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第1章 異世界
第4話 根木真由美
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カスペルに促されるまま彼の部屋を出て、レオンの部屋に戻り、待つことしばし。
扉をノックする音が部屋の中に響いた。
籠の中に丸くなる俺の大きな耳がぴくりと動く中、レオンが扉の外へと声をかける。
「はい?」
「カスペルだ。入るぞ」
レオンが促す間もなく、部屋の扉が開かれる。そうして部屋の中に、カスペルとルイザが入ってきた。
ルイザの様子は先程と大して変わらない、大人しく両手を前に置いてカスペルの後ろでしゃんと立っている。
だが、なんだろう。先程までとどことなしに、纏う空気が違うように思える。
俺とレオンが揃って目を見開く中で、カスペルはルイザを伴ってずかずかと部屋の中に立ち入ってきた。
「待たせたな」
「カスペル、彼女は――」
「焦るなレオン、順を追って説明してやる」
ベッドに腰掛けるカスペルにレオンが言葉をかけるも、その言葉を手で遮りながら彼は笑った。
確かに、俺やレオンが結論を焦ってもしょうがない。カスペルが話さないことには何も始まらないのだ。
レオンが押し黙ったところで、カスペルの黒い毛に覆われた指が彼の額を叩く。
「だがその前に、だ。繋げるぞ」
そうして短く告げると、彼の口から詠唱の文句が迸った。
『キヤンナ・カヴァヤ、レオン、ルイザ、ニラノ! 輪に加えよ!』
レオン、ルイザ、そして俺の名前がカスペルの口から告げられるや、俺の頭に明るい光が点った。
その感覚に驚いていると、俺の脳内に声が響き始めた。三人分の思考が声となって聞こえてくる。
『よしお前ら、聞こえるか?』
『ああ』
『聞こえています』
『これは……複数人での念話、か?』
念話は一対一でするものだと思っていたから、複数人で行える念話をこうもあっさりやられると、驚きを隠せない。
そんな俺に、カスペルが楽しそうな声色で思念を飛ばしてきた。
『ああ、念話魔法の多人数版だ。名前を呼んだやつ同士で念話を繋げる形になる。チビ助に聞きたいこともあるからな、こっちのほうがいい』
面白そうな口調で話すカスペルだったが、すぐに思考が真面目な雰囲気になった。静かな口調で念を飛ばしてくる。
『早速だがチビ助……いや、ニラノ・タイセイ。『ネギ・マユミ』という名前に聞き覚えはあるか?』
『ネギ・マユミ……根木先生、俺達のクラスの、担任の先生の名前だ』
俺が答えを返すと、カスペルは深々とため息をついた。その隣でルイザも少しだけ、悲しそうな表情を見せる。
その二人の反応に、俺とレオンが思わず顔を見合わせた直後。俺達は思わず身を乗り出していた。
『やはり、そうか』
『カスペル、それは……まさかとは思うが』
『おいカスペル、まさか、根木先生の記憶と人格が戻ったのか!?』
食い気味に思念を飛ばす俺とレオンに、カスペルがふっと鼻息を漏らした。俺達に鋭い視線を向けながら、強い口調で思念を返してくる。
『焦るなと言っただろ。今から説明してやる。よく聞け』
そうして、一呼吸置いた後に。
『ルイザの中に俺が構築した封印が、解かれていた』
簡潔に、しかしキッパリと、彼はそう告げた。
その内容に、俺は息を呑んだ。レオンも驚きの表情をありありと見せながら、ルイザの顔を見つめている。
対するルイザは先程から小さく俯いたままだ。思念を飛ばしてくる様子もなく、押し黙っている。
『……本当なのか。人格封印魔法の封印は、そう簡単に破れるものではないはずだろう』
『俺だって信じられんさ。だが実際に封印は解かれている、それも随分簡略化された手順で、真正面からな。なんだってニラノの魔石に触れただけで、ルイザに施した封印が解けるんだ?』
レオンの疑問に、カスペルが肩を竦めながら答えた。
