文系ドラゴン、旅に出る~老竜と行く諸国漫遊詩歌の旅~

八百十三

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第一章 出立

第三話 最初の一作

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 屋敷のメイドたちに見送られ、マルクスをその背に跨らせたオーケビョルンは空へと飛びあがった。
 ゆったり飛んでだいたい五分。ルーテンバリの街並みが視界に入ってきた。

「まずはここからじゃな」
「ああ。僕の仕事のこともある、村長にも話をしておこう」

 そう言葉を交わしながら、マルクスはマントの襟を直した。
 ドラゴンが飛ぶ高さは、実はそんなに高くない。大体が高度三十メートル、長い距離を飛ぶときでも高度五十メートルがせいぜいだ。今回みたいに飛ぶ距離が短い時には、もっと低いところを飛ぶことも多い。
 ただしそれでも、空の上。寒いものは寒いので防寒具は欠かせない。
 さすがにルーテンバリの塀の中に降りるわけにはいかないので、オーケビョルンは塀の外、開けた草地の上にゆっくりと着地した。ばさり、と翼を羽搏かせて柔らかく降り立てば、周囲に幾らかの風こそ起こってしまうがマルクスに衝撃は伝わらない。
 マルクスを前脚を階段代わりにして地面に下ろすと、オーケビョルンはぐっと身を低くした。

「お主は村長の家に向かうのかの?」
「そうするよ。君はどうする?早速創作に入るかい」
「うむ、そのつもりじゃが……おっ」

 顔を地面近くまで寄せながら話していた老竜が、唐突に顔を持ち上げた。
 視線が向くのは村の入り口、塀に取り付けられた石造りの門だ。その門の中から大人も子供も、村に住む人々が次々に姿を見せ、オーケビョルンへと駆け寄ってくる。

「賢竜様だ!」
「賢竜様がお見えになられた!」
「お久しぶりです、賢竜様!」
「おうおう、久しぶりじゃのう皆の衆。長いこと顔を見せんようにいたから、お互い随分年を食ったの」

 口々に賢竜様、賢竜様と口にしながらオーケビョルンを取り囲む村人たち。彼がどれだけ村の住人に慕われているのかが、よく分かる場面だ。
 子供たちなどはオーケビョルンの尻尾や前脚に飛びついては、きゃっきゃとはしゃいだ声を上げている。
 にっこりと微笑み、目を細めた老竜の前に、一歩進み出たのは一人の人間女性だ。彼女を挟むようにして、十歳くらいの年頃の息子を二人連れている。

「はい、前回お越し下さったのは十二年も前でしたでしょうか……賢竜様に名を授けていただいた我が子らも、こんなに大きくなりました」
「おぉ、あの時の双子か。元気に育っているようじゃの、よしよし」
「えへへ……」

 自身が「イェルハルド」「アルヴィド」という名を授けた人間の子供の頭に、優しくそうっと頬を摺り寄せると、二人が二人ともくすぐったそうに笑った。
 本当は頭を撫でてやりたいところだが、竜の手では一歩間違ったら首を刎ねかねない。これだけ人が集まっている中で変化の魔法を使って、咆哮を轟かせるわけにもいかない。
 結局、いつもの巨体で村人にもみくちゃにされるオーケビョルンをそのままに、マルクスが人波をかき分けるようにして村の門の方に歩いて行った。

「それじゃ僕は村の中に行ってるよ」
「うむ」

 さっとこちらに手を挙げて村の中に入っていくマルクスをオーケビョルンが見送ると、双子を連れた女性がオーケビョルンの胡桃色の目を見上げて首を傾げた。

「マルクス先生は村長様にご用事ですか?」
「うむ、実はな……わしとマルクスは、しばらくスヴェドボリ山を離れ、旅をすることにしたのじゃ」

 故に挨拶と、その旅の目的である詩の制作を、ということを言い切る前に。村人が一斉に驚きと落胆の声を上げた。

「「えーーーーっ!?」」
「賢竜様が御山を離れるだなんて……」
「どうしよう……賢竜様がいない間に御山がお怒りになったら……」
「麦畑が獣に荒らされたらどうしよう……」

