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第1章 アグネス転生編

プロローグ 渋谷先生の来世にご期待ください!

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手を動かす。
線を引く。
手を動かす。
トーンを貼る。
その繰り返し。
もう4日は寝ていない。
ふと、頭によぎる。
どうして私は漫画家になんてなってしまったんだろう…。
「先生、手止まってますよ!早く仕上げないとまた林田さんから怒られますからね!?」
「…はっ!?」
アシスタントの伊藤さんから声をかけられて、私は現実世界に意識を戻す。
「ごめんごめん、また意識飛びかけてた」
「まったく…、だから一回仮眠取った方が良いって言ってるのに」
「確かにその方が良いんだろうけどさ、一回眠りの世界に入ったらもう20時間位は戻って来られない気がするんだよね~…。あとちょっとで今週分完成するから、そしたら仮眠取るよ」
ここで眠気の誘惑に負けたら、もう絶対に締め切りには間に合わない。
私はエナジードリンクを飲んで気合いを入れ直し、机に再び向かう。

私の名前は渋谷翼。
一応、漫画家をさせてもらっている。
…いや、私なんかが漫画家なんて名乗って良いのだろうか。
私は16歳の時に漫画賞を受賞して、18歳であの国民的少年漫画雑誌『週刊少年アドバンス』で『メルヘン・テール』というファンタジー世界を舞台にしたバトル漫画の初連載を持った。
あの時の私は、それはそれは調子に乗っていた。
僅か18歳で天下のアドバンスで連載を持つ、あまりにも名誉なその体験が、私を読者の事など微塵も考えずただ自分の描きたい物だけを描く天狗にしてしまったのだ。
しかし、人気はそれなりに出たものの独りよがりな展開が万人受けせず、『メルヘン・テール』は連載一周年を目前にして単行本6巻分で打ち切り。
私は絶望の淵に立たされた。
自分に才能が無いことを知ったのだ。
それからは他の漫画家の仕事場にアシスタントとして入らせてもらう傍ら新しい連載作品の準備を進めた。
そして2年後の21歳の時に、アドバンスで2度目の連載を勝ち取った。
タイトルは『君の瞳が見たくて』、今度は読者ウケしやすそうな学園青春恋愛漫画だ。
…しかし、内容が少年向けのラブコメというよりも繊細な少女漫画的心情描写に特化しすぎてしまい、なんと僅か2巻で打ち切り。
私は再び自身の才能のなさに打ちひしがれる事になる。
それからはただひたすらに、自分の技量を磨き続けた。
どうすればアドバンスの読者にウケるのか、どうすれば人気になれるのか。
約4年の歳月をかけた自己研鑽の後、25歳になった私はついにアドバンスで3度目の連載をさせてもらう機会を頂いた。
その名も『現妖大戦』。
ジャンルはアドバンスの読者層に最もウケやすい現代を舞台にした退魔モノ。
アドバンス読者にウケやすいキャラ造形で、今の所前作の恋愛漫画『君の瞳が~』よりは好調な評判を頂いている。
既に単行本2巻分のストックは溜まっているし、この調子なら3巻は超えるはずだ。
何とか初連載の『メルヘン・テール』の6巻分は超えたい、そう思いながら私は身を削って今週分の原稿を進めていた。

原稿作業は辛く苦しい、正直漫画家という職業を選んだ自分を恨みたくなる。
けれど、読者からのファンレターやSNS上のファンの方の声を聞くと元気が湧いてくる。
「よし、あと一息頑張るぞ!」
そう言って液晶タブレットに視線を向けたその瞬間だった。
私のスマートフォンから大きな音が鳴る。
担当編集の林田さんからの電話だ。
私は咄嗟にスマホを取って電話に出る。
「はい、渋谷です!お疲れ様です!」
『もしもし、林田です。渋谷先生、今時間大丈夫ですか?』
私は液タブの原稿をチラ見する。
締め切りを考えると全く大丈夫ではないが、担当編集からの電話は重要な連絡だし、私はこの原稿を完成させたら即布団に入る予定なので今のうちに用事は済ませておいた方が良さそうだ。
「はい、大丈夫です。何か重要連絡ですか?」
すると林田さんは一息呼吸を置いて、どこか恐る恐るな様子で口を開く。
『…渋谷先生、先程連載会議があったんです。現妖大戦、最近の読者からの評判はまずまずと言った所で、ファンレターも先生にお見せしている通り結構来ているんですよね』
普段は作品について私に手厳しい林田さんの丁寧な言葉遣いに妙な違和感。
…なんだか、嫌な予感がした。
『…ただ、本当にその、申し上げにくいんですが、今週刊少年アドバンスで連載している他の連載作品と比べてしまうとどうしてもその、アンケートでの評判が圧倒的に良い、というわけではなくってですねぇ…。今アドバンス誌面で連載中の作品の中では人気順位としては下から3位と言った具合でして。
えーっと、その、次の改編期で新たに連載開始する作品の数が~その~…、”3作品”を予定しておりまして…。
つまり、何を言いたいかと言うと~…。

