悪役王女サマは傾国の美女になんかなりたくないっ!

瀬能なつ

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記憶の扉

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ぐるりと見渡すと、かまどの上にヤカンのようなものが乗っていて、ヤカンの中を覗くと、お水は入っていなかった。

このヤカンに水を入れて、火を起こせば、お湯が作れるよね。

かまどに火を起こすのなんて、小学校の林間学校以来だけど、きっとなんとか出来るはず!

まずは新鮮なお水を手に入れるため、木の桶をもって重い木の扉をギギギと開いて外に出た。

一歩、歩き出した瞬間、早朝のひんやりとした空気が全身にまとわりつき、思わず深呼吸する。

すっかりと生き返るようだった。

こっちの世界に来てから、まるで病人のような生活だったから、自分の身体がまだ健康なのを肌で実感できて、なんだか嬉しくなる。

ぐるりと辺りを見回して、目の前に広がる見たこともない木々が生い茂る森と、そして、夜明け前の暁の空に浮かぶ、二つの月を見つけると、異世界に来た事をしみじみと実感する。

夏樹ちゃん、私がいなくなって悲しんでくれてるのかな?


けれど、よく考えてみれば、私があっちの世界でいなくなっても、悲しむのは夏樹ちゃんくらいだけだった。

生まれた時から、パパとママはいなくて、乳児院の前に置き去りにされてたのが、私だった。

自分で言うのもなんだけど、
結構、過酷な生い立ちよね。うん。

ちゃんと生きていれば、いつかパパとママに会える。

そう信じて一生懸命に勉強して、奨学金を貰って大学に入ったけれど、あっさりと私の人生は終わってしまった。

けれど、あの騎士の話を信じるなら、私はこの世界に「帰ってきた」のであって、私の本当の家族もここにいる。

そう考えると、希望の力がみるみると湧き上がってきた。

井戸のところまで来ると、ポンプを力一杯に押す。
体力はかなり落ちていたけれど、ザーッと出てくる水が面白くて、ギゴン…ギゴン……と何度も何度も押し続けた。

零れるほどに桶を新鮮な水で満たした後、それをエイっ!と持ち上げて、ヨロヨロしながら家に戻る。

ガタンと木の玄関ドアを開けて家の中に入ると、忙しそうに朝食の準備をしている婆やと目が合った。

婆やは私が水の入った手桶を持ってるのをみると、ギョッとしながら駆け寄り、それから大きな声で

「グレイさん!グレイさん!一体これはどういう事です!!」

と居間に向かって叫んだ。

グレイもその声を聞くと、慌てて吹っ飛んでくる。

そして、私の手にした手桶を見ると、婆やと同じように、ギョッとした。

「グレイさん、あなたは姫様に家事をさせてるんですか?!」

叱るような婆やの声に私は慌てる。

「ち、違うんです!これは私が勝手にやったの。グレイは何も言ってないです。私、お茶を淹れようと思って……」

「まぁ、まぁ、姫様。お茶が飲みたかったら、私に言いつけて下さいまし」

婆やはそう言いながら私の手から手桶を奪う。

「姫、外に出られたのですか?」

グレイは少し困惑した表情を見せる。

「なんか、ごめんなさい……」

この場の空気から読み取るに、どうやら、とてつもなく大きな失敗をしたらしく、私は素直に頭を下げる。

「外は大変危険です。姫のお命を狙う敵がどこにいるか分かりません。どうかお一人で外には出ず、必ず私と共に外にお出かけ下さい」

グレイはそう言うと、私を居間に連れてゆき、椅子に腰掛けさせると、一冊の本を手渡した。

「もしお暇であるなら、どうぞ本をお読み下さい。姫」

それは、表紙が真っ白な革で出来ていて、美しい金色の飾り文字でタイトルが書かれていた。

それは見たこともない文字だった。

私はため息をついて、首を振る。

「グレイ、私はこれ読めない……」

「眺めてるだけでも結構ですよ。ゆっくりと思い出して行きましょう。その本のタイトルは『マルスティラ公国の歴史』です」

グレイに言われて、もう一度、表紙のタイトルを眺める。

すると、不思議な事に、ぼんやりと文字の意味が頭の中に浮かび上がってきたのだ。

知らない文字が読める!

なんだか面白くなってきて、ワクワクしながら、次のページを捲る。

そこには圧巻の、広大で美しいお城の絵が描いてあった。

今度はお城の下に書かれた文字を凝視して、じっと眺め続ける。すると、フッと頭の中に言葉が思い浮かんだ。

「れ、レ…おー……ル……城……」

思わず声に出して読んでみると、目の前のテーブルの上の書類をあたふたと片付けていたグレイの手が、ふと止まる。

「そうです。姫、そちらはレオール城です。姫がお育ちになられたお城です」

グレイが嬉しそうに微笑む。

文字が読めた事をグレイに誉めてもらい、ますます得意になった私は、早速、次のページを捲る。

そこにあったのは、息を呑むほどに美しい、二人の人物画だった。

それは、宝石で装飾された、真っ白い馬に乗る貴公子と、その貴公子を幸せそうに見つめる、美しい貴婦人の絵だった。

絵の説明文には、

『シュリ大公殿下と、その妻、フォルテイヌ妃殿下』

とあり、それを見た瞬間、私の頭の中に、雷のような、バチン!とした衝撃が走った。

全身が本能で、「思い出してはいけない!」と叫んでいた。

呼吸は止まり、次第に息が苦しくなって目の前が真っ暗になる。
体中の毛穴という毛穴からは、凍えるような冷たい汗が、吹き出るようにして流れ落ちた。
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