 やれ山に住む獣の脅威がどうだ、やれ村にやってくる商人の安全がどうだ、とあれやこれやと心配事を漏らし始める村人に、オーケビョルンはまさしく開いた口が塞がらなかった。
 自分の不在で、なんでここまで話が大きくなってしまっているのか、皆目見当がつかない。
 いや、「御山の守り神」などと言われていることは知っているし、その「守り神」が山を離れたら人間がまずく思うのも知ってはいるが。そこまでのことだろうか。
 ふと、視線が向いたのは双子の母親である人間女性だ。双子は彼女の手を離れ、自分の足にくっついている。ぐっと顔を近づけて、ぼそりと小さく言葉を投げかけた。

「のう、エリーヌ」
「はい、なんでございましょう」
「わしのこと、村人や子供たちにどう伝わっておるんじゃ?」

 多分、随分眉間にしわが寄っているんだろうと思いながら、オーケビョルンが問いかけると。エリーヌと呼ばれた彼女はにっこり微笑みながら、それこそ何の邪心もなさそうにこう言った。

「それは勿論、古くから御山に住んでいらして、御山と御山周辺の村々を守ってくださっている、民と鳥を愛する心の優しいドラゴンだと、子供たちに教えておりますよ。他の村民もそうではないでしょうか」
「うむ、あい分かった。ある意味でひとっつも間違っておらんから始末が悪いやつじゃな」

 がっくり脱力して顎を地面に付けるオーケビョルンだ。
 何も間違っていない。すべて正しい。それ故に否定しようにも「でも実際にそうされて来たじゃないですか」と返されて終わりだ。前提が違うから話が噛み合わないのが自明の理である。
 こんなことならもっと、山の周辺以外にも足を運んでくるべきじゃったかなー、などと脳内で零しつつ、オーケビョルンは自分の足に縋ってくる双子に視線を向けた。

「これ、イェルハルドもアルヴィドもわしの足に縋り付くでない」
「いやだー」
「賢竜様行っちゃやだー」

 二人とも、目に涙をいっぱいに溜めている。無理もない、自分の名付け親で、生まれた時から傍で見守ってきたような存在だ。直接対面したのは今日が二度目だけれど。
 自分を取り囲んで額を突き合わせる大人たちにも聞こえるようにして、オーケビョルンは双子に視線を向けつつ声を張った。

「いいか皆の衆、二人も。わしは別に、お主らも、山周辺の村も捨てて去り行くわけではないのじゃぞ」
「ほんと?」

 オーケビョルンの大きな爪に手をかけたまま、老竜の頭を見上げてくる双子だ。他の村人も全員が輪の中心にいるオーケビョルンに視線を向けている。
 それを確認して、彼はこくりと頷いた。

「本当だとも。わしだって今更、あの住み慣れた洞窟を離れようなどと思わんわ。
 ただな、わしもいい加減山に篭もるのに飽いた。ちょっと息抜きが必要なのじゃよ。二人も、ルーテンバリの塀の外に一歩も出られない日がずーっと続いたらつまらんじゃろ?」
「つまんない……」
「遊びに行きたいよね」
「そうじゃろ?わしもそうじゃ」

 本当は、大スランプに陥ったから気分転換とインスピレーション獲得のために旅行に出かけるのだが、そこは嘘も方便というやつだ。こういう話は他人から如何に共感を得ることが出来るかが重要なのは、よくよく知っている文筆家の彼である。

「しかし……んー、そうじゃな。何もしないで旅行に出てしまうのも気が引けるのは事実じゃし。よし、ちょっと待っておれ。ほら、皆離れなさい」
「賢竜様?」

 小さく唸り声を漏らすと、老竜は自分にくっついてくる子供たちに距離を取らせ、彼はふわりと静かに飛び上がった。そのままスヴェドボリ山の方に向かって飛んでいく。
 村人が頭に疑問符を浮かべながら顔を見合わせること数分。やがて山の方から戻ってきたオーケビョルンは地面に降りると、その前脚で掴んでいたものをどすん、と地響きを立てながら地面に下ろした。