確かに封印が解かれていて、それが俺の額に触れたことによって行われた、それは事実だ。しかし、俺は何もしていない。というか魔石って何だ、俺の額にそんなものがあったのか。
『魔石?』
『お前の額に硬いもんが埋め込まれているだろう。
普通のカーバンクルならそこに輝石っつー石が埋まっているんだが、お前はそれが、ワータイガーに変えられた上に肉体喪失魔法をかけられて変化した、お前の魂が収まった魔石に置き換わっている』
首を傾げる俺に向かって、カスペルが自分の額をトントンと叩いてみせた。
曰く、通常のカーバンクルにも額に石が埋まっていて、俺の場合はそこに魔石がはまっているとのこと。そうして俺の人格と意識が、シトリンカーバンクルの身体に同化しているんだそうだ。
と、カスペルが真剣な表情をしてぐっと身を乗り出してきた。籠の中に収まった俺をまっすぐに見つめてくる。
『ニラノ。お前さんルイザに縋り付く前にけたたましく鳴いていたが……あん時、何か魔法を唱えたりはしてねぇよな?』
『していない……根木先生に『俺は韮野だ』って呼びかけただけだ』
カスペルの目を見つめ返しながら、俺は嘘偽りなく言葉を返した。
本当に、誓って言う。根木先生に呼びかけの言葉をかけただけだ。
俺の思念に、納得したのかしないのか、カスペルが脱力しながら額に手を置く。
『なるほどなぁ。一番効いてるのはニラノの魔石に触れたことだが、あとはルイザがニラノの名前を口に出して言ったことか、あるいは直接語り掛けたことか……いずれにせよ、こんなあっさり封印を解かれちゃ、俺の立場が無い』
額に置いた手でそこをかきながら、呆れた口調でカスペルは言った。
確かに、使い魔として契約するにあたって人格を封じるなり消すなりしたのに、俺の額の魔石に触ったら封印が解除された、なんてなったら契約した術者の立場なんてあったもんじゃない。消したらどうしようもないだろうが。
忌々しそうに表情を歪めるカスペルだが、すぐに元の顔つきに戻った。ひらりと手を振りながら傍らのルイザに視線を向けた。
『ま、解かれちまったもんはしょうがない。再封印してもいいんだが……その前にルイザ、さっき俺に話したことを、こいつらにも聞かせてやってくれ』
『はい、カスペル様』
そこで、ようやくルイザが顔を上げた。
視線や目つきなど伺えないものの、顔をまっすぐ俺の方に向けて、思考を念話に飛ばしてくる。
『ニラノ。韮野泰生。私立陽明館中学校三年C組、出席番号25番。私の生徒の一人、です』
『根木先生……!』
飛んできたルイザの思考に、俺は頬が紅潮するのを感じた。
俺のクラスも、出席番号も、本名も、間違いない。ルイザは俺のことを思い出してくれている。ということは。
籠の縁に手をかけて立ち上がる俺に、カスペルが念話を飛ばしてきた。
『落ち着けチビ助。まだルイザの話は終わっちゃいねえ』
『でも、ここまで思い出したってことは間違いないだろ! 根木先生の記憶は――』
『だから待てってんだ。ここからが重要なところだ』
なおも言い募る俺に、強い口調で言葉を飛ばすカスペル。
その視線はルイザの方に向いて、そのルイザはただまっすぐに俺の方を向いていて。
まだ、ルイザの話は終わっていない。まだ話しておくべきことがある。その様子に、俺が再び籠の中に腰を下ろした。
それを待って、ルイザが再び念話で声を飛ばしてくる。
『私は、神奈川県相模原市の私立陽明館中学校で生徒に英語を教えていました。召喚に応じた日も授業をしていました。
授業中、教室の床が光って、生徒たちと一緒にヴァグヤバンダの大地に放り出され、『薄明の旅団』の皆さんと出会いました。
そしてカスペル様と契約を結び、ルイザ・ハールマンの名を戴きました』
ルイザの言葉に、レオンが小さく息を呑んだ。
何かを気付いた様子に、俺の視線が彼の方に向く。息を呑んだレオンは俯いて考え込む表情をしていた。
『これは……』
