上 下
29 / 38
第3章 魔法

第26話 見えた光

しおりを挟む
 変身させてもらってから、ラーシュやクート、助手の三人やその使い魔達と雑談をして、二時間くらいが経った頃だろうか。
 急に、本当に急に俺は言い知れぬ不安に襲われて、レオンのシャツの襟元えりもとをぎゅっと握りしめてすがった。

「んぅ……れおん」
「ニル?」

 不安そうに服を握り締め、顔を胸に寄せてくる俺に、レオンが怪訝そうな声をかけてくる。
 そんな主人を見上げながら、俺は目を潤ませて必死に呼びかけた。

「れおん、おれは……ここにいるか? ちゃんといるか?」
「突然何を――」

 俺の発した、ともすれば当たり前のことを言うな、と一笑に付されそうな言葉。
 それを聞いてますますきょとんとなるレオンだが、それより早く動き出したのはラーシュだった。レオンにしがみつく俺の顔を両手で挟んで、ぐっと自分の方に向けさせる。

「レオン、待って。ニル、こっちを向いて、僕の目を見るんだ」
「らーしゅ?」

 突然顔を別の方に向けられた俺が、目の端に涙を溜めながらラーシュを見つめる。そんな俺の目をまっすぐに見て、ぐっと顔を近づけながら、彼は早口でまくし立ててきた。

「いいかい、君は間違いなくシトリンカーバンクルだ。よく思い出してごらん、君はレオンの右肩の上に乗って、ここにやって来た。そうだろう?」
「あ……うう……」

 その強い口調の言葉を聞いて、圧倒されながら言葉を漏らす。ラーシュを見つめたまま、俺の身体の震えが徐々に止まっていく。
 それを確認した彼が、俺の額に向けて手をかざした。

「よし、そのまま。動かないで……」

 彼が言葉を発しながら目を閉じると、その手のひらから俺に向かって魔力が流れ込んできた。魔力式が動作し、俺の身体が再び光に包まれる。
 そして程なくして、俺の身体は再び小さくなり、元のシトリンカーバンクルへと戻っていた。

「キュ……アウ……(う……あ……)」
「変化が……解けた? ラーシュ様、今のは」

 元の姿に戻り、レオンの膝の上で縮こまる俺。そんな俺に恐る恐る手を伸ばしたレオンが、状況を飲み込み切れないままにラーシュに問いかけると、彼はゆるゆると頭を振った。

「限界が来たみたいだ。やっぱり、他人を無理やり変化させると、精神への負担が大きいね。こっちで解除させてもらったよ」

 彼はそう言って、小さく震える俺の身体を見つめた。
 視線は感じるが、怖さが先行して顔を上げられない。自分の身体に顔を埋めるので、俺は精一杯だった。そんな俺の耳に、ラーシュの説明する声が聞こえる。

「変化に慣れていないと、今みたいに存在の『揺らぎ』が起こるんだ。自分は誰なのか、本当にこの場にいるのか、どうしてこの場にいるのか……そう言った情報が正確に認識できなくなる……その結果、さっきみたいに強烈な不安に襲われる」

 彼曰く、元々変化魔法は自分の存在と言うものが危うくなるため、精神に負担がかかる魔法なのだそうだ。それが他人の手によって為されるために、自分自身に魔法をかけるよりも負担が大きいのだという。
 なるほど、道理で。確かに先程のは、俺と言う生き物の在り方が、さっぱり分からなくなる感覚だった。

『レオン……俺、怖かった……俺が俺じゃなかったみたいだ……』
『ニル……もう、大丈夫だ』

 レオンに念話を飛ばしながら、俺は彼の体温を感じられるように顔を擦り付ける。こうしていると本当に小動物のようだろうが、それが一番安心できる以上、しょうがない。
 ラーシュの手が、俺へと伸びる。俺の頭を優しく撫でながら、彼は言った。

「大丈夫かい、ニル? 怖かったね」
『ラーシュ……』

 穏やかな声色で俺の頭の毛並みを撫でるラーシュに、念話で返事を返す。温かく、優しい。その手つきは本当に心が安らいでいくものだ。
 撫でる手を止めないまま、彼は俺へと語り掛けた。

「分かったかい? あれが、変化するってことだ。変化する前の自分のことをしっかり認識し、保っていないと、容易く心が壊れてしまう。だから、難しいんだ。変化する前のことをすっぱり忘れられる転生魔法パティヤなら、こういうことにはならない……まぁ、忘れても支障がないだけで記憶には残るから、どの道ダメージは負うけどね」
『そうか……そうだよな……』

 その優しくも厳しい言葉に、俺は魔法の難しさと、恐ろしさを実感する。
 自分が自分でなくなる魔法が、これほど精神にダメージを与えることになるとは。それは、魔物化が刑罰として成立しうるわけだ。あとで元の姿に戻れる変化魔法ですら、ここまで心に来るのだから。
 俺の身体の震えが徐々に収まるのを見て、ラーシュがふっと息を吐く。そして俺の額に埋まった魔石を指先で撫でた彼が、柔らかく笑いながら言った。