「よいしょ……っと。こんなもんでよかろう」
「わっ、すごい……!」
「御山の岩だ!」

 子供たちが口々に歓声を上げる。
 オーケビョルンが運んできたのは、スヴェドボリ山周辺で産出される花崗岩だ。バーリ石とも呼ばれるその良質な石材は、ルーテンバリなどの村々にとって、貴重な収入源となっている。
 その岩を、彼は持ってきたのだ。

「うむ、山の近くまで行って手頃な岩を拾って来たんじゃ。ほれ、危ないからどいていなさい」

 そう言うと、岩の表面が平らなところを自分に向けるようにして、彼は地面に伏せて腹をつけた。表面に自分の爪を立てて、ガリガリと引っ掻き始める。

「賢竜様、何書いてるの?」
「僕知ってる、村の広場に置いてある石板に書いてある字とおんなじだ」

 オーケビョルンの手元を見上げる双子が、まるで木の板を彫刻刀で削るように容易く刻みを入れていく彼の手を驚きに満ちた目で見ていた。
 他の村人たちも、老竜が岩に文字を刻んでいくのをじっと見つめている。
 彼らの母親であるエリーヌが、そっと息子たちの肩を抱きながら優しく語り掛ける。

「そうよ二人とも。二人が生まれるずっと前……お母さんが生まれる前から広場に置かれているあの石板は、賢竜様が書かれたものなのよ」
「えっ!?」
「そうなの!?」

 母親から告げられた事実に、双子の目が大きく見開かれた。
 ルーテンバリの広場に置かれている石板は、かつてオーケビョルンが手ずから書いた生原稿の石板だ。
 まだ村が出来上がって間もない頃、「人が集まる場所に石板でも置いとった方が集まりやすかろう」と寄贈したものである。それがまさか、広く出版されて人々に読まれた物語の一節とは、当時の村人が知る由もない。今住んでいる人々なら猶の事だ。

「まぁのう。と言ってもあれはわしが昔に書いた物語の一節なんじゃがな。なんぞ、村では『魔法の石板だ』だの『村が繁栄する礎だ』だのと言われておるようじゃが」
竜語ドラゴニーズは言葉自体に力があります。そう思われるのも当然のことかと思われますわ」

 詩を刻みながら愚痴を零すオーケビョルンに、エリーヌが苦笑しながら返した。
 竜語ドラゴニーズ、およびそれに用いられる爪文字は、言葉や文字そのものに力が宿っている、とは人々の広く知るところである。
 ドラゴンはその咆哮を以て嵐を起こし、魔法を操り、人に化けてみせる。実際は竜語魔法を用いて魔法を発動させているにしても、力を持つ言葉であるのは確かなところだ。
 詩をどんどん書き進めていくオーケビョルンが、嘆息しながら大きな口を開く。

「そうじゃなー、わしの書いた物語や詩が、アミュレットに刻まれる聖句として切り売りされとることを知った時は、どうしたものかと思うたわ。
 わしの書いたものなんぞ、ご利益も何もないと思うんじゃが……ま、現物を書きながら言うことでもないか。よし、こんなもんじゃろ」

 末尾に自分の名前を爪文字で刻みこみ、ようやく岩から手を放したオーケビョルンが、手をパンパンとはたいた。
 見上げるほどの巨岩に、一文字一文字が人間の顔と同じくらいのサイズがある爪文字で書かれた、作家「オーケビョルン・ド・スヴェドボリ」の詩。
 その書きたてほやほやの作品が、そこに鎮座していた。

