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嗣春編

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その日の夜中、ふと、冷たい風が体にあたったような気がして、嗣春は目を覚ました。

何気なく隣を見ると尊の姿がない。

一体、どこに行ったのだろうと薄暗い部屋を見渡したところで、ギョッとする。
ベランダ側の窓が空いていて、その窓の向こうにある、ベランダの手すりに、尊が裸で腰掛けていたのだ。

足はブランと手すりの外に投げ出していて、ちょっとでもバランスを崩せば、真下に落ちそうになっていた。
ここは高層マンションの最上階だ。落ちたら間違いなく助からない。

(一体何をしてるんだ!)

嗣春は慌てて飛び起きると、尊を驚かさないようにして、そっと忍び足で近づき、落ち着いた声で

「尊、そこで何をしている」

と優しく声をかける。
ゆっくりと振り向いた尊の頬は涙で濡れていた。

「父…さん……?」

薄暗闇の中で、どうやら尊は嗣春を父と見間違えているらしい。

嗣春は今までに経験した事のない緊張でゴクリと喉を慣らしながら、手をそっと尊に向かって差し出す。

ここで対応を間違えれば、尊を失う。その感覚は嗣春にとって恐怖に近かった。

冷たい汗が背中にツーっと流れ落ちる。

それほどまでに、尊の存在が自分の中で大きくなっていたのだ。
あれほど、この世からいなくなって欲しいと願っていた義弟なのに。

今、人差し指一つで目の前のその体を押し出せば、その願いが叶うのに、嗣春は動けなかった。

ーー初めて尊の姿を目にしたあの瞬間に、既に俺の心はこの美しい義弟に捕らわれていたのだ

もしも、尊がこの世からいなくなってしまったら、自分は正気を保てない。そんな確信すら今はあった。

嗣春は、かつて電話口でよく間違えられた父の声色を思い出しながら、尊に話しかけ続ける。

「そこは危ない。さぁ、こっちへおいで尊」

しかし、尊は首を横に振る。

「父さん、どうして僕を愛してくれなかったの?」

尊の言葉に、嗣春はハッと息を呑む。

「僕は父さんを愛してたのに…… どうして…僕を愛してくれなかったの……? 僕は…僕は…独りで寂しい……僕も父さんの所に行きたい……」

ポロポロと尊の頬を涙が伝う。

尊の体の向こうには、高層ビル群のネオンが無機質に輝いていて、まるで現実とは思えない光景だった。

もしかしたら、これは夢なのかもしれない……

しかし、頬に当たる冷たい風は、間違い無くこれが現実なのだと、嗣春に無情に告げている。

尊をここで失ってたまるか! 嗣春は拳をぎゅっと握り締める。

「よく聞くんだ。尊、お前を愛しているよ。心から」

「父さん… 」

尊は驚いたように一瞬瞳を大きく開き、しかし、首を再び横に振る。

「でも……でも……僕は父さんに決して許されない事をした……ごめ…んなさ…い……」

次の瞬間、尊の身体はグラリ、と揺れて、手すりから滑り落ちる。

「尊っ!」

嗣春の手が間一髪で尊の体を捉えると、一気にベランダの内側に引きずり込む。

「尊、お前なんてことをするんだ!」

心臓が止まりそうになりながらも、嗣春は腕の中に尊の身体をしっかりと抱き込む。

「ごめんなさい……父さん、ごめんなさいっ……」

尊は嗣春にしがみついたまま、まるで幼い子供のように、わんわんと嗣春の腕の中でいつまでも泣き続けた。

ーーまったく、なんて事をしでかすんだ。

嗣春は、泣きじゃくる尊の背中を優しくさすってやりながら、空を見上げる。
本当に心臓が止まるかと思った。

ーー尊、お前はあの広い屋敷にたった一人で残され、知らず知らずに孤独という悪夢に蝕まれていたのか。

そして、暗闇の中にいる尊の魂を救ってやれる唯一の人は、もうこの世にはいない。

それでも、俺は尊を孤独の闇から救える方法を見つけ出してやりたい。

もう、こんな思いは二度とごめんだ……

嗣春は、尊の冷えた真っ白い頬にそっと唇を寄せる。

やがて、少し落ち着いてきた尊の髪を撫でてやりながら、
「大丈夫か?」
と声をかけると、尊もコクリと小さく頷いた。

「ここは冷える。ベッドに行こう」

そう言って、華奢な尊の体を抱きかかえると、ベッドまで運び、冷え切った尊の身体を温めてやるようにして、腕の中に抱きしめる。

うとうとし始めた尊の顔を眺めながら、
「そう言えば、さっきは何をそんなに謝っていたんだ?」
と何気なく問いかけると、尊はハッとしたように瞳をあけ、顔を青白くさせると、唇をぎゅっと噛み締める。

それから覚悟を決めたようにして、口を開いた。

「僕は、父さんにも義兄さんにも、決して許されない事をしてしまったんです……」

「一体、何をしたんだ?」

「……父さんが倒れた時、病床で、父さんはずっと義兄さんの名前を呼んでいました。けれど…僕は…義兄さんを病室に呼ばないよう、周囲に命じたんです」

尊の告白に、嗣春は息を呑み、顔を思わず強張らせる。

「一体、なんでそんな事をしたんだ……」

怒りを抑えて体を起こしながら、嗣春は問う。

「……父さんの瞳に、最期に映るのは僕だけでいたかったんです。僕だけの父さんでいて欲しかった……。僕は…僕は……、父さんにも義兄さんにも決して許されない事をしてしまったんです……」 

涙を堪える尊を見下ろし、尊の細い顎を掴みながら、嗣春は強い眼差しで、尊の姿を捉える。

「いいか、尊。俺はお前のした事を許さない」

嗣春の言葉に、尊の顔は青ざめ、体を強張らせる。

「義兄さん……」

「だから、お前は俺の側で一生をかけて償うんだ。いいか、今日からお前の身体も、その命も、全て俺の物だ。勝手に失う事は絶対に許さない。分かったか」

まるで獅子王の如く、命ずる。嫌だと首を横に振れば、その鋭い爪と牙で喉を切り裂き、全身を食らいつくような迫力で、嗣春は凄む。

「はい……」

尊は覚悟するように小さく頷く。

「これからお前を抱く。いいな?」

まるで、罪の裁きを下すかのように恐ろしいうなり声の物言いだったが、“いいな?"の部分は、どこか尊の意志を伺うようなニュアンスだったので、尊は思わず、クスリ……と笑う。

強さの中に優しさを隠し持つ人ーー
父さんもそんな人だった

尊は、在りし日の父の面影を思い出し、再び胸が張り裂けそうになるのを、必死で堪える。

この抉られるような胸の痛みを何度繰り返したのだろうか。けれど、その感傷も今までとは、どこか違っていた。

嗣春から伝わる肌の温もりが、記憶の痛みを柔らかく包み込み、遠い過去へと押しやろうとしている。

嗣春ーー 僕がこの世で最も憎み、最も憧れる男……

「僕の体は、義兄さんのものですから」

願わくば、嗣春にこの身体の全てを食べ尽くされてしまいたい。

そして、血となり肉となり、嗣春の体の一部となり、今度こそ、父さんの息子となるのだ。そうなることが出来たら、どんなに素晴らしいだろう。

尊は静かに瞳を閉じる。
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