『レオン、どうしたんだ? 今先生が話したこと、どこも間違っていないじゃないか』
『ニラノ、気が付かなかったか』
俯いたまま、視線だけを俺に返しながら、重い口調でレオンが言葉を返してくる。
気が付く。何にだ。
疑問がぬぐえない俺に、カスペルが言葉を投げてくる。
『気が付くって……』
『今、ルイザが話してくれたこと……同じことを俺にも事前に話してもらっているが、確かに契約前後の状況と整合性が取れている。だが、寸分違わず同じじゃあない。もう一度思い出してみろ』
カスペルの言葉を受けて、俺は思考を巡らせた。
地球から異世界に召喚されて。
その時俺達クラスは根木先生の授業中で。
この『薄明の旅団』の城の地下室に出てきて。
そうしてディーデリックによって使い魔契約を結ばされて。
そこまで思い出してようやく、俺は一つの事実に気が付いた。
『あ……!!』
『気が付いたか』
『そうだろうニラノ、今ルイザが話してくれた中に、彼女が、君達生徒が、全員魔物に変えられたことが述べられていないんだ』
カスペルが言って、レオンも言って。俺は顎が外れそうな思いがした。
そうだ、ルイザは魔物に変えられたことを話さなかった。カスペルと契約したことも、『薄明の旅団』に召喚されたことも話したのに。
『ルイザ』
『はい、そうです。私はずっとシルバーフォクシーでした。召喚されてからも、召喚される前も。ただし、召喚される前は人間に変化して暮らしていました。他の生徒たちも、韮野君も、同様だったと私は思っています』
俺からしたら俄かには信じられないようなことを、ルイザはきっぱりと言ってきた。
根木先生ばかりじゃない、俺も、俺以外の生徒も、召喚される前から魔物だなんて。人間に化けて暮らしていただなんて、そんなこと、あるはずがない。
思わず強い口調で言葉を発する俺だ。
『そんな、俺は魔物じゃ――』
『ニラノ、落ち着け。そして黙れ』
魔物じゃなかった、そう言い切る前にカスペルが言葉を被せてくる。
その気迫に押されて思考を停止させる俺に、言い聞かせるようにクロヒョウの彼が言葉を投げかけてきた。
『ルイザの中ではこういう記憶になっているんだ。嘘をついているかどうかも自白魔法で判定したが、結果はシロだ。
恐らく、自分が魔物である事実と、過去に人間として生活していた記憶の整合性が取れなくなって、『元から魔物で、人間に化けて暮らしていた』という形に、記憶の改竄が発生したんだろう』
『な……っ』
記憶の改竄、という言葉に、俺は文字通り言葉を失った。
過去の記憶を取り戻したとして、その記憶が改竄された根木先生は、根木先生だと言えるのだろうか。
今目の前にいるこのシルバーフォクシーは、根木先生だと言えるのだろうか。
自信が持てず、俯く俺。そこにカスペルが容赦のない現実を突き付けてきた。
『いいかニラノ。ルイザがネギ・マユミだった頃の記憶は戻った。確かに戻った。だが、完全に元のままってわけじゃねぇ』
ズバッと切り込むように告げられた真実、現実。
愕然とした俺は、弱々しく声を漏らすほかなかった。
『そんな……それじゃあ……』
『ニラノ……』
ショックを隠し切れない様子の俺に、レオンも弱々しい声で俺を呼ぶので精いっぱいだ。
と、そこでカスペルが腕を組んで小さく唸った。その場の全員の視線を集め、意識を引き付けてから、ゆっくりと思念を送った。
『これについて、俺の思うところはあるが……それは今話すことじゃねぇな。もう一つ、明らかにしておくことがある。ルイザ、続きを話せ』
くい、と顎をしゃくったカスペルがルイザを促した。
それにこくりと頷いたルイザが、改めて俺へと仮面をつけた顔を向けてくる。
『はい。私はかつて『ネギ・マユミ』という人間として生きていました。
今は『ルイザ・ハールマン』という魔物として生きていますが、人間だった頃の私が私の中からいなくなったわけではありません。彼女の人生は、私の中で確かに息づいています』
