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第3章 魔法

第21話 山野美鈴

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 俺はラーシュの前に座った状態で、自分がどうやってそう・・しているか、解説をしていた。
 既に彼の周囲には、作業の手を止めたフォンス、マティルダ、パウリーナの三人と、彼らの使い魔たちも集まってきている。俺から念話は繋いでいないが、ラーシュが経由してくれているらしい。

『どうやら俺は、俺がその相手の人間だった頃の名前を憶えていて、その相手が俺の人間だった頃の名前を知って、俺の額の魔石に触れさせることで、相手の人格の封印を解くことが出来るらしい。既に三人、そのやり方で封印を解いてきた』

 俺の発言に、ラーシュの背後に立つ三人ともが息を呑んだ。やはり、衝撃は受けるようで。
 そんな音を背後に聞きながら、研究室の主は大きな耳をぴこりと動かし腕を組む。

「なるほどねぇ。興味深い話だ……それで、封印を解いた後はどうなったんだい?」

 短く言って、先を促すラーシュ。それに対して俺は、両の前脚を自分の顔の前に掲げた。それを片方ずつ下げながら、説明を続ける。

『人間の人格と、封印してから構築された魔物の人格が、統合されるらしい。魔物としての性格が表に出たり、逆に人間としての性格が表に出たり、いろいろだ』
「へぇー。それはまた面白い。上書きして塗り替えたりはしないのか」

 俺の説明に、大きく感心しながらラーシュが笑う。彼の反応に頷いて、俺は思考をどんどん走らせた。

『らしいな。あと、記憶が主軸になる人格に合わせて改竄されることもあるらしくて……カスペルについてるルイザは、人間だった頃のことを覚えているけど、自分が元から魔物で、人間に化けて生活していたことになってた』

 俺の説明がラーシュに伝わり、すぐにそれが配下の三人にも伝わったのだろう。随分と悲しげな表情になる。
 ラ-シュも、耳の根元を指先で掻きながら苦い表情で言葉を発した。

「記憶のつじつまが合わなくなって、なんとかつじつまを合わせようと改変しちゃうんだね。たまにあるよ、魔物化の前後でそういうことは」
「なるほど……全くない話ではないんですね」

 彼の言葉に息を吐きつつ返すのは、俺の座る椅子の隣に立ったレオンだ。その言葉にラーシュがこくりと頷くと、彼は両手を組んで俺を見やる。

「人間っていうのは、都合のいい生き物でね。忘れたり、覚え違いをしたりする。他の人から見たらなんでそうなるんだ、って思うような記憶の改竄も、脳みその中で平気でやってしまう。アテにならないもんさ、記憶なんて」

 そう言って俺に笑いかけながら、しかしラーシュは笑っていない目をして俺を見つめた。

「しかし、そうだね。ニルの封印解除の仕方はだいぶ特殊だ。普通はもっと複雑に魔法を組んで、時間をかけて封印を解くからね。封印構築が一瞬だからって、解除まで一瞬でやられたらたまらないさ」
『そうだよな……ただ実際、これで封印が解けているのは事実なんだ。だから、魔法の専門家として、意見を聞きたいんだが』

 特殊、と言い切るラーシュに頷いて、俺は彼に視線を投げた。
 実際俺自身でも、俺のやり方が特殊なのは十分に分かっているつもりだ。こんなにほいほいと、他人にかけられた封印が解けてたまるか。
 だが現実問題、これで封印が解けている。俺達が今後どうしていくかも大事だが、理屈が分かるなら専門家の意見を仰ぎたかった。
 俺の言葉に、ラーシュは組んだ腕の手元でとんとん、と自分の腕を叩いた。

「そうだね、僕もまず、ニルの魔法がどういう理屈で動作しているのか、ものすごく興味がある。実践してみてくれるかい? 幸いここにはトルディもいるし」
「確かに。マティルダ、いいか?」

 ラーシュが後ろを振り向くと同時に、レオンもマティルダに声を飛ばした。しかして、彼女は浮遊するトルディをそっと抱きながら頷く。

「いいわよ。私もニルの封印解除のやり方がどう動くのか、すごく興味あるし。それにトルディの記憶が戻れば、研究にも役立つでしょうしね」

 マティルダの発言に、トルディの胸元の宝石が、ちらっと光った。言葉を発せられないジュエルフェアリーの彼女は、胸の宝石の光で感情表現をする。光り方を見るに、不満は無いらしい。
 頷いた俺が、マティルダに抱かれた彼女を見た。

