悪役王女サマは傾国の美女になんかなりたくないっ!

瀬能なつ

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市井の人

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さっきとは打って変わって、寂れた道を馬は進んでいった。

周囲には生き物の気配はなく、ただ灰色の単調な風景だけがひたすら続く。道に生えている木々も、半分枯れかけて崩れ落ちている。馬が歩く道はデコボコと悪路で、馬は頻繁に躓いてはガクンと体制を崩し、そのたびに私は必死でグレイにしがみついた。

やがて、両脇にポツン、ポツンと旗のかかげられた、背の高い柱が立っているのが見えてきた。

柱に下がっている赤い旗には、盾のような形の紋章の左右に、二頭のライオンが描かれている。

それらはこちらをまるで監視し、威嚇するかのように、パタパタとはためいていた。

「あれはロシュディール国の紋章です」

グレイは眉をひそめ、忌々しそうに呟く。

敵国の旗がこの地で、まるで当然のようにはためいているのを、決して受け入れられない。そう表情かおに出ていた。

立っている旗の数は、道を進むにつれて、次第に多くなってゆき、やがて、賑やかで楽しそうな祭りの音楽も、いよいよ近くに響いてきた。

私も待ちきれなくて、ワクワクと胸を弾ませる。

馬が角を右に曲がると、不意に目の前に街が現れた。

そこは既に大勢の人々が集まっていて、喧騒と、様々な音楽が絶え間なく鳴り響き、物凄い活気だった。

女性たちはみな、黒地に赤い薔薇のような花の絵を刺繍した、ふんわりとしたスカートをはき、上は胸の谷間を強調するようにギリギリまで開けられた真っ白いブラウスを着ていた。髪の毛は三つ編みのおさげにして、耳のすぐ上には、薄紙で作ったような、大きなピンク色の造花の花飾りを左右につけている。

どうやらこれが祭りの定番の服らしい。まだあどけない小さな女の子から、腰の曲がった老婆まで、多くの女性たちが、この衣装を着ていた。そして、待ちに待った祭りの日が楽しくて仕方がないといった笑顔で、街を歩いていた。それはとても素敵な光景だった。

「私もあれを着てみたいわ」

思わず口にすると、

「あれはブルギルニといって、マルスティラの伝統服で、庶民の者たちの祭りの装いです。姫のような高貴な方が着るものではありません。それに姫の今日のドレスはシンプルですが素敵ですよ」

グレイに素敵と褒められて、私は思わず頬を染める。

私が今日、お祭りということで、特別に着せてもらったのは、薄ピンク色をしたサテンの艶やかな生地で仕立てたロングワンピースで、袖はバルーンのようにふくらみ、胸元に可愛らしい白いレースが縦に二本入っていた。

こんなレディライクなドレスを着たのは初めてで、着せてくれた婆やの前で、ドレスの裾を摘まみあげてクルクルと回ったりして、大喜びで少しはしゃいでいると、

「あぁ、姫さまはなんとお優しいんでしょう……姫さま……どうか辛抱なさって下さい……」

こんな質素なドレスを姫さまに着ていただくのは心苦しい…と、婆やはエプロンの裾で涙をそっと拭った。

どうやら私が気を使って喜んでいるフリをしているんだと思っているらしかったけど、私は心の底から、このドレスを着ることを楽しんでいたのだ。

グレイは街の入り口の近くに、馬を繋ぐ杭を見つけると、ヒョイと馬から飛び降りて、そこに馬を括りつけて、私の体を馬上から軽々と下ろす。

私の身体が無事に地面に立つと、
「このフードは絶対に外さないで下さい」

と言って、顔を隠すように被っていた私のフードを注意深く整えて、それから、自分の整っていた髪の毛に、グシャリと手を入れて、グレイも自分の顔を隠すようにして、わざと髪の毛が顔にかかるようにして崩した。