彼女の言葉に、俺は目を大きく見開いた。
ルイザ・ハールマンとして生きているが、ネギ・マユミがいなくなったわけではない。
その人生は自分の中で息づいている。
なんとも、抽象的ではっきりしない答えだ。
『え……つまり、先生の人格は……レオン、これってどっちなんだ?』
『確かに……ルイザとは別にネギの人格があるようにも聞こえるし、ルイザの中にネギの人格が取り込まれたようにも聞こえるな……』
思わずレオンの方に視線を向ける俺に、レオンの方も悩むような表情を向けてくる。
そうして二人で首を捻っていると、カスペルが念話に思念を飛ばしてきた。
『俺は使い魔契約を結ぶにあたって、記憶と人格に封印をかけ、その上にルイザの人格を新規に構築した。
だから、ルイザの中にネギの人格が内包されているのは、何らおかしなことじゃないんだが……封印が解けた時にネギの人格も表に出てきたようでな。そのままルイザの人格と統合されたようなんだ』
彼の言葉に、目を見開いたのはレオンだ。その表情は驚愕に満ち溢れている。
封印される前の人間の人格と、封印された後に作られた魔物の人格が、一つに統合される。確かに、普遍的に起こりそうな現象ではない。
実際レオンとカスペルの思念のやり取りを聞くに、だいぶ信じ難い状況になったらしい。
『人間の人格と、魔物の人格の統合……そんなことが……』
『俺も初めてのケースだよ。一番どいつも悲しまない結果に落ち着いたんじゃないか? よかったなニラノ、『ネギセンセイ』はちゃんとここにいるぞ』
カスペルの朗らかな笑みと共に投げかけられた思念に、呆気に取られたまま俺はルイザをまっすぐに見た。
仮面に隠されて相変わらず表情は分からないが、俺を見つめていることは分かる。感じられる。
『……根木先生?』
『韮野君……よかったです、生きていて。ディーデリックに意見を述べた貴方のことを、私はずっと、心配していました』
口調こそルイザの、丁寧なものそのままだったが、口ぶりや雰囲気が先程とは確かに違う。地球にいた時に、根木先生が俺に向けてきた、そのままの雰囲気だ。
気が付けば俺は籠の中から飛び出していた。ルイザの足元に駆け寄って、その足元に前脚をかける。
そのまま、屈みこんだルイザの両手が俺の身体を掬い上げて、抱き寄せて。彼女が俺の小さな身体を抱く形になって、そのまま俺はルイザの、根木先生の腕の中で丸くなる。
温かい。
『先生……よかった……』
『ふふふ、そんな身体になっても、声は人間の頃のままなんですね、韮野君……』
根木先生の胸元に顔を寄せる俺に、根木先生がくすくす笑いながら言葉をかけてくる。
こうして、俺は根木真由美という人間を、救い出すことに成功したのだった。
扉をノックする音が部屋の中に響いた。
籠の中に丸くなる俺の大きな耳がぴくりと動く中、レオンが扉の外へと声をかける。
「はい?」
「カスペルだ。入るぞ」
レオンが促す間もなく、部屋の扉が開かれる。そうして部屋の中に、カスペルとルイザが入ってきた。
ルイザの様子は先程と大して変わらない、大人しく両手を前に置いてカスペルの後ろでしゃんと立っている。
だが、なんだろう。先程までとどことなしに、纏う空気が違うように思える。
俺とレオンが揃って目を見開く中で、カスペルはルイザを伴ってずかずかと部屋の中に立ち入ってきた。
「待たせたな」
「カスペル、彼女は――」
「焦るなレオン、順を追って説明してやる」
ベッドに腰掛けるカスペルにレオンが言葉をかけるも、その言葉を手で遮りながら彼は笑った。
確かに、俺やレオンが結論を焦ってもしょうがない。カスペルが話さないことには何も始まらないのだ。
レオンが押し黙ったところで、カスペルの黒い毛に覆われた指が彼の額を叩く。
「だがその前に、だ。繋げるぞ」
そうして短く告げると、彼の口から詠唱の文句が迸った。
『キヤンナ・カヴァヤ、レオン、ルイザ、ニラノ! 輪に加えよ!』