『分かった。それじゃあやるぞ』
「トルディ、こっちに来てくれるか」

 レオンが呼びかけると、トルディが主人の腕の中から抜け出し、ふよふよと浮遊して俺の座る椅子の前にやってきた。新しくもう一脚、椅子を持ってくると、その座面に立ったままで着地する。宝石で出来た身体だから、座るということが出来ないらしい。
 彼女が落ち着いたことを確認したラーシュが、彼の目の前に設置された魔法石板を操作しながら口を開いた。

「それじゃ、念話を繋げてくれ。僕はモニタリングさせてもらうから」

 その言葉に、俺は目の前に立つトルディにゆっくり近づいて、その胸の宝石に前脚を触れた。そうして脳内で、古ヴァグヤ語の詠唱を発する。

『キヤンナ、伝えよ!』

 唱えると、既にレオンやラーシュとチャネルを繋いで明るい俺の脳内に、新しく光が差し込んだ。その光の向こうから、機械音声的な声が響いてくる。

『聞こえますか、ニル』
『ああ、問題ない。始めるぞ』

 トルディの思念に短く返して、俺は手順通り、脳内で思考を走らせた。

『まずトルディ、陽明館中学校3年C組25番、韮野泰生にらのたいせい。俺が人間だった頃の名前だが、聞き覚えはあるか』
『……いいえ。検索結果はありません』

 俺の投げかけた問いに、トルディが返してくるのは冷たい声だ。
 まあ、この返答は俺も予想していた。PC研究会での活動に没頭し、クラスの中でも若干浮いていた彼女だ。俺と直接の接点もなかったし、同じクラスの中にいたとはいえ、覚えられていないとしてもしょうがない。

『分かった。じゃあ次だ。陽明館中学校3年C組37番、山野海鈴やまのみすず。これがトルディが人間だった頃の名前だ。聞き覚えはあるか』
『……検索中です……』

 次いで発したのはもう一つの鍵についてだ。トルディの人間だった頃の名前を出席番号付きで投げかけると、先程とは違う反応が返ってきた。
 トルディが記憶の検索を行う中、声を発したのはラーシュだ。

「へえ……」
「ラーシュ様、何か……」
「レオン、これ見てごらん」

 場所を移動し、ラーシュの傍にいたレオンが彼の背後から魔法石板を覗き込む。
 俺の位置からもちらちら見えていたが、魔法石板の上では立体的なホログラムで俺とトルディの輪郭が映し出されていた。魔法の力で、俺達の間で起こることを視覚化しているらしい。

「ニルの額の魔石で、絶えず魔力が動いているのが分かるかい? 多分、彼の魔石そのものが一種の魔法式として動作しているんだ。魔物化された上に魔石化されて、別の魔物に装着されて。二人分の魔力式が彼に内包されているからかな」

 そう話しながら、ラーシュは手元の魔法石板を操作する手を止めない。ホログラムのサイズを調整したり、向きを変えたり。随分高度なことが出来るものだ。そりゃ、ディーデリックのジジイが持て余すのも分かる。
 そしてホログラムの拡大を戻しながら、ラーシュが指さすのは俺とトルディの間の空間だ。

「で、そこに、あれだ。ニルが問いかけや言葉かけを行うことで、その魔力式が活性化して魔力が伝播、結界の『鍵』を一つ一つ外しているんだ……ほら見て、トルディの『鍵』がまた外れた」

 そう言って、ラーシュがくいと顎をしゃくる。俺の視界から見える範囲でも、ホログラムのトルディの周囲で光が弾けた。あれが、いわゆる封印の『鍵』を示すんだろう。
 しかして、目の前にいる本物のトルディも、先程とは様子が違っていた。

