは……国内どころか、大陸全体を見ましても……」
俺の次は、クレマンとジョルジュが揃って唸る番だった。
詳しく話を聞くと、どうやらこの帝国、というよりチェルパという世界には、アルコールを蒸留して度数を高め熟成する、「蒸留酒」というものが存在しないらしい。
カクテルは少数存在するようだが、ワインを飲みやすくするために作られるようで、いわゆるワインカクテルしか存在しないとのこと。
話を聞いて俺はテーブルに突っ伏して頭を抱えた。
蒸留酒の類の一切が存在しない、というより概念がそもそも無いとなると、提供できる酒の種類やバリエーションが想定よりもだいぶ削られてしまう。
だからといって、無いものを自分で作り出そうと言うほど、俺は探究心に溢れた性格をしていないし、そもそも作ったものが受け入れられるかどうかも分からない。
ここは潔く、この国で標準的に飲まれているワインと、シードルを出す形にして、種類を取り揃えるか――そこまで考えたところで、俺はふと顔を上げた。
「そういえば、お米の酒ってこの世界には無いんですか?」
「オコメの酒?オコメとはつまり……南方諸島で主食にされている、あのコメでしょうか?」
「……待てよ。
そういえばクレマン、お前3ヶ月前にアグロ連合国からの客を「紅の紫陽花亭」に泊めた際に、珍しい酒を貰ったと、言ってはおらなんだか?確か、マイシュとかいう……」
クレマンとジョルジュの顔も上がった。三人の視線が交錯する。
次の瞬間、俺達は同時に荒々しく椅子から立ち上がった。クレマンが財布から三人分の食事代とチップを含めた額をテーブルに置くと、足早に出口へと向かう。ジョルジュと僕もその後に続いた。
「急ぎましょう、確かまだ「紅の紫陽花亭」にあったはずです!」
「うむ!あぁデイビッド、実に美味であった。またよろしく頼む!」
「ごちそうさまでした!レストランの件は後日こちらから連絡します!」
「へ、えっ!?あ、はい!またのお越しを!」
俺達の背中に事態を飲み込み切れないデイビッドの声が、「アルジャーノン」の赤い扉がバタンと閉じられる音と重なって消えていった。
後に残されたデイビッドが、俺の言葉の真意を掴み切れなかったようで大きく首を傾げたことを、後日「アルジャーノン」宛てに送付された、オオゼキと正式に契約を結ぶ旨の文書を見て、文字通りに飛び上がったことを、俺は知らない。
ボヌフォア地区の隣にあるヴェシエール地区、ヴェシエール通り。
宿屋チェーン「紫陽花亭」の本店、「紅の紫陽花亭」は、地区の目抜き通りの中でも一際目立つ、5階建てという大きさを誇る超一流の宿屋である。
その宿屋の1階、クレマンの自宅も兼ねる部屋の書斎にて。俺とクレマンとジョルジュは酒の収められた棚を前にして、額を突き合わせていた。
木製の栓がされた、緑色がかったガラス瓶。中に入った透明の液体。力強い筆跡で書かれた、何だかよく分からない文字の印字されたラベルは手漉きの和紙のように、縁が乱れている。
ラベルに翻訳アプリのカメラを向けると、「米酒 あじさい」と表示された。
つまりこれは。
「……日本酒だ」
瓶にスマホのカメラを向けたままぽつりと呟いた俺の顔を、ジョルジュが不思議そうな顔で見つめた。
「ニホンシュ?名称から察するに、ソレーアのニホンにも同じような酒があるのかね?」
「あるらしい。2ヶ月ほど前に、ニホンから来た来訪者にこの瓶を見せたら、マコト殿と同じようにこれを「ニホンシュ」と呼んでいた……」
クレマンがジョルジュの疑問に答えるその間も、俺は瓶を見つめたままで微動だにしない。
日本酒がこの世界にあるのなら。何とかしてタサックまで持ってくることが出来るのなら。あの温泉旅館にこれほど合う酒も無いはずだ。
俺は棚から「あじさい」のガラス瓶を手に取る。瓶の中は肩付近まで液体が入っている。恐らく、いただいてから今までの間にクレマンが少量味わったのだろう。
「クレマンさん、このお酒、飲ませてもらうことって出来ますか?」
「えっ?えぇ、構いませんよ。今、酒器をお持ちします」
バタバタとしながら小さなグラスを棚から取り出すクレマン。俺は手に取ったガラス瓶を両手で持って、書斎真ん中のローテーブルへと運んでいった。
栓を外して、並べられたグラス三つに、半分くらいの量を注ぐ。
グラスを手に取ったジョルジュが、興味深げに中を覗き込みながら口を開いた。
「これは、このまま飲んでもいい酒なのかね?」
「基本的には、室温の状態で飲むんだそうだ。冷やしたり温めたりしてもいいらしいが……まずは、そのままいこう」
クレマンに促され、そうっとグラスに口をつけるジョルジュ。それに合わせるようにして俺もグラスに口を寄せ、中の酒を口の中に含む。
しばらく口の中に留めて、ごくりと飲み込んで、そのまま宙に視線を向けたまま黙りこくった後、俺ははっきりと口にした。
「……やっぱり、日本酒だ」
「むぅ、これは……案外に強いな」
「ヴァインよりも、ぐわっと熱が来ますね」
グラスを手にしたままで口々に感想を言い合う三人。一頻り話したところで、クレマンが口火を切った。
「どうせでしたら、こちらの酒をオオゼキのバーカウンターで提供したいですなぁ」
「俺もそう考えています。米酒って、帝国内でも手に入れることは出来るんでしょうか?」
「帝都の一部の酒問屋で、取り扱っていた覚えがございます。渡りを付けましょう」
俺とクレマンの間で、米酒の調達の話がどんどん展開していく。その横でジョルジュが、「あじさい」の瓶を片手に持って手酌をしていた。
「おっとっと……なかなか、一人で注ぐのは難しいものよな」
「となれば、後は……あっ、ジョルジュお前、こんなに派手にこぼしおって!」
「仕方が無かろう、こんなにグラスが小さいのだ!」
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