レオン、ルイザ、そして俺の名前がカスペルの口から告げられるや、俺の頭に明るい光が点った。
その感覚に驚いていると、俺の脳内に声が響き始めた。三人分の思考が声となって聞こえてくる。
『よしお前ら、聞こえるか?』
『ああ』
『聞こえています』
『これは……複数人での念話、か?』
念話は一対一でするものだと思っていたから、複数人で行える念話をこうもあっさりやられると、驚きを隠せない。
そんな俺に、カスペルが楽しそうな声色で思念を飛ばしてきた。
『ああ、念話魔法の多人数版だ。名前を呼んだやつ同士で念話を繋げる形になる。チビ助に聞きたいこともあるからな、こっちのほうがいい』
面白そうな口調で話すカスペルだったが、すぐに思考が真面目な雰囲気になった。静かな口調で念を飛ばしてくる。
『早速だがチビ助……いや、ニラノ・タイセイ。『ネギ・マユミ』という名前に聞き覚えはあるか?』
『ネギ・マユミ……根木先生、俺達のクラスの、担任の先生の名前だ』
俺が答えを返すと、カスペルは深々とため息をついた。その隣でルイザも少しだけ、悲しそうな表情を見せる。
その二人の反応に、俺とレオンが思わず顔を見合わせた直後。俺達は思わず身を乗り出していた。
『やはり、そうか』
『カスペル、それは……まさかとは思うが』
『おいカスペル、まさか、根木先生の記憶と人格が戻ったのか!?』
食い気味に思念を飛ばす俺とレオンに、カスペルがふっと鼻息を漏らした。俺達に鋭い視線を向けながら、強い口調で思念を返してくる。
『焦るなと言っただろ。今から説明してやる。よく聞け』
そうして、一呼吸置いた後に。
『ルイザの中に俺が構築した封印が、解かれていた』
簡潔に、しかしキッパリと、彼はそう告げた。
その内容に、俺は息を呑んだ。レオンも驚きの表情をありありと見せながら、ルイザの顔を見つめている。
対するルイザは先程から小さく俯いたままだ。思念を飛ばしてくる様子もなく、押し黙っている。
『……本当なのか。人格封印魔法の封印は、そう簡単に破れるものではないはずだろう』
『俺だって信じられんさ。だが実際に封印は解かれている、それも随分簡略化された手順で、真正面からな。なんだってニラノの魔石に触れただけで、ルイザに施した封印が解けるんだ?』
レオンの疑問に、カスペルが肩を竦めながら答えた。
確かに封印が解かれていて、それが俺の額に触れたことによって行われた、それは事実だ。しかし、俺は何もしていない。というか魔石って何だ、俺の額にそんなものがあったのか。
『魔石?』
『お前の額に硬いもんが埋め込まれているだろう。
普通のカーバンクルならそこに輝石っつー石が埋まっているんだが、お前はそれが、ワータイガーに変えられた上に肉体喪失魔法をかけられて変化した、お前の魂が収まった魔石に置き換わっている』
首を傾げる俺に向かって、カスペルが自分の額をトントンと叩いてみせた。
曰く、通常のカーバンクルにも額に石が埋まっていて、俺の場合はそこに魔石がはまっているとのこと。そうして俺の人格と意識が、シトリンカーバンクルの身体に同化しているんだそうだ。
と、カスペルが真剣な表情をしてぐっと身を乗り出してきた。籠の中に収まった俺をまっすぐに見つめてくる。
『ニラノ。お前さんルイザに縋り付く前にけたたましく鳴いていたが……あん時、何か魔法を唱えたりはしてねぇよな?』
『していない……根木先生に『俺は韮野だ』って呼びかけただけだ』
カスペルの目を見つめ返しながら、俺は嘘偽りなく言葉を返した。
本当に、誓って言う。根木先生に呼びかけの言葉をかけただけだ。
俺の思念に、納得したのかしないのか、カスペルが脱力しながら額に手を置く。
『なるほどなぁ。一番効いてるのはニラノの魔石に触れたことだが、あとはルイザがニラノの名前を口に出して言ったことか、あるいは直接語り掛けたことか……いずれにせよ、こんなあっさり封印を解かれちゃ、俺の立場が無い』