……現妖大戦、単行本4巻収録分で打ち切りが決定しました』

「……はぇ?」
”打ち切り”。
その言葉が私の耳に届いた瞬間、私の全身が一切動かなくなり、私はバタン!とその場に倒れてしまった。
「渋谷先生!?」
『どうしました渋谷先生!?渋谷先生!!!』
倒れた私にアシスタントの伊藤さんや他のアシスタントの方々が駆け寄ってくる。
林田さんも電話の向こうで心配の声をかけてくれていた。
けれど、私の耳はどんどんその声が聞こえなくなって来ている。
全身が痛い、頭がガンガン痛む、視界がぼやける。
…あぁ、どうやら私は漫画執筆に自分の身を削りすぎてしまったらしい。
最近は連日徹夜だし、食事もロクに取っていない。
そりゃあ、体壊すのも当然だ。
そしてそんな無茶が祟って私の体は死ぬギリギリの所で耐えていた所を、林田さんからの『現妖大戦』打ちきりの報でついに緊張の糸が途切れ、私の体は限界を迎えたようだ。
まず最初に頭に浮かんだのは、両親の顔だ。
両親は二人とも、私の漫画家になるという夢を否定せず背中を押してくれた。
二度の打ち切りを受けてヘコんでいた私を励まし、夢を応援してくれていた。
ごめんね、お父さん、お母さん。
私、三度目の打ち切りどころか人生も打ち切りになっちゃったみたい。
自分の作品が大人気になってアニメ化してライセンス料ガポガポ入ってくるようになったらたくさんお返ししたかったのに。
親孝行出来なくてごめんね。
そして次に地元の親友達。
私が賞を取った時は自分の事のように喜んでくれたっけ。
結局私がすごかったのはそこまでだったね。
期待に応えられなくてごめん。
アシスタントの伊藤さん達、お給料最後まで払えなくてごめんなさい。
林田さん、デビューした時からずっと私と二人三脚でサポートしてくれたのに人気漫画描けなくてごめんなさい。
そして、私の漫画を楽しみにしてくれていた全ての読者の皆さん。
現妖大戦を最後まで描ききれなくて、物語を最後まで届けられなくて本当にごめんなさい。

思い返しても本当にどうしようもなくて、情けない私の人生。
どこで間違えたかと言われれば、満場一致でデビュー作『メルヘン・テール』で読者の事を一切考えず自分勝手な作劇をしたせいで、序盤は結構あった人気を終盤の展開で無に帰して打ち切りにしてしまった事だろう。
あれから私は必死に売れるために漫画を描いてきたけど、結局アドバンス読者の皆にウケる漫画は描けなかった。
そして私の全てを注ぎ込んだ三作目『現妖大戦』も、結局4巻打ち切りだった。
週刊少年アドバンスで三度打ち切りになった漫画家は、もうアドバンス誌面では活躍出来ないという都市伝説がある。
担当の林田さん曰くアドバンス編集部にそんなルールは無い、全くのでたらめらしいけれど。
たとえ都市伝説でも、仮に私がここで死ななくて生き続けた所で、これから先週刊少年アドバンスでもう一度連載を勝ち取れるビジョンが見えなかった。
どっちにしろ、体がギブアップを迎えても迎えなくても私の漫画家人生はここで終わりだったんだろうな、という気がした。
あぁ、もう視界が真っ暗で何も聞こえない。
いよいよお迎えが来たらしい。
本当に後悔だらけでどうしようもない人生だったけれど、もし来世が本当にあるとしたら、今度は連載雑誌のアンケートの人気投票に怯えない穏やかで平和な毎日を過ごせたら良いなぁ…。
渋谷先生の来世にご期待ください、なんちゃって…。
アハハ、ハ……。

こうして、漫画家:渋谷翼の人生は幕を閉じた。
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