「とりあえず、感覚はいくらか掴めたと思う。あとは変化を維持する練習と、自力で変化できるように練習して行こう。他の皆とも協力していけば、君ならすぐに習得できるはずだ」
『……分かった』

 その言葉に、こくりと頷く。変身する、という感覚は掴めた。あとは変身する過程の感覚と、変身した後の感覚を、なぞっていけばイメージが出来そうだ。
 気づけばもうとっぷりと日が暮れて、研究室の窓から二つの月が空高く昇っているのが見えた。時刻的には、夜中に差し掛かっているだろう。

「うん。さて、そろそろ夜も遅い。今日はこの辺で終わりにしよう。明日また、レオンと一緒にここにおいで」
『ああ……ありがとう、ラーシュ、クートも』
「ありがとうございます、皆」

 彼の言葉に頷いて、研究班の面々に視線を向けながらレオンが立ち上がった。
 フォンスも、マティルダも、パウリーナも、揃ってこちらに笑顔を向けながら言葉を投げてくれる。

「うん、頑張っていこうね、ニル」
「あんたならきっとうまくやれるわ、自分をしっかり持ってね!」
楽園パラディーサヤで自由を得ること……あの、応援してます、私も」

 三人の応援の言葉に、勇気づけられて。そこからラーシュとクートに目を向ければ、一人と一匹がこくりと頷いて。クートが自分の胸に手を当てながら、しっかと答えた。

「はい、一緒に頑張っていきましょう、ニル。僕も出来る限り協力します」
『ありがとう……よろしく頼む』

 クートの優しい言葉に、俺も小さく頷きを返す。やり取りが済んだことを確認したラーシュが、くるりとこちらに背を向けた。そのまま、研究室の外に向かって足を進める。

「じゃ、研究棟の外まで送るよ。おいで、二人とも」

 彼の言葉に従って、俺とレオンは研究室を後にした。
 そこから、ラーシュの後について昇降機に乗り、下の階についたら渡り廊下に出て、『正義の壁』の前まで来て。
 そして研究棟の外に出るために結界を解く……と言うところで。ラーシュがふと、足を止めて俺を見た。

「ニル……いや、ニラノ・タイセイ」
『うん?』

 真剣な声色で、敢えて俺の本来の名前で、呼びかけてくるラーシュ。何事か、と顔を上げると、彼は笑顔を消して、真っすぐに俺を見ながら口を開いた。

「君には、まだまだ君の知らない秘密があるはずだ。封印解除の魔力式のこと、君の人格にかけられた保護のこと、君の変化させられた元の肉体が内包していた魔力式のこと……君の『』のこと」

 彼の言葉に、俺は目を見張る。
 確かに、俺自身には分からないことが、まだまだある。どうしてディーデリックの手を以てしても人格を消されなかったのか。どうして俺の身体が変化した魔石には、封印解除の魔力式が内包されているのか。
 それはきっと、魔法の専門家であるラーシュにもすぐには分からないことなのだろう。分からないからこそ、彼は俺に手を貸してくれているのだろう。

『ラーシュには、俺は、そんなに秘密を抱えているように見えるのか?』
「うん。どう見ても不可解なんだ、君の魔力式の動きも、魔力の動きも。絶対に何か、君には君の知らない真実が隠されていると見ている」

 俺の疑問の声にも頷きながら、彼は話す。結界の中、研究棟の中だからこそ、あけすけに、隠さずに。
 そして、そこまで話して。彼はもう一度、俺の頭を優しく撫でた。

「でもね、ニラノ。その秘密が、その真実こそが、きっと君を生かし、君を唯一無二の存在へと押し上げた。ディーデリック老の魔法すらも跳ね除けた。君はきっと、君自身が思っているほど、取るに足らない人間じゃないはずなんだ」

 きっと、とは言っているものの、ラーシュの言葉には力が籠もっていた。彼自身、ある程度の確信は出来ているのだろう。
 俺の持つ『秘密』とやらが、俺の人格を守り、ディーデリックの魔法から守った。そして、俺に仲間を救う力を与えた。
 それはきっと、俺以外には出来ないことなのだ。

『……ラーシュ』
「……ラーシュ様」

 思わず思念が漏れる。レオンも言葉が漏れたようだ。ほぼ同時に、ラーシュ・シェルの名前を呼ぶ。
 第四席を戴く、「薄明の旅団」随一の研究者は、俺達二人を見つめて、力強く頷いた。

「だから、ニラノも、レオンも。君達は強硬派に屈しちゃならない。屈しそうになったら僕や、カトーや、カスペルを目一杯頼っていい。僕達は君達の力になる。君達が楽園パラディーサヤに到った時、自由を手にすることが出来るように力を尽くす」

 そう話しながら、彼は身を起こす。俺の頭から手を放して、右手を握って胸に当てる……敬礼の姿勢を取って、宣言する。
 彼の取り得る最大級の敬意を俺達に示しながら、ラーシュが笑った。