額に置いた手でそこをかきながら、呆れた口調でカスペルは言った。
確かに、使い魔として契約するにあたって人格を封じるなり消すなりしたのに、俺の額の魔石に触ったら封印が解除された、なんてなったら契約した術者の立場なんてあったもんじゃない。消したらどうしようもないだろうが。
忌々しそうに表情を歪めるカスペルだが、すぐに元の顔つきに戻った。ひらりと手を振りながら傍らのルイザに視線を向けた。
『ま、解かれちまったもんはしょうがない。再封印してもいいんだが……その前にルイザ、さっき俺に話したことを、こいつらにも聞かせてやってくれ』
『はい、カスペル様』
そこで、ようやくルイザが顔を上げた。
視線や目つきなど伺えないものの、顔をまっすぐ俺の方に向けて、思考を念話に飛ばしてくる。
『ニラノ。韮野泰生。私立陽明館中学校三年C組、出席番号25番。私の生徒の一人、です』
『根木先生……!』
飛んできたルイザの思考に、俺は頬が紅潮するのを感じた。
俺のクラスも、出席番号も、本名も、間違いない。ルイザは俺のことを思い出してくれている。ということは。
籠の縁に手をかけて立ち上がる俺に、カスペルが念話を飛ばしてきた。
『落ち着けチビ助。まだルイザの話は終わっちゃいねえ』
『でも、ここまで思い出したってことは間違いないだろ! 根木先生の記憶は――』
『だから待てってんだ。ここからが重要なところだ』
なおも言い募る俺に、強い口調で言葉を飛ばすカスペル。
その視線はルイザの方に向いて、そのルイザはただまっすぐに俺の方を向いていて。
まだ、ルイザの話は終わっていない。まだ話しておくべきことがある。その様子に、俺が再び籠の中に腰を下ろした。
それを待って、ルイザが再び念話で声を飛ばしてくる。
『私は、神奈川県相模原市の私立陽明館中学校で生徒に英語を教えていました。召喚に応じた日も授業をしていました。
授業中、教室の床が光って、生徒たちと一緒にヴァグヤバンダの大地に放り出され、『薄明の旅団』の皆さんと出会いました。
そしてカスペル様と契約を結び、ルイザ・ハールマンの名を戴きました』
ルイザの言葉に、レオンが小さく息を呑んだ。
何かを気付いた様子に、俺の視線が彼の方に向く。息を呑んだレオンは俯いて考え込む表情をしていた。
『これは……』
『レオン、どうしたんだ? 今先生が話したこと、どこも間違っていないじゃないか』
『ニラノ、気が付かなかったか』
俯いたまま、視線だけを俺に返しながら、重い口調でレオンが言葉を返してくる。
気が付く。何にだ。
疑問がぬぐえない俺に、カスペルが言葉を投げてくる。
『気が付くって……』
『今、ルイザが話してくれたこと……同じことを俺にも事前に話してもらっているが、確かに契約前後の状況と整合性が取れている。だが、寸分違わず同じじゃあない。もう一度思い出してみろ』
カスペルの言葉を受けて、俺は思考を巡らせた。
地球から異世界に召喚されて。
その時俺達クラスは根木先生の授業中で。
この『薄明の旅団』の城の地下室に出てきて。
そうしてディーデリックによって使い魔契約を結ばされて。
そこまで思い出してようやく、俺は一つの事実に気が付いた。
『あ……!!』
『気が付いたか』
『そうだろうニラノ、今ルイザが話してくれた中に、彼女が、君達生徒が、全員魔物に変えられたことが述べられていないんだ』
カスペルが言って、レオンも言って。俺は顎が外れそうな思いがした。
そうだ、ルイザは魔物に変えられたことを話さなかった。カスペルと契約したことも、『薄明の旅団』に召喚されたことも話したのに。
『ルイザ』
『はい、そうです。私はずっとシルバーフォクシーでした。召喚されてからも、召喚される前も。ただし、召喚される前は人間に変化して暮らしていました。他の生徒たちも、韮野君も、同様だったと私は思っています』