こうすると、とたんにグレイは、真面目な風貌から一変して、少し荒々しく男らしい印象になる。再び私の心臓は密かにときめいた。

「さぁ、行きましょうか」

グレイは腕を差し出す。その腕に絡めるようにして、私は左手をグレイの腕に回し、祭りの中心の賑やかな広場へと二人で歩き出した。

街中ではそこかしこに、ロシュディールの旗が掲げられていて、胸にロシュディールの紋章をつけ、腰に剣を差した兵士のような男たちが、大勢、歩いていた。

しかし、街の人々は、ロシュディールの人間が我が物顔で歩きまわっているのを、対して気にしてはいない様子だった。

音楽はさらにどんどんと大きくなる。広場の中心には大きな噴水があり、その周りで子供たちが歓声をげながら、はしゃいで走り回っていた。

至るところにアコーディオンや笛、小太鼓のような楽器を演奏する者達がいて、その音楽に合わせるように、街のあちこちで男女が軽妙なステップを踏んで踊り、その顔は誰もがこの祭りを楽しんでいて、幸せそうだった。

その時、

「ここで暫くお待ちいただけますか?」

グレイが賑やかな音楽に負けないよう声を大きくし、私のフードを覗き込むようにして声をかける。

グレイの吐息が僅かに顔にかかる。

「ええ」

私は頷く。

「すぐに戻りますから、決してここから動かないで下さい」

まるで小さい子供が迷子になるのを心配するかのように、グレイは私の手を取り、念をおすと、噴水の向こう側へと歩き出した。

グレイの向かった方向には、建物の陰に隠れるようにして、ひとりの男が立っていた。

歳はグレイと同じくらい。男は飾り気のない麻の上下の服を着ていて、腰には革で出来た茶色いポーチをぶら下げていた。

見た目の格好はまるで農夫といったところだ。

ただその背丈は高く、体躯はがっしりとしていて、麻のシャツの下には鎧のように厚い筋肉が隠れているのが、遠目でもわかった。さらに、男の目つきは鷹のように鋭かった。

グレイと男は短い会話を交わすと、周囲を伺うようにして見渡し、それから路地の奥へと二人で消えた。

私は途端に、言葉にならない不安の黒雲が心を覆う。と同時に、グレイの言葉を思い出していた。

『マルスティラの兵たちを密かに集めている』

あの男もマルスティラの兵のひとりなのかしら?

ロシュディールに対抗して、兵を挙げるということは、グレイは燃えるような戦火の先陣に立つということなの?

一体、マルスティラの兵たちに勝ち目はあるの?

全身に瀕死の重傷を負って、息も絶え絶えに戦場で倒れるグレイの無惨な姿が見えたような気がした。

それは気を失いそうなほどに、恐ろしい光景だった。

嫌よ!グレイを絶対に失いたくない!

危ないことはやめて!

私は思わずグレイの背中を追いかけて、そう叫びだしそうになる。

その時、

「お嬢さん、そこの美しいお嬢さん」

不意に声をかけられ、後ろに振り向くと、まるで肉まんのようにコロコロと太った屋台のおじさんが、にこにこと笑いながら立っていた。

「お嬢さん、ちょっとコレを味見してみないかね?」

屋台に並んでいたのは、見たこともない、赤や黄色、ブルーなどの色鮮やかなお菓子。それらは何種類も量り売りで売られていて、屋台のおじさんは、ニコニコしながら、こちらに向かって木のスプーンを差し出す。

スプーンの上には黒い欠片がちょこんとのっていた。

「今日、手に入ったばかりのキャラロルだよ。さぁ食べてみてくれ!」

自信たっぷりに肉まんのようなおじさんは言う。

思わず手を差し出すと、笑顔でスプーンの上の欠片を私の手のひらに落とした。

その黒く小さい欠片を口に入れると、チョコレートのような甘さが口に広がる。けれど、チョコレートと違って、ほろ苦さの代わりに、まるで花のように芳醇な香りが口の中いっぱいに広がり、

「まぁ!美味しい」

私は驚いたように、目を見開く。今まで食べた事のない味で、信じられないくらいに美味しかったのだ。

屋台のおじさんは、ますますニコニコと笑顔になり、次々と試食のスプーンを差し出してきた。

「うちで扱っているのはみんな、ロシュディール産の珍しいお菓子ばかりなんだよ」

おじさんは得意そうに売り物の菓子を宣伝する。

「あら、ロシュディールの人なの?」

私が少し驚いたように尋ねると、おじさんは笑いながら顔を横に振る。

「いいや、私は正真正銘のマルスティラの人間だよ」

「でも、ロシュディールに国を取られてしまったでしょう?ロシュディールの物を扱うのに、抵抗は無かったの?」

「そうだねぇ。最初は腹立たしかったし、国が無くなるのは悲しかったけれど、ロシュディールの人間も話してみると、案外気持ちの良い奴が多くてね、商売の取引相手としてはそう悪くはないんだ。それに、あそこの橋、」