『いいえ……尋ね当たりません。しかし……』
『しかし、なんだ?』

 明らかに、困惑している。
 言葉に詰まりながら顔をそむけるトルディに俺が言葉をかけて促すと、彼女は胸元の宝石を不規則に明滅させながら、念を飛ばしてきた。

『検索条件の個数が多すぎます。もっと少ない条件での検索をおススメいたします』

 その言葉に、小さく目を見開く俺だ。
 検索条件。つまり、記憶を探す際の条件が多すぎて、引っかかるものも引っかからなくなっている、ということか。
 インターネットでの検索をイメージしつつ、俺はその条件を絞っていく。

『なるほどな。それじゃあ、山野海鈴、この名前でどうだ?』
『……』

 改めての問いかけに、トルディは答えない。ただ椅子の上に立って、記憶を探るのみだ。
 そして、きっかり一分。トルディの胸元で、宝石が強い光を放った。

『……画像ファイルが五点、ヒットしました』

 その言葉に、俺はほっと胸を撫で下ろした。
 たった五点と言えないことも無いが、一点でも「山野美鈴」という彼女の名前に繋がる記憶が、トルディの中にあることが、何より重要なのだ。
 つまり、消されていない。山野さんの記憶と人格は、確かに彼女の中に眠っている。

『あるんだな、よし。それじゃ、俺の魔石に触れてくれ』

 確信を籠めて、俺はトルディに歩み寄った。それにつられるように、ゆっくり彼女の右手が俺に伸びてくる。

「さあ、始まるぞ。フォンス、記録は取ってるね?」
「問題ありません」

 向こうではラーシュも随分とワクワクしているようだ。後方で記録を取っているらしいフォンスも、声が硬い。
 そして、トルディの手が俺の額に触れて。
 研究室の中に強い光が生じた。
 誰もが言葉を呑み、誰もが目を閉じる中、俺は確かにトルディの手が震えるのを感じた。
 そして、光が収まったそこには、椅子の座面に両手をついて肩を上下させている、ジュエルフェアリーらしからぬ姿勢のトルディがいた。

『どうだ……』
『……う、っ……ここは、一体……』

 思念を零す俺に飛んでくる思念の声色が、変わっている。
 先程までのコンピューターのような、硬質で感情の動きのない声ではない。血の通った、人間らしい声だ。
 間違いない、人格の封印は解けている。
 安堵する俺をよそに、彼女の主人であるマティルダが椅子の傍に駆け寄ってきた。未だ身を起こせないでいる彼女に、屈みこんでそっと手を添える。

「トルディ、大丈夫?」
『山野さん、気が付いたか。意識は、ハッキリしているか?』

 俯きっぱなしのトルディへと、俺は敢えてそちらの名前・・・・・・で呼びかけた。果たして、思念に反応した彼女は僅かに顔を上げる。見るのは、俺だ。

『……誰ですか? すみません、声は聞き覚えがあるのに、よく思い出せない』
『……まぁ、うん、クラスでも交流なかったし、そんなもんだよな』
「トルディ、私のことは分かる? マティルダよ、貴女の主人よ」

 若干素気無い返答に、俺は肩を竦める。まあ、覚悟はしていた。
 心配そうな顔をしてその身体を抱き上げ、顔を寄せるマティルダ。彼女の顔を見たトルディは、その手をそっと、自信の主人の頬へと当てた。

『……はい、マスター。貴女のことは分かります』
「そう……よかったわ」

 マティルダが安堵の息を吐き出す。魔物として生きてきた間の記憶も、そのまま残っているらしい。
 今の状態では、山野さんの人格と、トルディの人格のどちらが主導権を握っているのかは定かではないが、うまくバランスが取れているのは間違いなさそうだ。
 と、そこで。

「はーん、そうか、なるほどね」

 ふと、明るい声色で誰を呼ぶでもなく、声を発する者がいた。
 ラーシュだ。先程までモニタリングに使用していた魔法石板を触りながら、この上ないほどの満面の笑みを溢れさせている。

「ラーシュ様?」
「どうか……」

 レオンもフォンスもパウリーナも、キョトンとした表情で彼を見た。
 その場の全員が怪訝そうな顔で見るのを知ってか知らずか、「薄明の旅団」の研究室を預かる青年は、心底から楽しそうな表情でレオンに目を向ける。

「これは、いい仕事に繋げられそうだよ、レオン」

 そう話して、彼はもう一度、にんまりと笑うのだった。
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