「すごーい!」
「ねえねえ賢竜様、なんて書いてあるの!?」
「まぁ待て待て、今から読むゆえ、焦らさず聞くんじゃ」

 興奮して岩を見上げる双子を制しながら、オーケビョルンはにっこりと微笑んだ。
 そうして老竜は、淀みの無いアッシュナー共通語で、朗々と自身の詩を紡ぐ。

 ――その青き空に鳥が舞う時、人は広き大地から高き空を見るだろう。
   空にある太陽は眩き光を届け、夜には満月が優しく人々を見下ろす。
   ルーテンバリ、その雄大な山に抱かれた恵みの地。
   山の麓で懸命に生きる人々の上に、大いなる恵みのあらんことを。――

 詠みあげられる詩を聞きながら、村人たちの表情が一気に明るく、頬に熱を帯びるのが見て取れた。
 竜語で詠んでもよかったのだが、それだと意味も何も人々には伝わらない。それゆえの、アッシュナー共通語だ。
 詠み終えて、彼は口角をぐいと持ち上げた。その表情は実に自慢げだ。

「どうじゃ?」
「すごい!賢竜様すごい!」
「賢竜様の詩を生で聞くことが出来るなんて……こんなに嬉しいことはありませんわ。村の実りも、これで安泰でしょう」

 興奮する村人たち、そして村の子供たち。
 エリーヌなどは感動のあまりか、両手をぐっと握って目を潤ませている。
 その何とも、大げさにも思えるほどの反応に、彼は恥ずかしそうに視線を逸らした。

「よさんか、くすぐったい。思ったままを書いたまでじゃ……おっと」
「おや、オーケビョルン。早速一作目を披露したのかい?ちょっと待ってくれ、書き写すから」
「なんじゃったらもう一度読んで聞かせようか、マルクスや」

 先程詠みあげたものを聞きつけたのだろう、こちらに駆けて戻ってくるマルクスの姿に、オーケビョルンが首を小さく傾げた。
 早速鞄から紙とペンを取り出し、老竜が岩に刻んだ詩を書き写すマルクスに声をかけるも、友人は反応を見せない。書きとることに集中している様子だ。
 その一心不乱にペンを走らせる姿に苦笑しながら、オーケビョルンはマルクスから遅れてやって来た、ルーテンバリの村長の老人へと視線を向けた。

「ま、よいか。村長、この岩は詩碑としてここに置かせてもらっても構わんかの?」
「勿論でございます!ありがたや……これで村もますます潤うことでしょう」
「うむ、それならいいんじゃ。お主らの方で大陸文字での訳文も刻んでおいてくれ、石工の仕事にもなるじゃろ。
 訳文は……わしがさっき自分で読んだのを聞いておるじゃろうから、いらんな?」

 自分を拝んでくる村長から視線を外して、ぐるりと周りを見渡すと、村人がこくこくと頷いた。中には手に紙と硬筆を持ち、先程詠んだオーケビョルンの言葉を書き留めていた者もいる。
 実際、オーケビョルンに出来るのは竜語で岩に詩を刻むまで。その詩を大陸文字で刻んで人々が読めるようにするのは、町や村の石工の仕事だ。
 詩をアッシュナー共通語で読むために訳し、それを人々が読めるように大陸文字に変換するのがマルクスの役目だが、別にオーケビョルンは共通語を話せないわけではない。こうして、自分で共通語で詩を伝えることも出来るのである。
 詩を書き取ったマルクスが、苦笑しながら顔を上げて老竜を見やった。

「オーケビョルン自身で詠まれると僕の出番が無くなってしまうが、まぁ、いいか。人のいるところに建てた詩碑なら訳文は必要だ」
「なんじゃったらお主が、自分で碑に訳文を刻むかの?」
「勘弁してくれ、僕は鑿とハンマーを使うのが大の苦手なんだ」

 困ったように声を上げるマルクスに、思わず老竜が笑みを零すと。
 まずは子供たちから、次いで大人から、どんどん笑い声が広がっていく。
 そうして未だ陽の高いルーテンバリの村の外で、楽し気な笑い声が響く中。
 遠くの空でドラゴンが咆哮する、低く太い声が響いたのであった。
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