俺からしたら俄かには信じられないようなことを、ルイザはきっぱりと言ってきた。
根木先生ばかりじゃない、俺も、俺以外の生徒も、召喚される前から魔物だなんて。人間に化けて暮らしていただなんて、そんなこと、あるはずがない。
思わず強い口調で言葉を発する俺だ。
『そんな、俺は魔物じゃ――』
『ニラノ、落ち着け。そして黙れ』
魔物じゃなかった、そう言い切る前にカスペルが言葉を被せてくる。
その気迫に押されて思考を停止させる俺に、言い聞かせるようにクロヒョウの彼が言葉を投げかけてきた。
『ルイザの中ではこういう記憶になっているんだ。嘘をついているかどうかも自白魔法で判定したが、結果はシロだ。
恐らく、自分が魔物である事実と、過去に人間として生活していた記憶の整合性が取れなくなって、『元から魔物で、人間に化けて暮らしていた』という形に、記憶の改竄が発生したんだろう』
『な……っ』
記憶の改竄、という言葉に、俺は文字通り言葉を失った。
過去の記憶を取り戻したとして、その記憶が改竄された根木先生は、根木先生だと言えるのだろうか。
今目の前にいるこのシルバーフォクシーは、根木先生だと言えるのだろうか。
自信が持てず、俯く俺。そこにカスペルが容赦のない現実を突き付けてきた。
『いいかニラノ。ルイザがネギ・マユミだった頃の記憶は戻った。確かに戻った。だが、完全に元のままってわけじゃねぇ』
ズバッと切り込むように告げられた真実、現実。
愕然とした俺は、弱々しく声を漏らすほかなかった。
『そんな……それじゃあ……』
『ニラノ……』
ショックを隠し切れない様子の俺に、レオンも弱々しい声で俺を呼ぶので精いっぱいだ。
と、そこでカスペルが腕を組んで小さく唸った。その場の全員の視線を集め、意識を引き付けてから、ゆっくりと思念を送った。
『これについて、俺の思うところはあるが……それは今話すことじゃねぇな。もう一つ、明らかにしておくことがある。ルイザ、続きを話せ』
くい、と顎をしゃくったカスペルがルイザを促した。
それにこくりと頷いたルイザが、改めて俺へと仮面をつけた顔を向けてくる。
『はい。私はかつて『ネギ・マユミ』という人間として生きていました。
今は『ルイザ・ハールマン』という魔物として生きていますが、人間だった頃の私が私の中からいなくなったわけではありません。彼女の人生は、私の中で確かに息づいています』
彼女の言葉に、俺は目を大きく見開いた。
ルイザ・ハールマンとして生きているが、ネギ・マユミがいなくなったわけではない。
その人生は自分の中で息づいている。
なんとも、抽象的ではっきりしない答えだ。
『え……つまり、先生の人格は……レオン、これってどっちなんだ?』
『確かに……ルイザとは別にネギの人格があるようにも聞こえるし、ルイザの中にネギの人格が取り込まれたようにも聞こえるな……』
思わずレオンの方に視線を向ける俺に、レオンの方も悩むような表情を向けてくる。
そうして二人で首を捻っていると、カスペルが念話に思念を飛ばしてきた。
『俺は使い魔契約を結ぶにあたって、記憶と人格に封印をかけ、その上にルイザの人格を新規に構築した。
だから、ルイザの中にネギの人格が内包されているのは、何らおかしなことじゃないんだが……封印が解けた時にネギの人格も表に出てきたようでな。そのままルイザの人格と統合されたようなんだ』
彼の言葉に、目を見開いたのはレオンだ。その表情は驚愕に満ち溢れている。
封印される前の人間の人格と、封印された後に作られた魔物の人格が、一つに統合される。確かに、普遍的に起こりそうな現象ではない。
実際レオンとカスペルの思念のやり取りを聞くに、だいぶ信じ難い状況になったらしい。
『人間の人格と、魔物の人格の統合……そんなことが……』
『俺も初めてのケースだよ。一番どいつも悲しまない結果に落ち着いたんじゃないか? よかったなニラノ、『ネギセンセイ』はちゃんとここにいるぞ』