おじさんが指差した方を見ると、大通りの向こう、街の外れに工事中の橋があった。

「あれは以前から街の人々があそこに橋を作って欲しいと願っていたんだ。あそこに橋があれば、街の北側にある、ナシューラ村の人々がわざわざ悪路を大回りしなくても簡単に街にたどり着ける事が出来るからね。だけど、マルスティラの時には何度請願を出しても費用の問題で却下されてしまってね。でも、ロシュディールになってからは、すぐにその願いが聞き入れられて、あっという間に橋を作るための工事が始まったんだ。私たちは本当に感謝してるよ」

おじさんはタプタプとしたお腹を揺らしながら、機嫌よく笑った。

どうやら、ロシュディールによる統治はそれなりに上手くやっているようだった。

その時、「きゃぁ、見て!これ可愛い」とマルスティラの民族衣装を着た10代くらいの女の子たちがはしゃぎながら、私たちの屋台に駆け寄ってきた。

屋台にはお菓子だけでなく、小さなアクセサリーもいくつか置いてあった。

女の子たちは夢中になって、可愛いらしいかんざし形の髪飾りを手に取る。

それは先端に小さな風車のような飾りがついていて、髪の毛につけると、歩くたびに飾りがクルクルと回り、美しい煌めきを放った。

「ああ、それはロシュディールで今大流行してる髪飾りだよ」

屋台のおじさんがそう言うと、流行はやりに敏感そうなマルスティラの少女たちは目を輝かせながら、
「これ、一つ頂戴!」
「わたしもこれ、欲しい!」
「ちょっと、その青いのは私が先に手に取ったのよ!」と、奪い合うようにして、その簪を買っていった。

どうやら、ごく普通のマルスティラの人々は、政治よりも生活が大切とばかりに、国がロシュディールになることに、あまり抵抗がないようだった。

「マリー。待たせたね」

名を呼ばれて振り向くと、グレイが立っていた。

人前で「姫さま」と呼ぶわけにはいかないので、グレイと決めた秘密の呼び名だった。

グレイにマリーと呼ばれると、
堅苦しさがなくなり、いつもよりも親密感が増し、思わず笑顔になってしまう。

「さぁ、お兄さん。こちらの美しい恋人のお嬢さんに、美味しいお菓子でも買ってあげないかい?」

屋台のおじさんはニコニコと揉み手をしながらグレイに話しかける。

セールストークと分かっていても、グレイの恋人と言われるのは、素直に嬉しくて、思わずはしゃいでしまう。

「ねぇ、これ欲しいわ」

さっき試食したブラスヤルを指差して、可愛くお願いをすると、グレイは頷いて、「ベルタおばさんにもお土産を買わないといけないからね」と、屋台のお菓子を何種類か買い込んだ。

買っている途中で、グレイはこれらは敵国ロシュディールのお菓子だと気づいた様子だったけれど、結局、何も言わずにグレイは代金を支払った。

甘いお菓子を抱えて、馬の元へと戻る。
馬は私たちの姿を見ると、ブルルルンと嬉しそうに鼻を鳴らして、喜んだ。

その時、ふと、マルスティラの民族衣装ブルギルニを着た老婆が視界の隅に入った。

老婆は手に何やら大きな荷物を抱えていた。

重そうな荷物のせいで、老婆の足どりは少しヨロヨロとよろめく。

するとすかさず、近くにいたロシュディールの若い兵士が老婆に駆け寄り、荷物を自分の背に担ぐと老婆の手を取り、支えるようにして歩き出した。

恐らく初対面であろう二人が寄り添う姿は、まるで祖母と孫のように、自然に見えた。

そして、あっという間に賑やかな人ごみの中に消えていった。

ぼんやりとその光景を眺めていると、

「姫、持ち上げますよ」

既に馬に乗っていたグレイに声をかけられて、私はハッとする。

「ええ。お願い」

私の身体は再び馬上になり、馬は来た道を辿るようにして、歩き出した。

やがて、見覚えのある、紋章のついた鉄の門をくぐり、丘陵の牧草地を抜けると、来る時に約束した通り、グレイは赤く美しい夢見草を摘んでくれて、お菓子と花束ブーケを手に、森の中の小さな我が家へと帰宅した。

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