「僕達はもう、志を共にする仲間なんだ……そうだろ?」

 その言葉に、胸の内から熱いものが込み上げてくる思いがあった。
 この男は、思っていたよりもずっと、大人で、熱意に溢れていて、優しい人物だ。今ならそう思える。
 レオンが俺の身体を、自分の左肩へと移す。そうして両手を空けてから、彼も自分の左胸に、握った拳を押し当てた。

「……ありがとう、ございます」
「ア……アイ、アト」
「んん?」

 俺も、鳴くしかできない魔物の喉を何とか動かし、礼の言葉らしいものをひねり出す。先程の変化魔法でヴァグヤ語の発声はいくらか練習できた。それっぽく言えた気もするが、まぁ、犬や猫が人間の言葉を真似るのと大差ないだろう。
 とはいえレオンもラーシュも、俺のこの行動は予想外だったようで。目を見開きながら次々俺の身体をつつき始めた。

「おいニル、お前、シトリンカーバンクルの状態でもヴァグヤ語喋れるなんて聞いていないぞ」
『俺だって知るもんか、というか今のは喋った判定になるのかよ』
「いや、レオン、気持ちは分かる。気持ちは分かるけどさ。今のを喋ったと認めるのは無理があるよ。それっぽく聞こえただけだよ」

 結界の内側の廊下で再び言葉を交わし合うレオン、ラーシュ、俺。
 思っていた以上に濃密で、内容の濃い夜を過ごした俺達は、今から明日の朝が待ち遠しくて仕方なくなりながら、その一日を終えるのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

天日ノ艦隊 〜こちら大和型戦艦、異世界にて出陣ス!〜 

八風ゆず
ファンタジー
時は1950年。 第一次世界大戦にあった「もう一つの可能性」が実現した世界線。1950年4月7日、合同演習をする為航行中、大和型戦艦三隻が同時に左舷に転覆した。 大和型三隻は沈没した……、と思われた。 だが、目覚めた先には我々が居た世界とは違った。 大海原が広がり、見たことのない数多の国が支配者する世界だった。 祖国へ帰るため、大海原が広がる異世界を旅する大和型三隻と別世界の艦船達との異世界戦記。 ※異世界転移が何番煎じか分からないですが、書きたいのでかいています! 面白いと思ったらブックマーク、感想、評価お願いします!!※ ※戦艦など知らない人も楽しめるため、解説などを出し努力しております。是非是非「知識がなく、楽しんで読めるかな……」っと思ってる方も読んでみてください!※

分析スキルで美少女たちの恥ずかしい秘密が見えちゃう異世界生活

SenY
ファンタジー
"分析"スキルを持って異世界に転生した主人公は、相手の力量を正確に見極めて勝てる相手にだけ確実に勝つスタイルで短期間に一財を為すことに成功する。 クエスト報酬で豪邸を手に入れたはいいものの一人で暮らすには広すぎると悩んでいた主人公。そんな彼が友人の勧めで奴隷市場を訪れ、記憶喪失の美少女奴隷ルナを購入したことから、物語は動き始める。 これまで危ない敵から逃げたり弱そうな敵をボコるのにばかり"分析"を活用していた主人公が、そのスキルを美少女の恥ずかしい秘密を覗くことにも使い始めるちょっとエッチなハーレム系ラブコメ。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

日本帝国陸海軍 混成異世界根拠地隊

北鴨梨
ファンタジー
太平洋戦争も終盤に近付いた1944(昭和19)年末、日本海軍が特攻作戦のため終結させた南方の小規模な空母機動部隊、北方の輸送兼対潜掃討部隊、小笠原増援輸送部隊が突如として消失し、異世界へ転移した。米軍相手には苦戦続きの彼らが、航空戦力と火力、機動力を生かして他を圧倒し、図らずも異世界最強の軍隊となってしまい、その情勢に大きく関わって引っ掻き回すことになる。

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~

いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。 他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。 「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。 しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。 1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化! 自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働! 「転移者が世界を良くする?」 「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」 追放された少年の第2の人生が、始まる――! ※本作品は他サイト様でも掲載中です。

異世界エステ〜チートスキル『エステ』で美少女たちをマッサージしていたら、いつの間にか裏社会をも支配する異世界の帝王になっていた件〜

福寿草真
ファンタジー
【Sランク冒険者を、お姫様を、オイルマッサージでトロトロにして成り上がり!?】 何の取り柄もないごく普通のアラサー、安間想介はある日唐突に異世界転移をしてしまう。 魔物や魔法が存在するありふれたファンタジー世界で想介が神様からもらったチートスキルは最強の戦闘系スキル……ではなく、『エステ』スキルという前代未聞の力で!? これはごく普通の男がエステ店を開き、オイルマッサージで沢山の異世界女性をトロトロにしながら、瞬く間に成り上がっていく物語。 スキル『エステ』は成長すると、マッサージを行うだけで体力回復、病気の治療、バフが発生するなど様々な効果が出てくるチートスキルです。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

性転換マッサージ2

廣瀬純一
ファンタジー
性転換マッサージに通う夫婦の話

処理中です...