カスペルの朗らかな笑みと共に投げかけられた思念に、呆気に取られたまま俺はルイザをまっすぐに見た。
仮面に隠されて相変わらず表情は分からないが、俺を見つめていることは分かる。感じられる。
『……根木先生?』
『韮野君……よかったです、生きていて。ディーデリックに意見を述べた貴方のことを、私はずっと、心配していました』
口調こそルイザの、丁寧なものそのままだったが、口ぶりや雰囲気が先程とは確かに違う。地球にいた時に、根木先生が俺に向けてきた、そのままの雰囲気だ。
気が付けば俺は籠の中から飛び出していた。ルイザの足元に駆け寄って、その足元に前脚をかける。
そのまま、屈みこんだルイザの両手が俺の身体を掬い上げて、抱き寄せて。彼女が俺の小さな身体を抱く形になって、そのまま俺はルイザの、根木先生の腕の中で丸くなる。
温かい。
『先生……よかった……』
『ふふふ、そんな身体になっても、声は人間の頃のままなんですね、韮野君……』
根木先生の胸元に顔を寄せる俺に、根木先生がくすくす笑いながら言葉をかけてくる。
こうして、俺は根木真由美という人間を、救い出すことに成功したのだった。
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黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
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強奪系触手おじさん
兎屋亀吉
ファンタジー
【肉棒術】という卑猥なスキルを授かってしまったゆえに皆の笑い者として40年間生きてきたおじさんは、ある日ダンジョンで気持ち悪い触手を拾う。後に【神の触腕】という寄生型の神器だと判明するそれは、その気持ち悪い見た目に反してとんでもない力を秘めていた。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
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エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~
シロ鼬
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エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。
主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。
追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。
さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。
疫病? これ飲めば治りますよ?
これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。
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催眠術師は眠りたい ~洗脳されなかった俺は、クラスメイトを見捨ててまったりします~
山田 武
ファンタジー
テンプレのように異世界にクラスごと召喚された主人公──イム。
与えられた力は面倒臭がりな彼に合った能力──睡眠に関するもの……そして催眠魔法。
そんな力を使いこなし、のらりくらりと異世界を生きていく。
「──誰か、養ってくれない?」
この物語は催眠の力をR18指定……ではなく自身の自堕落ライフのために使う、一人の少年の引き籠もり譚。
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